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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 12


ココエフキは、リリアナ・アレクサンドラ・クラークの寝室の場所を事前に調べていた。自分で確認もしていたが、全ての情報は雇い主が融通してくれる。“デス・ワーム”がリリアナを狙っていたことは調べが付いていなかったが、どれほど雇い主の情報網が広かろうと、貴族である以上は入手できる裏社会の情報も限られている。いずれにしてもココエフキが彼を殺害した以上、“デス・ワーム”は脅威にはなり得ない――はずだった。少なくとも、ココエフキはそう確信していた。


「――っ!?」


屋根の上を歩いて標的の元に急ごうとしていたココエフキの足が止まる。本人の意思とは裏腹に、体の自由が効かなくなっていた。一体何故、もしやデス・ワーム以外に何者かが潜伏していたのか――忙しなく目だけを動かし状況を把握しようとしていたココエフキは、信じられないものを認めて目を剥いた。

毒を受けて倒れたはずの男が、()()()()()()()()()()()()()――。


何故、と問おうにも声すら自由にならない。そんなココエフキを楽し気に眺めていたオブシディアンは、腕を組んで小首を傾げた。


「驚いてんなぁ。そんなに簡単に俺を殺せると思ってたなんて、俺も舐められたもんだな」


お前如きに俺が殺せるわけがないだろう、とオブシディアンは厳然たる事実を告げるような口調で囁く。ココエフキの顔は怒りで真っ赤に染まるが、オブシディアンの手によって術を掛けられた体はぴくりとも動かなかった。

オブシディアンはずっと、無意味にココエフキの攻撃を避けていたわけではない。エアルドレッド公爵が暗殺されたという情報を得た彼は、リリアナが泊まっている部屋を起点に大きな陣を描いていた。そのために大量の林檎を消費する羽目になり、しばらく林檎は見たくもないとうんざりしたのはたった数時間前のことだ。


「お前さぁ、本当に何で俺がカマキリと師弟関係じゃないのか、真剣に考えたことなかったワケ?」


唐突な質問に、ココエフキは瞠目した。それでも未だに怒りは消えないらしく、目元が赤らんでいる。オブシディアンは小さく溜息を吐いた。

ココエフキも大禍の一族だ。カマキリは一族の中でも優秀で、第一線から退いた後は、優秀な後進を選んで彼らの育成に励んでいた。だから優秀な若手は皆カマキリに師事したことがある。勿論ココエフキもその一人だった。カマキリから直接手ほどきを受けた者は一族の中でも有数の実力者だと一目置かれている。だが、一族の中で一、二を争う実力者と言われているオブシディアンはカマキリの弟子ではない。


「仕方ねえか。一族の教育方針だもんな」


上からの命令は疑うことなく、たとえどのような命令でも受け入れる。それが一族唯一の掟だった。任務を完遂するために様々な方策を考え実行できるが、それ以外のこと――例えば暗殺の理由や暗殺による影響については一切考えようとしない、というのが一族の刺客に共通した特性だった。

だからこそ、ココエフキは何故オブシディアンがカマキリの弟子ではないのか、考えたこともなかった。そして、オブシディアンが一族の命令に反して自ら任務を抜け、雇い主を裏切り、リリアナの護衛に付いていることにも気が付かなかった。


「俺は異質だと思ってたろ? 虫ケラって呼びながら、俺の近くにいるとビビるんだもんな」


笑えるぜ、とオブシディアンは穏やかに言葉を紡ぐ。睨み据えるココエフキに動じることなく、オブシディアンは死にゆく小動物へ飼い主が声を掛けるような慈愛に満ちた声音で告げた。


「それな、正解だぜ。俺は後から一族に入った変わり種で、一族で生まれ育ったお前らとは違う。だから、使う技もお前らとは違う」


オブシディアンは右の掌を空に向けて軽く振る。彼の右手には黒い烏が出現した。ココエフキはそれを見て絶句する。先ほどまで抱いていた怒りはどこへやら、蒼白な顔には恐怖が浮かんでいた。


「――自分より強い弟子は取らねぇだろ?」


当然だというようにオブシディアンは口にする。

一族の中でも歴代最強と呼ばれていた師を倒すことができるなど、これまでのココエフキであれば信じなかったに違いない。だが、今の彼は疑うことなどできなかった。当代でも優秀と呼ばれ恐れられていた自身の渾身の攻撃を避けた挙句に、死んだふりをしたオブシディアンはココエフキに気付かれないよう拘束の術を展開していた。そして今、彼が右手に顕現させた黒い烏はあまりにも強大な魔力を纏っていた。野生の烏を使役したのか、それともオブシディアンが自身の魔力を使って烏を作り出しているのか、ココエフキには判別すらつかない。いずれにしても、常人には成し得ないことだった。

動物を使役する術があると聞いたことはあるが、既に廃れた術であるはずだ。そして魔術で動物を作り出すことも、膨大な魔力を持つ者でなければ出来ない禁術である。

何故そんなことが出来るのかと恐怖を瞳に映すココエフキに、オブシディアンは今更気が付いても遅いと薄っすら微笑む。


「お前の今の雇い主ってさ、」


そして口にした一人の名前。愕然としたココエフキに確信を持ったオブシディアンは、にやりと笑った。


「――ありがとよ」


その情報が欲しかったんだ、とオブシディアンが告げれば、ココエフキの体を拘束していた無色透明の魔力で作られた紐が姿を現す。その紐が太くなった瞬間、ココエフキの体が痙攣し始める。目を瞠り額に血管が浮き上がり、口は泡を吹く。彼が体内に持っていた魔力が紐に吸い取られ、そしてオブシディアンの右手の上に顕現した黒烏に流れて行った。顔を黒烏に向けたオブシディアンは呆れたように尋ねる。


「美味い?」


昼間にオブシディアンから渡されそうになった林檎の芯を拒否した烏は小さく嘴を開閉する。どうやら美味しいらしい。


「こいつの魔力が美味いとか、ゲテモノ好きだな――いや、一応優秀な奴だったし、そのせいか?」


納得できないと言いたげにオブシディアンはぼやく。やがて全ての魔力が吸い取られたココエフキは、干からびたようになってその場に崩れ落ちた。からからに渇いた体は落ちた衝撃で粉々になる。オブシディアンが右手を拳にすると、烏は満足した様子で空に飛び立った。夜闇に紛れるその姿を一瞥するが、オブシディアンは気にせずココエフキだった残骸に近づきその場にしゃがみ込む。

中身を失ってくしゃくしゃになった衣服を漁り、オブシディアンはココエフキが隠し持っていた毒物を回収した。


「なんだこりゃ」


用が済めば、後は魔術で残された衣服を焼くだけだ。そうすればココエフキが任務に失敗して死亡したと一族に知られる時期を遅らせることが出来る。だが、その前にオブシディアンは一通の封筒に気が付いた。手にして表書きを見る。そこに書かれた宛名を見た瞬間、彼の表情は険しくなった。


「――お嬢に持って行く、か」


この場で開けても構わないが、封書自体に術が掛かっている。だからこそココエフキも開封しなかったのだろう。

封書を服の下に仕舞うと、再度衣服を漁って他に持っていた物がないか確認した。そしてオブシディアンはあっさりとココエフキが着ていた衣服を燃やす。


「任務、完了」


にやりと笑ったオブシディアンは踵を返して、リリアナの部屋近くに行く。ココエフキを倒した今、リリアナに危害を加える裏稼業の者はほぼ居なくなったと考えて良いだろう。だが油断は禁物だ。だから、オブシディアンは暫くはリリアナの護衛に徹するつもりだった。



*****



翌朝目覚めたリリアナは、朝食後に思わぬ訪問者を迎え目を瞠った。


「この時間にいらっしゃるなんて、珍しいこともございますわね」

「急ぎの用があってさ」


いつもであれば夜、闇に紛れて訪れるオブシディアンを見てリリアナは目を細める。日の下で見るオブシディアンは、夜の彼とだいぶ雰囲気が違った。裏稼業に生きるようには見えない、ごく普通の少年だ。尤も普段から物騒な気配を纏っていれば、普通に暮らすこともできないだろうと思い直す。

リリアナは首を傾げた。


「急ぎの用?」


珍しいこともあるものだとリリアナは内心で呟いた。オブシディアンに頼んでいる情報収集は急用と言えるほどのものはない。そして現状から判断するに、リリアナに差し迫った危険もないはずだった。今は亡きエアルドレッド公爵の言葉を信じれば、命の危険が高いのはリリアナではなくライリーだ。

そんなリリアナに近づいたオブシディアンは、懐から一通の手紙を取り出した。差し出された手紙を受け取り、宛名を見たリリアナは眉根を寄せる。


「――プレイステッド卿?」


プレイステッド卿はエアルドレッド公爵家を中心としたアルカシア派の有力者だ。エアルドレッド公爵と二大巨頭ではあるが、プレイステッド卿は常にエアルドレッド公爵を立てる。そのため決して派閥は二分されず、そして非常に巨大な派閥であるにも関わらず統制されていると言われている。ただ、プレイステッド卿の出自や幼少期を知る者は殆ど居ないと囁かれていた。

裏返して封蝋を見れば、エアルドレッド公爵家の家紋が押されている。リリアナは訝し気な視線をオブシディアンに向けた。


「これはどこからお持ちになったの?」

「昨晩、お嬢の寝床に忍び込もうとしてた奴からもらった」

「――わたくしの寝室に?」


リリアナは目を瞬かせる。どう好意的に捉えても、その人物はリリアナに害意を持った不審人物にしか聞こえなかった。案の定オブシディアンはあっさりと肯定する。


「お嬢を傷物にしようとしてたらしいぜ」

「それは文字通り、怪我をさせようという魂胆でしたの? それとも貴族令嬢として?」

「多分、怪我のほう」


オブシディアンは苦笑混じりに答える。ぽそりと「傷つくかと思ったのに杞憂だったぜ」とぼやいているが、リリアナは聞こえなかった振りをした。


「その方がこの封書をお持ちだったのですね。もしかして、エアルドレッド公爵に手を下したのもその方なのかしら」


エアルドレッド公爵がプレイステッド卿に宛てた手紙を持っていたのであれば、その者は公爵が雇っていた可能性がある。だが、公爵がリリアナを傷物にするよう指示を出すとは思えない。そう考えると、昨晩オブシディアンが対峙した相手はエアルドレッド公爵を殺害し、公爵邸から封書を盗み出したと推測する方が自然だ。


「ご名答」


楽し気にオブシディアンは答える。リリアナは沸き起こった僅かな不快感に蓋をして、平然と尋ねた。エアルドレッド公爵を暗殺した者が生きていると思うだけで一層その不快感は大きく膨れ上がりそうだ。


「その方はどうなさいましたの?」

「殺した」


あっさりとオブシディアンは答える。自分が狙われていたと聞いても動揺しなかったリリアナには隠し立てする必要もないと考えたようだ。オブシディアンの読み通り、リリアナは「そう」と頷いただけだった。少し考えて掌を封書に翳す。封書は淡く金に輝いた。そっと封を切り、リリアナは中から便箋を取り出す。


「封書だけでなく便箋にも術が掛かっていますわね。念入りなことですわ」


リリアナは呟いて少し考えた。立ち上がって置き棚に近づくと、引き出しから一通の手紙を取り出す。それは、以前リリアナがエアルドレッド公爵に呼び出された時の手紙だった。エアルドレッド公爵の直筆の手紙には、ほんの僅かではあるが公爵の魔力が残っている。

リリアナは呪術を使ってその手紙から公爵の魔力を分離し増幅させると、便箋に流し込む。すると、他愛もない文章が書かれていたはずの便箋が一旦白紙に戻り、代わりに緑色の文字が浮かび上がってきた。

オブシディアンは興味深そうに目を瞬かせてリリアナと手紙を眺めている。文字に目を通したリリアナは、自分の顔が強張っていることに気が付いた。落ち着こうと深呼吸をする。


「そう」


そこに書かれていた文字は、裁判となった場合に証拠として認められるものだった。エアルドレッド公爵を殺害した者が自白した言葉が一言一句転写されている。自白の術は限られた者にしか使えないが、その分制約も多く実行には多くの負担がかかる。一方で、厳格な手順の元に実行される術だからこそ、裁判では動かぬ証拠として用いられていた。自白の術で得られた証言を転記することで、エアルドレッド公爵は首謀者の退路を完膚なきまで奪おうとしている。


「そういう――ことでしたの」


納得したように呟いたリリアナは、深く息を吐き出した。その双眸には、わずかに疲れた色が浮かんでいた。


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