表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
133/563

21. 陰日向の応酬 11


オブシディアンは王宮の裏手にある森の木の枝に腰かけ、小さく口笛を吹いた。伸ばした腕に烏が止まる。


「おー、ご苦労」


烏を労いながら彼は烏の真っ黒な瞳と目を合わせた。ただ光を反射するだけの黒い目に白い線が浮かび上がっては消える。それを凝視していたオブシディアンは、烏の目から白い線が消えて元に戻ったところでようやく深々と息を吐いた。頭を掻いて舌打ちを漏らす。


「――面倒臭ぇ」


実に煩わしそうに呟いて、彼は食べ終えたばかりの林檎の芯を「やる」と烏に差し出した。烏の表情は変わらなかったが、どことなく嫌そうに見える。


「うーん、やっぱり食わねえか」


小さくぼやきながら彼は足元に芯を落とした。地面にぽとりと落ちた芯は溶けるように土の上で消えて無くなる。オブシディアンはそちらを一瞥もしない。彼の腕から烏が飛び立った。


リリアナたちが視察から戻った時から、王宮はエアルドレッド公爵の死亡という知らせで浮足立っていた。三大公爵家の当主であり神童と呼ばれ、青年時代には賢者の再来とまで謳われた話は以前から知っていたが、たった一人の死によって周囲がこれほど浮つくとは思ってもみなかった。中には単に公爵の死が衝撃だったという者もいるだろうし、悲しみに暮れる者もいるはずだ。一方で王宮での権力構造がどのように変わるのか気掛かりな者もいるだろう。エアルドレッド公爵家の若き当主は長兄のユリシーズ・パット・エアルドレッドだが、父親の公爵と同じく派手な場が好きでないらしい彼はそれほど他人の前に姿を現わして来なかった。そのため為人を詳しく知る者もそれほど居らず、様々な噂が流れている。

だが、それ以上にオブシディアンの注意を引いたのは、噂になっていない情報の方だった。ごく少人数にしか知らされていないエアルドレッド公爵が死亡した本当の原因。その情報は間違いなく事実だと、オブシディアンは確信していた。


「暗殺、ねえ。王都の邸宅とはいえ、エアルドレッド公爵家に侵入できる奴なんて殆ど居ねえからな。()()()()()くらいか?」


多分あいつの仕業だろうと見当を付ける。王都にある貴族たちの屋敷の中でも、三大公爵家であるエアルドレッド公爵家とクラーク公爵家、そして魔導士の家系として名高いドラコ家には強固な結界が施してあり、普通の刺客であれば侵入すら出来ない。それが出来るというだけで、下手人の候補はわずか数人に絞られる。


オブシディアンは裏社会で名の通った者たちの名は殆ど把握していた。何分、彼らはオブシディアンの商売敵だ。時折、違う依頼主から告げられた標的が同一人物だったと現場で知ることもある。基本的には手を下した本人の功績となり信用も上がるため、現場で他の暗殺者とかち合えば標的を殺害する前に刺客同士で殺し合いをすることになる。オブシディアンの場合、死の虫(デス・ワーム)だと気付いた相手が怖気づいて逃げてくれるので助かっているが、時々オブシディアンを殺して一躍名を上げようと考える者もいる。

そして更に面倒な男が一人いた。彼もまた裏社会では有名人であり腕も良い。エアルドレッド公爵家に侵入できる候補の筆頭でもあった。彼はずっとオブシディアンを敵視している。恨まれるようなことをした覚えもないのだが、情報屋を営むテンレックなどは極力二人を会わせないように手を尽くしている様子だった。


「面倒臭ぇなあ。あいつの相手すんの本当ダリィ」


彼にしては珍しく愚痴を吐き続ける。だが文句を言い続けていても仕方がないと、オブシディアンは小さく首を振って気持ちを切り替えた。エアルドレッド公爵が殺害されたことは、オブシディアンにとっては正直どうでも良いことだった。他の有力貴族が暗殺されたところで、オブシディアンは気にしない。一々騒ぐことでもないし、いつか人は死ぬ。死期が変わるだけで、もし暗殺されたのであればそこまでの人生だったということだ。

だが、リリアナに関しては別だ。彼女に危害が加えられるのであれば、オブシディアンは間違いなくその相手に報復する。オブシディアンと呼ぶことを許した相手はリリアナで三人目だった。その内の一人は既にこの世に居らず、もう一人はどこに居るのかも知らない。

オブシディアンは元々他人を信用する性質ではなかった。それなのに、なぜかリリアナには早い段階で心を許している自覚がある。


「――忘れてねえのかな、もしかして」


オブシディアンはずっと現在(いま)を生きている。過去には囚われず、そして過去は捨てて生きて来た。そんな生き方を疑うことはなかったし、後悔することもなかった。だが、リリアナの表情は嘗て彼を“オブシディアン”と呼んだ友に似ている。リリアナに“シディ”と呼ばれると、懐かしい気持ちが込み上げる。呼び名を変えるように提案したのはオブシディアンだったが、“やっぱりシディと呼ぶのはやめてくれ”と言いそうになったことが何度かあった。それでも言い出すことはなかった。そして記憶にある“シディ”と呼ぶ声はいつの間にかリリアナの声に塗り替えられていた。


「止めだ、止め。辛気クセぇ、柄でもねえや」


頭を振って感傷を振り払う。溜息を一つ吐いたオブシディアンは、次の瞬間には真剣な表情で目を眇めていた。


「しばらくは、情報収集よりか護衛だな」


ここ数日で情勢は大きく動き始めている。

リリアナとライリー王太子の婚約を支持していたエアルドレッド公爵の死と、イーディス皇女との婚約を推すクラーク公爵。その背景には隣国のエルマー・ハーゲン将軍の暗殺が絡んでいる。国防に関する事柄なだけに、貴族たちは慎重だ。だが、だからこそたった一人の死で構図が大きく変わる可能性があった。

エアルドレッド公爵が生前にリリアナとライリーの婚約を推奨しイーディス皇女との婚約を否定したお陰で、アルカシア派の貴族は大部分がイーディス皇女との婚約に反対する姿勢だ。だが、それも公爵が亡くなった直後だからであり、時間が経てば隣国との和平協定のために皇女を王太子妃として迎えるべきと意見を変える貴族も出て来るだろう。皇国も一枚岩ではないが、皇女をスリベグランディア王国に嫁がせたいと考える貴族も居る。そのような中で、リリアナの存在は一つの大きな鍵だ。リリアナが居なければ簡単に事が進むと短絡的に考える者が居ないとは言い切れなかった。



*****



夜が深まる。オブシディアンはリリアナの前にこそ姿を現わさなかったが、彼女の気配を感じ取れる場所に潜んでいた。目を閉じて仮眠を取るが、少しでも気配が動けば彼の目は覚める。何度か鼠の姿に視線を向けたが、闇に光る小さな瞳を一瞥すると彼は再び瞼を閉じた。

そうしてどれほどの時間が経ったか――ぴくりと、オブシディアンは反応した。物音一つさせずに立ち上がり、闇に姿を紛らわせ屋根伝いに移動する。黒い雲が月を遮っているが、彼の目は招かざる客の気配を確実に捉えていた。

右手がぴくりと動く。袖から滑り落ちた針状の暗器を掴んだ途端、オブシディアンは闖入者に向け針を投じた。


「――っ!」


侵入者は一瞬驚いたように息を飲んだが、すぐに投じられた針を叩き落とす。その動きを予想していたオブシディアンは小さく笑みを唇に刻んだ。一方の侵入者は、そこにオブシディアンが居ることを予測していなかったらしい。


「何奴だ」


誰何する声に応えてオブシディアンはゆっくりと物陰から姿を現す。常人には見えないほど周囲は暗いが、相手にははっきりと見えるはずだった。


「こんなところで何してんだ、ココエフキ」


悠然と微笑んで訊いてやる。だがオブシディアンは目の前の暗殺者が何を目的としているのか見当を付けていた。問うたのは単に時間稼ぎのためだ。


「デス・ワーム――っ!」


オブシディアンの姿を認めたココエフキは苦々しく吐き捨てるように二つ名を口にした。肩を怒らせ、正対したオブシディアンを恫喝するように口を開く。


「何故、貴様がここにいる! まさか俺の仕事を邪魔立てする気か、そうなれば容赦はせんぞ」

「――そうなるよなあ」


疲れたように笑ってオブシディアンは曖昧に答えた。おおよそ想像していた通りの発言に失笑を禁じ得ない。しかし、その態度が一層ココエフキの怒りを煽ったようだった。彼はオブシディアンを睥睨し口をへの字に曲げ、普段は死神のように青白い顔を珍しく紅潮させている。オブシディアンは気にせずに飄々と尋ねた。


「お前の標的って、リリアナ・アレクサンドラ・クラーク?」

「――――貴様もか」


低くココエフキは唸る。獰猛な獣のような声だった。どうやらオブシディアンがそのリリアナ本人に雇われていて、かつココエフキに対峙している理由が暗殺ではなく護衛のためという事実には思い至っていない様子だ。情報収集を怠っていたのか興味がなかったのか分からないが、長期契約で貴族の仕事をするのであれば情報の不足は致命的だった。オブシディアンは、自分が情報を徹底的に隠していたことも忘れて呆れた目をココエフキに向ける。ココエフキは、憎き相手から侮蔑に似た視線を向けられたことで更に激昂した。


「アレは俺の獲物だ、貴様に手出しはさせん――!」

「殺す気なんだろ? 俺のことは気にすんなよ、たとえ俺が殺したところでお前の手柄ってことにすりゃ良いじゃねえか」

「なんだと!?」


オブシディアンの提案にココエフキは噛み付く。自尊心の高いココエフキが受け入れるはずはない提案を敢えて口にしたオブシディアンは、更に相手の怒りに火を注ぐべく飄々と首を傾げてみせた。


「あれ、殺さねえの?」

「傷物にするだけだ、だが例え殺すつもりであっても貴様の温情は受けん」


その言葉は予想外だった。オブシディアンは目を見開く。次の瞬間、無数の針があらゆる角度からオブシディアンに降り注いだ。だが、素直に毒針を受けるつもりはない。オブシディアンの姿が掻き消え、少し離れた場所に現れる。


「全く貴様はいつもちょこまかちょこまかと、煩わしい! このような卑怯者になぜ我が師が目を掛けたのか、今でも理解できん!」

「――お前っておしゃべりだよなあ。カマキリとえらい違いだぜ」

「貴様のような下種が、我が師を名で呼ぶな!!」


寡黙で知られるココエフキは、オブシディアンを前にした時に限って饒舌になる。一方でココエフキが師と仰ぐカマキリは、普段は饒舌だが仕事となると全く口を開かなくなることで有名だった。

オブシディアンはカマキリとは知人であって、師弟関係ではない。その事を指摘すれば更にココエフキは激昂する。これまでの経験から明らかだった。楽し気に口角を上げてオブシディアンは憎まれ口を叩いた。


「呼ぶなって言われても、俺あいつと知り合いだし?」

「あいつ、だと!? 不敬な!」

「名前呼ぶなって言ったり、“あいつ”って呼んだら今度は不敬だって言ったり、お前言ってること矛盾してねえ?」

「お前なぞが師のことを話題に上らせるだけで失礼だと言うのだ!」


更に毒針の攻撃がオブシディアンを襲う。それもさらりと受け流したオブシディアンは、全くココエフキに反撃しようとする姿勢を見せなかった。攻撃された瞬間に別の場所へ移動することを繰り返す。オブシディアンの挑発に乗っている自覚のないココエフキは、オブシディアンが誘導するまま立つ場所を移動させていた。


「というか、お前俺に構ってる暇はないんじゃねえの? エアルドレッド公爵を殺って、その翌日にリリアナ・アレクサンドラ・クラークだろ。依頼人が誰か知らねえけど、時間ないんじゃねぇ?」

「貴様一人、とっとと片付ければ良いだけの話だ」

「とか言いながら、まだ俺の肌に傷ひとつ付けれてねぇじゃん」


あからさまな嘲弄を浮かべると、ココエフキの顔から怒りが消える。どうやら堪忍袋の緒が切れたようだ。殺気を放ってココエフキの動きが変わる。先ほどまでは本気ではなかったのか、無数の毒針を飛ばしながら自身もオブシディアンに切りつける。毒針を全て叩き落としたオブシディアンは、真正面からココエフキの剣を受け止めた。間近に迫った顔と睨みあう。ココエフキがニヤリと凄惨な笑みを浮かべて口を開いた瞬間、黒い靄がココエフキの口から吐き出された。顔面にその靄を受けたオブシディアンは顔を顰める。体が痙攣した途端、その場に崩れ落ちた。


「ふん、他愛のない」


ココエフキは心の底からの侮蔑を滲ませ、足元に倒れ動かなくなったオブシディアンの腹を蹴り上げる。屋根の上を跳ねたその体は、不格好な形で離れた場所に転がった。

彼の武器は針でもなく剣でもない、独自に調合した毒だ。自身に耐性を付けているため、ココエフキが扱う毒は本人には影響を及ぼさない。口から吐き出した黒い靄は彼が編み出した毒と魔術を融合させたものだった。靄を吸えば、吸った当人はあっという間に死亡する。それはたとえ最強と恐れられたデス・ワームでも変わりはない。


「――何者だろうが死ねば同じ――だったか? まさか、貴様がその言葉を証明することになるとはな」


嘲弄を滲ませてココエフキはオブシディアンが嘗て口にしたという台詞をなぞる。

目の敵にしていた男をこの手で屠ったという事実は、酷くココエフキを愉快な気持ちにさせていた。時には自分よりも優秀だと評価されていた敵を殺害した事実はあっという間に裏社会に広まり、ココエフキは間違いなく最上級の腕を持った刺客として認められることだろう。そのことに自尊心をくすぐられたココエフキは薄っすらと酷薄な笑みを浮かべる。


「さて、行くか」


邪魔者は消した。あとは仕事を片付けるだけだ。

ココエフキは、リリアナ・アレクサンドラ・クラークの寝室に向かう。殺せという命令は受けていない。彼のすべきことは、リリアナが王太子の婚約者になれない程度の傷を負わせ、眠れぬほどの恐怖を味合わせることである。それはココエフキにとって、非常に簡単な仕事だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ