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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 10


王都のエアルドレッド公爵邸の近くに、ココエフキは潜んでいた。普段であれば仕事を終えた現場には近づかない。だが、彼には残された仕事があった。


「全く――死んでからもなお煩わしい」


小さく吐き捨てる。彼が()()()()に気が付いたのは、標的であるエアルドレッド公爵が毒に倒れた直後だった。当初は公爵の使った術がそこまで複雑なものだとは気が付いていなかった。単に標的に自白を促す魔術陣だけが組み込まれているものだと認識していた。去り際に仕込み杖を見ていなければ、きっと最後まで気付かなかっただろう。そうなれば今頃ココエフキは勿論、彼の雇い主も身の破滅を迎えるところだった。ただ、気が付いてもなお問題は残っていた。公爵が最期に残した()()()()()がどこにあるのか、ココエフキには分からない。


「それほど遠くにはないはずだ」


ココエフキは小さく呟く。仕込み杖が魔道具でも、それほど大きな陣を施せるわけではない。発動できる魔術や呪術の大きさはある程度陣の大きさに依存する。彼がエアルドレッド公爵の部屋に侵入した直後に発動した術式は部屋の床一面に広がっていたが、それは公爵が自身の魔力を使い魔術陣の効力を拡大させたせいだ。だが、事前情報の通り公爵はそれほど魔術が得意ではないようだった。それならば自身の近辺で術の効果を増幅させることはできても、遠方に術を飛ばすことなどできないはずだ。

溜息を吐いたココエフキは夜になり、人が寝静まるのを待つ。当主が亡くなったせいか、普段は王立騎士団の兵舎に寝泊まりしている次男も公爵邸に戻って来た。あまり人が増えればココエフキの仕事もし辛くなる。恐らく数日後にはエアルドレッド公爵領やその近辺から一族郎党が葬儀のために王都へ来るだろう。遺体を公爵領に運ぶことはしないはずだ。そう判断したからこそ、ココエフキはほぼ丸一日かけて魔道具の作成に勤しんだ。多少粗い仕事になってしまったが、見抜かれることはないだろうとある程度のところで妥協した。魔道具作りは専門ではないが、それなりに腕はある。


ようやく屋敷内に動く人影がなくなったところで、ココエフキは黒い頭巾を目深に被った。口元も黒い布で覆う。今宵は月夜だが、雲が厚く滅多に月は顔を出さない。彼のような職業の者には非常に活動しやすい夜だった。

気配を完璧に消して闇に紛れ、公爵邸に侵入する。邸宅全体に張られた結界も彼の前には無力だ。術者に気付かれることもなくあっさりと中に入り込んだ大陸随一の腕を持つ刺客は、心当たりの部屋に向かった。

通常、貴族当主が身の危険を感じた時にその遺志を託すのは跡継ぎか、もしくは自分と懇意にし助けてくれていた信頼に値する同胞である。そして今、この邸宅には跡継ぎである長男と次男、そして執事や侍従といった使用人しかいない。となると何かしらを故人から受け取った可能性が最も高い人物はただ一人だ。


「ユリシーズ・パット・エアルドレッド」


ココエフキは小さく呟く。次期当主――否、先代は既に亡くなっているので次期ではなく正真正銘の“当主”だ。気配を消したままココエフキは難なくユリシーズの部屋に辿り着く。音もなく飛び上がると、彼は天井に両手で張り付いた。わずかな突起を頼りに指先だけで体を持ち上げ、木板を持ち上げる。辛うじて通れるだけの隙間から身を滑り込ませて天井裏に到達すると、彼はユリシーズの私室の真上に移動した。見当をつけた天上の一部を外して下を覗く。

にやりとココエフキは口角を上げた。音もなく室内に飛び降りる。彼が居るのはユリシーズの書斎だ。気配を探れば、どうやら部屋の主は寝室にいるらしい。上出来だと内心で呟き、ココエフキは無言で書棚や机の引き出しを漁る。だが目当てのものは見つからない。


「――寝室か?」


もしユリシーズが()()を重要なものだと判断していれば、書斎ではなく寝室に持ち込んでいる可能性もある。面倒な、と舌打ちを漏らしそうになったが、ココエフキは無言で隣の部屋に向かった。懐から小さな袋を取り出す。寝室に繋がる扉を僅かに開けると、袋に火をつけた。わずかに生じた煙ごと袋を室内に放り込む。ココエフキは扉を閉めてゆっくり三十ほど数える。

袋に入れていたものは眠り草と一族が呼んでいる草だった。粉末にし幾つかの種類を混ぜた後、火を付ければその煙は強力な眠り薬になる。ある程度毒に耐性を付けているものでも、その煙を嗅げばあっという間に夢の国へ旅立ってくれる。無論、ココエフキ自身はその薬自体に耐性を付けているので影響はないが、万が一の可能性を考えれば煙を焚いた直後の部屋には入るべきではなかった。三十まで数えた後で、ココエフキはそっと扉を開ける。隙間から中の様子を窺った彼は、室内に煙が充満していないことを確認してから身を滑り込ませた。ついでに床に落ちた袋を拾う。

ココエフキは素早く室内に視線を巡らせると、彼は寝台のすぐ枕元にある小さな置き棚に目を付けた。両開きの仕組みはスリベグランディア王国のものではなく、東方由来のものだった。音がしないように気を配りながら中を覗く。ココエフキは目を細めた。


「――――」


すぐ近くに部屋の主が寝ている。眠り草を焚いたから起きることはないだろうが、ココエフキは満足気な顔をして息を更に潜めた。そっと手を伸ばして本の下に置かれた封書を取る。そして懐から取り出した同じ形の封書と入れ替えた。

これで仕事は完了だ。今回の任務も失敗せずに済みそうだと安堵したのも束の間、彼は存在を知られないため早々に屋敷を退散することにする。全てのものを元通りに戻し、自分が侵入したという一切の痕跡を消した。

屋敷から出たココエフキは深く息を吐く。仕事を完遂したという達成感に、久々の快感を覚えていた。このまま次の仕事に手をつけようと、彼は夜の闇に紛れて次の仕事場に向かう。


ココエフキが入れ替えた封書――宛名には“プレイステッド卿”と書かれていた。



*****



ライリーの前で倒れたリリアナだったが、すぐに意識を取り戻した。どうやらライリーは直ぐに医者を呼ぼうとしてくれたようだが、医者が来た時には既に目を覚ましていたリリアナは恐縮する。倒れる前に感じていた身の内の荒れ狂う情動は、いつの間にか凪いでいた。それでもリリアナの顔色は悪いままだ。そんな彼女を気遣ってか、ライリーは「サーシャ」と心配そうな声を出した。


「視察の疲れもあるだろうし、一旦家に戻った方が良いと思う。本当は王都近郊の貴方の屋敷の方が良いのだろうけど――」

『お心遣い、痛み入りますわ。元々はその予定にしておりましたが、エアルドレッド公爵のことを考えますと――王都の屋敷の方に留まった方が良いのではないかと思いますの』

「――サーシャ」


リリアナの言葉にライリーは顔色を失う。医者や侍従が居る手前、言いたいことを簡単には口にはできない。だがライリーがクラーク公爵も帰宅する邸宅へリリアナを帰すことに抵抗を覚えているのは確かだった。

それも当然だとリリアナは思う。彼の頭には、フィンチ侯爵が教えてくれた疑惑が色濃く残っているのだろう。ライリーにとって、クラーク公爵はリリアナを害するかもしれない存在だ。そしてリリアナ自身もその推測を否定できない。同時に、ライリーはクラーク公爵のことはともかくリリアナのことは信頼しているらしいと気付き、リリアナは複雑な表情を浮かべそうになった。辛うじて堪え、微苦笑を浮かべる。

そんなリリアナに気が付いていないのか、ライリーはどこか切羽詰まった表情でもう一度彼女に呼びかけた。


「理由は私が作る。だから、やっぱり王宮に居てくれないか」

『ウィル?』


必死にも見える言葉を聞いてリリアナは首を傾げた。ライリーに強く握られた右手が僅かに痛みを訴えるが、目の前で縋るような表情のライリーを見れば振り切ることもできない。


「護衛は付ける、だから――」


彼にしては珍しく言葉を濁す。そしてリリアナにだけ辛うじて聞こえる声で、ライリーはぽつりと無意識に言葉を零した。


「――貴方まで失いたくないんだ」


リリアナは言葉を失った。かける言葉が見つからない。自分が気を失っていた時間はそれほど短くないはずだ。つまり、ライリーはエアルドレッド公爵が暗殺されたという衝撃から未だ立ち直っていないのだろう。それでもライリーはリリアナを最大限気遣ってくれている。倒れる前までも、ライリーはリリアナの事ばかりだった。突然の知らせに動揺し哀しみを覚えていただろうに、ずっとリリアナの手を握ってリリアナを責め立てるフィンチ侯爵に反論してくれた。

リリアナはそっとライリーの手を握り返した。自分よりも大きなライリーの手がぴくりと反応する。数年前まではリリアナとそれほど変わらない大きさだったと、今更ながらに思い出す。いつの間にかライリーは成長し、リリアナよりも大きくなった。その上必死でリリアナを守ろうと藻掻いている。それほど弱くはないのにと苦く思いつつ、同時に心のどこかが柔らかく解れて行く心地になった。


『承知いたしました。ウィルには面倒をおかけいたしますが』

「面倒などとは思わない。でも――貴方が承諾してくれて、安心した」


ほっとしたようにライリーは顔を上げる。その瞳が動揺と悲哀に揺れながらも気丈さを保っているのを目にして、リリアナはできるだけ慈愛に満ちた様子を意識し微笑んだ。

ライリーはリリアナの承諾を受けた途端、さっさと侍従に指示し用意を整えてしまう。顔色が悪いからとライリーに気遣われたリリアナは、早々に準備された客室へと向かった。リリアナの視察に同行していたマリアンヌも付き従う。幸いにも視察のために用意していた着替えが役立つようで、マリアンヌは王都の邸宅にも近郊の屋敷にも戻る必要はなかった。


客室に入ったリリアナはソファーに腰かける。疲労が溜まっているのか体が重たい。マリアンヌは隣室で鞄から衣服を取り出したりと、泊まる準備に勤しんでいるらしい。閉じた扉の向こうの気配を感じながらリリアナは目を閉じた。


『疲れているようだな』

「――アジュライト」


低い声が響く。リリアナは薄っすらと目を開ける。声がした方を見れば、窓際の床に黒獅子が座っていた。久々に会った気がしてリリアナは微笑む。


「久しぶりですわね」

『お前の周りにはいつも人が居たからな』

「他の方には見えないようにすると仰っていなかったかしら」

『あまり人が多い場所は好きではない』


アジュライトは鼻を鳴らす。その仕草が面白くてリリアナは思わず笑った。その顔をアジュライトは物珍し気に眺めている。リリアナは小首を傾げて「どうしましたの?」と尋ねた。アジュライトは少し言葉に迷った様子だったが、すぐに答える。


『いや――お前が心から笑うとは珍しいと思ってな』

「そうかしら?」


リリアナは更に不思議そうに首を傾げた。アジュライトに言われてもあまりピンと来ない。確かに常に浮かべている微笑はリリアナにとって最大の防具であり武器だ。少し考えたリリアナは何となく理由に思い至った。


「ずっと王太子妃教育を受けて来ましたもの、そのせいですわ」

『王太子妃教育? それで心から笑わなくなるのか?』

「笑わなくなる、というよりは感情を簡単には表さないようにする訓練を受けるのです」

『……なるほど?』


アジュライトは頷いたが、納得していない様子を見せている。疑わし気にリリアナを凝視していたが、それ以上は深く考えるつもりがないのかそれ以上は追及してこない。それを幸いと、リリアナは質問を投げかけた。


「ここ最近は何をなさっておいででしたの?」

『色々なところに行っていたぞ』

「まあ。巡礼のようなものでしょうかしら」


色々なところに行く目的は、この世界ではそれほど多くない。外遊や視察は王族や皇族等の支配層が行うものだから、アジュライトは違うだろう。そして庶民が住居を離れて遠方に行く理由はその殆どが巡礼だった。だが黒獅子は曖昧に頷く。


『巡礼――というよりも、昔馴染みに会って来た』

「昔馴染み」


リリアナは眉根を寄せる。目の前に居る黒獅子と“昔馴染み”という言葉はあまりにも相容れないものに思えた。どちらかといえばアジュライトは孤高の印象が強い。だが、訝し気な表情のリリアナを見たアジュライトは不服気に牙を見せる。


『俺が昔馴染みと言うとおかしいか?』

「おかしくはございませんが――驚きましたわ」

『――まあ、中には行方知れずになっている者も結構な数いたがな……』


一体いつの時代の“昔馴染み”なのか。

そもそもこの黒獅子は何歳なのだろうと改めて思いを馳せてしまう。尤も、年齢を尋ねた時は教えてくれなかった。恐らく今問うても明確な答えは返って来ないだろう。代わりにリリアナは違う質問を投げかける。


「一通りお会いになられたから、わたくしに会いにいらしたの?」


用件は一体何なのかと言外に問えば、アジュライトから呆れた視線を向けられる。それでも答えを待っていると、アジュライトは溜息混じりに口を開いた。


『名前を呼び合うようになれば友だと言っただろう。そして友に会うのに理由は要らん』


それともお前は友と会うのに一々用件を作るのかと問い返され、リリアナはしばらく沈思黙考する。記憶を辿るが、参考になりそうな情報はリリアナの頭には入っていなかった。


「――そもそもわたくし、友人がおりませんでしたわ」


途端にアジュライトが気の毒そうな表情を浮かべる。黒獅子の癖に相も変わらず表情豊かなことだと内心で嘆息しながら、リリアナは微苦笑を浮かべた。



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