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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 9


ライリーたちが視察から王都に戻った時、リリアナは違和感を覚えた。妙に王宮の中は落ち着きがない。騎士たちも右往左往しているし、泣き腫らした顔の年輩の女官もいる。首を傾げるリリアナに、ライリーも目を向けて「なにかあったのか?」と呟いた。

リリアナはライリーに誘われて彼の私室に向かう。少しして、部屋の扉が叩かれる。面会したい者がいると取り次がれ、ライリーはリリアナを伴い隣接した応接室に向かった。入室の許可を得て姿を現したのは、珍しくもフィンチ侯爵だった。リリアナは勿論、ライリーも驚いたように僅かに目を瞠っている。フィンチ侯爵はリリアナを一瞥して苦い顔になる。固い表情で「殿下、ご報告がございます」と告げた。


「なんだ」

「その――クラーク公爵令嬢にはご遠慮いただきたく」


ライリーとリリアナは顔を見合わせる。勿論リリアナに否はない。頷いて下がろうとしたが、ライリーはその手を掴んで引き留めた。


「問題ない。リリアナ嬢に聞かせられない話はない」


しかしフィンチ侯爵は眉間に皺を寄せたままだった。ライリーの言葉に納得していないのは明らかだ。一方のライリーは静かにフィンチ侯爵を注視している。やがてライリーに引く気がないと分かったのか、侯爵は小さく溜息を吐いて「分かりました」と頷いた。それでは防音の結界を張りたいと言われ、ライリーは快諾する。その上でようやく侯爵は単刀直入に用件を切り出した。


「今朝方、エアルドレッド公爵が亡くなったそうです」

「なに――?」


予想外の話を聞いた時、人は咄嗟に反応できなくなるものらしい。ライリーもリリアナも絶句し、しばらくフィンチ侯爵を凝視していた。侯爵の顔色はわずかに悪いが、遠慮なく二人の反応を窺っている。そして彼の為人を知るライリーは、侯爵が質の悪い嘘を吐くわけはないと知っていた。


「亡くなった――とは、何故」


ライリーは掠れた声で尋ねる。エアルドレッド公爵は健康体だったはずだ。持病もあったとは聞いていない。フィンチ侯爵は一瞬口を引き結んだが、すぐに気を取り直して静かに答える。


「表向きには持病が急激に悪化したことによる病死、と。しかしながら実際は暗殺です」

「暗殺――?」


現実味を感じられないまま、ライリーは侯爵の言葉を繰り返す。侯爵は「左様」と頷くが、その目は鋭くリリアナを捉えていた。


「クラーク公爵令嬢。貴方は何かご存知ではありませんかな」


自分に質問が投げかけられると思っていなかったリリアナは目を瞬かせる。上手く反応もできず、そして普段は取り繕える表情が全く思い通りに動かない。不覚にも動揺しているのだと自覚した。

だが、フィンチ侯爵はむしろ威嚇するようにリリアナを睥睨する。慌てたのはライリーだった。


「待て、侯爵。なぜサー……リリアナ嬢が何かを知っていると思うんだ」


慌てたライリーは“サーシャ”と言いかけ、慌てて言い直す。侯爵は不自然さに気が付いた様子もなく、そしてリリアナから視線を逸らそうともしなかった。


「時機があまりにも作為的だからですよ、殿下」

「作為的?」

「いかさま」


訝し気に眉根を寄せるライリーに侯爵は頷く。低く押し殺した声で、リリアナを睨みつけたまま彼は淡々と説明した。


「殿下方が視察に向かわれている間に顧問会議が開かれました。そこで殿下の婚姻について、隣国の皇女と結ばせるべきだとの意見が出された。当然エアルドレッド公爵は反対なさいました」


ライリーは息を飲む。予想はしていたが、この話の流れで出て来るとは思っていなかった様子だ。

侯爵は低く唸るように言葉を紡ぐ。


「一方で、皇女殿下との婚約を推奨する者もおりました。エアルドレッド公爵は対立なされた。常と同じことです。いつも我々は顧問会議でお二方の議論を見て来ました。反目しあっていたと言っても過言ではなかった。いえ、正確には一方的に、エアルドレッド公爵が敵視されていた」


ここでようやく、ライリーとリリアナは気が付く。目を真っ赤にしたフィンチ侯爵は激情を必死に押し殺していた。今にも溢れ出しそうな怒りと悲しみを堪え、必死に平静を保っていた。


「閣下は血を吐いて亡くなられた! 病などであるものか! 昔からあの男は閣下を目の敵にしていた、ここに来て表舞台へと舞い戻られた閣下が邪魔だと刺客を差し向けたに違いないのだ!!」


滅多に激情に駆られないフィンチ侯爵の、憤怒の滲む抑えた声音にライリーもリリアナも息を飲む。正面から悲憤を浴びせられたリリアナは表情を固まらせ、それでも目を伏せることはしなかった。その様を見た侯爵は荒く息を吐く。無理矢理に平静を取り戻し、侯爵は静かにリリアナを見つめる。具体的な名前など出なくても、ここまで来ればリリアナもライリーもエアルドレッド公爵を暗殺した黒幕が誰であるか――否、誰が黒幕だとフィンチ侯爵が考えているのか、察しがついた。

だが、リリアナが何かを答えるより先にライリーが口を開く。


「侯爵。貴方の気持ちも分からなくはないが、リリアナ嬢をそのように責め立てるものではない。たとえその疑惑が証拠に基づいたものであったとしても、本人を正式な裁きにかけるべきであって、貴方がリリアナ嬢を問い詰めるべきではないだろう」


落ち着いた王太子の声に、フィンチ侯爵はハッとしたように目を瞬かせた。気まずそうに視線を彷徨わせる。そして僅かに顔色を失っているリリアナを見て、申し訳なさそうに眉根を寄せる。


「いや――それは確かにその通りですな。申し訳のないことを致しました」


リリアナは小さく首を振る。それを見た侯爵は小さく息を吐いた。先ほどよりも一回り体が小さく見える。どうやら自分が怒鳴りつけた相手が九歳の子供であることにようやく思い至ったらしい。それほどまでに、侯爵本人も精神的な余裕を失っていたということだった。申し訳ない、ともう一度頭を深く下げた彼は、小さく付け加える。


「だが、同じように考える者は居るでしょう。落ち着くまではしばらく――ご自宅に引きこもられた方が良い」

「連絡、感謝する」


フィンチ侯爵にはライリーが答えた。侯爵はもう一度頭を下げると、辞去の挨拶を口にする。彼が応接室を出た後、ライリーは自分自身も大きな衝撃を受け蒼白になっているにも関わらず、リリアナに気遣わし気な視線を向けた。


「大丈夫かい、サーシャ」


リリアナは頷く。フィンチ侯爵の態度は驚きこそしたものの、衝撃は大きくなかった。それよりも、エアルドレッド公爵が亡くなったという事実の方が大きく心を占めている。動揺を隠せないまま、リリアナは『公爵閣下が――』と呟いた。


「ああ」


ライリーもまた手を震わせて顔を強張らせながらも、気丈に優しく応えてくれる。握られた手が温かくて、リリアナはそっと力を込めた。ライリーも力を入れて握り返す。


『何故、閣下が――』


亡くなられたのか、と。リリアナは声にならぬ言葉を漏らした。


――初めてだった。リリアナが積み重ねて来た努力を――前世の知識に基づいた知恵ではなく、王太子の婚約者候補となってから学び続けて来たことを認めてくれた。その上でリリアナに頼みごとをして、引き受けると礼を言ってくれた。その裏にどんな意図があったのか今となっては分からない。それでも、初めてリリアナをリリアナとして扱い尊重してくれた人だった。リリアナを信じると、態度で示してくれた。

この人と会話を重ねていけばどんな世界が見れるのだろう、もしリリアナがライリーの傍で彼を支えれば誇らし気に褒めてくれるのだろうか。

そんな風に、思わせてくれる人だった。初めてリリアナが身近に感じた人生の先達だった。尊敬できる、人だった。


「うん」


ライリーは俯いて頷いた。


「そうだね」


短い言葉に、万感の思いがこもる。ライリーの声も震えていた。

自分の英雄譚にしか興味のない祖父、そして亡くなった妻を愛し息子を省みなかった父、自分のことにしか興味のない叔父。その中でエアルドレッド公爵だけが、ライリーを王太子として、一人の幼い子供として、扱ってくれていた。ライリーの取るに足らない話を静かに、けれどしっかりと相槌を打って聞いてくれていた。彼にとっては周知の事実でも、ライリーにとって初めて知ったことであれば「凄いですね」と驚いたように言ってくれた。それが、幼いライリーにとってはほとんど唯一の、子供に戻れる瞬間だった。


――もっと、会いたかった。もっと、話したかった。

近衛騎士になったオースティンと共にこの国を治める姿を、見せたかった。


「きっと、」


ライリーは言いかけた言葉を飲み込む。

――きっと公爵も、オースティンが近衛騎士になるところを見たかっただろうに。


脳裏にかつて交わした会話が蘇る。オースティンが僕の近衛騎士になってくれるんだって、と言ったライリーに、公爵は『光栄です』と微笑んだ。そして『玉座に座る殿下と脇に控える息子を見る日が楽しみですな』と、彼は目を細めて答えてくれた。


『――――何故、』


目をきつく瞑ったライリーの隣で、リリアナは唇を噛み締める。

何故死んでしまったのかと、何故殺したのかと――証拠はないと言うフィンチ侯爵の言葉は覚えていても、リリアナは心のどこかで父がエアルドレッド公爵を殺したのだと確信していた。


『何故、なぜ――――っ!』


あの人が、居なくならなくてはならないの。繰り返す問いに答えは出ない。次の瞬間、リリアナは胃の底からひっくり返るような不快感に口を抑える。


「サーシャ?」


リリアナの変化に気が付いたライリーがリリアナの名を呼ぶ。その声すら聞こえないまま、リリアナは激しい頭痛に見舞われ、意識が遠のく。


「サーシャ!!」


堪え切れずに零れた一筋の涙は、冷たく彼女の頬を濡らした。



*****



ハミルトン・ケニス辺境伯は、辺境伯領の屋敷で知らせを受け取った。差出人はルシアン・ケニス――自身の名代として王都に行っている長男だった。緊急かつ悪い知らせであることを示す黒蝋に、嫌な予感がせり上がる。急いで開けようとするが、左半身に麻痺が残っているせいで封筒が破れた。だが中に入っている便箋は無事だ。取り出して知らせを読む。文章は短かったが、見る間に辺境伯の顔色は憤怒に染まった。


「――なんだ、と――?」


掠れた声が口から洩れる。


「エアルドレッド殿が――死んだ?」


手紙には要点のみが書かれていた。


――ベルナルド・チャド・エアルドレッド公爵、死亡。表向きには病が原因とされるが、その実は暗殺。下手人および依頼者は不明。真相を知る者はごく限られた者のみ。公爵と親交があった貴族の当主数人のみが真相を知らされる故、他言無用。


つまりエアルドレッド公爵家でベルナルドの死の真相を知る者はユリシーズだけだ。辺境伯の震える右手はくしゃりと手紙を握りしめる。文章が読めなくなっても構わなかった。ただ耐えがたい悲哀とやり場のない怒りが辺境伯の体を震わせる。


「何故だ、何故貴殿ともあろう者がおめおめと下郎なぞにやられたのだ――!!」


まだ王太子殿下の近衛騎士になりたいと息子が言ったんだと、嬉しそうに――そして誇らし気に言っていたではないかと、辺境伯は慟哭の声を上げる。


――孫の顔を見たいと言っていたではないか、殿下の治世が待ち遠しいと、そう楽しそうに笑っていたではないか。


そのためには我々の世代が泥をかぶり道を作ってやらねばと、共に酒を飲み交わした。それならば表舞台に出なければとベルナルドが虎の造形が彫られた仕込み杖を持ち出した。彼が決意を新たにしたのは、それほど昔の話ではない。

これから先、かつて辺境伯が若かりし頃に期待した天才の神の如き采配が見れるのだと楽しみが増した。まだ死んではならないと己を鼓舞した。国境で刺客に襲われた時も、辺境伯の頭の隅にはその事実があった――嘗て自分が夢見た男の辣腕ぶりを間近で見て、必要とあらば幾らでも手を貸そうと思えば、生を諦めることなどできはしなかった。


「――――何故――っ!!」


自分よりも若く優秀な、一人の男の死。

何故戦場でもなく、病でもなく死んだのか。お前は一体何を守ったのだと、既に声も届かぬ男を辺境伯は問い詰める。

惜しい男を亡くしたという言葉では到底足りない。底の見えない絶望と悲しみが、辺境伯を足元から飲み込もうとしていた。




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