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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません

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21. 陰日向の応酬 8


僅かに揺れたカーテンは、普通であれば見逃されるほどだった。エアルドレッド公爵もまた、気付いた様子なくワインのグラスを口に運ぶ。唇にグラスの淵が付いた時、その口角が僅かに上がり――そして小指に付けた指輪が鈍く光った。


「――思ったより早かったね」


焦ったのかな、とエアルドレッド公爵は呟いた。彼の首筋に向けて放たれた細い針がソファーの上に転がっている。彼が小指に付けていた指輪は結界の魔道具。物理攻撃を防ぐものだった。

素早く仕込み杖を掴み、ワインを優雅に卓上に戻す。とん、と杖で床を軽く叩くと部屋の床全面に黄金色の魔術陣が描かれた。


「――っ!」


声のない悲鳴が響き、誰もいないはずの空間から一つの影が引きずり出される。魔術陣が消えると眩いばかりの光も消えた。


「初めましてだね。君の名は?」


炙り出された黒装束の男は公爵を睨みつける。青白い顔色の痩せすぎた男はきつく唇を噛み締めていた。わずかに血が滲んでいる。


「【我が名に於いて命じる、汝の正体を答えよ】」


公爵の詠唱に伴って黄金色の光が男の体に巻き付いた。食い縛った歯の隙間から、掠れた声が漏れ出る。


「――――っ、ココエフキ」

「大禍の一族かな?」

「――そ、――っだ、」


エアルドレッド公爵が使った魔術陣と詠唱は複合的なものだった。隠されたものを暴く術。それは姿を隠したものだけでなく、その者が隠匿しようとしている事実を自白させる時にも使われる。禁術でこそないものの、ごく限られた者にしか利用を許されていない術だった。

じりじりとココエフキの額から脂汗が流れる。平然とした様子を取り繕う公爵の手も緊張と魔力消費により汗ばんでいた。


「依頼者の名前と、僕以外の標的を全て答えなさい」

「――ぐっ、」


死神のような風体の暗殺者は、激痛を感じながらも抗う。それでも完全には抗いきれず、掠れた声で数語紡いだ次の瞬間――室内の空気が、弾けた。エアルドレッド公爵の手から仕込み杖が弾き飛ばされる。常に小指の指輪から張り巡らされていた結界が破壊され、公爵の目が見開かれた。


「う――っ、」


焼けつくような痛みが彼の喉を襲う。震える手で喉に手をやるが、指先には何の違和感もない。それでも全身が震えるほどの寒さに襲われ、口からは血が溢れ出る。慌てて手で押さえようとするが、それすらも叶わず、公爵は体を支え切れずに床へ崩れ落ちた。

毒を受けた体が痙攣する。公爵の双眸からは理知的な光が失われ、どろりと宙を彷徨った。唇が震えて、何事かを呟く。短い単語は人の名のようにも聞こえた。しかしひゅうひゅうとした呼吸音に遮られて、言葉にはならない。

脂汗を拭ったココエフキは、冷え冷えとした目を倒れ伏した公爵に向ける。


「――くだらん策を弄しやがって」


苛立たし気に吐き捨てる。エアルドレッド公爵が武術にも魔術にも秀でていないことは、ココエフキも事前調査で知っていた。だからこそ、ごく限られた者しか利用を許可されていない、膨大な魔力を消費する自白の術を使われるとは思っていなかった。念のために姿を消して忍び込んだものの、簡単な仕事だと思っていた。不意を突かれた結果、本来であれば黙すべきことを口にしてしまったが、その裏でココエフキは解術の術式を組んでいた。

公爵がココエフキに向けて発動した術は、自白を促すことはできるものの、詠唱を止めることはできない。そして、膨大な魔力を消費する自白の術は綿密な魔力制御の技術も必要になる。時間を経るほど、公爵には不利になるのだ。そしてココエフキは隙を見つけ、解術を行うと同時に毒針を公爵に投げつけた。最初は普通に投げるだけだったが、二度目は失敗しない。針が公爵の結界を強制的に解除し、極細の針は公爵の喉を貫いた。


普段であれば、標的を始末すればすぐにその場を立ち去る。デス・ワームのように無駄な時間は過ごさない。だが、この時ばかりはココエフキも平静では居られなかった。彼には珍しく足音も荒く公爵に近づくと、乱暴にぐったりと倒れ伏した腹を蹴る。それなりに立派な体躯の公爵は、人形のように体をくの字に折り曲げたまま宙を飛び、大きな音を立てて書棚に叩きつけられた。衝撃を受けた本棚から大量の本が公爵の上に落ちる。しかし公爵はぴくりとも動かない。指先が痙攣している。

三大公爵と呼ばれる男も、結局はただの人だ。もう長くは保たないだろう様子に留飲を下げたココエフキは、自分の痕跡一つ残さぬよう気を付けながら部屋を去る。ふと、彼は床に転がった仕込み杖に目を向けた。


「魔道具だな」


冷静さを取り戻したココエフキは、仕込み杖が魔道具だと看破する。目を細めて刻まれた陣を眺めていた彼は、小さく舌打ちを漏らした。


「面倒な」


口の中で毒づくが、既に一仕事終えた彼は焦らなかった。来た時と同じように、気配を消して彼は部屋の中から姿を消す。


「――アビー、」


一人の天才が愛する妻の名前を呟いたのを最期に、部屋には静寂が満ちていた。



*****



騎士団の朝は訓練から始まる。オースティンもその日、普段と変わらない朝を迎えていた。軽く朝食を摂った後、訓練場に向かう。訓練用の剣を手に準備を始めた時、オースティンは副隊長のイーデンが小走りに近づいて来ているのを目の端に捉えた。顔をそちらに向ければ、案の定イーデンはオースティンに用があるらしい。


「オースティン、団長がお呼びだ」

「団長が?」


オースティンは首を傾げて目を瞬かせた。騎士団長に呼ばれるような心当たりはない。だが、普段から落ち着いているイーデンのどこか焦った様子に、どうやら緊急の案件らしいと悟る。オースティンは頷いた。


「承知しました。団長室に行けば良いですか」

「ああ、一緒に行こう」


イーデンと並んでオースティンは小走りに団長室へ向かう。途中すれ違う騎士たちが不思議そうに目を向けて来たが、気にする余裕はなかった。あっという間に団長室に到着した二人は息を軽く整える。イーデンが扉を叩いて名乗れば、室内から団長の「入れ」という声が聞こえた。イーデンに続いて入室したオースティンは、そこに居た人物を見て目を瞠る。


「兄上?」


何故ここに、と目を瞬かせる。兄のユリシーズは、ローランド皇子たちが外遊のため滞在している間は王宮に立ち寄らないよう、父から言い付けられていたはずだ。厳密にいえば兵舎は王宮ではないものの、ほぼ隣接しているから訪れるはずがない。その上、根っからの文官であるユリシーズはそもそも兵舎に立ち入る用事などないはずだった。

そして何より気になることは、ユリシーズの顔色だ。これほど酷く憔悴した兄をオースティンはこれまで一度も見たことがなかった。


「オースティン、落ち着いて聞け」


口を開いたのはヘガティ団長だった。嫌な予感にオースティンは生唾を飲み込む。凝視する視線の先で、団長は一切の感情を表さずにたった一言を告げた。


「エアルドレッド公爵が亡くなった」


世界が静寂を運ぶ。頭が真っ白になる。オースティンは今し方耳にした言葉を直ぐには理解できなかった。否、理解したくなかった。


「な――んで、」


何故。何故、父が。

訳が分からなかった。呆然としたまま、その視線は団長の近くに立つユリシーズに向けられる。ユリシーズは真っ白な顔をしながらも気丈に弟に答えた。


「朝、寝台から起きて来なかった。医者は――――心の臓が弱っていたのだと」

「そんな、」


嘘だ、と言う台詞を、オースティンは飲み込む。父が病を抱えていたなど聞いたことはなかった。いつも元気な彼は、息子二人と娘一人に子供が出来た時に遊びに来れば良いと、領地にいくつか別荘を造っていた。まだまだ父は健勝で長く生きるのだと、疑ったことはなかった。

両手を握りしめる。どれほど力を入れても、掌は痛くない。

気遣わし気な視線を頬に痛いほど感じながらも、オースティンは身動き一つできなかった。団長がオースティンの名を呼ぶ。オースティンはのろのろと顔を上げた。静かで落ち着いた団長の目が真っ直ぐに彼を見つめていた。


「今から兄上と帰りなさい。喪に服する間は休んで良い」

「――承知しました」


ありがとうございます、と辛うじて礼を言う。ユリシーズがオースティンに寄り添い、肩を抱く。そのままオースティンは団長室を後にした。


「オースティン、荷物は」

「少しだけ」


オースティンの私物は王都の邸宅にも置いてある。だから宿舎に戻らなくとも構わない。それでも、オースティンは一旦部屋に戻った。棚から幾つかの私物を鞄に入れ、来客用の部屋に向かう。そこではユリシーズが窓から外を眺め、オースティンを待っていた。

王都の邸宅に向かう馬車の中、オースティンもユリシーズも口を開かなかった。未だに現実感がない。正面に座って車窓から外を眺める兄の横顔を一瞥し、オースティンは顔を俯けた。膝の上に乗せた両手をきつく握りしめる。先ほど団長室で握った時に傷ついた掌に爪が食い込んだ。それでも痛みを感じない。

訓練の時の怪我は痛いのになぜだろうと、オースティンは麻痺した頭の片隅で思う。


「オースティン」


ユリシーズの声が彼の名を呼ぶ。顔を上げれば、青白い兄は心配そうな眼差しで弟に視線を向けていた。


「お前の手は剣を握るためにあるのだろう。そうしては掌が傷つく。――大切にしなさい」

「――――兄上、」


オースティンは唇を震わせる。小さく深呼吸して、意識して両手から力を抜く。


「父上は、本当に――、」


それ以上、言葉にできなかった。


――父上は本当に、亡くなったのですか。もう、話すことはできないのですか。


問いかけて肯定されたらと思うと、耐え切れない気がした。言葉を失った弟に何を思ったか、ユリシーズは唇を引き結ぶ。そして静かに口を開いた。


「僕たちの父上はいつまでも生きているよ。お前だってそうだろう? 僕は――いつだって、父上の言葉を思い出せる。父上がどれほど優しい目で僕らを見守っていてくれたか」


僕はそれを知っている、とユリシーズは自分に言い聞かせるように、そして父が自分と同じように愛していた弟を慰めるように、言葉を綴る。オースティンは震える唇を噛み締める。堪えようとしていた涙が一筋、頬を零れ落ちた。堪えようとしていた嗚咽が、耐え切れずに込み上げる。慌てて口を覆うオースティンの隣に移動したユリシーズは腕を伸ばし、弟の肩を抱き寄せる。


――弟が泣いているのに、兄である自分が泣くことは許されない。


しっかりしろと、ユリシーズは自分に言い聞かせた。父が居なくなった今、自分が一族を支えなければならない。二十代半ばに差し掛かったユリシーズは既に大人の仲間入りを果たしている。だが、オースティンはまだ十一歳の少年だ。王太子の近衛騎士になりたいと夢を持ってから、ユリシーズの弟は常に自己研鑽に励んで来た。もっと子供らしくあっても良いのではないかと、ユリシーズは何度も思っていた。父に進言しても、神童だった父には理解できないようだった。だからユリシーズはずっと弟を見守ってきた。せめて自分の前でだけは、年相応で居て欲しいと、オースティンがそう振る舞えるようにと心掛けて来た。

全てではないが、領地経営についてもある程度は父から引き継いでいた。執事や家宰に習うべきことも多いが大丈夫だと、自分を励ます。

現実に目を向けなければ、その場に崩れ落ちそうだった。自分の胸に縋りついて泣く弟も放り出して、年甲斐もなく滂沱と涙をこぼし自失に陥ってしまいそうだった。ユリシーズにとっても、父であるエアルドレッド公爵は偉大な人だった。心の支えだった。父がいれば大丈夫だと、根拠もなく確信できる存在だった。


「ち――ちう、え――」


ユリシーズの胸元でオースティンが掠れた声を漏らす。まだ大人になり切っていない弟の肩を優しく撫で、ユリシーズは弟に気付かれないように歯を食い縛った。



S-7

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