挿話2 オースティン・エアルドレッドの疑念
一年弱の間、アルカシア地方の領地へと滞在していたが、しばらくは戻る必要もないと父上に言われ、俺は王都で騎士団に入隊するため特訓をすることになった。騎士団入りはほぼ確約されているものの、親の七光りで入団したなどと言われるのは腹が立つ。とはいえ、俺が三大公爵の一つであるエアルドレッド公爵家の次男である事実は一生ついて回る。周囲に認めさせるためには、手を抜くことなど考えられなかった。
それに、騎士団で経験を積み功績が認められたら、正式にライリーの近衛騎士になれる。王族の護衛をしたいのであれば一番隊を目指せと周囲は言うが、俺は王族を護りたいわけではない。狙うは実力主義と名高い七番隊だ。
「オースティン、手合わせをしてくれ」
「俺に頼んで良いのか」
「他に本気で相手をしてくれる奴がいない」
思わず俺は苦笑した。王太子に怪我をさせてはいけないと、手合わせの時も遠慮して本気を出さない奴がほとんどだ。そんな中、俺は初対面の時から本気で相手をした。それがライリーには居心地が良かったらしい。以来、あいつは一番の親友が俺だと臆面もなく言う。
俺は奴と連れ立ち稽古場に向かった。王宮の中でも王族にしか使用を許可されていない稽古場に俺を連れて行くことが、今どういう意味に捉えられるのか、俺の親友は分かっているのだろうか。気にした様子がないのは、一部の貴族からは朴訥と表現されているライリーの性格故だろうか。
そう思いながらも、俺はあいつとの手合わせを断ったことがない。案外、俺もこの時間を気に入っている。
軽い打ち合いから始め、段々と白熱し始める。本格的に騎士団に入団するための訓練を受けている俺は、いつの間にかライリーよりも実力が上がっているようだ。以前と比べても楽に相手ができるようになった。ライリーはそれが悔しいらしいが、将来の国王が護衛や近衛騎士より強くてどうする、と俺は毎回呆れてしまう。
だが、俺は他に気にかかることがあった。少し離れた場所に護衛が居るが、他に人の気配はない。自分たちにだけしか聞こえない音量で、俺はライリーに尋ねた。
「今日もリリアナ嬢と会ったのか」
フィンチ侯爵夫人から聞いた話を口にすれば、ライリーはそれほど驚いた様子もなく「ああ」と頷いた。俺が誰からその情報を仕入れたのか、十分わかっている様子だ。
「まだ声が戻ってないらしいな」
「――夫人に聞いたか」
ライリーの声は苦々しい。俺はわずかに眉根を寄せた。
「そう思うなら控えろ」
「そうもいかない」
何故、と口にしかけて唇を引き結ぶ。尋ねて良い事柄なのか、一瞬判断が付かなかった。そんな俺を見てライリーは低く言う。
「陛下の思し召しだ。彼女を傍に置いておけと言う」
「傍に――?」
「そうだ」
ライリーには、リリアナ嬢以外にも婚約者候補がいるはずだ。最近は他の候補を差し置いて、リリアナがライリーと過ごす時間が長い。本人たちの想いはどうあれ、外堀が徐々に埋められている。
何度か俺もライリーとリリアナ嬢が茶をしているところに居合わせたが、ライリーはともかく、リリアナ嬢は常に控え目だったし、ライリーを避けようとしているようにすら見えた。
「――――彼女を守るため、だそうだ」
数分の沈黙の後、絞り出すようにライリーが言う。予想外の言葉に俺は言葉を失った。
――守るため? どういうことだ?
むしろライリーがリリアナ嬢を傍に置くことで事態は悪化しているように思える。ライリーに近しい存在だと思われたら、その分彼女を悪く思う人間が増える。命を狙われる可能性も否定できない。
婚約者ではなく婚約者候補であれば、暗殺の標的にはなり得ない。婚約者となれば、一気に政戦に巻き込まれる危険性が高くなる。名ばかりの婚約者候補――実質的な婚約者であれば、もはや体面の問題ではなくなる。
俺の逡巡が伝わったのか、ライリーは苦笑を漏らした。酷く苦い笑みだった。
「私も、額面通り受け取っているわけではない。だが、まだ私には力がない」
その双眸に狂おしい光が宿る。予想外過ぎて、俺は瞠目した。一瞬手が鈍りそうになりライリーが隙を突こうとしてくるが、それで倒される俺ではない。難なくいなすと、ライリーは王太子らしくなく舌打ちを漏らした。
「王太子が舌打ちするなよ」
「お前しか聞いてないから良いだろう」
そういう問題か、と思う。だが本人は本気だ。
俺は内心で溜息を吐いた。
優しく真面目だが、融通が利かない。小賢しくはないが、何事もほどほどにこなして特筆すべきところはない。悪くはないが良くもない。悪政は強いないだろうが、賢王にもならない。毒にも薬にもならない、そんな跡継ぎ――それがライリーに対する周囲の評価だ。
俺は、そんな風にライリーを評している貴族たちは全く見る目がない馬鹿共だと思っている。確かにライリーは器が広い――広すぎる器だからこそ、馬鹿ではないかと思うこともあるのだが。博愛主義的なところも、公平な判断に繋がると信用できる。そして、そんなライリーは常に平静で感情を波立たせない。常に一定の温度を保っている。
――その、ライリーが。
一瞬とはいえ、感情を波立たせた。その感情を抑えきれないのだと、抑えようとしても滲み出るほどのものだと、俺は気がついてしまった。
自分でも予想外に動揺する。俺もまだまだ修行が足りないらしい。気がつけば、俺は歯を食いしばっていた。
数度だけ会ったリリアナ・アレクサンドラ・クラーク公爵令嬢。美しく控え目な令嬢だ。彼女が話すところは見たことがないが、会話のために記される文字は美しく、そして簡潔に纏められた言葉は聡明さの証である。次期王太子妃としても申し分ない。様々な事情は捨て置いて、彼女の資質だけを考えれば、婚約者候補筆頭であるのもおかしな話ではない。
俺もそう判断していたし、それに間違いはないだろうという自信もあった。
ただ一つ――ライリーの、この瞳だけは想定外だ。
その感情がライリーの正義感や義侠心によるものなのか、それとも別の何かなのか――俺にはまだ、判別がつかない。
ライリーはリリアナを特別視していないようではある。とすると、それほど心配はない。こいつはまさに王となるべき男なのだから。
だが、仮に後者だった場合――本当に彼女が次期国王にふさわしい相手なのか、見極めるだけの材料を、俺はまだ持ち合わせていなかった。
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