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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 7


ベルナルド・チャド・エアルドレッド公爵は、目の前で平然としている男を睥睨していた。

王太子がユナティアン皇国のローランド皇子とイーディス皇女、そしてクラーク公爵家令嬢リリアナと連れ立ち視察に赴いている間に開かれた顧問会議で、その提案はなされた。ケニス辺境伯の名代として出席している長男のルシアン・ケニスは失笑している。他の貴族たちは皆戸惑いを隠せず、数人は興奮したように目を輝かせていた。


「それは本気ですか、クラーク公爵」

「冗談でこのようなことを申すはずがありませんでしょう」


クラーク公爵は飄々と告げる。顧問会議に爆弾を投下したにもかかわらず、彼は平然とした態度を崩さなかった。失笑を辛うじて収めたルシアンは、それでも目尻に笑いを残しながら嘲笑の滲む声音で尋ねる。


「なるほど、隣国の皇女を我が国の王太子と婚姻させる。どうやら閣下は、国境を護る責を負った我々より隣国のことを良くご存知のようですな」


文字通り受け取れば感心しているような言葉選びだが、その実は見事に馬鹿にしている。辺境伯嫡男の彼より家格も年齢も上の相手に向かって口にするのは憚られる内容のはずだが、ルシアンは平然としていた。クラーク公爵の眉がぴくりと反応する。しかし公爵も百戦錬磨である。すぐに何食わぬ顔に戻り、冷たくルシアンに視線を返した。


「隣国との状況が不安定な今だからこそ、皇国の秘宝と呼ばれる姫君を娶ることで両国の友好に資することはできるでしょう」

「貴方のお言葉とも思えませんね、公爵」


反駁したのはエアルドレッド公爵だ。彼は宰相から目を外さない。普段に増して抜身の剣のように鋭い雰囲気を纏う彼に、周囲の貴族たちは気圧されたように視線を逸らしていた。ルシアンだけが、面白そうに二人のやり取りを見守っている。ケニス辺境伯の元で次期辺境伯となるべく日々研鑽を積んでいた彼にとって、この場の雰囲気は恐れるに足りなかった。


「公爵、貴方はカルヴィン皇帝の性格をご存知のはずです。彼は人を駒としてしか考えていない。たとえ皇女を我が国に嫁がせたとしても、侵略を決めれば姫君共々この国を滅ぼします」


稀代の天才と言われたエアルドレッド公爵の言葉に、貴族たちは動揺する。クラーク公爵の言葉に希望を見出していた数人も不安にかられたように目を彷徨わせた。だがクラーク公爵は引かない。


「その可能性も否定できませんが、取り得る手段は網羅しておいて損はない。私の娘を王太子殿下の婚約者に、ということで合意したと主張なさりたいようですが、娘と皇女殿下ではどちらとの婚姻が政略的に優れているかは論じるまでもないでしょう」

「論じるべきですよ、公爵」


クラーク公爵の主張を、エアルドレッド公爵はすげなく却下した。


「今回は、政略的に優れているかどうかを中心に論じるべきではありません。皇女殿下を王太子殿下と婚姻させる手段は劇薬です。射幸的と言っても良い。上手く行けば非常に高い利が望めますが、下手をすればこの国を失うことになる。賭けのような手段によって生じる責を、年若い王太子殿下に全て負わせるべきではありませんよ」


その上、ライリーはイーディス皇女ではなくリリアナとの婚姻を希望している。政略的な観点から婚姻を決めることも大事だが、生涯を共にする伴侶を決めるためには本人たちの意志も確認せねばならない。無理を通せば後々悲惨な結末を迎えることもあり得る。貴族であれば完全に政略的な観点から婚姻を結ぶ場合もあるが、その時は双方が互いに納得していなければならない。

そして何より、もう一つの懸念事項があった。


「それに皇女殿下が我が国の王妃たり得るかと言われたら、それもまた疑問が残りますねえ」


口を挟んだのはルシアンだった。クラーク公爵も含めた貴族たちの視線が一斉にルシアンに向けられる。彼は微笑を口元に浮かべていたが、その双眸は一切の感情を表していなかった。


「皇女殿下はとても愛くるしい方だ。純真無垢で清純、素直。これが皇族かと驚くほどですよ」

「それはつまり――外交ができないと?」


喉に絡んだ声で尋ねたのは顧問会議で進行役を務めるメラーズ伯爵だった。ルシアンは鼻先でその質問を笑い飛ばした。


「外交ができないどころか。里帰りして皇国の誰かに聞かれたら、どんなことでも簡単に口にするでしょうね。夫である王太子殿下が誰と仲が悪いやら、次にどんな政策をしようと考えているやら、それから――騎士団の人事やら」

「な――、」


メラーズ伯爵を含めた貴族たちは絶句する。エアルドレッド公爵とクラーク公爵だけが平然としていた。まるで間諜ではないか、という言葉を辛うじて飲み込んだメラーズ伯爵は、額から零れた汗を拭って苦々しく呟いた。


「それは些か――いや、結構な懸念でございますな」


婚姻後だけではない。婚約者としてスリベグランディア王国で暮らすようになり、王太子妃教育を受けている間にも起こり得る問題だ。特に王太子妃教育には国家機密となる事柄も含まれる。素直に聞かれるがまま答えるのであれば、王太子妃教育を全く進められない。

クラーク公爵は小さく息を吐いた。


「ですから、そのようなことにならぬよう王太子妃教育をすれば良いのです。手紙は全て検閲し、そして里帰りには必ずこちらの手の者を付ければ良い」


つまり完全なる監視下に置けば良いと言うことだ。しかし、エアルドレッド公爵もルシアンも眉を顰めて決して同意しようとはしなかった。ルシアンが肩を竦めて疑わし気に言う。


「あれは性格ですからねえ。教育したところでどうともならないでしょう。それとも我が国の王族として弁えるまで――もしかしたら生涯になるかもしれませんが、ずっと監視下に置くおつもりですか、閣下」

「それも、場合によってはやむを得ないでしょう」


淡々とクラーク公爵は言葉を返す。エアルドレッド公爵は、彼にしては珍しく僅かに苛立った態度で「話になりませんな」と唸った。


「それでは公務においても私的な時間においても、王太子殿下に全ての犠牲を払って頂くことになる。隣国との友和が確実ではない以上、我々が払う犠牲の方が利点よりも多すぎます」

「僕も同感ですねえ。ええ、父の名代として出席しておりますが、ケニス辺境伯の代理として反対だと表明させていただきますよ」


ルシアンはにっこりと笑って断言する。勿論エアルドレッド公爵は言わずもがなだ。クラーク公爵はわずかに眉間に皺を寄せたが、他の貴族たちに目を向けた。


「貴殿たちはどうお考えですかな?」


貴族たちは顔を見合わせる。このような場合爵位が上位の者から発言が許されるため、伯爵以下の者たちは様子を窺うように視線を彷徨わせた。フィンチ侯爵が視線をエアルドレッド公爵に向ける。


「私は皇女殿下との婚姻は反対です」


予想が付いていたのか、クラーク公爵は何の反応も示さなかった。フィンチ侯爵はアルカシア派と呼ばれる一派に与しているため、基本的にはエアルドレッド公爵の決定に従う。フィンチ侯爵から離れた場所に座っていたスコーン侯爵は片眉を上げた。


「そうですな、私は今の段階では何とも。そもそも、お二人ともまだ幼いと言うべき年齢です。それほど急いで決めるべきものでしょうか? 皇女殿下との婚姻に不安要素はありますが、王太子殿下との婚姻で我が国の平和が約束されるのであれば安いものです。もう少し時間を置いて、その純朴だという性格がどのように変わるか様子を見てから再考しても問題ありますまい」


元々スコーン侯爵はフィンチ侯爵と仲が悪い。フィンチ侯爵が反対する案件には賛成することが多い中で、様子を見るべきと判断した。つまり本心はイーディス皇女との婚姻に反対なのだろう。

結局、顧問会議では日和見主義の者も多く、結論が出ない。エアルドレッド公爵は厳しい表情だったが、一方でクラーク公爵は余裕の笑みを隠さなかった。



*****



顧問会議を終えたエアルドレッド公爵は、護衛と執事を連れて真っ直ぐ王都の屋敷に戻った。手には仕込み杖を持っている。その杖は、彼が若い頃に今は亡き父から、当主の座を譲られた時に贈られたものだった。

通常の仕込み杖には暗器が収納されているが、彼が父から賜った杖は魔道具の役割も兼ねていた。金銭に換算すれば間違いなく国宝級だ。元々エアルドレッド公爵は武術に秀でてはいない。彼の長所はその類稀なる頭脳だった。兄弟には武術や魔術が得意な者もいるが、公爵自身はどちらもそれほど得意ではなかった。ただ護身術程度は扱えるため、仕込み杖も手放さない。

ただ、最初の妻が亡くなってからはずっとその杖を仕舞い込んでいた。彼女が亡くなったのは己の慢心故だった。その出来事で、彼の心は折れた。一族を守るためにその頭脳を使うことに躊躇いはなかったが、それ以外では極力自分の頭脳を使うことを避けた。政に関する情報は仕入れていたものの、敢えて未来を推測しないよう心掛けていた。そんな彼にとって、仕込み杖を持つことは再び表舞台に出る決意と等しい。息子のオースティンが魔物襲撃(スタンピード)の討伐で死にかけた時に、彼は再び表に出ようと仕込み杖を手にした。


「旦那様、アドルフ様から伝言を預かっております」

「アドルフから?」


アドルフ・エアルドレッドは公爵の弟だ。魔術に秀でている彼は公爵とは正反対の性格だった。だがそのせいか昔から二人は仲が良い。首を傾げた公爵に、執事は頷いた。


「はい。全て承知した、と」

「――そうか」


公爵は目を伏せる。その瞳が僅かに翳ったが、瞬きをすればいつも通りの表情に戻る。わずかな変化にも聡い執事が気遣わし気な視線を主に向ける。公爵は気が付きながらも、視線を車窓にやって無言を貫いた。

馬車が屋敷に到着すると、公爵は自室に向かう。服の着替えを侍従に手伝って貰いながら、脇に控えている執事に告げた。


「今日はもう休むよ。部屋に葡萄酒を用意しておいてくれるかな」

「承知いたしました」


領主としての仕事は前倒しでほとんど終わらせている。顧問会議でクラーク公爵と丁々発止でやり合い疲れていた。


「――急ぎすぎただろうか」


小さく呟く。これから先、スリベグランディア王国は建国以来の困難が待ち受けているだろう。その確信が彼にはあった。自分の能力をしても一筋縄ではいかないだろうと予感している。だからゆっくりと事に当たるつもりだった。だが、情報を集めれば集めるほど時間がないことだけが明らかになっていった。


楽な衣服に着替えた公爵は自室に戻る。既に執事の手で葡萄酒とつまみが用意されていて、公爵は頬を緩めた。長年傍に仕えている執事は主の趣向をよく理解している。

ソファーに腰かけて、公爵は手の届く場所に杖を置くと葡萄酒を一口飲む。知らず溜息が漏れた。


「アドルフには迷惑をかけてばかりだな」


エアルドレッド公爵領は非常に広大だ。家宰の手を借りて領地の運営に勤しんでいるが、それだけではなく三大公爵家として領地以外にもすべきことが山とある。仕事量は膨大であり、そして正規の方法で齎される情報だけでは足りないことが多い。そのような時に、弟のアドルフは良く手伝ってくれていた。既に十分手を煩わせている自覚はあるが、今後は更に彼の手を借りることになるだろう。そう思うと、自分が決めたことであるにも関わらず申し訳なさに頭痛がしそうだ。


「それでも、これが最善の方法だ」


公爵は自分に言い聞かせるように低く唸った。彼はずっと後悔し続けて来た。最初の妻を亡くした時から、悔やまないことはなかった。もう二度と同じ轍を踏まないようにと思っても、未だに自身の選択が正しかったのかと惑ってしまう。だが悔恨の念に囚われていては、間違いなく失敗する。それだけは確かだった。

葡萄酒を一口飲んで自分を鼓舞する。


「エイダ」


祈るように、もう居ない妻の名を呼ぶ。彼女の存在はどんな時でも、彼の道標だった。名を呼べば迷いが消える。悩んだ時に彼女の名を口にするのは、もう長年続いた癖だった。

そっと彼は目を閉じる。


――その時、閉じているはずの窓を覆うカーテンが、わずかに揺れた。


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