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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 5


視察の最終目的地はクラーク公爵領の染色特区だが、以前ライリーとクライド、リリアナが訪れた時とは行程がだいぶ異なっている。更に、元々イーディス皇女は同行する予定がなかったために視察先もあまり少女が好むようなものを選んでいない。もう少し皇女も楽しめるような場所を含めて置けばよかったとライリーは後悔を滲ませていたが、その懸念は予想外のところで払拭された。


「ようこそいらっしゃいました」


緊張した面持ちで深々と頭を下げたのは、カルヴァート辺境伯領とクラーク公爵領の中ほどにある修道院の院長だった。まだ若いが慈善精神に溢れる人だと聞いている。リリアナたちは院長の先導に従い、修道院の中へ入って行く。


「今、わたくしどもがおります棟は施療院でございます。庶民の治療は勿論のことですが、身寄りのない老人の世話も引き受けております」


施療院は無料で民の治療を行う施設で、最近ではほとんどの修道院で併設されるようになった。だが、老人の介護まで引き受けている施設はなかなかない。修道院の運営資金を提供できる者は限られている。その大半は貴族や裕福な商人たちからの寄付であり、不足分はビールや葡萄酒の醸造といった特産品の販売で補うしかない。たいていの修道院は大きな収入もなく、施療院で老人たちを介護する余裕はない。それにも関わらず、この修道院の施療院は立派な建物を構えていた。


「左手に見えます棟では修道士たちが寝泊まりをし、勉学に励んでおります。身寄りのない子たちも同様に、左手の棟で生活をしております。右手の棟は葡萄酒の醸造を行っておりまして、そちらがなければ修道院も立ちいきませんで――」


広大な敷地に建てられたそれぞれの棟は調和が取れていて美しい。目を凝らせば、左の棟付近では修道士の姿がちらほら見える。

興味深く説明を聞きながら見学をしていたリリアナたちだったが、ふとイーディス皇女が廊下の途中で足を止めた。


「まあ、きれいね! これはなあに?」


興味津々の体で彼女が見上げたのは、壁に掛けられた大判の布だった。だが、ただの布ではない。多数の端切れを縫い合わせてある。修道院長は皇女の視線を辿ってわずかに頬を緩ませた。ずっと緊張していた院長が僅かに零した素の表情だ。


「以前カルヴァート辺境伯領の修道院に居た者が教えてくれた、パッチワークと呼ばれる作品です。元は衣服を作った時に出た余り布がもったいないと、庶民が始めたものですが――時間は掛かりますが、細かい布で作れば非常に美しい造形になると申しまして。確かに美しいものに仕上がりますので、今後はパッチワークの作品も、わたくしどもの修道院を助けてくれるようになるのではないかと」


つまり院長はパッチワークを葡萄酒と同様に売って金に換えるつもりだということだ。確かに廊下の壁に掛けられているパッチワークは、端切れを縫い合わせただけと表現するには不相応なほど美しい。


「確かにこれは、芸術の域ですね」


ライリーは感心したように呟いた。その声が聞こえたのか、院長は嬉しそうに微笑む。


「勿体なきお言葉、誠に有難く存じます。パッチワークを教えてくれた者にも殿下のお言葉を申し伝えれば、この上のない歓びと感激致すことでしょう」

「優れた者が居ればこそ、この修道院の助けになりますね」


良いことです、とまとめたライリーに院長は深々と頭を下げた。二人の会話にさほど興味を示していなかったイーディス皇女だが、ふと何かを思いついたように目を輝かせて院長に一歩近づいた。護衛が僅かに緊張を高めるが、皇女は気にした様子がない。


「ねえ、私、この布を縫っているところをみてみたいわ! いいでしょう、兄さま」

「イーディ、それは俺では決められん。今作業中なのかどうかも知らんのだぞ」


嬉しそうにローランド皇子に向けて尋ねる皇女に対して、皇子は苦笑を浮かべながら院長を見やる。もし作業中でないのだとしたら、わざわざ皇女の我が儘に付き合って日ごろの仕事を放り出させることになってしまう。それを懸念しての台詞だということは、さすがに院長にも察せられた。突然の申し出に院長は少し戸惑った様子だったが「勿論、構いません」と快諾してくれる。


「ただ、作業場は狭くあまり綺麗ではございません。何分(なにぶん)、端切れや糸くずが散乱しているものですから」

「構わん」


ローランド皇子は鷹揚に頷いて見せる。院長はそれでも気がかりな様子だった。皇族や王族が想像する“汚い”と庶民の思うそれには大きな隔たりがある。気にしないと言われたところで、実際に作業場を見たローランド皇子たちが不快に思えば処罰される可能性もあった。だからこそ院長は一旦渋ったのだろう。せめて情状酌量の余地があると思わせるために、院長はわざわざ皇子から言質を取ったのだ。


「――承知いたしました。ですが、作業している者の中には学のない者が多くおります。殿下方へ不敬を働く可能性がございますので、外から覗くだけに留めて頂けますでしょうか」

「まあ、そうなの? でも、可哀想なひとたちなのでしょう? だったら、私たちが声をかけてあげたほうが良いのではないかしら」


院長は気を取り直したように受け入れたが、作業場には入れず作業している者たちと会話もできないという条件に、不服そうに頬を膨らませた。ローランド皇子は何も言わない。リリアナはわずかに目を細めて隣に立つライリーの様子を窺った。ライリーは困ったように眉根を寄せている。


ライリーも修道院へ視察に訪れたことがあるが、全て定められた場所で決められた時間内に収まるよう、そして会う相手も厳選されていた。修道院で育てられている身寄りのない子どもと会うこともあった。だが一度につき面会相手は二、三人と決められていたし、その子どもたちは素行を調査した上で官吏が面談し、“王太子と会わせても問題がない”と事前に確認されていた。つまり修道院で実際に暮らす不特定多数の人々と触れ合った経験は一切ないのだ。それは皇国でも同様であり、そして皇女はその事実に気が付いていない。

尤もライリーが悟っていないわけはない。そして今の状況でイーディス皇女を止められるのはライリーだけだった。ローランド皇子は妹を諫める気がない様子だし、リリアナは声が出ないことになっている。


『ウィル』


リリアナはライリーに呼びかける。ライリーはリリアナの方を振り返ろうとするが、不自然だと気が付いたのか視線は前に見据えたまま僅かにリリアナに近づいた。


『イーディス皇女殿下をお諫めくださいまし。事前にその者たちの身元や性質を確認せず、皇族や王族と面会させることは危険でございます』


そうだね、と言うようにライリーは小さく頷く。そして「イーディス皇女殿下」と呼びかける。皇女は目を輝かせながらも不服そうに頬を膨らませ、「イーディと言っておりますのに」と文句を言うことも忘れなかった。だがライリーはさらりとその不平を受け流して苦笑を浮かべる。


「この度、お二方の外遊を無事終わらせることができるよう取り計らう者として申し上げます。殿下の優しき心遣いは民の喜びともなりましょうが、今回は護衛の都合も踏まえ、院長の申す通り外からの視察に留めましょう」


イーディス皇女は目を瞬かせた。ライリーの言葉を良く考えている様子だ。そしてきょとんとした顔をローランド皇子に向ける。問うような視線を受けて、皇子はわずかに肩を竦めた。


「危ないからやめとけということだ、イーディ。わかったな」

「――そんな、なんであぶないの?」


皇女は顔を顰める。全く状況が分かっていない様子だが、皇子は妹姫に分かるよう説明する気はない様子だった。


「お前が優しいことは俺も知っているが、駄目だというんだ。聞き分けろ、イーディ」


優しく言い聞かせる皇子の言葉に、皇女は不服そうな表情ながらも頷く。その双眸は悲しみに潤んでいた。皇子は軽く妹姫の頭を撫でる。リリアナは溜息を堪えた。気まずい沈黙が落ちるが、ライリーが僅かに明るい声で院長に呼びかけた。


「院長、手間をかけるが、案内を頼めるでしょうか」

「勿論にございます」


こちらです、と言いながら院長は右手にある棟に向かう。葡萄酒の醸造場を通り過ぎ、一番奥まった場所に作業場はあった。ローランド皇子とイーディス皇女は一瞬臆したように足を止める。それほどにその場所は陰鬱で狭苦しく、独特な臭いが漂っていた。ライリーもさすがに驚いたようだが、皇子と皇女のように態度には出さない。リリアナは一人平然としていた。院長は作業場の扉は開けずに、手前にある小さな扉を潜って庭に出る。庭の小さな窓から中を覗けるようになっているらしい。


「ここが作業場でございます。葡萄酒の醸造をできぬ者――例えば体を損なっている者や力の足りない者が、パッチワークのお陰で出来ることが増えたと喜んでおります」


御覧になりますかと院長に促され、護衛が確認した後、ローランド皇子が小窓から中を覗いた。彼は息を飲んでしばらく中を凝視していたが、少しして窓から離れる。顔色はわずかに悪い。その次はイーディス皇女だったが、皇子と反応は似たり寄ったりだ。そしてライリー、リリアナと続く。

部屋の中は更に暗く淀んだ雰囲気だった。蝋燭を節約しているのか、わずかな灯りを頼りに作業に没頭している。狭い部屋に人がひしめき、身にまとう衣服はボロボロになるまで着古した修道着だった。中には片目の者や足を失った者も居る。

ライリーは以前にそういう者に会ったことがあったし、リリアナも前世の記憶のお陰でそこまで動じずに済んでいる。だが、ローランド皇子とイーディス皇女にとっては衝撃が強かったようだ。蒼褪めたまま、しかしさすがにここで取り乱すわけにはいかないと思っているのか口を開こうとはしない。

そんな二人を一瞥した院長の目には僅かに冷たい光が灯っていたが、落ち着いた様子のライリーとリリアナに視線を移せば表情はわずかに綻んだ。


「――わたくしどもは、神の御名の元、どのような者であろうと助けの手を差し伸べるべきと教えられております。殿下方が下々の暮らしに少しでもご関心を示してくださったことはまさしく神の啓示。此度のことはわたくしどもにとっても、限りない歓びとして語り継ぐべきものとなりましょう」


その後は当初予定していた施療院の中を見せて貰ったり院長の話を聞き、一行は修道院を後にする。作業場を見た直後は気鬱な様子を見せていたイーディス皇女も、領主の館に到着し晩餐を馳走になる頃には元気を取り戻していた。



*****


その日の滞在場所は、立ち寄った修道院から更に進んだ領地を治める神官長の屋敷だった。広がる田園風景は文字通り長閑だ。だが、領主は皇族と王族が滞在するということで非常に張り切っていた様子だった。用意された晩餐を前に、リリアナは思わず遠い目になる。疲れたところで大量の食事を摂る気にはなかなかなれない。だが断るわけにもいかず、大人しく席に着いた。

一方、元気を取り戻したイーディス皇女は喜々として気に入った料理のことを領主に尋ねる。


「まあ、とてもおいしいわね。これはなあに?」

「子豚肉のパイにございます。林檎、イチジク、レーズン、スモモを入れておりますので、甘さを感じられるかと存じます」

「だから甘いのね! くだものが入っているとは思わなかったわ」


皇女は目を丸くした。見たことのない料理も幾つか出され、見知った料理でも創意工夫が施されている。領主が力を入れて晩餐を用意したことが良く分かる内容だった。四人が食事を終えたところで、ライリーが代表して領主に顔を向けた。


「此度は無理を言ったにもかかわらず、このように尽力いただき感謝します」

「は、誠に勿体ないお言葉にございます」


神官長は恐縮した様子で、しかし頬は喜色に緩めて首を垂れた。ライリーは微笑んで言葉を続ける。


「いつもは食後にローランド皇子殿下とイーディス皇女殿下、それから私の婚約者であるリリアナ嬢との歓談の時間を持つのです。手数を掛けますが、談話室等お借りしても?」

「勿論にございます」


神官長は直ぐに頷いてくれた。

視察に出て既に一週間ほどが過ぎ、食事終わりに歓談することは習慣になっていた。勿論ただの雑談ではない。今後の視察に関する話や、その日の視察で得た情報や意見を交換することが目的だ。彼らの身分を鑑みれば、無為に視察の時間を過ごすことは許されない。

だが、そろそろ疲れの出る頃合いだったのか、イーディス皇女は疲れたと言って一人早々に部屋へ上がることになった。だが夕食時には元気を取り戻していたから、本当のところは自分に理解できない議論が繰り広げられている場に居合わせるのが嫌だというのが理由だろう。


去り際に皇女は咎めるような視線をリリアナに向けたが、リリアナは素知らぬ振りをした。口がきけないリリアナが、ライリーとローランド皇子の会話を理解しているのか皇女に知る術はない。だからこそ皇女が“リリアナは自分と同じように理解していない”と思い込み、単にリリアナが同席する理由を“ライリーが居るから”と解釈している可能性は高かった。だからといってリリアナは弁明する気もない。


残されたローランド皇子とライリー、そしてリリアナは談話室へ移動し、紅茶を用意して貰った。神官長も同席するかとライリーが尋ねたが、さすがに皇族と王族、三大公爵家の令嬢という面子を前にしては遠慮が立ったらしい。神官長は用があればいつでも呼んでくれと言い置いて、部屋を辞した。

護衛が数人残った部屋で、三人はようやく口を開く。


「あとは染色特区だけだな。クラーク公爵領なのだろう?」


ローランド皇子がリリアナに視線を向ける。リリアナは微笑を浮かべたまま頷いた。皇子は小さく鼻を鳴らす。


「クリムゾン染色とはな。我が国でもカイガラムシを繁殖させられたら良いのだが――皇国は王国と違って、他国からの輸入に不足がない」

「王国は二重の関税が掛かりますから、その点で不利益を被っていると言えなくもありませんからね」


やんわりとライリーが答える。ユナティアン皇国は南の国から輸入する際に関税を支払えば良いが、スリベグランディア王国ではそれに加えてユナティアン皇国にも税を支払っている。必然的に、王国内ではカイガラムシが皇国よりも高値になる。

ローランド皇子は頷いた。そしてにやりと笑う。


「カイガラムシの繁殖であれば気候風土も重要だろう。それよりも、あの――今日見たパッチワークの方が取り入れやすそうだ」

「そうですね。あれは斬新ですし、今後は社交界の御婦人方に人気を博するかもしれません」


今後の予定や今日の視察に関して、軽快な会話が続く。少ししたところで、控え目に扉を叩く音が響いた。入るように指示すると、今回の視察に同行しているスリベグランディア王国の官吏が顔を覗かせる。どうやらライリーに用があるらしい。首を傾げたライリーだったが、ローランド皇子とリリアナに中座することを謝罪して部屋を出る。恐らく今後の行程に関してだろうとリリアナが思っていると「リリアナ嬢」と呼ばれる。視線を向けると、真剣な表情を浮かべたローランド皇子と目が合った。

声を低めた皇子が「頼みがある」と告げる。首を傾げたリリアナに聞く耳があると思ったのか、彼は淡々と言葉を続けた。


「王太子殿下は貴方を婚約者と言っているが、実際は候補だろう。そしてクラーク公爵は貴方と殿下の婚約に反対している。彼はこの国を憂えているのだ。だから、」


――婚約者から降りてイーディスに譲ってくれ。


さらりと告げられた言葉は、リリアナの予想通りだった。



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