21. 陰日向の応酬 4
冗談にしては性質が悪い。そう思いながら、リリアナは眉根を寄せて首を傾げることで意思表示をしてみせた。バトラーはわずかに口角を上げる。ほとんど表情は変わらなかったが、リリアナの物分かりの悪さを嘲笑しているようにも見えた。
一方でオルガは自分が俎上に載っているにもかかわらず、顔色一つ変えていない。平然とバトラーの様子を窺っている。護衛は主人の身を守ることが全てであり、会話の内容に踏み込まず反応を示さないのが鉄則ではあるが、自らの進退に関わる話題であるにもかかわらず一切の反応を示さないオルガは一流だった。
リリアナはオルガの様子を気配で窺いながら、おっとりと微苦笑を浮かべる。話にならない、というように静かに首を振った。
〈オルガはわたくしの護衛です。契約期間もまだ終了しておりません。それに簡単に寄越せと仰られても――本人の意向もございますが、何より物のように仰る方にわたくしの大事な護衛を差し上げる気にはなれません〉
「――なるほど」
バトラーは皮肉に口元を歪める。今度ははっきりと嘲弄を表情に滲ませ、わざとらしく頷いた。
「貴殿のお考えは良く分かりました。私の言い方が宜しくなかったようですね。私はかねてより優秀な護衛を探していたのです。今の我が国の状況はご存知でいらっしゃるでしょうか」
リリアナは無言で先を促す。現状を知っているかと問われたら、多少は把握していると答えられる。だが、だからといってユナティアン皇国に関する情報をどの程度握っているのかバトラーに教えるつもりはなかった。
「我がユナティアン皇国では後継者争いが活発です。勿論、単に失脚を狙うだけでなく、邪魔だと考えより苛烈な手段に走る者も出る。そういう時、各派閥の貴族は何を企むかご存知ですかな?」
尋ねながらも、バトラーは九歳の子供には分からないだろうと高を括っている。答えを待たずに続きを口にした。
「敵対する貴族の首を狙いますが、一番は王位継承者の命を取ることができれば僥倖。そう考えるのですよ」
大した情報ではないとリリアナは内心で嘆息する。こちらを見縊るようなことを言うから、大層な情報を教えてくれるのかと思った。だが、これでは期待外れだ。
〈つまり、ローランド皇子とイーディス皇女の護衛としてオルガをご所望ということでしょうか?〉
リリアナはにこやかに問う。バトラーは目を僅かに細めた。
「いかにも」
〈既に優秀な護衛が付いていらっしゃるのではなくて?〉
「武闘大会の結果を見ましてな」
バトラーはリリアナの問いに直接的には答えなかった。だが、タイミングを考えると彼が言いたいことは明白だ。魔導剣技部門で三位の成績を収めたオルガの腕を見込んで、護衛として雇いたいのだろう。王立騎士団二番隊の隊長と副隊長には敗れたが、それ以前に出場していた者たちも決して弱くはなかった。正規の騎士も多く参加しており、彼らを下したオルガの実力が優れていることは広く認められている。そして恐らく、バトラーはオルガが敢えて三位に収まったことに気が付いているのだろう。
オルガが使っていた魔術はスリベグランディア王国やユナティアン皇国で使われている魔術とは違う系譜のものだった。東方魔術と呼ばれる、ユナティアン皇国より遥か東方の国々で使われていたものだ。そもそも現在、東方の国々では魔術より呪術が盛んに用いられているため、魔術自体は衰退している。だが、それらの国々で遥か昔に使われていた古魔術は今使われている魔術よりも非常に強力だった。極めれば大陸一つ程度は簡単に消滅させられるほどだったと考えられている。勿論全ては残された数少ない書物から読み取れる内容であって、確証はない。
もしかしたらバトラーもその事実に気が付いているのかもしれないと、リリアナは微笑の下で考えた。バトラーは内心を一片も見せずに淡々と説明を加える。
「魔導剣士は貴重な人材です。我が国にいらして頂ければ、皇帝の目にもとまる。勿論、僭越ながら今あなたが受け取られているものより高額の報酬をお約束いたしましょう。この国に埋もれるよりもよほど貴方のためになると思いますが」
前半はリリアナへ、そして後半はオルガに向けての言葉だ。どうやらバトラーはオルガの現雇用者であるリリアナを前にしてオルガを勧誘しようとしているらしい。
リリアナは嘆息を堪えた。半身を捻ってオルガを振り返り〈貴方はどうしたいのです?〉と尋ねた。自分に尋ねられるとは思っていなかったのか、オルガは目を瞬かせる。しかしすぐに顔を上げて真っ直ぐバトラーを見た。
「申し出は有難く思いますが、私はお嬢様の護衛です。不要とお嬢様が仰られるまでは、お嬢様の護衛で居続けたいと考えています」
オルガが断るとは思っていなかったのか、バトラーは一瞬目を瞠って口籠った。しばらくオルガを凝視するが、オルガは平然とその視線を受け止める。浮かんだ戸惑いを瞬時に消し去った男は低く尋ねた。
「傭兵稼業にしては義理堅いお人ですな。そこまで主に入れ込むとは」
「お嬢様は命の恩人ですから」
さらりとオルガは理由を口にする。バトラーは眉根を寄せる。九歳の公爵令嬢が年上の傭兵の命を助けたという状況を想像することができないのだろう。問うようなバトラーの視線がオルガに向けられるが、オルガに答える気はない様子だった。リリアナも勿論、教えるつもりはない。しかし、リリアナはオルガが一体何のことを言っているのかすぐに気が付いた。
リリアナがオルガやジルドと出会った、三年前の魔物襲撃。その時にリリアナが聖魔術で周辺一帯を浄化しなければ、二人は魔物によって負わされた怪我と瘴気で間違いなく命を落としていた。二人ともリリアナが聖魔術を使って一人で魔物襲撃を制圧した事実に気が付きながら、口を噤んでくれていた。それでも心の中でずっと恩義に感じていたのだろう。
しかし、その事実を知らないバトラーはオルガの台詞を何らかの比喩だと受け取ったようだった。納得できないとでも言いたげに小さく鼻を鳴らすが、それ以上言及はしない。
「そうですか。それでは仕方ありませんね。今は引きましょう」
不穏な言葉にリリアナの眉がピクリと反応する。“今は”ということは、今後も勧誘を続けるつもりなのだろう。
〈わたくしどもの気持ちを御雅量いただけることと期待しておりますわ〉
無理を通そうとするなと、リリアナは言外に牽制する。バトラーはにやりと笑みを一瞬見せたが、すぐに無表情に戻って一礼した。どうやら話はこれで終わりらしい。リリアナはオルガを伴って部屋を出る。
〈オルガ、十分身の回りには気を付けてくださいね〉
「はい、ありがとうございます」
リリアナに直接交渉しても無駄だと、今回のことでバトラーは悟ったはずだ。だが彼は未だオルガを手に入れることを諦めていない。今後どのような手段に訴え出るのか、誰にも予測できない。だからこそ、念には念を入れてオルガは身辺に気を付けた方が良い。リリアナの考えを理解しているのか、オルガは礼を言った。
部屋に帰る道すがら、リリアナは先ほどまでの会話を脳内で反芻する。考えれば考えるほど、バトラーを前にした自分の言動は悪手だったとリリアナは眉根を僅かによせた。
バトラーはオルガの雇用主がクラーク公爵ではなくリリアナだと把握している。つまり彼は故国でなくとも非常に優秀な情報源を持っているということだ。となれば彼がリリアナを見た目通りの令嬢と判断していた可能性も低くなる。始終リリアナを嘲笑し見下したような話し方をしていたのは演技に違いない。
オルガの引き抜きの話を振られたせいで、どうやら冷静さを失っていたらしいとリリアナは忸怩たる思いを噛み締める。ドルミル・バトラーは恐らく、リリアナが不遜な態度の自分にどのような反応を見せるか様子を窺っていたのだ。逆上すれば御しやすく、冷静に対応できるのであれば一筋縄ではいかない相手。誰かの為人を短期間で見極めるためには、その人を逆上させれば良いという話もある。その態度の裏には、ライリーの婚約者としてイーディス皇女を宛がうかどうか、宛がうためにはどのような方策であれば効果的なのか、具体的な作戦を組み立てる目論見があったのではないか。
リリアナは溜息を吐いた。
(皇子よりも、ドルミル・バトラーの方が曲者でしたわね)
さすが若くしてユナティアン皇国の宰相補佐を務めている男だ。オブシディアンの忠告が脳裏に蘇るが、時すでに遅しである。
彼らが外遊から帰国するまでは気を抜けないと、リリアナは心を改めた。
*****
外遊でスリベグランディア王国を訪れたローランド皇子の最後の行程は視察だ。王都を出立した後、他の領地にも寄るものの、最終目的地はクラーク公爵領にある染色特区である。そしてライリーの尽力により、視察には当初予定していた皇子とライリー、リリアナ、そしてイーディス皇女が向かうことになった。皇女が急遽加わったため、護衛の数も相当増えている。しかし、単純に皇女の護衛を追加すれば解決する話でもなかった。問題は滞在先の宿泊場所や料理等の準備が間に合わないことにある。そのため、四人の中で最も護衛の優先順位が低いリリアナに付けられた護衛の数が削減されることになった。
馬車の中でライリーと二人になったリリアナは、最初にその点をライリーから説明された。彼は申し訳なさそうに眉根を寄せてリリアナに頭を下げる。
「本当に申し訳ない。決して貴方を蔑ろにしたいわけではないんだ」
『理解しておりますから、どうぞ頭をお上げください。王太子殿下が簡単に謝罪するものではございませんわ』
「ここは私と貴方しかいないんだよ、サーシャ。対外的にはそうすべきだと分かっているけど、私は親しい者に対しては誠実で居たいんだ」
だから自分が悪いと思えば謝りたい、とライリーは言う。リリアナは苦笑混じりに首を振った。
『でしたら、尚更謝罪は不要ですわ。わたくしは不快に思っておりませんもの』
「貴方は優しいね」
ライリーは肩から力を抜いて微苦笑を浮かべる。リリアナは返事を曖昧な微笑に変えた。彼女にとって、護衛が減ることは何の問題にもならない。むしろ護衛が居ないほうが自分の身を守りやすいのではないかと思いすらする。
それに、リリアナはエアルドレッド公爵からライリーを護って欲しいと頼まれていた。他人から頼み事をされたことも、嬉しそうに礼を言われたこともなかったリリアナにとって、ライリーを護るという“任務”は胸がくすぐったくなるものだった。
公爵との約束を守ることを第一に考えれば、護衛が居なくともリリアナがライリーの傍に控えておけば命を落とすことはないだろう。前世のゲームシナリオ通りに事が進みヒロインがライリーの攻略ルートを選択した場合、リリアナはライリーに命を奪われる。それにも関わらず、どこか喜々として自分を殺すかもしれない相手を助けようとしていると思えば妙な気分になった。
しかし、そんな本音は全て笑顔の下に隠してリリアナはおっとりと答える。
『わたくしの護衛二人を随行することを許して頂きましたでしょう。わたくしは彼らが居れば十分ですわ』
「――まあ確かに、オルガ殿がいればかなり安心感はあるよね」
納得したと言いたげな表情でライリーは神妙に頷いた。
武闘大会の魔導剣技部門でオルガが見せた技はライリーもその目で見ている。二番隊隊長であるダンヒル・カルヴァートと健闘した彼女の姿にライリーは驚嘆していた。はっきりと口にしてはいなかったが、ライリーもまたオルガの使う魔術が自分たちが良く知るものと異なっていると薄々勘付いている様子だった。尤も、オルガがわざとダンヒルに敗れたとは気が付いていないはずだ。ライリーは真摯な視線をリリアナに向ける。
「それでもやっぱり私は貴方が心配だ。だから、できるだけ私の傍に居て欲しい」
ライリーには十分な護衛が付けられているから、彼の傍に居れば必然的にリリアナも多くの護衛に護られることになる。視察の間に婚約者として認められるべく行動するだろうイーディス皇女への牽制も兼ねているのだろうが、リリアナを安全な場に留め置きたいのも本音なのだろう。リリアナは微笑を浮かべてみせた。
『ええ、善処いたしますわ』
決して同意はしない。そもそも、リリアナがライリーの傍に居るのは自分の身を守るためではなくライリーの命を奪われないようにするためだ。自分の身を守るためだけであれば、リリアナは一人で十分だ。むしろ人目に付かないようにしておいた方が魔術を使いやすい。
ライリーは端的な答えであっても十分満足した様子だった。ほっと頬を綻ばせる。
「ありがとう」
嬉しそうな声で礼を口にするライリーが手を差し伸べ、リリアナの手を取った。それを振り払うことはせず、リリアナは笑みを深めてみせる。しかし同時に、彼女はライリーには気付かれぬよう周辺の様子を魔術で探っていた。