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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
125/563

21. 陰日向の応酬 3


夕食を終えて寝る準備を整えたリリアナは、いつの間にか部屋に入って来ていた人物を見て軽く目を瞠った。そんなリリアナが面白かったのか、紺の髪を持つ少年はにやりと笑う。リリアナは微笑を浮かべて彼の前に座った。


「また来ましたのね、シディ」

「まあな。面白いことになってるって耳にしたから」

「面白いこと?」


一体何のことだろうかとリリアナは小首を傾げる。すると、オブシディアンは頷いて「お嬢の代わりに皇女が視察に行くって駄々こねたって?」と言う。さすが耳の早いことだとリリアナは苦笑して頷いた。

イーディス皇女が視察に行く件についてはライリーが関係者に伝達し、急ぎ対応するように手配している。無理である可能性が高いとライリーはローランド皇子に告げたものの、皇女も視察に同行すればスリベグランディア王国の喧伝にもなることは確かだ。尤も、当初予定していたリリアナの同行を取りやめるつもりもライリーにはないようで、リリアナを留守番させれば良いという一部の貴族たちを無視する形で進めようとしているらしい。


「ええ、そうですわ。まだ限られた者しか知り得ない情報ですのに、見事なお手並みですわね」

「まあな」


何でもないことのようにオブシディアンは肩を竦める。彼の間諜としての技術と能力があれば、厳重な警備体制が敷かれている王宮内も自由に闊歩できるのだろう。是非ともその技を知りたいものだとリリアナは思うが、オブシディアンが教えてくれるとは思っていないし、そもそも貴族令嬢には必要のないものだ。

リリアナは悪戯っぽく目を瞬かせて優秀な刺客に尋ねた。


「視察のことを知ったからわたくしのところにいらしたの?」

「それもあるけど、お嬢が前知りたがってた情報、掴んで来たからさ」

「あら」


リリアナは目を丸くした。勿論、以前調べるよう頼んだ内容を彼女は覚えている。だが、その大部分は隣国に関することで、早々に情報を得て戻って来るとは思っていなかった。何よりユナティアン皇国の皇都はスリベグランディア王国から遥か離れた地にあり、普通に向かえば片道数ヶ月はかかる。ただそれほどの遠方でもオブシディアンにとっては“その程度の距離”らしかった。


「そんなに難しいことじゃねえよ」


小さく笑ったオブシディアンは、しかし全ての情報は持ち帰れなかったと肩を竦めた。


「あんたの親父がユナティアン皇国と繋がってるって証拠は掴めてない。なかなか尻尾掴ませねえな、あのオッサン」

「そうですのね。でしたら、お父様は隣国と密通していない可能性も考えねばならないかしら」

「さあな、まだ何とも言えねぇけど、胡散臭いのは確かだと思うぜ。不自然に身辺が綺麗すぎる」


首を傾げるリリアナの希望を折るようにオブシディアンは冷たく言い放つ。しかしリリアナは動じずに微笑を深めた。父が抜け目ないのは承知の上だ。すぐに証拠を掴めたなら、その証拠は囮なのではないかと疑うところである。だがオブシディアンは何を思ったか、にやりと笑った。


「でも最近は妙に焦ってるみたいだからな、遅かれ早かれ何かは分かると思うぜ」

「焦ってる?」


リリアナは目を瞬かせて首を傾げた。クラーク公爵には似合わない単語だ。だがオブシディアンには確信がある様子だった。


「俺の予想でしかねえけどな。お嬢が十歳になったら、声が出ないからって王太子の婚約者候補から外すって密約を結んでんだろ?」

「ええ、そうよ」

「その密約を行使する前に、お嬢が王太子の婚約者に収まりそうだから焦ってるんじゃねえかと思うぜ」


リリアナは目を瞬かせた。ここ最近はローランド皇子とイーディス皇女の外遊のせいで慌ただしく、呪術の鼠が持ち帰った情報を精査できていない。だからオブシディアンの指摘に思い当たることはなかった。だが、オブシディアンは自信がありそうな様子だ。


「王太子もお嬢との婚約に乗り気だし、エアルドレッド公爵を始めとしたアルカシア派も全面的に支持してる。顧問会議での反対派は殆ど居ない。中立派も居るには居るが、今用意されてる選択肢から選ぶとなるとお嬢一択だ」


国王との密約があると言っても、顧問会議が全面的に支持し王太子も望んでいる婚約者となれば反対することも難しい。特にその密約を結んだ国王は今、寝たきりの状態である。以前と比べると容体は悪く、意識はあっても眠っている時間の方が長い状況だ。その密約には国王の署名が入っているため正当性は認められるだろうが、顧問会議が密約の正当性に疑いを掛けたり国王の容体を理由に無効を訴えたりすれば、リリアナを婚約者候補から外すことも簡単ではなくなる。


「なにより、その密約は“十歳になった時に”なんだろ? そうなる前にお嬢と王太子の婚約が決まれば、密約だけを理由に婚約解消するのは難しいぜ」


リリアナが十歳になるまで一年もない。婚約した一年後に婚約を解消するなど前代未聞だ。リリアナだけでなくクラーク公爵の面目も丸潰れである。かといって、リリアナとの婚約を一年待つことも難しい。

国内の貴族たちが集う隣国の皇子と皇女の外遊という場で、王太子がリリアナを婚約者として扱い始めたのだ。実態が伴っていなくとも、人々はリリアナが婚約者なのだと信じ噂する。その状況で一年後、婚約者でないどころか候補からも外れたとなれば、人々は様々な疑念を抱くだろう。


「他ならぬエアルドレッド公爵が、あんたの親父の横暴と引き裂かれた悲劇の恋人について実しやかな噂を流してくれるだろうよ」


オブシディアンの楽し気な言葉を聞いたリリアナは僅かに頬を引き攣らせた。


「――引き裂かれた悲劇の恋人というのは、もしかしてわたくしと殿下のことですの?」

「他に誰がいるよ。あんたら二人とも見目麗しいからな、暇なご婦人方にとっては格好の餌食(はなしのネタ)だぜ」


にやにやと笑いながらオブシディアンはリリアナを見やる。リリアナは頭痛を堪えて深く溜息を吐いた。エアルドレッド公爵が本当にそのような噂を流すのか真偽のほどは一旦考えないとしても、仮にその可能性にクラーク公爵が思い至ったのであれば、焦るのも道理である。

だからといって、自分とライリーが宮廷文学にありがちな恋愛物語の主人公のように扱われるなどご免である。リリアナは無理矢理話題を変えることにした。


「でしたら、引き続き探っていただけると嬉しいわ。――他に何か分かったことがあったのかしら?」

「皇女が王太子と結婚したいって言った理由は、大体のところが分かったぜ」


意味深にオブシディアンは告げる。その言い方を聞けば、イーディス皇女が単に一目惚れで婚約を言い出したわけではないらしいと推察できた。リリアナは無言で続きを促す。オブシディアンも勿体ぶるつもりはないようで、あっさりと答えを口にした。


「案の定、隣国で色々と周りから吹き込まれたらしい。可愛らしい皇女殿下を一目見ればあの王太子も直ぐに惚れて、行く行くは王国の王妃になるんだってよ」


さも馬鹿らしいと言わんばかりにオブシディアンは喉の奥で笑った。どうやら周囲の甘言を真に受けた少女が愉快らしい。


「普通、王族やら皇族やらってのは、小さい頃から周囲の様子に敏感になるもんだろ。こいつは嘘ついてる、こいつは本当のことを言ってるって少なくとも打算は働きそうなもんだ。それなのに言われたことを真に受けるなんてな」


皇女は八歳だ。それを考えれば周囲の言葉を信じ込んでもおかしくはない。特に繰り返し告げられると、それがあたかも事実のように錯覚してしまう。だが、オブシディアンにはあまりピンと来ない様子だった。理解できないと言いたげに首を傾げている。リリアナはあっさりと説明を諦め、「吹き込むように煽動した者がいるのかしら」と更なる情報を求めた。オブシディアンは頷く。


「ああ、案外あっさり分かった。エルマー・ハーゲンだ」

「エルマー・ハーゲン?」


予想外の人物だ。リリアナはオブシディアンの答えを反復する。エルマー・ハーゲン将軍は確か、つい先日暗殺されたはずではなかったか。リリアナの記憶が正しければ、オースティンがライリーにその知らせを持って来た。


「暗殺された将軍ですわよね。軍部を掌握していた方が、皇女を隣国に嫁がせるおつもりだったの?」


訝し気な表情でリリアナは疑問を口にした。将軍は騎士や傭兵の信頼が厚く、時には皇帝を凌ぐ信奉者が居ると噂されていた。更にはその力を持って皇国の実権を握ろうとしていた男が、皇女を隣国の王太子に嫁がせようと考えた――その行動は矛盾しているように思える。皇女は隣国に嫁がせずに、政変を起こす際に皇帝と共に処刑した方が遺恨も残さずに済むはずだ。

だが、オブシディアンはあっさりとリリアナの疑問を肯定した。


「ああ、そのつもりだったらしい。奴は皇国の中では穏健派だったからな」

「穏健派? 政変を企てていたのではなかったの?」

「乗っ取るつもりはあったと思うぜ」


だが、エルマー・ハーゲンは他国への侵攻は考えていなかった。あくまでも彼が欲していたのはユナティアン皇国そのものであって、領土の拡大は目指していない。むしろ他国への侵攻を望む一部の臣下たちとの対立を深めていたようだ。


「エルマー・ハーゲンは馬鹿じゃねえ。武功を上げて名誉と権力は得たが、結局はどこの馬の骨とも知れねえ野郎だと貴族連中には侮られる。そんな奴が政変を成功させたとしても、その後が続かない。政変後には他国とは友好関係を築きながら国内の地盤を固めるつもりだったんだろうさ」

「それなら理解できますわ」


リリアナは頷く。確かに政変後の国内は混乱するだろう。対立する貴族や足元を掬うため虎視眈々と隙を狙っている諸侯を抑えつけるためには、隣国との関係を安定させて戦力を国内に集中させた方が効率的だ。


「でも皇女殿下を王太子殿下に嫁がせたら、その後侵略することが難しく――はなりませんわね」


反論しようとしてリリアナは思い留まる。政変が成功してしまえば、イーディス皇女はユナティアン皇国の後ろ盾を失う。むしろスリベグランディア王国の国家機密も知った段階で皇女の身柄引き渡しを求め、断られたらそれを口実に戦を仕掛けることも可能性としてはあり得る。


「ああ、ならねぇな。ただここで一つ気を付けておくべきが、ハーゲンの性格だ」


オブシディアンは意味深に言葉を区切る。一体どういう意味なのかとリリアナが眉根を寄せたのを確認し、彼は思わせぶりに告げた。


「頭は良いが短気で直情的。長期的な戦略を立てるのは苦手だ」


たとえば現在の戦局を読み戦略を立てる術には長けている。だが、様々な状況や情報を踏まえて一年後、数年後を見据え計画を立てることは不得手だ。それならば彼がイーディス皇女を王太子に嫁がせる計画を自発的に考えたという推察には無理が出てしまう。短気で直情的な男が政変を企てるのであれば、どのような計画を立てるか。それほど深く考えずとも自ずと答えは導き出される。


「皇女殿下と王太子殿下の婚姻は将軍の発案ではない、ということですわね」

「その可能性が高いだろうな」


婚姻だけではない。政変に関してもハーゲン将軍単独ではなく、何者かが背後に居る可能性があった。もしその仮定が正しいのであれば、皇帝が政変を企む将軍を重用しているという噂にも信憑性が出て来る。即ち皇帝は将軍一人では()()()()()()と分かっていたのだ。


「黒幕は分かって?」

「残念ながら、なーんにも。ハーゲンと宜しくやってる貴族は何人か掴んでるんだが、どいつもこいつも黒幕になる素質がねえんだよな」


小物すぎて詰まらない、とオブシディアンは不満気だ。リリアナは苦笑したが、気になっていたことを尋ねることにした。


「穏健派の将軍が亡くなったのでしたら、皇国が侵略して来る可能性は高くなると思います?」

「直ぐにはねえと思うぜ」


オブシディアンは首を振る。どうやら皇国も権力関係は複雑らしく、今は他国への侵攻による領土拡大を企むよりも後継者争いの方が活発だそうだ。ただ、その中でも隣国へ進軍すべきと考える貴族も居る。全ては皇帝の心一つで決まるから確証はないが、現状で戦準備をしている様子は見られない。

簡潔ではあるが理路整然とした説明を聞いたリリアナは、ほっと安堵の息を吐いた。さすがに皇国が本気で攻め入れば、スリベグランディア王国は苦戦を強いられるだろう。戦争の可能性が低いと分かるだけでも気は楽になる。

リリアナは引き続きの調査をオブシディアンに頼んだ。


「勿論、何か分かったらまた連絡するぜ。ただ殺せって言われるよりも、間諜(こっち)の方がよっぽど面白いしな」


オブシディアンは快諾してくれる。どうやら暗殺の仕事よりも間諜の方が彼には面白いらしい。その違いがリリアナには今一つ分からないが、彼が前の主に命じられた暗殺を辞めたのであれば問題ないと言及することはしなかった。一方、彼は何かを思い出したように気軽な様子で言葉を付け加える。


「ああ、それと面白い話を小耳に挟んだぜ」

「面白い話?」


オブシディアンは小さく笑う。リリアナが首を傾げると、彼は王宮でローランド皇子が世話役のドルミル・バトラーと話していた内容を教えてくれた。


「どうやら、自分たちの国とこっちの国のどっちの方がより安全かって言うのを気にしてるみたいだな」

「それはバトラーの方もですの?」

「いや、ローランド皇子の方だ。バトラーは特に気にしてない。どちらかというとあっちの方が曲者だぜ」


確かにバトラーは一筋縄ではいかない気配がする。リリアナは頷いた。


「本当は宰相補佐の方ですわよね。確かに身元を偽って世話役と申し出ていることも気になりますわ。何を企んでいらっしゃるのかしら」

「さあ。まだ分かんねえな。ローランド皇子のことは気に入っちゃいるみたいだけど、でも肩入れしてる風にも見えねえんだよ」


さっぱり分からないとオブシディアンは肩を竦める。ドルミル・バトラーはリリアナの前世にあった乙女ゲームにも出ていた重要なキャラクターだ。ゲームの彼も、オブシディアンが言っていたような態度でローランド皇子に接していた。イーディス皇女に対しては、そもそも皇女がゲームに出ていなかったので分からない。軽い雑談をすればいつの間にか夜は更ける。


そしてその翌朝、リリアナは思いがけない人から手紙を受け取った。その手紙には、内密で話をしたいと書いてある。訝し気に眉根を寄せたリリアナは、護衛を伴って手紙に書いてあった王宮内の部屋に向かった。



*****



リリアナが手紙で呼ばれた部屋は王宮の一角にある客室だった。連れて来た護衛はオルガだ。ジルドはやはり王宮のように貴族がたくさん居る場所は嫌らしく、極力避けていた。そのため現在も彼は王都にあるクラーク公爵家の屋敷で留守番をしている。その屋敷でさえ本音を言えば滞在したくない様子だったが、さすがにそこは我慢して貰わなければならない。そしてジルドも苦い顔になりつつも「分かってるよ」と納得してくれていた。


扉の前には侍従が一人立っている。招かれたことをリリアナの代わりにオルガが告げると、侍従は事前に話を聞いていたのか中に通してくれた。部屋の中には、リリアナに手紙を差し出した当人だけが居る。彼は仕事中だったらしく、難しい顔で手元の資料に目を通していた。だがリリアナたちを見ると資料を卓上に置いて立ち上がる。


「この度は大変不躾にも手紙でお呼び立て申し上げ、誠に申し訳ございません」


朝の挨拶をして名乗った後、ドルミル・バトラーは慇懃無礼にそう告げた。黒い双眸は眼光鋭くリリアナの様子を窺っている。リリアナは変わらぬ微笑を浮かべて鷹揚に頷いてみせた。


〈わたくしに御用だそうですわね〉


バトラーは皇国で宰相補佐を務めているはずだが、リリアナはあくまでも“世話役”としか紹介されていない。彼が王国ではあくまでもローランド皇子とイーディス皇女の世話役として振る舞うつもりなのだと判断して、リリアナは敢えて丁寧ではありながらも目下の者に対する態度を取った。だがバトラーは全く動じない。むしろ「寛大なお言葉、かたじけのう存じます」と下手に出る。

リリアナはその様子に内心で警戒を高めた。バトラーの目的が全く読めない。背後でオルガも緊張に神経を張り詰めている気配がした。


「ご多用と存じますので、早速本題に入らせていただきたく」


出方を窺っているリリアナとオルガの様子には頓着せず、バトラーは淡々と用件を告げた。


「そこの――オルガという傭兵を、頂戴したい」


まさしく青天の霹靂だ。リリアナは耳を疑う。だが、バトラーは真剣そのものの表情で冗談を言っているようには見えない。重い沈黙が部屋に落ちた。



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