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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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20. 武闘大会 4


ダンヒル・カルヴァートは絶句していた。油断していたつもりはなかった。オースティンとの試合を見て、この傭兵は実力者だと看破していた。それでも、ここまでだとは思っていなかった。

目の前で繰り広げられる景色は果たして現実なのか――そう疑うものの、火傷を負った左の上腕が正しく現実だと訴えている。

彼の前に立つのは男装の麗人。傭兵だと名乗っていたが、彼は彼女がクラーク公爵家の令嬢リリアナの護衛であると知っていた。だが、まさかこれほどに力のある魔導剣士だったとは――侮っていたことは否めない。細く長い息を吐いて精神を統一する。


「あんた、水魔術使いだろ。どうやって火傷させるんだ?」

「――西に行ったことは?」

「ない」

「行けば分かる。そこには赤く燃える水が山から流れ出ている場所がある」


オルガと呼ばれた女の答えを聞いて、ダンヒルは眉根を寄せる。全く想像がつかない。いずれにせよ、ダンヒルが得意とする魔術は火だ。水魔術の使い方を尋ねても自分で活用できる可能性は限りなく低い。

そして――もう一つ、彼女の技を真似できない理由があった。


「ちなみにあんたが使ってる魔術、短詠唱じゃないよな。東方魔術か?」


途端にオルガは「おや」と片眉を上げた。意外そうに小首を傾げている。


「詳しいな。知っているのか?」

「やっぱり東方魔術なんだな。言い回しが独特だ」

「正確には東方魔術の中でも、古魔術(こまじゅつ)に分類されるものだ」


試合の最中だが、オルガは丁寧に説明してくれる。ダンヒルは眉根を寄せた。

古魔術はその名の通り、(いにしえ)に使われ今は廃れた魔術だった。膨大な魔力が必要とされ、扱える人間は非常に限られている。魔力の消費効率で言えば、現在広く使われている魔術形式の方が余程優れているとされていた。


「――だから精霊だなんだ唱えてんのか」

「そうだ。良く知っているじゃないか」


あっさりとオルガは頷く。存在しないとされている精霊だが、非常に古い文献の中には精霊の表記が出て来る。古魔術が使われていた遥か昔、人は魔力が自然界に存在する精霊によって与えられるものだと考えていた。そのため古魔術の詠唱では精霊に呼びかけるものが多い。


「古く使い勝手は悪いが、私の持っている剣とは相性が良くてな」


にやりとオルガは笑う。ダンヒルはうんざりとした顔で「とんでもねえな」と吐き捨てた。あまりにも自分に分が悪い。古魔術はダンヒルが使う詠唱よりも唱える時間が短い。その分、術を返す時間が短くて済む。オルガほどの実力者であれば、ダンヒルが一つの詠唱を唱える間に複数の魔術を発動させることができるだろう。


「あんた、今まで手ェ抜いてやがったな」

「それはそちらも同じだろう」

「――腹立つやつだな、全く」


ダンヒルの唸り声を聞いてオルガは肩を竦めてみせた。お互い様だと言い出しそうな表情だ。

二人とも、これまでの試合で本気は出していなかった。常に対戦相手よりわずかに強い術を使い勝利を収めていた。だが、今目の前にしている相手にその手は使えない。互いに本気を出さねば勝つことはできないと悟っていた。


「あんたと会えて良かったぜ、――【火の理の元に、紅蓮(ルーテル)業火の環(フォイアカイザルフ)】」


ダンヒルは短詠唱で複合魔術を発動する。紅蓮(ルーテル)業火の環(フォイアカイザルフ)は防御よりも攻撃が得意なダンヒルが独自で編み出した魔術だ。身体強化の術と組み合わせることで、ダンヒル自身が炎の剣となり敵に襲い掛かることができる。そして、一度発動させれば無詠唱で別の効果を発動することが可能だった。


一気に燃え上がった炎がダンヒルの周囲を取り囲む。涼し気な顔で炎の中に佇むダンヒルはわずかに口角を上げ、地面を蹴った。宙を舞い剣を振るう。立て続けに繰り出される斬撃は苛烈だが、オルガも引かなかった。体の周囲に水の膜を張ることで炎に焼かれないよう体を防御し、水を纏った剣で火魔術の威力を殺しながら全ての剣戟を受け止め流し、隙を付いては反撃する。炎が高く舞い上がり水と絡み合っていた。観客席からは二人の姿がはっきりと見えない。だが、その音から激しく切り結んでいるのだということは察せられた。

次の瞬間、二人の姿が離れる。その途端にダンヒルの側からは炎の竜が、オルガからは水の鳥が現れた。観客席から歓声が沸く。魔導部門でも見られなかった巨大な魔術の獣は、二人の実力を否応なく白日の下に晒していた。

炎の竜と水の鳥は空中で互いを威嚇する。互いが相手を飲み込むように、空中で竜と鳥が激しく戦い始めた。一方地上では、上空で己の魔術で分身を作り出した二人が再び剣を交える。先ほどよりも彼らの周りを囲んでいた炎と水は減っているため、戦っている姿は良く見えた。

オルガが小さく何事か呟く。ダンヒルの耳にすら届かない小さな詠唱だったが、彼もまたその瞬間に一つの術を発動させた。


頭上から炎の竜を取り込んだ水の鳥が、ダンヒル目掛けて突っ込んで来る。その対応のため、オルガからの攻撃を防御する手に乱れが生じた。オルガはその隙を付いてダンヒルに最後の一撃を加えるべく、深く間合いに踏み込む。だが、手応えがない。前に居たはずのダンヒルが幻だと気付いたその瞬間に、背後からオルガの首筋に剣が突き付けられた。


「勝者、二番隊隊長ダンヒル・カルヴァート!」


圧倒的な魔術と剣技の組み合わせに、観客たちの歓声は最高潮だ。接戦だったためどちらが勝ってもおかしくない状況だったが、オルガはすがすがしい表情でダンヒルに向き直った。互いに試合後の礼を取る。難しい顔のダンヒルとは対照的に、オルガは穏やかに告げた。


「貴殿に会えて良かった、ダンヒル・カルヴァート殿」

「あ?」


訝し気にダンヒルは尋ね返す。オルガの言葉は、決して初対面の対戦相手に告げるようなものではなかった。だがオルガは気にした様子がない。ダンヒルにしか聞こえない声音で淡々と言う。


「一介の傭兵では、辺境伯嫡男かつ騎士団隊長に会うことはできないし、よもや戦う場面を目にすることなどできないからな。王家主催の武闘大会なら出ているだろうと思ったんだ」

「どういうことだ?」


だが、試合会場で詳細を追及することなどできない。眉根を寄せたダンヒルに、オルガは武闘大会が始まってから初めてにこりと笑った。


「ビヴァリー殿によろしくお伝えしてくれ。それから、貴方のご子息に貴方の剣筋を感じて嬉しかった、とも」

「――おまっ、」


待て、とダンヒルは言いかける。ビヴァリーはカルヴァート辺境伯家の現当主だ。辺境伯本人を知り言伝を頼むなど一体どんな知り合いだ――と、ダンヒルの脳内は焦りを覚える。だがオルガに答える気はないようで、さっさと踵を返して試合会場を後にした。その後ろ姿を見送ったダンヒルは乱暴に頭を掻く。小さく舌打ちを漏らしてその場から立ち去る。通路には騎士団の仲間たちが待ち受けているだろうが、今はそれよりもオルガが最後に残した言葉の方が気になる。

もしビヴァリーに伝えれば、オルガとの関係を教えてくれるだろうか。


「――いや、ねえな。あいつのことだから、はぐらかされそうだ。それか、教えて欲しければ一本取れっていうか――その可能性が高いか」


うへえ、とダンヒルは顔を顰める。そもそも、何故オルガは今回の武闘大会に出てきたのか――それがダンヒルには分からない。本当にカルヴァート辺境伯への伝言を頼み、辺境伯嫡男であるダンヒルの剣筋を確かめたかっただけなのか。本当は他に理由があったのではないか。邪推しそうになるが、ダンヒルはわずかに首を振って思考を追い払う。

確かにオルガとの戦いはダンヒルにとって楽しいものだった。本気を出さざるを得なかったし、本当はもっと苦戦を強いられると予想していた。だが、最後は思った以上にあっさりと決着がついてしまったのだ。


――最後は勝ちを譲られたのではないか。


そんな確信に似た疑念がダンヒルの脳裏に浮かび上がる。だが通路に繋がる扉を開けた瞬間に彼の頭を悩ませていたことは全て、一気に吹き飛んだ。


「隊長! お疲れ様でした!」


仲間たちの歓声がダンヒルを出迎える。立派な体躯の騎士に囲まれてダンヒルは叫んだ。


「ああ、うぜえ! 全員、壁に沿って整列! 邪魔だ!!」

「は!」


騎士たちは嬉しそうな顔で壁沿いに一列に並ぶ。ダンヒルはその様子を見て、深々と溜息を吐いた。火傷を負った腕がじくじくと痛んだ。決勝戦に進む前に治癒をしてしまおうと、二番隊の騎士で治癒が得意な者を手招く。さっさと治癒魔術を施して貰いながら、ダンヒルは頭の中に刻み込まれた美しい古魔術の残像を思っていた。



*****



円形闘技場の貴賓室では、顔を紅潮させたイーディス皇女がローランド皇子に興奮冷めやらぬ様子で魔導剣技部門の上位者について話していた。


「すごかったですわね! 三位が傭兵だなんて、私、思ってもみませんでした。一位の方もさすがでしたわね、二番隊の隊長さんなのでしょう?」

「ああ、見事だった。意外と、魔導部門より見た目も派手だったな」


ローランド皇子も感心した様子で頷く。しかし楽しそうな様子の二人を前に、今回の外遊に随行しているドルミル・バトラーは険しい表情を浮かべていた。


彼は武闘大会の間中、ローランド皇子とイーディス皇女に付き従っていた。特に武術に関しては興味を惹かれることもなく、期待していたのは二日目の魔導部門だ。だが、その魔導部門も結局は魔導省という一部門の魔導士ばかりが出ていて、期待を裏切られた。慣れ合いのような試合ばかりで興醒めだと、バトラーはあっさりと見切りを付けた。護衛に後を任せ、しばらく仕事のために貴賓室の奥で書類と向き合う。昨夜、ユナティアン皇国から送られて来た密書のせいでバトラーの仕事は増えた。皇国の権力図が大きく変わることは確実だった。下手をすればローランド皇子とイーディス皇女の帰国は危ぶまれることになる。

クラーク公爵とその令嬢リリアナについての調査も捗っていないのに、この状況では更にその優先順位を下げなければならない。


頭痛を感じながら今後の方策を考えていた時、バトラーの耳に異様なほど熱狂的な歓声が届いた。魔導剣技部門に興味はなかったが、どうやら観客たちが魔導部門の時以上に興奮しているらしい。立ち上がってローランド皇子とイーディス皇女の後ろに立ち試合会場を覗き見る。一方は王立騎士団二番隊の隊長だった。そして相対しているのは傭兵だ。しかも傭兵は男装した女だった。女の傭兵が居ない訳ではないが、非常に珍しい存在であることは確かだ。その上、騎士団隊長と互角に戦うだけの実力を持った魔導剣士。噂に聞いても良いはずだったが、全く耳にしたことがない。

だが、それだけでなく傭兵オルガの剣技はバトラーの注意を引いた。


「まさか――」


そんなはずはない、と彼は無意識に首を振って否定する。愕然と目を見開き、魔術と剣を存分に振るう姿を凝視する。オルガの顔も体つきも纏う雰囲気も、()()()()()()()()()()全く違う。勿論名前だって記憶にないものだ。だが、彼の本能がけたたましく警鐘を鳴らしていた。


「いや、だが、確かにあの魔力は」


誰にも聞こえない声音でぶつぶつと独り言を漏らす。護衛が不思議そうな顔でバトラーを見るが、彼は顧みなかった。体の横で握った拳に力が入る。


「――傭兵のオルガ、か」


傭兵であれば掌中に入れることは容易い。今雇われているのであれば、その雇用主次第で簡単に手に入るだろう。バトラーは考え込んだ無表情の下で次々と手立てを考える。

スリベグランディア王国に来ると決まった時も、面倒な、という気持ちの方が強かった。皇子はともかく、皇女は煩わしい以外の何物でもない。子供の世話はご免だし極力関わりたくないが、外遊ともなれば遠ざけておくわけにもいかなかった。だが今はその決定に感謝しかない。もしオルガが彼の探し求めていた人物であるならば、彼の念願は早々に達成される。

彼は、ずっとその人を捜し求めて来た。ユナティアン皇国中を探しても見つからず他国にも捜索の手を広げた。それでも見つからず、諦めた方が良いと理性では理解しながらも諦めきれない感情に苛まされ続けて来た。


「今度こそ、手放しはしない」


だが、今目の前にいる傭兵は間違いなくあの人だ――確証もないままバトラーは決意を固める。

決意に満ちた低い独白は、誰に聞き咎められることもなく消えていった。



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