4. 襲撃者 3
帰宅したリリアナは、捕えた男を尋問して依頼主を吐かせるよう護衛に言いつけると、自室へと戻った。図書館で本を読みたいが、時刻は夕方だ。夕食の時間も差し迫っている上、帰宅途中の襲撃事件のせいで疲れもたまっている。王宮に上がる時には失礼にならない程度に着飾っているので、楽な服装に着替えて落ち着きたい。
部屋に戻ったリリアナは、マリアンヌに手伝って貰いながら服を着替えた。
椅子に座ってほっと一息ついていると、マリアンヌが紅茶を持って来てくれる。
「お疲れ様でございました。久方ぶりの王宮はいかがでございましたか?」
〈殿下が気を使ってくださったわ。それから、オースティン・エアルドレッド様にもお会いしましたの〉
「まあ、エアルドレッド公爵家のご子息様ですね」
紙に書いて答えると、マリアンヌはわずかに目をみはる。リリアナは首を傾げ、〈知っているの?〉と尋ねた。
「ええ、噂に聞いたことがありますよ。エアルドレッド公爵家のご次男で、文武に秀でた方だとか。それから、あまり大きな声では申し上げられませんが、女性から引く手数多だそうです。その点は、現公爵様ではなく、叔父様に似ていらっしゃるようですわ」
(――確かに、女性を口説くのに慣れていらっしゃるご様子でしたわね)
八歳で既にその頭角を現し始めているということだろうか。これから先が末恐ろしい。
マリアンヌが淹れてくれた紅茶はリリアナの好みに合っている。気付かない内に緊張していたらしく、少しずつ体から力が抜けていく。
「それと、お嬢様。今朝、お出かけになる前に仰られていた本、図書館から持って来ておきました。書き物机の上に置いておきますね」
〈ありがとう!〉
リリアナは目を輝かせる。今朝のリリアナの様子を見て、マリアンヌは気を回してくれたらしい。一々指示として書き残さなくても、マリアンヌはリリアナの様子から彼女の望みを汲み取れるようだった。
(マリアンヌは優秀な侍女ね。まだ十五歳なのに――)
十五歳のマリアンヌはクラーク公爵家が初めての勤め先だ。公爵家という王族に次ぐ格式の家で働くには、出自の他に本人の資質や能力も勘案される。それでも、それまで働いたことのない人間が執事や侍女として一人前になるには相応の時間が必要だ。マリアンヌは勤め始めて数年だが、十分に侍女として立派に育っている。恐らく、元々の学習能力が高いのだろう。
(もしマリアンヌが次に勤め先を探すことがあれば――そしてもし本人が望むのであれば、紹介状を書いて差し上げましょう)
リリアナは心に決める。
(それに、来年はデビュタントですものね。すぐには無理でも、良い嫁ぎ先が見つかるよう、わたくしも陰ながら協力致しましょう。とはいっても、あまり本人にその気がないようにも思えますけれど)
ちらりとリリアナは横目でマリアンヌを垣間見る。せっせとリリアナの荷物を片付けるマリアンヌは、それほど結婚を望んでいるようには見えない。恋人がいるかどうか確認したことはないが、居たとしても頻繁に会っているようには思えない――屋敷の中に恋人がいるのであれば、話は別だが。
多少、気にはなるが、主人から恋愛の話をしろと言うのも酷だろう。マリアンヌも含め、執事や侍女、侍従たちは屋敷に住み込みで働いているものの、職場と私事を分けたいと考えていてもおかしくはない。
(しばらくは様子を見た方がよろしいかもしれませんね。あまり首を突っ込むことでもございませんし)
リリアナは飲み終えた紅茶のカップをマリアンヌに託すと、夕飯まで読書に勤しむことにした。
*****
夕食後、リリアナの元に護衛からの報告があった。
リリアナの乗った馬車を襲撃した一味の正体は不明。捕らえた男は拷問にも応えることなく、一瞬目を離した隙に自死。どうやら毒を隠し持っていたらしい。
(――本当に、自死なのかしらね?)
リリアナは小首を傾げる。護衛から渡された“報告書”は魔術で消滅させた。
少し考えて、マリアンヌにしばらく一人になりたいから誰も部屋に入れないよう言いつける。念のため扉に鍵をかけて、リリアナは地下牢へ転移した。
転移の術――それは最上級の魔術だが、リリアナは難なくこなす。魔術の才能があって良かった、と心底リリアナは思った。
(【索敵】)
捕えた男は既に死んでいるそうだから、魔力探知はできない。死亡時刻がいつか分からないが、時間がそれなりに経っていれば、リリアナの魔術にも反応しないだろう。ただし、初夏とはいえ地下牢は涼しく、気温はおおよそ春秋の時期と同じである。
(死後十時間以内なら、確か、一時間あたり一度だけ体温が低下するのよね。とすれば、到着早々に死亡しても体温は四度から五度程度の低下に止まっているはず。それなら、室温より高いはずだわ)
リリアナの想像が正しければ、魔力探知はできなくとも体温を感知し居場所を特定することはできるはずだった。
案の定、リリアナはそれらしき存在を発見する。男は地下牢の最奥部に押し込められていた。血と汗とアンモニアの臭い。そして、独特の死臭――鼻が曲がりそうになる。しかし、死体が外に持ち出されて処分される前だったのは幸いだ。
リリアナは意を決して、転移の術で牢の内側へ入る。しゃがみ込んで男の体を検分した。
男の体はぼろぼろだった。四肢が千切れていないのが奇跡だと思えるほどだった。拷問を受けたというのは確からしい。
(肌の傷で良く見えないけれど――あれは鳥の文様かしら)
薄暗い地下牢の中で辛うじて見える、男の背中。肩甲骨と首の根元の当たりに、五センチメートルほどの刺青があった。目を凝らす。非常に薄いが、小さな文様で黒い鳥の模様が彫られている。
見たことのない文様だが、呪術の類に見えなくもない。
念のために模様をコピーしようかと考えたが、リリアナは諦めた。もし本当に呪術の類なら、紙に写すだけでも危険が生じかねない。幸いにも、リリアナは見たものは詳細まで思い出すことができる。
(前世でもこの能力があれば良かったんですけれど――今更ですわね)
溜息を吐きながら、死体の状態を確認する。検死の真似事にもならない、素人のお遊びレベルだが、分かることはある。体温と肌、そして筋肉の状態からおおよその死亡時刻は推定できた。男はここに運び込まれたから一時間と経たない内に死亡したようだ。ざっと見たところ、外傷は全て致命傷に至るほどのものではない。
(服毒で間違いないでしょうね。瓶は見つかったのかしら)
念のため男の服と牢の中を確認するが、それらしきものは見当たらない。拷問に当たった人間か、もしくは牢番が回収したのかもしれない。
(仕方ないわね)
リリアナは諦めた。これ以上確認しても、必要な情報を得られるとは思わない。
再び転移の術を使い、自室に戻る。地下牢の独特な臭いと死臭が体に染みついている気がして、リリアナは早々に湯あみをすることにした。