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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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19. 皇国から吹く風 10


品評会を終えたリリアナはライリーと夕食を摂った後、王宮に用意された部屋に戻った。ユナティアン皇国から来た二人は別に晩餐を用意されていたらしい。どうやら毎日夕飯を饗する必要はないようだ。

部屋に入ったリリアナはマリアンヌに頼んで服を着替える。気楽な服に着替えた途端どっと疲れが出た。一人ソファーに座ってハーブティーを飲みながら神経を落ち着ける。昂った気持ちが落ち着いてほっと息を吐く。ぼんやりとしていたリリアナだったが、ふと窓の外に気配を感じて顔を上げた。視線を向ければゆっくりと窓が開く。わずかな隙間から身を滑り込ませて来た影に、リリアナは思わず笑みを零した。


「まあ。こんなにあっさり入って来られるなんて、王宮の警備が不安になりますわ」

「安心しろよ、そうそう簡単には入って来られねえよ」

「貴方はあっさり侵入しているのに?」

「俺は優秀だからな」


不遜にもそう言い切った影は顔を隠していた黒いフードを取り去る。スリベグランディア王国で最も警備が厳しいはずの王宮に呆気なく侵入したオブシディアンは、我が物顔で室内を歩いてリリアナの対面に腰かけた。懐から林檎を取り出してかぶりつく。


「それ、夕食ですの?」

「いんや、栄養補給」


思わずリリアナは首を傾げた。確かに林檎はビタミンやカリウムが豊富に含まれている。だが、三大栄養素のうちたんぱく質や脂質はそれほど含まれておらず、肉体労働であるオブシディアンにとっての栄養補給になるかと考えれば違和感が拭えない。どちらかというと、胃腸の働きを整えたり高血圧や大腸癌の予防になる働きがあったはずだ。

だが否定する気はない。林檎に栄養が含まれていることは確かだ。


「お肉や野菜は召し上がりませんの?」

「肉は好きだぜ」


でも林檎(これ)は別腹、とオブシディアンは言い終わると同時に芯だけになった林檎をぽいっと暖炉の中に放り投げた。あっという間に芯は炎の中に消える。何となしにその行方を追っていたリリアナは、顔をオブシディアンに向けた。


「今日はなにかありましたの? 魔導省長官が誰の指示で動いているかは分かりまして?」

「いんや?」


まだ分からねえ、とオブシディアンは首を振る。どうやら長官は誰かと繋がっていることは確実だが、警戒しているのか最近は妙な動きを一切見せないという。もう少し調べれば何か分かるだろうとしながらも、オブシディアンはにやりと笑った。


「それともなんだ、俺は用がなきゃ来たらいけないのか?」

「そうは申しておりません。ですが、王宮は警備が厳しいと仰ったではないですか。捕まる危険を冒していらしたのだから、何かあったのかと思ったまでですわ」

「俺は捕まるようなヘマはしねえから安心しろよ」


楽し気に笑いながらオブシディアンは肩を竦める。一方のリリアナは苦笑した。


「あまり過信がすぎると足元を掬われますわよ」

「実力を正確に理解してると言ってくれ、お嬢」


いつしかオブシディアンはリリアナのことを“お嬢”と呼ぶようになっている。切っ掛けが何だったのかは分からないが、特に嫌だとも思わないのでリリアナは咎めない。ふう、とリリアナは溜息を吐く。その様子を見て何を考えたのか、オブシディアンはふと思いついたように「そうだ」と言った。


「オブシディアンって名前も良いんだけどさ。長いから、せっかくだし短く呼ばねえか」

「短く?」


予想外のことを言われたとリリアナは目を瞬かせる。オブシディアンは頷いた。


「おう。一々オブシディアンって呼ぶの、面倒じゃねえ?」

「そう思ったことはございませんが――」


リリアナは首を傾げる。オブシディアンという名前は決して短くない。だが、呼ぶのに不便かと問われたらそれも違う。少し考えたリリアナはそっと尋ねた。


「愛称で呼ばれたいということかしら」


オブシディアンは絶句する。まさかリリアナがそう尋ね返すとは思ってもいなかったらしい。徐々に頬が赤く染まる。だが、リリアナはじっとオブシディアンを見つめるだけで動じない。


「べ、別に、」


そうじゃねえよ、とオブシディアンは反論しようとする。その様子を眺めていたリリアナはなるほどと一人納得し頷いた。愛称で呼んで欲しいと思いながらも、素直にその気持ちは認められないらしい。

リリアナ自身は呼び名にこだわりはない。だから、オブシディアンであろうが愛称であろうが呼んで欲しい方を口にすることに躊躇いはなかった。尤も、これは偏にオブシディアンがリリアナの影であり、人前で彼の名を口にする可能性はほとんどないからだ。貴族社会では気軽に愛称など口にできない。


「そうですわね、確かに長いかもしれませんわ。それでしたらシディと呼んでも構わないかしら」


にこりと笑んで問うと、オブシディアンは目を丸くした。そして仏頂面になると「別に良いけどよ」と不機嫌を装う。どうやらお気に召したらしい。リリアナは「それではシディ」と切り出す。顔を上げたオブシディアンに、彼女は尋ねた。


「一つ、知りたいことがあるのだけれど」

「知りたいこと?」


どうやら仕事の話らしいと気付いたオブシディアンの纏う空気が変わる。リリアナは頷いた。微笑は変わらず浮かべているが、双眸には真剣な光が湛えられている。


「黒幕は分からないのだけれど、王太子殿下が暗殺されるのではないかという疑惑が持ち上がっておりますの。何かご存知ではないかしら?」


リリアナは品評会の間も、折に触れてエアルドレッド公爵から聞いた話を考えていた。彼はライリーに刺客が差し向けられた可能性を示唆していた。公爵が一番懸念していたのは隣国の謀略だった。だが、同時に国内貴族が黒幕である可能性も否定はできない。ライリーが次期国王になると都合が悪い者が少なからず国内に存在しているということだ。

オブシディアンは目を眇めた。


「お隣さんか、この国で――ってことだよな」

「ええ」


にっこりと笑ってリリアナは頷く。彼女は薄々、オブシディアンが元々誰の依頼を受けていたのか察していた。彼の標的はケニス辺境伯――スリベグランディア王国を武力で侵攻しようとした場合、ユナティアン皇国にとっては邪魔な存在だ。彼が刺客に襲われた時、まだ辺境伯は次期国王に誰を擁立すべきか意見を明確にはしていなかった。だから国内貴族が狙ったとは考えにくい。消去法で考えれば、オブシディアンの前の雇い主はユナティアン皇国だ。


「どっちもあり得ると思うぜ」


オブシディアンはあっさりと答える。リリアナは目を瞬かせた。


「シディ、貴方の標的一覧(リスト)に殿下のお名前があったの?」

「あったぜ――って、そうか。お嬢は俺がユナティアン皇国の依頼を受けてたって気付いてんだな」

「確証はございませんでしたけれど、状況から推察しましたの」

「正解だけど」


相変わらず底が知れねえ、とオブシディアンは顔を顰める。リリアナは小さく首を振った。


「それでも、どなたが標的だったかは存じませんわ。王太子殿下とケニス辺境伯以外はどなたが標的でしたの?」

「ドラコ家当主とエアルドレッド公爵家当主の殺害、それからローカッド公爵家当主の特定と殺害」


あっさりとオブシディアンは答える。

リリアナは眉根を寄せた。エアルドレッド公爵家とローカッド公爵家は三大公爵家のうち二つだ。ドラコ家は貴族でないものの、魔術に秀でた者が多いことからスリベグランディア王国では重用されている者が多い。だが三大公爵家の残り一つであるクラーク公爵家が入っていない。ローカッド公爵家当主の特定ということは、ローカッド公爵家の正体を掴めていないということに他ならない。それにもかかわらず、クラーク公爵家は一覧(リスト)から外してローカッド公爵家を狙うのはあまりにも不自然だ。違和感を覚るなという方が無理がある。


「――ローカッド公爵は特定できまして?」

「いや、手すらつけてねえ」


どうやら最初の仕事がケニス辺境伯の暗殺だったらしい。結局ケニス辺境伯は一命を取り留め、そして次の仕事に移る前にリリアナがオブシディアンの勧誘に成功した。そのため他の仕事に取り掛かろうとはしなかったのだろう。


「貴方以外で同じ標的を狙っている刺客はいるのかしら」

「さあな。居ない、とは思うが。何人かは被ってるかもしれねえな。そもそも俺たちは誰が標的か情報共有しねえしよ」

「それはそうですわね」


確証はない、とオブシディアンは答える。今のところ、まだ彼は仕事から手を引いたと前の雇い主には伝えていない。暗殺が成功すれば連絡が行く手筈になっているが、まだしばらく猶予はある。ある程度時間が経過してしまえばオブシディアンが仕事をしていないと気が付かれてしまうだろうが、今の段階では別の刺客を新たに雇う可能性はそこまで高くはなかった。

納得したリリアナは小さく息を吸って一番気になっていたことを尋ねる。


「クラーク公爵家当主が標的に入っていない理由は?」

「さあ? そこら辺は確認する必要がねえだろ、刺客(おれたち)には」


オブシディアンは拘りがないらしい。リリアナは納得しながらも目を伏せた。眉間に寄った皺はなくならない。

ユナティアン皇国が上げた暗殺の標的一覧(リスト)にクラーク公爵家当主が入っていない理由は一つしか思いつかなかった。その推測が正しければ、クラーク公爵がリリアナをライリーの婚約者候補から外したがっている理由も納得できる。そしてリリアナがライリーの婚約者候補から外れた暁には、次の婚約者としてユナティアン皇国の皇女が選ばれる可能性があった。


(お父様は――まさか、ユナティアン皇国と密通していらっしゃるの?)


もしそうならば、リリアナにとってもクライドにとっても最悪のシナリオだ。二人ともライリーとは親しくしているし、多少なりとも情が湧いている。たとえ父親の意向であっても、ライリーを害しユナティアン皇国に下るなどできるわけがない。

だが、あくまでも推測に過ぎない。クラーク公爵が謀反を企んでいるのであれば証拠が必要だ。そうでなければ糾弾することもできない。

どうにか自分を落ち着けると、リリアナはオブシディアンに視線を戻した。


「それでは、ユナティアン皇国ではなくスリベグランディア王国内で王太子殿下を害そうとする者はどの程度いるのかしら」

「一概には言えねえけど、それでも大公派はそうだろうな。ユナティアン皇国になびいてる貴族も居るには居るが、そいつらは美味い汁を吸いたいだけだ。自分たちの身銭を切って王太子暗殺なんて金のかかる仕事を依頼はしねえ」

「旧国王派は外して宜しいということね」


旧国王派はエアルドレッド公爵家に王位継承の正当性があるとする一大派閥だ。だが、彼らの大多数はアルカシア派と呼ばれるエアルドレッド公爵の意向に従う者たちだ。そのため一部離反する者は出ても、エアルドレッド公爵家当主がライリー支持を明確に示せばほとんどがライリーを次期国王に推すだろう。

リリアナの問いにオブシディアンは「多分な」と頷く。それであれば、リリアナが警戒すべきはユナティアン皇国と大公派の貴族のみだ。そしてもう一つ重大な懸念もある。


「シディ。殿下の暗殺に関して何か情報が得られたら教えてくださいな。それから、お父様がユナティアン皇国と通じているのであればその証拠を集めていただきたいの」

「了解」


オブシディアンは心底楽しいと言いたげににやりと笑う。どうやら彼は暗殺よりも頭を使って探らなければならない仕事の方が好きらしい。

リリアナは少し考えて、もう一つ別の仕事を頼むことにした。


「それから、もう一つ調べて欲しいことがありますの」


一体なんだ、と言いたげにオブシディアンが目を瞬かせる。リリアナは昨夜の晩餐会から今日の品評会が終わるまでに起こった出来事を掻い摘んで説明した。主にはイーディス皇女のことである。


「イーディス皇女殿下が王太子殿下に婚約をお申込みになられたのよ」


オブシディアンは意外そうに目を瞠った。どうやらその情報はまだ手に入れていなかったらしい。だが、すぐに揶揄うように口を挟んだ。


「ライバル登場か?」

「そうではありませんわ」


リリアナは否定する。正直なところ、イーディス皇女はライバルにもなり得ない。周囲がどう動くかにもよるが、彼女がライリーの婚約者になる可能性は非常に低かった。王太子妃としての資質に不安は残るし、ライリー本人もイーディス皇女を苦手と感じている節がある。更には皇女と婚姻を結ぶことで、ユナティアン皇国がスリベグランディア王国に影響を持つことに懸念を持つ貴族は多いだろう。

そして何より、リリアナの記憶にある前世の乙女ゲームではイーディス皇女もタナー侯爵令嬢も出て来なかった。彼女たちは四年後のゲーム開始までに攻略対象者たちの前から姿を消す可能性が高い。イーディス皇女に至っては、殺害の可能性さえ視野にいれる必要がある。


「ただ気になってしまって。イーディス皇女殿下は、最初から王太子殿下との婚約に積極的でしたわ。ご本人が惚れっぽい可能性もありますけれど、あの年ごろでしたら周囲の者から言われて思い込むこともあるでしょう。ユナティアン皇国に居た時かもしれませんけれど、スリベグランディア王国の王太子が皇女に惚れてしまうかもしれない、婚約をしてスリベグランディア王国の次期王妃に、と言われてその気になった可能性があるのではないかと思いましたの」


最初に持った違和感は、そこだった。確かにイーディス皇女はライリーを初めてみた時に頬を赤く染めた。その後アプローチとも取れる言い方を幾度となく繰り返しているものの、どうにも皇女がライリーに一目惚れしたようには思えない。本当に一目惚れしたのであれば、婚約者候補の一人であるマルヴィナ・タナーのように、もっとリリアナに敵愾心を見せたり睨んだり嫌味を言ったりしても良いはずである。だが、皇女はリリアナが婚約者にほぼ確定したと聞いても、まだ婚約者候補なのだと知っても、態度を変えなかった。

尤もリリアナは自分が恋愛事に疎い自覚はある。だから自分の目が間違っている可能性は高い。それでも調べてみる価値はあると思った。


「ですから、イーディス皇女殿下を唆してスリベグランディア王国に嫁がせようと企んでいる者が居るかどうか、探って来てくださらない?」


もしイーディス皇女をスリベグランディア王国の次期国王に嫁がせようと考えている者がいれば、それは武力でスリベグランディア王国を下そうと考えている者とは別の派閥に違いない。武力で制圧してしまえば、既に嫁いでいる自国出身の皇女を処刑しなければならなくなる。当然避けようと考えるはずだ。

オブシディアンはあっさりと頷いた。もしかしたら、オブシディアンはユナティアン皇国に行かなければならないかもしれない。そうなれば情報が齎される時期は遅れる。その間、もし連絡が必要になったらどうするかと考えたリリアナは自分の持つ魔道具を脳裏に思い浮かべた。だが、リリアナが口を開く前にオブシディアンが言う。


「もし急に連絡が必要になったら、烏飛ばすから。それで手紙受け取ってくれや」

「伝書鳩ならぬ、伝書烏をお持ち?」

「頭良いんだぜ」


烏が手紙を運ぶなど聞いたこともなかったが、烏の知能が高いのは事実だ。

こういう時は自分よりも経験豊富な相手に判断を任せた方が上手く行く、というのはリリアナの自論だ。オブシディアンは刺客だが、間諜活動にも長けている。それであれば彼の発案の方が良いだろうとリリアナは頷いた。満足気にオブシディアンは頷く。立ち上がった彼はわずかに開いたままの窓に近づいた。そして、その姿は夜の闇に消える。

リリアナはテーブルに置いたハーブティーを一口飲む。冷えていたが、味は変わらず美味しかった。



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