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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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19. 皇国から吹く風 8



「君から見た三人はどんな感じだい?」

『わたくしから見た――でございますか』

「そう」


質問の意図を掴めずにリリアナは口を噤む。無言で最初の一手を動かすと、間、髪を入れずに公爵が駒を移動させた。リリアナは次の手を考えながら言葉を選ぶ。思考が分散されて集中力が切れそうになるが、それでも彼女は十分に対応していた。


『皆さま、素晴らしいお方ですわ』

「なるほど。素晴らしい方。可もなく不可もなく、な言い方だね」


何が楽しいのか、エアルドレッド公爵はリリアナの言葉を繰り返す。そして全く変わらない穏やかな声音で更に問いを重ねた。


「それなら、隣国からの客人はどう思う?」

『何をお考えになっているのか、今一つ分かりかねます』

「ふうん」


リリアナは二手目を動かした。公爵は面白そうに目を瞬かせて「これはどこかで見たことのある手かな?」と尋ねる。リリアナは首を振った。だが、正確には正しくない。叔父が残した書物の中には、チェスと似た東方のゲームの指南書があった。その指南書に書かれていた手をチェス風に変えたものであって、リリアナの独創ではない。


「やっぱり面白い手を考えつくね。その君にも、客人のことは分からないのか」

『ええ。この時期に外遊というのも妙に思えますわ』

「この時期、というと?」

『隣国との緊張関係が高まっている中で、大勢いるうちの二人とはいえ、王位継承権を持つ者の外遊を許すのでしょうか』

「皇帝は苛烈な人物だと聞くけど、それならあの二人は既に切り捨てられているとは思わない?」

『それでしたら、特に皇子殿下が落ち着き払っていらっしゃることも妙ですわね』


イーディス皇女はともかく、皇子の方はもっと焦っても良いはずだ。だが彼には必死さがない。皇帝から何かしらの密命が下っている可能性は否定できないが、後がない者特有の雰囲気は一切感じられなかった。それを指摘すると、公爵は笑みを消し頷いている。


「確かにその通りだね。それからこれも興味本位なんだけど、僕とか君の父親に関してはどんな風に考えている?」


リリアナの唇が弧を描く。笑みを深めた彼女は上目遣いに公爵を一瞥した。


『閣下も父も、国の中核を担う重要な方だと拝察いたしております』


エアルドレッド公爵が一体何を考えてリリアナと話をしているのか、未だにその目的は読めない。だが下手に言質を与える気は、リリアナにはさらさらなかった。

公爵はいつしか笑みを消して真っ直ぐにリリアナを凝視している。


「それなら僕とクラーク公爵の主張が真っ向から対立した場合、君は父上に従うのかな」

『一概には申せませんわ。わたくしは、わたくしが正しいと思うことを――そして真に国のためになることを自らの手で選びます』


本音を言えば、既にリリアナはエアルドレッド公爵の肩を持ちたくなる程度には彼に親しみを覚えている。父親だからという理由でクラーク公爵を贔屓するかと問われたら答えは否だ。


「模範解答だね。それなら更に問おうか。真に国のためなることとは一体何を意味する?」

『国のためとは民のこと。民が滅びれば国は滅びますわ』


静かに答えたリリアナを無言で見返していた公爵は、やがて頬を緩めた。どうやら合格点は取れたらしい。そっと息を吐き出したリリアナは駒を動かす。無意識に緊張していたようだと気が付いた。公爵はあっさりと次の手を打ち、すぐにリリアナの番がやって来る。公爵は盤を睨むようにして考えるリリアナに向けて口を開いた。


「やっぱり君は、ケニス辺境伯が見込んだだけのことはあるね」


リリアナは固まる。全くもって予想外の発言だった。何故ここに辺境伯の名前が出て来るのか、そして“見込んだ”とは一体どういう意味か。思わず顔を上げて訝し気な視線を公爵に向ける。彼はソファーに背中を預けて、穏やかな表情でリリアナを眺めていた。


「王太子妃教育の結果も聞いているよ。外国語や歴史、算術、地理学といった基礎科目だけでなく、帝王学や形而上学といった発展科目でも優秀な成績を収めているんだろう。淑女教育もほぼ完成していると言うし、君はとても努力家なんだと思う。これまで色々と話に付き合って貰ったけど、ただ学ぶだけでなく、得た知識から更に思考を巡らせることができる。これも稀有な才能だ」


何を言われたのかすぐには理解できず、リリアナは一瞬戸惑った。王太子妃教育を受けることはリリアナの立場上当然のことで、家族は勿論家庭教師からも褒められたことはない。“できること”が大前提で、その成果が芳しかろうとそれを鼻にかけてはならないと厳しく言われていた。それでも得意気に振舞う候補者もいたが、それはみっともないことだと指導されて来た。中にはリリアナを褒める者もいたが、皆口にする誉め言葉は判で押したように同じだ。さすがだとか王太子妃に相応しいと言うばかりで、努力家という言葉は初めて聞いた。

どう反応して良いのかもわからず、リリアナは無言でエアルドレッド公爵を見返す。そわそわと落ち着かない気分になって、リリアナはわずかに体を動かしソファーに座り直した。

公爵は小さく笑って更に続ける。


「君くらいの年齢であれば知識の習得だけで精一杯になることの方が多い。だけど、君はちゃんと自分の立場で出来ることを考え行動に移せる子だ。それに自分の実力を過信して無理をすることもない。大人でも難しいことを難なくこなすのは本当に立派だ」


ライリーとオースティンもその稀有な例外だが、リリアナほどではない――と公爵はあっさり肩を竦めてみせた。王太子は自分に出来ることを考え行動に移そうとするが、適切な方法を見つけることが苦手だ。そして慎重すぎるところがある。一方のオースティンはまだ自分で考えることがそれほど得意ではない。彼は信頼のおける周囲の大人から教えられたことを素直に受け取り、それを応用することで自分に出来ることや自分が目指すべき道を定めている様子が見受けられる。


「それでも二人とも、年齢から考えれば十分すぎるほどに大人なんだけどね」


公爵は苦笑した。そしてぽそりと零した「僕たちの世代の皺寄せがいっている気がして可哀想だけど」という言葉は、幸か不幸かリリアナには届かない。

何か言ったのだろうかと首を傾げるリリアナに、公爵は視線を向けて声音を変えた。


「辺境伯が刺客に襲われて半身不随になったことは知っているだろう? その刺客が一体何者なのか、君も知っていると思ったんだが」


勿論、知っている。知っているどころか、その犯人は今リリアナの影として様々な諜報活動に暗躍してくれている。だがそれを告げる必要はない。無言のリリアナを見てくすりと笑った公爵は顔を引き締めた。そうすると一気に雰囲気は変わり、社交界で良く知られた厳格なエアルドレッド公爵が現れる。


「かの一族は大陸で活躍しているのは知っているかな。ただ発祥は隣国で、我が国にも顧客はいるけど基本的には隣国の駒だと考えても問題はない。君が産まれる前にあった我が国の政変でも一族は暗躍していたけれど、最近はその時以上に動きが活発化していることが確認された。そこで、一番の懸念事項をどうにかしたいと考えているんだよ」


リリアナは口を挟まなかったが、エアルドレッド公爵が何を言いたくて彼女を呼びつけたのか理解した。あまりにも、あからさまだった。そして同時に、ローランド皇子たちが外遊に来たこのタイミングで、ライリーがリリアナを実質的な婚約者として扱うに至った背景を悟る。ライリーが口にした理由も事実だろう。だが、その裏にケニス辺境伯とエアルドレッド公爵の思惑があったことは否めない。どれほど能力が高かろうがライリーはまだ十一歳だ。百戦錬磨の辺境伯と公爵にとって、ライリーにそうと悟らせず誘導するのは赤子の手をひねるより容易かっただろう。


「殿下の傍に護衛を用意するだけでは足りない。優秀な魔導士が必要だが、安心して任せられる者がいないんだよ」


にこりと笑う公爵の顔は、先ほどまでと同じ表情だ。その顔にリリアナは親しみを覚えたわけではない。彼の声に、言葉に、態度にリリアナは惹かれていた。彼女にとってエアルドレッド公爵は数少ない尊敬できる存在になっていた。リリアナは微笑を湛えたまま静かに公爵を見つめる。

ケニス辺境伯には、リリアナが魔術を使えることが知られている。他言無用にとは願ったものの、大義の前に個人の都合は無視されるものだ。辺境伯は明確に口にはしなかったのかもしれないが、少なくともエアルドレッド公爵にとっては確信に至るだけの情報が手に入ったのだろう。


「次期国王は殿下でなければならない。隣国に下るわけにはいかないし、他の王位継承者へと譲れば我が国は長くない」


他の王位継承者とはフランクリン・スリベグラード大公のことだと、リリアナもすぐに理解する。確かに彼には一切国王となる資質がない。ある程度幼少期に教育は受けたはずだが、全く身に付いていない。一方のライリーは幼少期から徹底的な王太子教育を受け、態度も資質も大公とは比べものにならないほど優れている。その二人のどちらが国王に相応しいか、比べるべくもないだろう。

つまり、ライリーの命は決して失われてはならない。

言外に断言した公爵は「だから」と言葉を続けた。


「リリアナ嬢。君には殿下の味方として傍に居て欲しい。それだけの能力と実力があると思っているんだ。頼めるかな?」


否、という選択肢は残されていない。リリアナは大きな溜息を吐きそうになるのを堪えた。味方と一言に告げるが、話の流れからして魔術を使いライリーを護るよう頼んでいることは明白だった。


一年ほど前に王都近郊で発生した魔物襲撃(スタンピード)の時の一件で、魔導省は長官ニコラス・バーグソンの権力が大きくなっている。副長官のベン・ドラコは降格と謹慎の憂き目に遭い、明確にベンの派閥であったペトラも休職したままだ。違和感のある人事に信用を失くすのは当然だった。だから、公爵はライリーの護衛魔導士を魔導省以外から選ぶべきだと考えたのだろう。しかし、護衛の増加を顧問会議に提言すれば魔導省から護衛が選ばれてしまう。公爵個人が王太子に魔導士の護衛を選ぶことも顧問会議から批判を受ける可能性が高い。純粋に護衛を増やすだけだと言い繕って官吏に指示を出せば、宰相が口を挟むだろう。そうなれば魔導省と懇意にしている彼は魔導士を派遣するようニコラス・バーグソンに指示するに違いない。

つまり、“他の誰にも知られることなくライリーを護衛できる魔導士”という全ての条件を満たす人物は、リリアナだけだった。

前世のゲームでライリーは最後まで生き残っていた。むしろリリアナの方が自分の命の心配をしたい。だが現実がゲームの通りに進むとも限らない。最善は尽くすべきだ。それにリリアナも、この場で断るほど無神経ではなかった。


『承知いたしましたわ。わたくしに出来る範囲で宜しければ、当然のこととしてお傍にお控え申し上げます』


リリアナの言葉に、エアルドレッド公爵は優しく笑う。そして、リリアナとライリー二人の身を護るためだと言って一袋分の魔道具を手渡してくれる。受け取って中を見ると、普段着でもドレスでも身に着けられる宝飾品が山ほど入っていた。一瞥しただけでは判断できないが、希少な魔道具も含まれているようだ。驚いて顔を上げたリリアナに、エアルドレッド公爵は優しく微笑んでいる。まるで、愛しい我が子を見つめているような瞳だ。これまで祖父母や両親からそのような目を向けられたことのないリリアナは目を僅かに瞠って固まった。


「ありがとう。頼りにしているよ」


穏やかな声は静かに部屋に響いた。低い声音がリリアナの耳に残る。小さく心臓が脈打った。

誰かを助けたのではなく、誰かに頼られて礼を言われたのは初めてだった。実際に魔術を使うところを見せたわけでもなく、そもそも明言すらしていない。それにも関わらずなぜ公爵がリリアナを信じようと思ったのかは未だに謎のままだ。だが不思議と悪い気はしなかった。


努力家だと言われた。

信じていると頼りにしてくれた。

そして、ただ引き受けただけなのに――嬉しそうに礼を告げられた。

それも、自分より遥か高みにいる人から。遥か遠くを見通せる人から、これから先を考えると君が必要なのだと言われた。


それだけのことが、なぜか胸を温かくする。

もしエアルドレッド公爵が自分の父親だったら――そうしたら、人生は変わっていたのだろうか。ゲームのリリアナも、身の破滅へと繋がる道を歩まずに済んだのだろうか。

そんなことが頭の片隅に沸き起こった。だが考えても致し方のないことだと、リリアナは小さな思い付きを無視する。

一瞬虚ろな瞳になったリリアナに気が付くことなく、エアルドレッド公爵は楽し気に口を開いた。


「今度はこういう話だけじゃなくて、お茶菓子を食べながら色々な話をしたいね。君と話すのは面白い。刺激的だし」


リリアナは頬を染める。天才と呼び名の高い公爵に“君と話すのは面白い”と言われることがどれほど嬉しいことか、この時リリアナは初めて知った。ライリーと意見を交わすことも勿論楽しい。だが、きっと公爵と話せばリリアナは知らない世界を見られるはずだ。そして公爵はリリアナ自身を対等な相手として認めてくれた。それがこれほどまでに胸を騒がせる。


暫く姿を隠していた執事が足音を立てずに近づいて来た。顔を上げたリリアナに、執事は一礼する。どうやらそろそろ時間らしい。

結局チェスでは一戦も勝てなかったが、悔しさはない。いつの日か再戦し勝利を収めたいと決意を胸に秘め、リリアナは部屋を後にした。


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