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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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19. 皇国から吹く風 6


オースティン・エアルドレッドはライリーとリリアナを晩餐会に送り出した後、兵舎に戻ろうと王宮内の廊下を歩いていた。近道をしようと回廊を抜け、王宮の裏手に向かう。そちらは使用人たちが行き来する炊事場等がある方角で貴族の姿はない。だが、彼はふと見知った人影をみつけて足を止めた。


「――?」


ここで一体何をしているのだろうと目を瞬かせる。髭を生やしたその男性は間違いなく自分の父親だ。周囲を確認しても他に人はいない。それならば誰かと待ち合わせをしているのだろうかと思いながら、声を掛けようと一歩踏み出す。だが、それよりも早く一つの人影がエアルドレッド公爵に近づいていた。格好から判断するに下男だ。だが、三大公爵の当主である父親と王宮で働く下男が会話することなどあり得ない。咄嗟にオースティンは物陰に身を潜める。

公爵と下男の邂逅はほんの僅かな時間だった。何食わぬ顔で下男はさっさとその場を離れ姿を消す。この後どうしようかとオースティンが立ち尽くしていると、「オースティン」と自分を呼ぶ声が聞こえた。どうやら父親には息子が隠れていることなどお見通しだったらしい。思わず顔を引き攣らせ、オースティンは物陰からそっと姿を現した。公爵は穏やかに息子を眺めている。


「こんなところで何をしているんだい?」

「兵舎に戻ろうと思って」

「ああ、なるほど。近道だね」


言葉足らずな答えでも気にせずエアルドレッド公爵は納得したように頷いた。気安い父の様子に内心で安堵したオースティンは、先ほど胸に抱いた質問を投げかける。


「父上はここで何をなさっているのです?」


しかも周囲に付き人も居ない。ベルナルドはエアルドレッド公爵家の中でも特に頭脳派であり、武には秀でていない。魔術はそこそこ使えるものの、万が一襲われた場合に身を護りきれるかと言われたら疑問が残る。だからこそ心配だった。そんな息子の気がかりが分かったのか、公爵は安心させるように笑いかける。


「大丈夫だよ、影は常に付けているからね」

「それなら良いのですが」


安心したようにオースティンは頬を緩める。そんな息子を優しく見つめ、公爵は「気を付けて帰るんだよ」と言って歩き出す。

オースティンは口を開きかけたが、既にその時父は息子に背を向けていた。結局何故ここに居るのかは聞けなかったと思いながらも、たとえ尋ねたとしても教えてくれたとは限らないと思い直す。いずれにせよ、エアルドレッド公爵がすることに間違いはないのだ。オースティンは小さい頃から、それを良く知っていた。



*****



晩餐会に現れたリリアナを見て、ローランド皇子とイーディス皇女は驚いたようだった。王太子と大公が同席すると聞いていたのだろう。だが、ライリーは全く気にせず本来大公が座るはずだった場所にリリアナをエスコートする。

式典の時から服装を変えたライリーとリリアナだが、またしても対になるような色合いとデザインで揃えていた。式典の時は銀が目立っていたが、今度はライリーの髪色である金糸をふんだんに使っている。更にリリアナのドレスは青と紫のグラデーションが美しい最高級のシルクシフォンを幾重にも重ね、彼女の儚さや繊細な容姿を引き立てていた。胸元から腰に掛けて施された幾何学模様は光沢を抑えた金糸で刺繍され、豪奢さも醸し出している。ライリーは薄い水色の生地に金糸の刺繍を施し、そして胸元のポケットには緑色のハンカチーフを入れている。

一方、ローランド皇子とイーディス皇女も衣装を変えていた。式典の時より多少崩れているものの、正装であることに変わりはない。ユナティアン皇国より更に東方の意匠を取り入れた衣服は真新しく見える。全身に施された豪奢な刺繍が目に楽しかった。


「今宵は楽しんで頂けると良いのですが。我が国の珍味も含めてご用意いたしました」


ライリーが簡単に口上を述べる。隣国の皇子と皇女のために、王宮の料理人たちは腕によりをかけて晩餐会の支度を整えた。葡萄酒は後日品評会で試飲も可能だが、この日のために滅多に出回らない幻と呼ばれる葡萄酒を準備した。酒は何歳からでも飲めるが、体が小さい内は量を飲まないほうが良いとされている。そのため、葡萄酒は基本的に最年長のローランド皇子に供され、残りの三人にはレモネードや紅茶も用意されていた。

前菜が出されたところで、晩餐会は始まる。リリアナは話せないため無言だが、残りの三人は話が弾んだ。そしてローランド皇子とイーディス皇女は知らないが、リリアナは魔道具のブレスレットを通じてライリーにだけ声を伝えることができる。事前にライリーからブレスレットを使うよう言われていたリリアナは、知識の面でこっそりとライリーを補助していた。


「そういえば、リリアナさまはお声が出ないのですの?」


今後の予定や式典の感想等の話題が一頻り終わった後で、ふと思いついたようにイーディス皇女が首を傾げる。視線を向けられたリリアナは微笑を浮かべてみせた。代わりにライリーが答える。


「ええ、幼い頃に流行り病に罹ってから出なくなってしまったのです。また出るようになれば、私としても嬉しいのですが」


言いながらリリアナに向けるライリーの表情はまさしく恋する者のそれだ。だが、イーディス皇女は気付かぬ様子で気の毒そうに眉を顰め、言葉を重ねた。


「まあ、それはお気の毒ですわね。ライリーさまの婚約者となられるそうですけれど、社交や外交も大変なのではなくて? それに、声が出なければ魔術も使えませんでしょう? 王妃になると考えれば、とてもご苦労なさりそうですわね」


無邪気さを装っているのか、聞き流してしまいそうになるほど軽い口調だ。だが内容自体は不敬と受け取られかねないほどだった。リリアナは笑みを崩さない。ライリーも表情こそ変えなかったが、纏う雰囲気がひんやりした。


「社交や外交が些事と思えるほどリリアナ嬢は優秀ですし、何より傍に居て安堵できる存在なのです。婚約者や結婚相手に求めるものは人それぞれだと思いますが、私には十分すぎるほどの人ですよ」

「そうなのですか?」


イーディス皇女は首を傾げる。理解できない様子だ。頷いたライリーだったが、次にローランド皇子が口を挟んで来る。


「貴殿はそれで良くとも、周りが黙ってはいないのではないか」

「と、言いますと?」


ローランド皇子はにやりと口角を上げた。


「確かに、クラーク公爵令嬢は美しく可憐で守ってやりたいと思う存在だろう。その上声も出ないとは、まさしく御伽話の主役になりそうな令嬢ではないか。だが、王妃ともなればその儚さが仇となろうよ。鳴かぬ小夜啼鳥が社交場で如何に愚弄され、他国から慢侮されるか、想像ができぬわけでもあるまい?」


放たれた言葉はあまりにも辛辣であり無礼だった。普通であれば激昂するような内容にも関わらず、リリアナは微笑みを消さない。それどころか、その双眸には分からない程度に呆れが滲んでいた。そしてライリーもまた複雑な表情を浮かべている。怒るべきか笑い飛ばすべきか判断が付かないらしい。

確かにリリアナの容姿は妖精姫(フィオンディ)にも例えられるほど儚げで麗しい。少しのことで傷つき涙をこぼしそうにも見える。更に喋れないという状況は、彼女の容姿も相まって悲哀さを連想させるのだろう。だが、現実は全く違う。誘拐されても落ち着き払い、自分が売り飛ばされる可能性があったと知っても動じず、更には怒りに暴走しそうになったライリーを諭すような令嬢だ。そして直接口で言い返せなくとも、彼女はその表情と態度、そして追随を許さぬ博識さで社交も外交も乗り切るに違いない。

その確信があるからこそ、ライリーは何と答えるべきか逡巡した。そんな様子を見た皇子は楽し気な表情を浮かべている。己の指摘が的を射ていると思ったのだろう。だが、ライリーは少し困ったように笑ってみせた。


「そのような場で妻を守れぬ者が国を護れるとは思いませんので、私にはやはり些事であるとしか申し上げられません」


貴族たちの同意を得られるかどうかについては、わざわざローランド皇子に教えてやる必要のない情報だ。むしろこれ以上口を挟むのであれば、他国の政情に密接に関わる王族の婚姻に対し関与する気なのかと疑わねばならない。

だが、皇子が口を開く前に、頬を紅潮させ目を潤ませたイーディス皇女が「まあ!」と声を上げた。


「なんてすてきなんでしょう! やはりライリーさまは王子さまですわ」


確かに王子ではあるが、とライリーは困惑する。苦笑を零したライリーに、ローランド皇子は先ほどまでの不遜な態度を少し抑えて言葉を添えた。


「昔から、イーディは宮廷文学を好んでいるのだ」


宮廷文学には様々な類型があるが、騎士や王子といった存在が見知らぬ場所で出会った令嬢を巨悪から助け、恋に落ちるという恋愛物語が多い。主人公たる男性陣は皆、騎士道精神に則った行動を取り、女性に対しても恭しい態度をとる。見た目は作品が書かれた時期により異なるが、最近は金髪碧眼の騎士や王子が主人公になることが多いとも耳にしたことがある。奇しくも、ライリーと同じ色合いだ。

恐らく見た目と言動からイーディス皇女はライリーを“王子様”と呼んだのだろうと、ライリーは納得した。だがライリーは事実王子だし宮廷文学に出て来る騎士のような言動を取ったわけでもない。


「そうなのですね。残念ながら、私もリリアナ嬢もあまり嗜まないのですが」


熱い眼差しをイーディス皇女から注がれて戸惑いながらも、ライリーは牽制の意味も込めてリリアナを巻き込む。唐突に名前を出されたリリアナはわずかに眉をピクリと動かすが、一見したところは平然としたまま料理に舌鼓を打っていた。


「そうなのですか? 私のお気に入りのお話がありますの。何冊か持って参りましたし、お貸しいたしますわ、ライリーさま!」

「――お心遣いは有難いのですが、執務もありますので」


残念だが借りられないとライリーは断る。イーディス皇女は見るからに残念そうな顔で肩を落とした。悲しそうな表情に耐えられず前言を撤回する者もいるのだろうが、ライリーは決して譲らない。ここで皇女の要望に折れてしまえば、今後どのような無理難題を突き付けられるか分からない。

だが、皇女はその程度で折れる心を持ってはいないようだった。パッと顔を上げて恥ずかしそうに頬を染める。


「それでも、ライリーさまが理想の王子さまであることに変わりはありませんわ。私、ずっと私の王子さまと結婚するのだと信じて来たのです。ねえ、兄さま?」


イーディス皇女の言葉に、一瞬沈黙が落ちる。

彼女は直接、ライリーと結婚したいと言ったわけではない。だが、話の流れを踏まえるとそう聞こえる。ライリーはにっこりと笑って、ローランド皇子とイーディス皇女がそれ以上何かを言う前に口を開いた。


「そうですか。いつか見つかると宜しいですね。私にとってのリリアナ嬢のような存在を、イーディス皇女殿下も見つけられることを祈っております」


その瞬間、イーディス皇女の顔は寂しそうに曇る。それでも果敢に口を開いたが、彼女が言葉を発する前に給仕が皿を取り換えに来た。そのタイミングでライリーは話題を変える。幸いなことに、その後はイーディス皇女が発言することはなかった。



*****



晩餐会を終えたライリーは、リリアナを王族専用の談話室に誘った。晩餐会が終われば遅くなるという理由で、ライリーはリリアナのために宿泊用の客室を用意してくれているらしい。だが、そこで休む前に今日の出来事を話し合いたい様子だった。

毒を食らわば皿までと、リリアナは大人しくライリーに付き従う。談話室に入った二人はハーブティーを一口飲み、ほっと息を吐いた。


「――強烈だったな」


ライリーは思わずと言った様子でぼやく。リリアナは小さく頷いた。

さすがに晩餐会の間は緊張し続けていたのか、ハーブティーの香りと温かさで全身から力が抜けていく心地だった。ふわふわと眠気が沸き起こって来る。だが、頭は冴えていた。


『それでも違和感は拭えませんわね』

「サーシャもそう思った?」

『ええ。ライリー様もそう思われました?』

「ライリーじゃなくてウィルだよ」


きっちりと呼び名を訂正して、ライリーは頷く。目を瞑って晩餐会のことを思い返している素振りだったが、やおら視線をリリアナに向けた。


「皇子殿下の前評判はあくまで噂だろうな。非常に尊大で不快感を与えるような態度だが、あれが彼の本質だとはあまり思えない」

『喋りながらもこちらの反応を窺っていらっしゃいましたわね』


リリアナは答えながら内心で感心していた。彼女は前世のゲームを覚えている。だからこそ、最後の攻略対象者であるローランド皇子の性格も正確に把握しているつもりだ。だが、そうでなければローランド皇子の態度が擬態だと見抜けた自信はない。愚鈍という噂こそ否定しただろうが、優位に立つことに慣れた尊大な皇子だという結論に至っていた可能性が高かった。

だが、ライリーは出会って間もないにも関わらずほぼローランド皇子の本質を探り当てている。どうやらライリーは人を見る目があるらしい。


「それから皇女殿下だが――私に懸想しているようにはどうにも見えない」


ライリーの言葉にリリアナは目を瞬かせた。少し考えて彼女の態度を思い返ししばらく考える。リリアナから見ればイーディス皇女はライリーに一目惚れしたように見えたが、彼女の発言を全て思い返したところで納得した。


『求婚こそ遠回しにされていらっしゃいましたが、彼女はウィル本人ではなく、理想の王子様に恋をされているご様子でしたわね。恋に恋すると申しますか』


リリアナの分析に頷いて同意を示すものの、ライリーは複雑な表情を隠さない。どうしたのかと首を傾げるリリアナに、ライリーは「いや――」と苦笑した。


「貴方がそういうことを言うとは思わなくて――いや、話を振ったのは私なんだけれどね」


意外だった、とライリーは気まずそうに言う。リリアナはさすがに呆れを隠せなかった。

確かに宮廷物語も嗜まないし、恋心や愛を歌った詩は全く理解できない。悲恋の辛さや恋愛の苦しさを綴った物語を見ても、一切共感を持てない。だからといって他人が何を感じているのか分からないわけではないし、感情がどれほど人間にとって重要なのかも理解しているつもりだ。

リリアナの視線にさすがに気まずさを感じたのか、ライリーは「ごめん」と謝る。呆れはしたものの、怒っていたわけではないリリアナは直ぐに微笑を浮かべた。


『怒ってはおりませんわ』

「そう? それでも、うん。これは私のけじめだから」


恐らくそういってくれるライリーは誠実なのだろう。そんなことを他人事のように考えるリリアナに、ライリーは「それで」と言った。


「イーディス皇女殿下は滞在中、婚姻を迫って来る可能性が高いと思う。ローランド皇子殿下は妹姫に甘いから、あの手この手で私を篭絡しようとするかもしれない。そうなると厄介だ」


ライリーやリリアナに直接働きかけるだけであればまだ良い。だが、周囲の貴族たちが巻き込まれては余計な火種を生むことになる。ユナティアン皇国の属国になると反発する者もいるだろうが、隣国との協調路線を取るべきだと考える貴族たちはイーディス皇女とライリーの婚姻に前向きになるだろう。

だが、仮にイーディス皇女と婚姻関係になったところでユナティアン皇国がスリベグランディア王国に侵攻しないとは限らない。戦火に巻き込まれた皇女が死んだとしても、必要な犠牲だったと割り切るのがユナティアン皇国の皇帝だ。それに侵攻せずとも内部からスリベグランディア王国を乗っ取ろうと画策する可能性もある。

更に、婚姻に至らずともその可能性を示唆され貴族間の対立を煽られたら、スリベグランディア王国は隣国の侵略に対抗することだけに注力できなくなってしまう。国王の容体が思わしくなく、かつライリーも年若い状況でそのような事態に陥ることは避けなければならなかった。

だから、とライリーは手を伸ばしてリリアナの左手を握りしめる。


「この期間で私と貴方の婚約を決定的なものとして周囲に知らしめる。改めて、宜しく頼むよ」


リリアナは頷いた。ライリーの婚約者候補から外れるつもりで、六歳からの三年半を過ごして来た。全ては前世のゲームシナリオ通りに向かえる断罪の結末を避けるためだった。父であるクラーク公爵に違和感を覚えつつも、公爵の思惑が自分と同じ婚約者候補からの脱落であると知り、その思惑に乗った。

だが、本当にその選択が自らの身の破滅を避けることに繋がるのか――ここに来てリリアナは自信を失っている。ゲーム通りの未来を避けられたとしても、その前に死んでしまえば意味はない。

たとえば隣国に侵略され制圧された場合、王族だけでなく三大公爵家の者たちも生きてはいられないだろう。後世に遺恨を残さないために一族郎党処刑するのがユナティアン皇国皇帝のやり方だ。


『――ええ、承知いたしました』


既にことは動き出している。ライリーは式典の会場にリリアナと共に入場し、晩餐会にもリリアナを伴った。正式ではないにしろ、目撃した貴族たちはリリアナが婚約者になると確信したことだろう。それは噂になり、やがて広く知れ渡ることになる。それに、婚約者に決定しても解消は不可能ではない。婚約者候補から外れるよりも難しいが、方法は残されている。

それならば一旦ここは流れに乗ろうと、リリアナは心に決めた。



9-1

14-5

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