表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
112/563

19. 皇国から吹く風 4


式典の開始時刻が近づくとユナティアン皇国から来た三人とリリアナたちは控えの間に向かった。ライリーとリリアナ、そしてクラーク公爵は一旦共に部屋へ入ったものの、先に入場するため一足早く退出する。

クラーク公爵は不機嫌だったが、人目があるせいかライリーがリリアナを婚約者と紹介したことについてはまだ苦言を呈さなかった。苛立たしそうにリリアナを一瞥し、早々に式場へ入る。クラーク公爵は宰相として出席するからだろう、王族の後ろに控えるよう席が用意されていた。リリアナの席はライリーが座る場所のすぐ傍だった。クライドも近い場所に座るようだが、席次はリリアナの方が上位だ。

どうやら本気でライリーはリリアナを婚約者として扱うつもりらしい。クライドにエスコートして貰い入場する予定だったが、現時点でリリアナの隣に兄が居ないということは、ライリーがエスコートするつもりに違いなかった。

案の定、式場の隣に隣接した小部屋でリリアナはライリーに腕を掴まれる。空気が揺れた。ライリーが防音の結界を張ったようだ。リリアナは首を傾げた。


『ライリー様?』

「この後も忙しくなりそうだからさ。どう思ったか聞きたくて」

『ローランド皇子殿下とイーディス皇女殿下のことでしょうか』

「そう」


このような時に念話は便利だ。防音の結界を張れば盗聴は防げるものの、念話であればより他人に聞かれる危険性は減る。

リリアナはライリーの表情を窺った。その顔は真剣で雑談を楽しもうとしているようには見えない。だが、それほど緊急性が高いものでもないはずだ。何故式典が始まる直前で尋ねるのかと疑問に思うものの、リリアナは素直に感想を口にする。


『違和感がございましたわね。ローランド皇子殿下は尊大かつ不遜に振る舞われていらっしゃいましたが、言葉の選び方や受け答えを見ても頭の悪い方のようには見受けられませんでした』

「私もそう思った。前評判は馬鹿皇子だったんだけど」


ライリーは苦笑を浮かべる。

碌な政策も打ち出さない、享楽に現を抜かす愚鈍な第二皇子。それがローランド皇子の評価だった。秘宝と評されるイーディス皇女とは正反対である。だが、むしろ先ほど話した印象は真逆だ。イーディス皇女の方が幼いせいか、よく言えば純粋で悪く言えば他人の機微に疎い。皇女という立場を考えれば我が儘というほどでもないだろうが、才女ではないようすだ。自分の興味があることにしか気が向かない傾向が見受けられる。


「皇子殿下のあの態度も、こちらの出方を窺うためだと受け取れなくもなかったね」

『ええ、わたくしもそう思いますわ』


リリアナは頷いた。愚鈍な振りをして相手の隙をついたり情報を引き出すのは外交でも有効な手段だ。ライリーも同様の印象を受けたと聞いて、リリアナは確信を深める。

前世の乙女ゲームと現実でキャラクターの性格が大幅に違う可能性を、彼女はずっと疑っていた。特に身近なクライドの性格が異なっているのだ。ゲームのままこの世界が成り立っているとは限らない。既にリリアナが取った行動で死ぬはずだった人が生き続けているのだから、性格形成を担う後天的要因が変わればキャラクターから受ける印象も変わるはずだ。

だが、ローランド皇子の性格はゲームの彼と大きくは変わらない。むしろ、ゲームの彼をより素直にしたのが今の皇子だと思えた。

考えながら、リリアナは更に言葉をライリーに伝える。


『イーディス皇女殿下に関しましても、ライリー様をお名前で呼ぶという不敬は犯されたものの、悪い方ではないように思いましたわ。わたくしの声が出ないことを口になさいませんでした』


途端にライリーが顔を顰める。どうやらリリアナの指摘はライリーにとって嫌な記憶を呼び起こしたようだった。首を傾げたリリアナに、ライリーは苦笑を見せる。


「まあ確かに――悪い方ではない、のかもね。あまりにも幼すぎるけど。貴方を見ているから、どうしても比較してしまう」


うんざりとライリーはぼやく。リリアナとイーディス皇女は一歳しか違わないが、リリアナが九歳で皇女が八歳ということを考えれば、むしろリリアナの方が普通ではないのだ。世間一般を念頭に置けば皇女の振る舞いは微笑ましいと受け取れなくもない範囲だった。ただし、大人から見て――と注釈はつく。通常、年齢が近い者に対しては、年下の者に対するよりも許容範囲は狭くなる。それを承知しているから、リリアナは苦笑するだけでライリーの台詞を咎めなかった。代わりに宥めるような言葉を選ぶ。


『確かに皇女と考えれば幼い言動はございましたが、まだ八歳でございますから』

「八歳でも、さすがに初対面の相手に名前で呼べなんて言わないよ。――私はまだ、貴方のことも愛称で呼んでいないのに」


リリアナは珍しく言葉を失う。確かにリリアナはライリーに請われ、名前で呼び合うようになっていた。尤もリリアナは喋れないことになっているから、彼女が王太子のことをライリー様と呼んでいる事実を知る者は本人以外にいないはずだ。他に人が居る場所で筆談する時も、リリアナは名前ではなく必ず“殿下”と書いている。

絶句したままのリリアナに気が付いていないのか、気付いているにも関わらず無視しているのか、ライリーは「そうだ」と目を輝かせた。


「クライドは貴方のことをリリーと呼んでいるよね。私は貴方のことをサーシャと呼んでも良いかな?」

『――サーシャ、ですか』

「そう。リリアナだと他の人も呼ぶだろう。だからミドルネームのアレクサンドラの愛称が良い。異国風だけど、貴方に似合うと思うんだ」


そこまで親しかっただろうか、とリリアナは思わず内心で自分自身に問う。確かに他の婚約者候補たちと比べると、リリアナはライリーとの茶会に頻繁に呼ばれている。政策や最近読んだ本の内容等、会話の内容は多岐に渡るが、議論が活発になり予定の時間を超過することもしばしばだ。


「貴方が嫌なら呼ばないけど、嫌でないのならそう呼ばせて欲しい」


どうだろうか、とライリーは言葉を重ねて不安そうにリリアナを見る。リリアナは溜息を堪えて微笑を浮かべた。


――婚約者候補から外れようとしていたはずなのに、何故ここまで親しくなり、そして外堀を完全に埋められようとしているのだろうか。


確かに自分は大々的に動かなかった。だが、情報も圧倒的に足りず父親の思惑が不鮮明な状況で下手なことはできなかった。婚約者候補から外れる前に命を落としては元も子もない。リリアナの最終目標は身の破滅を避けることであって、ライリーの婚約者でなくなることではないのだから。


期待に満ちたライリーの視線に耐え切れず、リリアナはとうとう頷く。ライリーは嬉しそうに破顔一笑すると「ありがとう」とそれは幸せそうに礼を告げた。


「サーシャ。可愛い愛称だ。私だけの呼び名だね、嬉しいよ」


つまり、他の誰にもその呼び名を許すなということだ。リリアナは空を仰ぎたくなった。だが、ライリーは追随の手を緩めない。


「せっかくだし、私のことはウィルと呼んでくれないか」


ライリー・ウィリアムズ・スリベグラード。彼のミドルネームであるウィリアムズの愛称だ。瞠目するリリアナに、ライリーは溶けるような笑みを浮かべる。


「貴方だけの呼び名だ」


他の誰にも呼ばせるつもりはないと、ライリーは言う。優しい風貌に似合わずライリーは頑固な側面がある。どうやら呼び名についても譲る気はないらしい。そして式場はだいぶ騒がしくなってきている。開始の時間も近い。

リリアナは潔く腹を括った。足掻いてもどうにもならないことはある。


『それでは二人だけの時にお呼び致しますわ、ウィル』


ただ名を呼んだだけだというのに、ライリーはこの上なく幸せそうに微笑む。そして、彼は優しくリリアナの肩を抱きしめると「それじゃあ」と囁いた。


「一緒に、式場に入ろうか」


差し出された左肘に、リリアナは手を掛ける。防音の結界が弾けるように消える。眩しいほどに感じる光の中、リリアナは背筋を伸ばしてライリーの隣に毅然と立つ。一歩式場に足を踏み入れると、驚きと共に視線が集まるのを感じた。

まるで対に見える衣装に身を包んだ二人は、髪色も金と銀で対照的だ。だが、それが見事に調和を取っている。反対側の扉から入場した大公に目を向ける者は殆どいない。

衆目を浴びながらも、リリアナは堂々とライリーにエスコートされ席につく。ライリーと大公が席に立ったところで、鐘の音が鳴った。


――式典が今、始まる。



*****



控えの間では、ローランド皇子が尊大な態度で腕を組み、ソファーに深く腰かけていた。


「スリベグランディア王国――か」


思わずと言ったように零れ落ちた言葉に、隣に座っていたイーディス皇女が反応する。パッと顔を上げて、体ごと皇子に向き直った。


「兄さま、ライリーさまは、とてもすてきでしたわね」

「あ? ああ、そうだな」


ローランド皇子は曖昧に頷く。こっそり「軟弱なようにみえたが……」と呟き納得していない様子だが、頬を紅潮させた皇女は気付いていなかった。目を輝かせながら言い募る。


「私、ライリーさまのお嫁さまになりたいですわ。あの方のお隣にいると、幸せになれると思いますの」


皇子は複雑そうな顔で妹姫を見下ろしたが反論はしない。優しく「そうだな」と同意してやる。皇女は天にも昇る心地なのか、うっとりと息を吐きだした。


「お話している間、ずぅっと目を奪われてしまいましたわ。本当にすてきで……でも」


途端にイーディス皇女は眉を曇らせた。


「でも、兄さま。ライリーさまとリリアナさまは、もうご婚約なさっているのかしら。それに、私、あの宰相という方、恐ろしかったわ。リリアナさまのお父さまなのでしょう?」

「ああ、婚約者がいるという情報はなかったはずだが――」


イーディス皇女の言葉にローランド皇子は頷きながら首を傾げた。スリベグランディア王国の王太子に婚約者はまだ居らず、候補が数名いるのみという話はつい最近聞いたばかりだ。もし決定したというのであれば、ここ数日のことだろうとローランド皇子は考えた。

だが、婚約が正式に決定していないのであれば如何様にもできる。何せユナティアン皇国は大国であり、スリベグランディア王国がいかに努力しても決して対等にはなれない存在だ。


「確かにあの公爵はやり手と噂だったはずだ。そうだろう、バトラー」

「さようにございます」


二人の後ろに控えるドルミル・バトラーは低く頷く。陰鬱に見える表情だが、両眼は鋭く鷲のように光っていた。ローランド皇子は不安そうな妹姫の頭を優しく撫でて、安心させるような口調で穏やかに言い聞かせた。


「大丈夫だ、不安になる必要などない。お前はお前の好きなようにすれば良いのだ。ああそうだ、せっかくだから王太子と触れ合う時間を長くできるようこの俺が考えてやろう。そうしたらあの王太子も、お前がどれほど可愛らしい娘か分かるだろう」

「まあ、本当ですの!? 兄さま、ありがとう。嬉しいですわ!」


良い子だな、とローランド皇子は笑う。皇女ははにかんだ。そうすると少し吊り目気味の顔が柔らかくなる。だが、すぐにその双眸は不安を滲ませた。


「兄さまは? 兄さまは、大丈夫ですの? あぶないことなど、ございませんの?」

「心配するな、兄さまは大丈夫だ。お前も知っているだろう、兄さまが強いと」

「それは――もちろんですわ。兄さまはお強いのですもの。悪者など、すぐにやっつけておしまいになるわ」


妹の幼い言い草にローランド皇子は笑みを深める。愛しくてならないと言いたげだが、すぐに顔を引き締める。


「だが、あの公爵令嬢は想定外だったな――バトラー」

「はい」


低く呼ばれた男は短く答える。必要以上に口を開かない男だが、それが怖いとイーディス皇女はこっそりとローランド皇子に教えてくれたことがある。確かにバトラーは抜身の剣のような鋭さを持つ。彼はあまり過去を語らないが、皇帝の影として後ろ暗い経験が山ほどあるのではないかと疑っていた。

だが、皇子にとってその過去は大して問題ではない。必要なのは彼の能力であり、それにより得られる結果だった。


「調べられるか」

「御意」


バトラーは頷く。これで式典に出席している間、必要な情報が集められるだろうとローランド皇子は満足した。


ユナティアン皇国の皇帝カルヴィン・ゲイン・ユナカイティスは暴君である。彼が愛するは権力と思い通りになる世界、それだけだ。野望のためには血の繋がった子供であろうと容赦しない。実際、皇帝の不興を買ったせいで命を散らした子や孫は多く居る。ローランド皇子が把握しているだけでも両手では足りないから、恐らく実際は更に多いだろう。

つい数刻前までは重用されていた家臣でさえ、皇帝が不要と判断すれば()()()姿()()()()()

だから、あの国で生き延びるためには皇帝の手足となって彼の望む結果を持ち帰らなければならない。それはまさしく忠犬だ。敵を殺せと言われたら殺し、自害せよと命じられたらその場で己の首を掻き斬る。その覚悟がなければ、あの国では生きられない。

そしてそれは同時に、皇帝の地位を脅かすほどの能力の持ち主もまた粛清されるという意味でもあった。


ただ、同時に皇帝カルヴィンは優れた治世者でもある。彼の取った政策のお陰で広大な国土はあらゆる場所が開拓され街道も整備された。衛生環境も改善され、疫病による被害も減りつつある。諸外国との輸出入も活発になり国内は前皇帝の時代より遥かに富んだ。厳罰による治安回復も著しい。特に皇都トゥテラリィは驚くほど街が綺麗だ。だからこそ、民からは厚く信奉されてもいる。


だが――ローランド皇子の神経は常に張り詰めていた。隣国に来ても監視の気配を感じて気を抜けない。皇帝カルヴィンは決して失敗を許さない。それがたとえ、ようやく歩き始めた幼子であっても。そして目に入れても痛くないと可愛がっている存在であっても、彼は容赦なく切り捨てる。


ローランドは隣に座って紅茶を飲む妹姫を窺う。零れ落ちそうになる溜息を、彼はどうにか堪えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ