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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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19. 皇国から吹く風 3


ローランド皇子とイーディス皇女が到着したのは、ライリーとリリアナが談話室に入ってだいぶ経ってからのことだった。ライリーを呼びに来た侍従が、リリアナを認めて目を丸くする。当初の予定にはなかったため驚いたのだろう。だが、ライリーが連れている以上一介の使用人が口を出せることではない。

謁見の間の扉を開けてライリーとリリアナを招き入れた後、慌てて侍女に何事かを耳打ちしている。どうやら茶菓を追加で持って来るよう言いつけているらしい。リリアナは内心で申し訳なく思ったが、今の自分はローランド皇子とイーディス皇女を歓待する立場である。毅然とした姿勢でライリーの隣に立った。


少しして、外から廊下を歩く人の声が聞こえて来る。皇子と皇女が到着したらしいと、リリアナは背筋を伸ばした。談話室の扉が開き入って来たのは宰相だ。クラーク公爵は、本来であれば居るはずのないリリアナを見て、ほんのわずかに目つきを鋭くした。瞳に一瞬浮かんだ苛立ちを見て取り、リリアナは微笑を深める。いつも泰然自若とした態度を崩さない父親が見せた感情の揺らぎが愉快だった。

しかし、さすがに宰相として辣腕を振るっているわけではない。すぐに苛立ちは平静の下に押し隠し、彼はユナティアン皇国からの賓客たちを招き入れた。


「こちらで式典まで今しばらくお待ちいただけますでしょうか」

「これはまた、立派な部屋ですね」


可もなく不可もない誉め言葉を口にしたのはローランド皇子だろう。姿を現した彼は、リリアナが前世で見たゲームの彼よりも幼かった。ターコイズブルーの髪にアクアマリンの瞳という非常に派手な見た目だ。既に成人を迎え、十六歳になるはずだ。その隣に立つ少女はストロベリーの髪に薔薇色の瞳であり、これまた派手な容姿だ。初めて見るこの少女がイーディス皇女だろうとリリアナは見当を付けた。リリアナの一歳下であり、八歳になるはずである。皇女はライリーを一目見て真っ赤に頬を染めた。

そして二人の後ろには、黒髪に黒い瞳を持った、黒一色の衣装を纏った男が立っている。よく見れば妙な威圧感を放っている男は、しかし気配を消す術に長けている様子だった。


ローランド皇子が爽やかな笑みをライリーとリリアナに向ける。


「此度は世話になる。俺はローランド・ディル・ユナカイティス。ユナティアン皇国の第二皇子だ。こっちは妹のイーディス・ダーラ・ユナカイティス。後ろに居るのは俺の世話役のドルミル・バトラーだ」


尊大な口調だった。ユナティアン皇国は確かに大国だが、身分としては王太子であるライリーの方が高い。リリアナに対してであればともかくも、ライリーに対してこの態度はいただけない。

そして更にリリアナは微笑の下で首を傾げる。ドルミル・バトラーはユナティアン皇国の宰相補佐だったはずだ。もし現実が前世のゲームシナリオ通りに進むのであれば、四年後にはその才覚で宰相の座に上り詰めているはずである。その彼が何故ローランド皇子の世話役として随行しているのか。事前の連絡でも“世話役”と書かれていたが、本当の役職を隠す理由は分からない。


(臭いますわね……)


心中でそんなことを考える。ふと、リリアナは一つの可能性に思い至った。

ライリーはリリアナを婚約者として考えており、それを妨害なく周知するため今回の式典を利用するつもりだと言った。だが、理由はそれだけではないのではないか――と今になって彼女は疑惑を持つ。ライリーがリリアナの判断力をある程度信頼していることは、彼女自身理解している。その上で彼はリリアナとの議論を好む。他者の意見を聞いて真実を見極めようとするその姿勢は王太子として重要な資質だが、そのためには議論できる人間にも同等の情報を共有しなければならない。

特にライリーが重用している相手はオースティン、次点でクライドだが、二人ともこのような場には同席できない。だが婚約者であれば話は別だ。違和感なく同じ場を共有し、全く同じものを見聞きすることができる。


(戦友が欲しいということかしら)


そんなことを考えるリリアナの隣で、ライリーは変わらぬ笑みを浮かべて優雅に挨拶を返した。


「この度は我が国へお越しくださり誠に光栄です。私はライリー・ウィリアムズ・スリベグラードと申します。こちらはリリアナ・アレクサンドラ・クラーク嬢。私の()()()です」


ライリーの言葉に反応したのは、クラーク公爵だけではなかった。ユナティアン皇国から来た三人も反応する。公爵とドルミル・バトラーは一瞬にして驚きを掻き消したため注視していなければ気付かないほどの変化だったが、皇子と皇女は明らかに目を瞠っている。


「婚約者――候補の方しかいらしていないと、伺っていたのですけれど?」


驚きを顔に映したまま、どこか呆然と尋ねたのはイーディス皇女だった。リリアナは全てライリーに任せるつもりで、微笑んだまま立っている。ライリーは楽し気に笑いを零した。ソファーに掛けるよう勧めて自身もリリアナの隣に座る。


「ええ、ずっとそうでした。ですが、そろそろ決めるべきとの意見もありまして。私の強い希望もあり、リリアナ嬢に決めたのです」


まだライリーと彼の側近候補二人しか知らないとは口にしない。リリアナの父親であるクラーク公爵の了承も取っていないとは、無論言うはずがない。公爵はドルミル・バトラーが宰相補佐であり皇帝の覚えもめでたいと把握しているはずだ。ローランド皇子とイーディス皇女だけであればともかく、バトラーが居る前でライリーの言葉を嘘だと批判することはできない。それを見越したライリーの暴挙だった。


ライリーは年齢に不相応なほど色気のある目つきで愛おしそうにリリアナを見やり、優しく肩を抱き寄せる。リリアナはわずかに視線を落としてみせた。

恋愛を題材とした芸術一般が苦手なリリアナにとって、このような状況は全く未知の分野である。どのように振る舞えば良いのか戸惑うばかりだ。だが、恐らくこういう場では照れてみせるのが定石なのだろうと、貧しい知識を総動員した。その結果、辛うじて周囲にはライリーの言葉が真実であると受け取られたらしい。耳元でライリーが笑う息遣いが聞こえて、リリアナは眉根を寄せそうになる。しかしその表情は不適切だ。代わりに彼女は微笑を湛えた。


「――殿下」


クラーク公爵が、若干咎めるような声音でライリーに声を掛ける。ライリーは苦笑して肩を竦め、リリアナの肩から手を離した。そしてローランド皇子とイーディス皇女に視線を戻した。

全員の前に紅茶と茶菓が振る舞われる。それを確認してライリーは口を開いた。


「長い旅路にお疲れは出ませんでしたか」

「え――ああ。多少疲れはしたが」


未だに衝撃を引きずっていたのか、ローランド皇子は口籠りながらも頷いた。しかしすぐに笑みを浮かべる。


「それでも、スリベグランディア王国に近づけば近づくほど風景も文化も変わって面白い。俺たちは普段、皇都トゥテラリィで暮らしているからな。だいぶ雰囲気が違って驚いたぞ」

「そこまで違うものですか。書物で見るトゥテラリィは確かに、我が国とは趣が異なるように感じられますが」

「おお、全く違う。皇都トゥテラリィは全てにおいて整然と整えられている。道も整備され馬車も走らせやすい。対してこちらは――そうだな。言うなれば離宮に近いやもしれん」


ローランド皇子の言葉に、ライリーは首を傾げた。


「離宮、ですか」

「そうとも。我が皇族の離宮はユナティアン皇国の至る所にあるのだが、いずれも人里離れた場所にある。歴史情緒に溢れた建物ばかりで多少不便ではあるのだが、自然豊かでな。日頃の憂いを癒すにはちょうど良いのだ」


リリアナは微笑を浮かべていたが、何気なさを装って扇で口元を隠した。それに気が付いたライリーがそっと手を伸ばし、リリアナの右手に触れる。落ち着けと言いたげな仕草だ。リリアナはブレスレットを使って念話で『呆れているだけですわ』と答えた。

明言はしないものの、ローランド皇子の言葉はずっと不敬の一歩手前を彷徨っている。即ち、彼はユナティアン皇国と違ってスリベグランディア王国は田舎だと告げているのだ。過去の経緯やこの世界の常識から考えると、スリベグランディア王国がユナティアン皇国より劣っていると言われているに他ならない。

――馬車を快適に走らせることもできない道に、整備されていない街並み、そして溢れんばかりの自然に切り開いた土地である、と。

対するユナティアン皇国はその全てを持った大国である、と言いたいのだろう。

だが、ライリーは腹を立てる様子も見せなかった。穏やかに言葉を返す。


「なるほど。ローランド皇子殿下は良く離宮に行っていらっしゃる?」


だが、この言葉も受け取り方によっては強烈な皮肉だ。ローランド皇子は既に十六歳となり成人している。それにもかかわらず皇都ではなく離宮への滞在頻度が高いのであれば、政務に関わっていない――もしくは関わらせて貰えないのか、と尋ねているのだ。

室温が下がった気がして、リリアナは小さく息を吐く。冷気の発生源は探すまでもない。ローランド皇子の発言を受けたクラーク公爵、そしてライリーの返答を受けたバトラーが明らかに不機嫌だ。

だが、最初に仕掛けて来たのはローランド皇子だ。黙って引き下がるだけでは、やはり弱小国だと侮られかねない。少なくとも対等な相手だと思わせなければならなかった。


「以前は良く行っていたがな、最近は滅多に行かん」


ライリーの皮肉に気が付いていない様子を見せながら、ローランド皇子は豪快に笑った。そこで、それまで黙っていたイーディス皇女が顔を上げた。


「あの、私は良く参りますのよ。お気に入りの離宮がございますの。もしご興味がおありでしたらご案内させていただきますわ、ライリーさま」


部屋に沈黙が落ちる。皮肉の応酬であることに気が付いていない点も問題だが、それ以上に皇女は許可を得ないままライリーを名前で呼んだ。一国の皇女が他国の王太子を名前で呼ぶ不敬に、背後に控えていたドルミル・バトラーはわずかに焦りを見せる。だが、止めることはできない。ライリーは穏やかに微笑んで答えた。


「ええ、イーディス皇女殿下。また機会がありましたら」


明白な社交辞令だが、イーディス皇女は言葉通り受け取ったらしい。可愛らしい顔を輝かせたが、すぐに不服そうに頬を僅かに膨らませた。


「イーディス皇女などと、他人行儀な呼び方はお止めくださいませ。イーディと呼んでいただけますと嬉しいですわ。兄さまもそう呼んでおりますの」

「皇女殿下。恐れながら、私は隣国からの大切なお客人に対して礼を尽くしたいと考えております。ご容赦ください」


家族と同じように呼んでくれと告げる少女に、ライリーは微笑んだまま淀みない口調で断る。一見したところ普段と変わりないようにも見えるが、隣に座るリリアナはライリーが苛立っていると感じていた。珍しいことだと他人事のような感想を抱く。そして僅かに目を細めた。“イーディ”という名前には聞き覚えがあった。


イーディス皇女はまだ納得できていない様子だったが、ライリーの口調に何かを感じ取ったのかそれ以上言い募ろうとはしなかった。口を噤んで窺うように隣のローランド皇子を見やる。その目付きにリリアナは意外な気持ちを抑えきれなかった。


(イーディス皇女は、ローランド皇子を信頼されているご様子ですわね)


そして皇子もイーディス皇女に対しては優しい目を向けている。どうやら兄妹仲は悪くないらしい。年の差がある分、反発心も起こらないのかもしれなかった。

気を取り直したらしいライリーは、わずかに声音を変えて今後の予定を簡単に説明する。


「最初は王都にご滞在頂き、式典、武闘大会、品評会、ついで特許状の下賜式へとご参列いただけるよう手配を整えています。その後は各地の視察ですが、それに関してはまた直前に」

「今日は式典だったな。そこには誰が参加する」

「高位貴族のみが参加します。それから魔導士が数人」


なるほど、とローランド皇子は頷いた。しかし彼の興味はそれよりも武闘大会にあるらしい。すぐに話題を武闘大会に変える。


「武闘大会はどのような催しだ?」


リリアナは溜息を堪えた。式典からの一連の流れに加え、武闘大会の概略についても事前に伝えているはずである。その書簡を読んでいないのか、読んだにもかかわらず覚えていないのか、それとも読んだ上で敢えてこちらを試そうとしているのか。前者二つであれば単なる愚か者だが、最後の一つであれば抜け目がない皇子だ。だが、現段階では判断が付かない。


「一般剣技、魔導剣技、魔導、武闘部門の四部門に分けて開催されます。王立騎士団も参加しますし、地方の騎士団や傭兵たちも参加します。見応えはあると思いますよ」

「それは楽しそうだな」

「私、血生臭いのは恐ろしいですわ。品評会の方が興味があります。素敵なお洋服や宝石はございまして?」


イーディス皇女が口を挟む。ライリーは変わらぬ表情のまま、「主なものはビールや葡萄酒、そして香水です」と答えた。皇女は手を叩いて喜ぶ。


「まあ、香水! すばらしいですわ。ねえ、兄さま、お気に入りの香水がありましたら頂いて帰っても良いかしら?」

「勿論だ、イーディ。お前の好きなものを選ぶが良い」


優しく答える兄皇子に、妹姫は頬を染めた。それだけを見ると微笑ましい兄妹の会話だが、リリアナは緊張を解けない。ユナティアン皇国の二人が王宮に滞在している間に、リリアナにはすべきことがある。


前世のゲームにイーディス皇女は名前すら出て来ない。ただ、ローランド皇子が過去を振り返った時に“彼の愛した妹姫”の話が出て来た。名前が明らかにされていない妹姫は幼くして亡くなった。死因は明確ではない。ただゲームの中で、ローランド皇子は「護るために遠くへやったら、結局護りきることもできなかった」と言っていた。その妹姫がイーディス皇女なのか別の姫なのか、リリアナには分からなかった。だが、二人の様子を見る限り可能性は高そうだ。そしてもしその“妹姫”がイーディス皇女であり、彼女がスリベグランディア王国の外遊中に夭逝してしまったとしたら――。


(ゲームでローランド皇子殿下が一度だけ口にしていらしたような気も致しますわ。確か――イーディ、だったような)


残念ながら記憶は曖昧だ。

ただたとえ暗殺ではなくとも、皇女が外遊中に命を落とせば皇国から批判され責を問われることは確実だ。すぐにでも開戦に至る可能性すらある。開戦に至らずとも不平等な条約が押し付けられる危険性も否定できない。あいにくと“今”はゲーム開始前の時期であるため、国家間で何があったのかは()()()()()


イーディス皇女が来ると分かってから、リリアナは彼女に付ける警護の情報を中心に収集し、その上で自分に出来ることを探っていた。だが、それでもイーディス皇女に関する情報は絶対的に不足していた。だからこそ、皇女に出会ってからが勝負だった。


(オブシディアンも把握できていない、皇国の秘宝イーディス皇女――)


彼女はずっと表舞台に出ることなく過ごして来た。関わる者も少なく、成人を迎えていないため社交界にも出ていない。離宮には良く行っていたと本人は言うが、警護は万全だったのだろう。

秘宝と呼ばれるには理由がある。イーディス皇女は皇帝のお気に入りだと噂されている。恐らくそれは本当だと、オブシディアンは言っていた。そして皇国の継承権は男女平等に存在しており、立太子は皇帝の一存で決まる。だからこそ、まだ皇太子も決まっていない。


――その秘宝が、とうとう外に出て来たのだ。


(狙われないわけが、ございませんわね)


リリアナは目を細めて、ユナティアン皇国から来た皇子と皇女の様子を眺めていた。



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