18. 棺と黒文様 6
クラーク公爵家の前当主ロドニー・アンテット・クラークの葬儀に訪れた弔問客はスリベグランディア王国内の貴族だけではなかった。ユナティアン皇国で嘗て活躍していた貴族や外交官等、錚々たる顔ぶれが一堂に会している。馬車では間に合わない場所で暮らしている人々は、どうやら転移陣を使って王都まで移動後、フォティア領まで赴いたらしい。体力的に転移陣での移動が耐えられない者や時間のない者等は使者に書簡を託し、弔意を表明した。
(わたくしが直接お顔を拝見したことのない方が大勢いらっしゃいますわ)
リリアナは澄まし顔で棺近くの席に腰かけ、クラーク公爵と祖母バーバラの元へ挨拶のため近づく者たちを観察していた。会話に耳をそばだてれば、見知らぬ人の名前と顔が一致する。王太子の婚約者候補として受けた王太子妃教育の成果か、家名は勿論のこと名前だけで大半の者は把握できた。兄のクライドは何割かの弔問客と面識があるらしく、時折「お久しぶりです」などと挨拶しているのが聞こえる。リリアナと面識があったのは、最初の方に挨拶をしたライリーくらいのものだ。社交界デビューしていない以上、一定年齢以上の者と会う機会は滅多にない。
「この度は誠にご愁傷様です。先代様の魂の平安をお祈りいたします」
皆似たり寄ったりの文言で、流れ作業のように挨拶が続く。時折軽く雑談のように思い出話を口にする者もいるが、非常に稀だった。恐らく祖父のロドニーとは大して交流がなかったか、忘れているか、もしくは他言してはならない種類の思い出しかない者が多数なのだろう。
その中で彼女の注意を引いたのは、祖父母と古くから交流があるクラーク公爵家の傍系に嫁いだ夫人の発言だった。
「それにしても、そんなに直ぐに具合が悪くなるとは思わなかったわ。つい先月会った時はピンピンしていたのに。フォティア領に来たのは調子が悪くなってからなの?」
「いいえ、たまには戻ろうかと話になって戻って来たら、突然体調を崩したのよ。それからはあっという間だったわ。領地のことでする事があるって、やる気に満ちていたのに」
涙声で答えるバーバラの肩を、その夫人は慰めるように軽く叩いた。しかし長く公爵夫人として夫と領地を支えて来た彼女は気丈にも泣かなかった。目が潤んでいるのがリリアナにも見えたが、一文字に引き絞っていた口を微笑みに変え、「ありがとう」と友を見上げる。
(それにしても、人数が多いですわね。本当にこの中に、お祖父様に術を掛けた人がいらっしゃるのかしら)
特定するにも骨が折れそうだ。若干リリアナはうんざりした。
「この度は思いがけない知らせでした。さぞかしご無念のことでしょう。安らかなお眠りをお祈り申し上げます」
「有難うございます」
如才なく弔問の弁を述べている男性の声を聞いていたリリアナは、ふと視線を感じて顔を上げる。そこに居たのは、豊かな髭を蓄え抜身の剣のような鋭さを纏った男性だった。表情は穏やかだが目つきが鋭い。
――スリベグランディア王国三大公爵の一角、エアルドレッド公爵家当代当主。
オースティンの父だが、リリアナが会うのはこれが初めてだ。彼はリリアナを一瞥すると髭に覆われた口元をふっと笑みの形に歪めた。リリアナは瞠目する。しかしエアルドレッド公爵は何も言わずにその場を立ち去った。
(一体何だったのかしら)
視線の邂逅は一瞬で、どうやら当人たち以外誰も気が付いていないらしい。リリアナは再び顔を伏せ眉根を寄せた。
挨拶も終盤に近づけば、魔導省長官のニコラス・バーグソンがやって来る。その後ろにはベン・ドラコの謹慎に伴い副長官となったソーン・グリードが居た。彼はグリード伯爵家三男であり故人とも面識はないはずだ。本来であれば参列するはずがないが、魔導省副長官としてならば列席に問題ないと判断したのだろう。そこまでしてこの場に来る価値があるのかとリリアナは訝しがるが、理由についてはとんと見当もつかない。ただ彼がねっとりとした目つきでリリアナを捉えた瞬間、リリアナは湧き起こる嫌悪感で顔を顰めそうになった。
(ただ、条件だけで言えばぴったりですわ)
ユナティアン皇国からの客人も含めて、魔導士と呼べる人間はニコラス・バーグソンとソーン・グリードの二人だけだ。他の弔問客も魔導士を雇えば幾らでも術を掛けられるから容疑者から完全に外すことはできないものの、魔導省から来た二人は他と比べて犯人である可能性が濃厚である。
(長官はお父様とも親しくなさっている様子ですし、新しい副長官が来た理由がお父様と懇意にするためなのでしたら――あらいやだ、色々と辻褄が合ってしまいそうな気が)
誰もリリアナに構わないのを良いことに、彼女は一つの推論を組み立てていく。
ニコラス・バーグソンはリリアナの喉に掛かった術を解こうと試みた人物だった。しかも解術を頼んだのはリリアナではなくクラーク公爵だ。二人が仕事の枠を超えて懇意にしている可能性は否定できない。
この仮定が正しいとして、クラーク公爵がニコラス・バーグソンに依頼し祖父に術を掛け魔物を召喚しようとした可能性はないだろうか。
(ただそれでしたら、動機がはっきりと致しませんのよねえ……)
三大公爵家の当主であり宰相としても国王から信頼を得ている父エイブラムが、魔物を召喚する理由は全く思い付かない。謀反を企んでいるのであれば魔物を召喚することもあるかもしれないが、得られる価値よりも犠牲の方が大きくなる。例えば国土の大半を瘴気や戦争で失った後に国を盗っても復興に金も時間も掛かる。それならば、無血の政変を謀った方がはるかに利は大きい。政変とまではいかずとも、適当に王を据えて傀儡とすれば良いだけである。宰相という立場を利用すれば容易いはずだ。それで足りないというのであれば、三大公爵家の一角を担うクラーク公爵家の権力と実力を使えば良いだけである。
リリアナが思索に没頭している内に、弔問客たちの挨拶が全て終わる。ようやくそこで神官が入室し、儀式が始まる。これまで毎夜家族のみで行っていた葬礼は簡略化されたもので、基本的には故人の肉体に魔が入らぬよう祈るものだった。一方でこれから行われる祭礼は魔から故人の肉体と魂を守り、魂が神の御許に無事辿り着くよう祈る。その分儀式の時間も長い。
蝋燭の灯りが半分ほど消され、薄暗い教会内部が一層重々しさを増す。神官の口から紡ぎ出される祈りの言葉は静謐で、心の隙間に染み入るようだった。
*****
儀式が終わると埋葬の時間である。教会裏手の墓地は広く整然としていたが、どこか物悲しかった。その一番奥に、クラーク公爵家先代当主の墓は用意されていた。
男たちが棺を運び出し、その後ろをクラーク公爵家を筆頭とした弔問客たちが追随する。長い儀式に疲れた客たちは声を潜めて雑談に興じていた。リリアナは鼠を放ち雑談の大部分を記録させながらも、同時に遠耳の術を使って直接声を聞き取る。案の定、祖父の葬儀なだけあって故人に関する話題が多い。一方で参列した者たちは、大部分が第一線を退いたとはいえ政府の中枢を担っていた者たちだ。自然と国家機密に触れる内容を口にしている者もいる。特に他と距離を置きながら歩いている者たちは、漏れてはならない情報をやり取りしている傾向が強い様子だった。
(鼠はそこら中におりますから、誰も怪しまないようですわね)
リリアナは悲痛な表情を装いつつも心中でひっそりと笑う。内密にやり取りされている情報で脅そうなどとは露ほども考えてはいないが、万が一の場合には役立つだろう。
ゆっくりと一行は歩みを進め、墓場の半ばに辿り着く。あと半分というところで、リリアナは聞こえて来た会話に耳を澄ました。
『――閣下は元気でいらしたのに。手紙でも体に悪いところはないと豪語されておった。それにもかかわらず突然、魂が召されてしまったのですからな。お年ではありましたが、まだまだ現役で頑張られるのかと思っていましたよ』
『いかさま、若い者でも突然死ぬ場合はありますな。知人のところでも次期当主と目されていた若者が急逝したようで。そういえば、公爵夫人のご両親も突然、ご病気で亡くなられましたな。確か九年ほど前でしたか。二人目の孫を見れなかったことが気の毒だと妻が言っていたのを覚えています』
『ああ、あの時も大変でしたな。――特に夫人の取り乱し方が酷かった』
『産後だったことも悪かったのだろうと、妻が言っていましたよ。特にご婦人方は、子が産まれた後は気が立ちやすいようですからな』
『無理もありませんなあ』
男たちは更に会話を続けていたが、リリアナはそれどころではなかった。一瞬歩みが乱れるが、辛うじて気を取り直し何気ない風を装う。だが心中は嵐のようだった。深呼吸をして必死に自分を落ち着かせる。冷静にならなければ判断を誤ってしまうと、リリアナは良く知っていた。だが、御することもできない感情が無理矢理、母のベリンダが呟いていた台詞を脳裏に蘇らせた。
『――お義父様だけだったら良かったのに、何故お父様とお母様まで――――!』
ベリンダは間違いなくそう言っていた。ロドニーだけでなくベリンダの父母も、という言い方の本意をリリアナは掴み切れていなかった。だがつい今し方聞こえた会話が真実だとするならば、三人とも病で突然死している。一つの可能性がリリアナの脳裏に浮かび上がった。俄かには信じ難いが、確かにロドニーの体には魔物を召喚する術が施されていたのだ。その術が死因となった可能性は多いにある。
(まさか、お母様の方のお祖父様とお祖母様は)
ロドニーと同じように、術を掛けられたせいで急逝したのだろうか。そしてベリンダはその事実に気が付いていたのか。
単純に、リリアナを産み精神的にも余裕がない時期に両親の死が重なっただけだとも考えられる。普通であれば、時期が悪かったと理解して娘を冷遇しようという思考には至らないはずだ。
だが、もしベリンダが、両親が殺害されたと信じ込み、そして同時期にリリアナが誕生した事実と関連付けたとしたら――リリアナが産まれたせいで両親が死んだのだと、そう信じてしまっていたとしたら。それならば、彼女がリリアナに憎悪を抱くことは理解できる。実母から疎んじられ嫌悪される娘としては理不尽なことこの上ないが、結局は験を担ぐことと似た心理状態だ。
今では確認する術もないが、もし本当にベリンダの父母が術のせいで死んだのだとしたら――術者は一体、誰なのか。
ロドニーと違い、ベリンダの父母は普通の人たちだった。それほど大きな権力も持たない伯爵だったはずだ。社交界にも常識的な頻度でしか参加していない。何らかの術をその二人に掛けられるほど交流があった人間は非常に限られる。ロドニーと面識があり、かつベリンダの父母とも関わりがあった者――該当者はほんの数人だろう。少なくとも、ユナティアン皇国の人間は除外される。スリベグランディア王国の者であること、伯爵領とそれほど離れて居ない場所に居て年齢が近しい者であることだ。真っ先に思い浮かぶのは、クラーク公爵家の人間である。
証拠はない。事実を確かめる手段もない。それでもたった一つの仮定が事実に違いないと、リリアナは直感していた。まさかと思いながらも、頭のどこかで納得してしまう。もしその仮定が正しいのであれば、王太子の婚約者候補から外れたとしても破滅から逃れられるとは限らないのではないか――そんな疑念が湧き上がる。
(それでも、確証を探さないと――)
もし仮定が間違っていたら被害は拡大するばかりである。証拠の心当たりは、祖父ロドニーと母ベリンダの両親に掛けられた術を描いた陣やそれに類するものしかない。それも処分されていたら見つけることすらできない。
リリアナは顔を上げた。前を歩く父親の背中が目に入る。堂々とした歩みは揺ぎ無く、経験と知識に裏打ちされた自信で満ちていた。
彼は黙して語らない。だが、十九年前の政変で功績を上げ先代国王に認められた経歴を持ち宰相の座を射止めた公爵は、どのような人生を歩んで来たのか。振り返ればその道は茨だったのだろうが、どれほどの血を流したのか。
政変に関しては書物で語られるだけではない。未だに語り継ぐ人もいる。更に、綺麗事だけが綴られた公式に認められる歴史書にはない裏の歴史を、豊富な蔵書に囲まれたリリアナは知ることができた。平民は大量の血を流し、そして貴族たちも小さくない傷を負った。未だに恨みを抱く者たちもいるだろう。
その全てを背負っている父親の――クラーク公爵の背中はとても大きく、底が見えない。
滲み出る覇気にも似た気配に、人は畏怖を覚えるのだろう。けれど、リリアナはただ目を眇めるだけだった。
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