表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
107/563

18. 棺と黒文様 5


どうやらアジュライトの大笑いは、普段の話し声と同じでリリアナ以外には聞こえないらしいと安堵の息を漏らしたのは、翌日の朝食の席だった。恐らくリリアナには大声に聞こえた笑い声も、念話と同じようなものらしい。


(それにしても、気鬱ですわ)


リリアナは溜息を堪える。昼頃には父親である公爵がやって来るし、更に明日には他の貴族たちも参列する最後の葬礼が催される。それが終われば埋葬となり帰宅を許されるから、それを考えると嬉しいものの、そこに至るまでが面倒だ。何より、時折向けられる母親からの敵意に満ちた視線を素知らぬ振りで躱さなければならないことが疲れを増長する原因の一つだった。

更には誰にも言えない祖父に掛けられた魔物の召喚術だ。結局アジュライトに確認しても術者の特定には繋がらなかった。もし祖父がその半生を領地に引きこもって過ごしていたのであれば、術者に見当も付けられただろう。だが、彼は宰相だった。広く顔は知られているし、本人ですら知らないところで恨みを買っている可能性も否定できない。


(交友関係が狭ければ、短絡的にお父様が犯人かと疑いもしたでしょうけれど)


しかし現段階では、父親であるクラーク公爵はあくまでも容疑者でしかない。ただし、全く打つ手がないわけではなかった。祖父に掛けられた術は、対象者の名前だけでなく顔も知らなければ発動しないものだった。即ち、術者が祖父の葬儀に来る可能性は高い。参列者は相当な数になるだろうが、その全員の様子を窺えば術者候補をある程度までは絞れるはずだ。


(あとは、何故お母様のわたくしに対する態度が更に悪化したのかということ)


これまでも碌な母娘の交流はなかったから、傷つきはしない。実害がなければ放っておいても問題はないとすら思う。ただ、態度が悪化した原因が母の精神的な問題であれば特に問題はないが、他に理由があるのであれば把握しておきたい。リリアナに直接関係する原因ではなくとも、情報を手に入れることで何かあった時優位に立つことができる。リリアナは少し考えて、鼠を放つ。だが、有用な情報が簡単に手に入るとは思っていない。それでも、何かが分かれば良いと僅かな期待を胸に抱いた。



*****



昼になりようやく屋敷に到着したクラーク公爵は、クライドと執事のフィリップに出迎えられ、そのまま執務室に籠った。祖母と母は父を出迎えなかったらしいが、リリアナも部屋に籠っていたので人のことは言えない。昼食も各自の部屋で摂ることになり、家族が顔を合わせたのは葬礼に向かうタイミングだった。用意された三台の馬車にそれぞれ祖母とリリアナ、母ベリンダと兄のクライド、そして公爵と分かれ乗る。碌な会話もなく、昨夜と同じ手順で葬礼は粛々と進められた。ただ、翌日の午前中に控えた最後の葬礼に向けた準備は殆ど終わっているようで、教会内の装飾や椅子の配置が変わっている。


全く打ち解けることもなく葬礼を終えて屋敷に戻った一行は、そのまま会食という名の晩餐のため食堂に集った。公爵の合図に従い、使用人たちが手早く料理を持って来る。決まりに則り祈りを捧げた後、誰も口を開かないまま食事は始まった。気まずい食卓は一人の食事よりも味が落ちる。当主であるエイブラムが来たため料理人たちは腕によりをかけて凝った料理を作り上げたようだが、生憎とリリアナは全く味を感じられなかった。ただ機械的に食材を口に押し込み、咀嚼して飲み込む。一人手持ち無沙汰になっては気まずいので、家族の食事速度を鑑みながらゆっくりと食事を進めた。

静寂に満ちた食堂に、使用人たちが動く音と微かに食器が動く音が響く。公爵家の人間ばかりであることもあり不作法な音はしないものの、髪の毛一本が揺れ動く風音さえ聞こえるのではないかと思うほどだった。


「――父上」


耐えられなかったのか、それとも空気を柔らかくしようと思ったのか、沈黙を破ったのはクライドだった。公爵は無言で視線をクライドに向ける。気が弱い者であれば怯むような雰囲気だったが、クライドは平然と視線を返して「視察の件ですが、詳細を考えましたので後程ご確認いただけますか」と尋ねた。


「分かった。時間を取ろう」


一切感情のない声音で公爵は頷く。そこで話は終わるように思われたが、意外なことに母のベリンダが口を開いた。リリアナは終ぞ聞いたことのない柔らかな声音と目線をクライドに投げかけている。


「クライド、視察って今度、ユナティアン皇国の皇子がいらっしゃる時の?」

「はい、母上」

「まあ、素敵。とうとう貴方も立派に領主の仕事を学び初めているのね。どこへ行くの? やはり染色特区かしら。それから香水とハーブも素晴らしいものがあったわ」


リリアナは直接顔を母へ向けないよう気を付けながらも、視界に入った彼女の表情に驚きを隠せなかった。ほんのりと頬を紅潮させ目を輝かせている母の表情は、リリアナにとって初めて見るものだった。だがクライドは普通の態度を貫いている。恐らく、彼にとっては普段通りなのだろう。

初めて眼前に突き付けられたクライドとリリアナに対する態度の違いに、彼女は息が苦しくなった気がした。深呼吸をして落ち着かせようとする。だが、それよりも早く頭に痛みが走る。咄嗟に手を握りしめやり過ごした。幸いにも、食器を鳴らすような不作法は避けられた。どうにか頭と胸の痛みを逃したリリアナはホッと息を吐く。ふと視線を感じてそちらに目をやると、公爵がリリアナを鋭く見ていた。


(――――?)


一体なんだろうかと、内心でリリアナは首を傾げる。だが、公爵は直ぐに視線をリリアナから外した。問い質す隙もない。

一方で、クライドは真面目な顔でベリンダに答えていた。


「染色特区には行くよう考えています。香水とハーブも良いのですが、それよりも我が領が誇れるものとして農具の鍛冶場をご案内できればと――」

「鍛冶場?」


ベリンダにとって鍛冶場はあまり魅力的なものではなかったらしい。不服そうに眉根を寄せている。だが、クライドは気にせず頷いた。

皇子にとっては香水とハーブよりも鍛冶場の方が興味深いだろうし、何よりも他の領地や隣国と比較してクラーク公爵領が優れていると自信を持てる最上位の特産品は染色と農具だ。鍛冶場に行くという選択肢は外せない。

だが、異を唱えたのはベリンダではなかった。


「鍛冶場は許可できない」


鶴の一声が食卓に響く。一瞬、クライドは言葉を失った。ベリンダも顔を一瞬にして蒼褪めさせ、小さく身震いする。クライドは白い顔で、しかし気丈に父に向き直り硬い声で尋ねた。


「それは、何故でしょう」

「許可はできん。他の案を探せ」

「明らかにしてはならない場所は視察を許可しません。問題のない範囲でのみの視察とします。それでも、」

「ならん」


答える気はないのか、公爵は素っ気ない。それでもクライドは食い下がった。わずかに手が震えている。リリアナだけでなく、クライドにとってもエイブラムは父親である以前に公爵だった。自分よりも遥かに年上で経験も豊富であり、更に厳格な性格である公爵に甘えた記憶は全くない。リリアナは公爵と殆ど会話もしたことがなかったが、クライドは領地経営や教育に関する事柄しか話したことがない。だからこそ、クライドもエイブラムと話すときはどうしても緊張してしまう。


一方で、リリアナはそっと眉根を寄せていた。公爵は若くして先代国王の信を得て宰相の座を射止めた。性格はともかく、頭脳明晰さは確かである。だからこそ、鍛冶場を許可できない理由は何かしらあるはずである。


(わたくしが手持ちの情報で推察できる可能性は機密情報の漏洩ですけれど、それは今明確に否定されましたものね)


だが、それ以外に理由は思い付かない。

クラーク公爵はわずかに侮蔑を含んだ視線を息子に向けた。


「ユナティアン皇国内は今、政情が不安定だ。これを聞いてもなお鍛冶場の視察が必要と言うのであれば、お前は我が公爵家に相応しくない。納得できたら修正案を執務室に持って来い」


それだけを告げると、公爵はナプキンで口を拭い立ち上がる。仕事をしに執務室に戻るつもりなのか、食事が途中であるにもかかわらずフィリップを手招き部屋を出た。

リリアナは食器の上に残された食事を何と無しに眺めながら、父親の言葉を反芻する。


(つまり、武器を造ることができる鍛冶場を見せることで、ローランド皇子をクラーク公爵家が支持していると思われてはならないと言うことかしら)


クライドは唇を噛み締めたが、俯くのは堪え震える手で食事を再開した。ベリンダがそっと気遣うような視線を彼に向ける。リリアナのことは存在しないものと扱っている様子に、しかしリリアナは気にせず耳だけを傾けた。


「クライド。気にしなくて良いのよ。貴方は頑張っているわ。あの人のことを理解できなくても悲しまなくて良いの」

「いえ――母上。私が未熟であることは重々承知しています。父上のようにしっかりと公爵領を治め、この国のことを思うためには――」


クライドはわずかに苦笑を浮かべて首を振る。だが、ベリンダも頑として譲らなかった。クライドの言葉を「違うわ!」と遮る。


「未熟とか、そういう話ではないのよ。貴方は貴方のままで居て欲しいの」


しかしクライドは答えない。曖昧に微笑むに留めた。それがベリンダには納得できなかったらしい。更に身を乗り出し、目を爛々とさせ「クライド!」と息子の名を呼ぶ。その声は徐々に高くなるが、自覚がないまま彼女は言い募った。


「貴方は貴方でなければ駄目なのよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()! だからあの人の真似などしないで、お願いだから!!」

「母上!」


リリアナがその場に居るにもかかわらず、その存在を無視どころか否定する言いざまに、さすがのクライドも声を荒げた。


「母上と言えども、そのお言葉は看過できません! リリーは」

「その名前を口にしないで、聞きたくもない!!」


完全に癇癪を起こしたベリンダは金切り声を上げた。絶句するクライドに、ベリンダは髪を振り乱してテーブル越しに訴えかける。一方、実の母に名前を耳にしたくないとすら言われたリリアナは、傷つくどころか内心で呆れ返っていた。食事のために同席するのは構わないのか、と突っ込みたいが、下手に口を挟めば更に手が付けられなくなることは明らかだ。


「クライド、何を言ってるの! 貴方はそんなことを言う子じゃなかったでしょう、それにあたくしの言葉の意味が分かるはずよ、貴方は――――……!!」


リリアナは我関せずと溜息をそっと口から逃しながら、そっと皿の上の肉をつついた。父に倣って早々に部屋を出たい。使用人たちも気まずそうに視線を彷徨わせている。

収拾が付かなくなるかと思われた夕食の場だが、ずっと黙っていたバーバラが使用人から受け取った盆で強くテーブルを叩いた。衝撃でグラスや食器が揺れるが、テーブル自体が重たいこともあり実質的な被害はない。


「静かにおし!」


礼儀作法の対極に位置するバーバラの行為だが、癇癪(ヒステリー)を起こしたベリンダを落ち着けるには十分な威力を発揮した。驚いたように椅子に崩れ落ちたベリンダは、動悸を抑えるように胸を押さえて目を見開いていた。三人の視線を集めたバーバラは、両眼に涙をためていたが気丈な様子を崩さない。凛とした姿勢でベリンダを見据える。


「貴方は、なんですか、ベリンダ。何とみっともない。それでも公爵夫人ですか。今日は――貴方の義父であり、そして偉大なる前公爵の喪に服すべき時なのですよ。貴方は貴方のご両親が亡くなった時、癇癪を起こし故人を偲ぶ時を台無しにする者が居たら許せましたか」


静かだが声は震えている。こみ上げる激情を必死に押し殺しているのだと、見ているリリアナたちにも伝わった。緊張が食堂を満たす。その中で、バーバラは静かに立ち上がり使用人に告げた。


「残りの食事は部屋へ持って来て頂戴。会食は――途中までですが、共に食べたので良しとしましょう」


そして、静かに食堂を出て行ってしまう。その後ろ姿を見送ってしばらく、ようやく衝撃から立ち直ったらしいベリンダは唇を噛み締めた。


「――お義父様だけだったら良かったのに、何故お父様とお母様まで――――!」


低く呟いたかと思うと、乱暴に立ち上がる。椅子が大きな音を立てた。ベリンダは、椅子に足を引っかけて転びそうになりながらも後ろを振り返らずに食堂を出る。

静けさを取り戻した食堂で、クライドとリリアナは閉じられた扉を見ていたが、やおら視線を合わせた。クライドが苦笑を零す。


「とりあえず、デザートまで食べようか。せっかく料理人が作ってくれたしね」


リリアナは頷いた。久し振りに訪れた公爵のためを思って作られた心尽くしの料理に罪はない。リリアナは冷めた肉を口に放り込んだ。ようやくソースが果実酢に玉ねぎを刻んだものだと気付く。ほんのりとした甘みは蜂蜜だろうか。冷めた肉でも美味しいと思える。


食事を楽しむ一方で、リリアナは最後にベリンダが漏らした言葉を振り返っていた。どうにも違和感の残る台詞だ。音で聞けば同じ単語のように聞こえたが、恐らく“前公爵だけだったら良かったのに、何故私の父母まで”と言ったのだとは分かる。ベリンダの父母はリリアナが産まれた時に亡くなったと聞く。その二人の死と、前公爵ロドニーの死に何らかの関連があるのか――。

そんな思索を遮ったのはクライドだった。肉料理の皿が下げられていくのを横目に、「視察の話だけど」と口を開く。


「父上が仰ったことを考えたんだけどね。僕のところに情報は入って来ていないけど、恐らくユナティアン皇国はまだ皇太子が決まっていないから、誰が次期皇帝になるのか、貴族たちが争っているという事なんだと思う」


リリアナは頷いた。どうやらクライドもリリアナと同じ結論に至ったようだと思いながらも、遮ることはしない。紅茶で口を潤し、続きを待った。


「鍛冶場は農具だけでなく、武器を造ることもできる。我が領の鍛冶場では殆ど農具しか造っていないけど、その資源を全て武器に回したらかなりの量になる。視察に鍛冶場を含めてしまえば、クラーク公爵家がローランド皇子を支持しているとユナティアン皇国に思われてしまうだろうね」


やはりリリアナの推論と同じだ。それに、とクライドは言葉を重ねる。


「クラーク公爵家はスリベグランディア王国でも有力貴族だと知られているから――下手をすれば、スリベグランディア王国自体がローランド皇子を皇太子として支持すると思われかねない」


それならば、リリアナとの会話でも上がっていた他の候補――香水やビール、葡萄酒、毛織物の生産地を案内する方が良いだろう。他の候補も考えておいてよかったね、と苦笑するクライドに笑みを返しながら、リリアナは食堂で晩餐を楽しんだ。



18-1

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ