表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
106/563

18. 棺と黒文様 4


非常に気まずい中で会食を終えたリリアナは、部屋に戻った。アジュライトがソファーの上で寛いでいる。どうやら寝ていたらしく、目を(しばたた)かせてリリアナを見上げた。リリアナは戻ったと伝え、疑問を口にする。


「あなた、お食事は?」

『食べなくとも問題ない』

「便利ですわねえ」


リリアナはにこにこと笑いながらアジュライトに近づいた。黒獅子が寝ころんでいるソファーの端に腰かける。そして、単刀直入に用件を伝えた。


「あなたの助言に従って、祖父の遺体と棺に妙な術が施されていないか確認してみましたの」

『へえ。どうだった』


アジュライトは目を煌めかせて体勢を変える。リリアナに向き合い続きを促した。どうやらアジュライトはあくまで推測しただけで確信はなかったらしいと、その態度からリリアナは推察する。だが、何故そう考えたのかを問う前に事実を伝えようとリリアナは言葉を続けた。


「結果は、何もありませんでしたわ」

『それなら良かったじゃないか』

「ただ、一つ気になることがありますの」


詰まらん、と言いたげに顔を前足の上に下ろした黒獅子に向けてリリアナは声を潜める。気になったのか、アジュライトの耳がぴくりと動いた。


『気になること?』

「神官が祈祷を始めますと、祖父の体の周囲に黒い靄が漂いましたのよ。祈祷を終えると消えましたけれど」


途端にアジュライトは目を細めた。双眸が不思議な光を湛え、何かを思案するような顔つきになる。リリアナはほんのわずかな変化でも見逃すまいと獅子の顔を注視し、言葉を続けた。


「わたくしが思いますに、祖父は既に魔が入った後だったのではないかと。貴方はどうお考えになります?」


リリアナは問いかけるがアジュライトは黙り込んでしまう。しばらく深刻な顔で考えていたが、おもむろにリリアナを見やると逆に質問を投げかけた。


『どうせ確認に行くんだろう? それなら俺もついて行く』

「あら、あなたが?」


アジュライトの申し出は予想外だった。リリアナは目を丸くする。だがアジュライトは本気らしく視線をリリアナから逸らさない。

勿論リリアナは一人で今夜教会に行くつもりだ。教会の周囲に結界があるため通常であれば中に転移はできないが、今回は地下墓所の椅子にリリアナの持ち物である指輪を置いて来た。正式な魔道具でこそないものの、転移の目印にはちょうど良い。リリアナはその指輪を使って教会内部に侵入する心算だった。


「ええ、わたくしは構いませんわ。転移の術で参ろうと思っておりましたが――貴方はそれで宜しくて?」

『ああ、俺なら問題ない』


黒獅子はにやりと笑う。リリアナは首を傾げた。


「ねえアジュライト、貴方はこういったことに詳しいの?」


アジュライトと名付けた黒い獅子は、前世のゲームには出てこなかった。勿論、名前も聞き覚えがない。だが、話をしている限りでは魔術や呪術にある程度造詣があるように窺える。何よりも人ではない存在だ。ゲームのシナリオに影響を及ぼす可能性はあっても、リリアナにとっては有力な助っ人になる可能性が高い。


『それなりには。人間よりは詳しいつもりだ』


案の定、あっさりと黒獅子はリリアナの疑問を肯定する。つまりリリアナたちは魔術や呪術を体系化し理解しているし、その体系に基づいた理解で利用しているが、アジュライトはその体系に捉われない観点から魔術や呪術を習得している可能性が高いということだった。

ふとリリアナは更なる疑問を口にする。前世で読んだ物語でも今生で手に取った書物でも、知能を持つ人外生物は非常に長寿であることが多かった。


「――貴方、何歳なの?」


だが、その質問はアジュライトにとって意外だったらしい。不思議そうに目を瞬かせて首を傾げた。


『年齢――と言われると難しいな。俺たちと人間の時間の概念は違う』

「まあ――」


リリアナは口を噤む。宇宙と地上では時間の進みが違うと聞いたことがあるが、それと同じような意味合いだろうかと考えていると、アジュライトは言葉が足りないと気が付いたのか更に説明を加えてくれた。


『俺たちが一瞬だと感じる時間も、人間にとっては数百年だったり数千年だったりする。だが、時々その逆になったりもする。だから一概に何歳だと言い切ることはできない』

「そういう意味ですのね」


ようやく納得できたとリリアナは頷く。アジュライトもそれ以上詳しく話す気はない様子だった。ぴょんと跳んでソファーから降りると、黒獅子は尻尾でぺしぺしとソファーの座面を叩いた。早く行こうと言っているらしい。

リリアナは窓の外を見る。外は日が陰り、今にも暗闇に支配されそうだった。湯あみの時間まではしばらくあるし、マリアンヌはリリアナが頼んだドレスの修繕でしばらく手が離せないはずだ。転移の術を使えば教会で一仕事する時間はあるだろう。


「参りましょうか」


リリアナがそう言って立ち上がると、アジュライトはにやりと笑ったように見えた。



*****



リリアナとアジュライトは一瞬のうちに教会の地下墓所へと転移を果たした。誰もいないその場所は蝋燭の灯りが消えているせいか全く周囲が見えず肌寒い。リリアナは魔術で灯りを燈した。


『さすがに教会だな、だが結界はそこまで強くはないか』


アジュライトが呟く。リリアナは頷いて、椅子の座面と背もたれの間に押し込んでいた指輪を回収した。明日の夜に、今度はクラーク公爵も含めて葬礼に来る。その時に回収しても問題はないだろうが、万が一昼の間に誰かに見つかっても面倒だ。

リリアナのその行動に、アジュライトは目敏く気が付く。にやりと笑って『なるほど』と納得した様子だった。


指輪(それ)を目印にしていたのか』

「ええ。時間帯によって結界が強化されている可能性もあるかと思いましたの」


指輪を見ただけで、転移の際の目印にしたと気が付く分アジュライトは呪術を良く理解していると言えるだろう。否応なく、人間よりは詳しいと断言した黒獅子の言が事実であったことが証明された。

リリアナは指輪を左手に付けた。そして祖父が納められた棺に近づく。棺には蓋が閉めてあった。勿論公爵令嬢の細腕で持ち上げられるようなものではない。最初から試みるつもりもなく、リリアナは魔術で蓋を持ち上げた。保存剤の独特な臭いが漂う。決して良い香りではない。


『これがお前の祖父か』

「ええ」


アジュライトはリリアナの横から伸びあがり、棺の端に前足を掛けて中を覗き込んだ。鼻面に皺を寄せて、黒獅子は低くぼやく。


『見ただけじゃあ分からんな』

「解術をしてみようかと思うのですけれど、他に良い方法を思い付きまして?」


元々、リリアナは一人で来るつもりだった。呪術の勉強はしていると言っても、呪術は魔術よりも体系化が遅れているせいで思ったようには進まない。世間一般と比べると長じているが、今回は確実で自信もある魔術を使う予定だった。だが、予定外にアジュライトが居る。元々祖父の遺体に魔が入り込む可能性を示唆したのがアジュライトであることもあり、解術よりも確実な手段を黒獅子が知っているのであれば、そちらを使うことに躊躇いはない。

質問されたアジュライトは、少し考えていた。不可思議な光を湛える瞳が何かを探るように遺体の頭から爪先までを凝視している。


『いや――一旦解術をしてみてくれ』

「承知いたしました」


リリアナは蓋を棺に立てかけて、棺が中央になるように解術の陣を魔術で描いた。通常であれば陣は手書きだが、魔術で陣を描いた方が効果が高い。その上、六芒星の隅に置く魔導石も省略できる。ただし非常に魔力を削られるので、やりたがる人間は居ないだろう。そもそも出来る人間も滅多にいないはずだ。


「【我が名に於いて命じる、汝の真なる姿を示せ】」


詠唱を唱えれば、陣に描かれた様々な文様が不思議な光を放ち始める。空中に金色と紫が混じった光の靄が広がり、空中に文字を作った。浮かんだ文字は消え、更に違う文字が浮かび上がり、それを繰り返していく。


「――予想通りですわね」


思わずと言ったようにリリアナは溜息を吐く。陣が動き文字が現れた――つまり、既に祖父の体は魔に犯された後だったということだ。一方でアジュライトはその様を見て息を飲んだが、すぐに『ほう』と感嘆の吐息を漏らす。


『綺麗なものだな』

「お褒めに与り光栄ですわ」


リリアナは優雅に礼を告げるが、その双眸は一言も見逃すまいと宙に浮かんだ文字を追う。だが、その文字を追っていくリリアナの顔からは表情が消えていく。愕然とした表情からは血の気が失せ始めていた。そしてアジュライトも、リリアナと同じ文字を読み取り顔を顰めている。

やがて術が終了し、同時に浮かんでいた光の靄も消え去った。しばらく地下墓所には沈黙が落ちる。リリアナは深い溜息を吐いて、蓋を元通りに魔術で戻した。そしてアジュライトに顔を向ける。


「わたくしの勘違いでしたら宜しいのですけれど」

『奇遇だな。俺も今、つくづくそう思っているところだ』


アジュライトの声もリリアナに負けじと苦々しい。

二人――否、一人と一匹には少しばかり気持ちを落ち着かせる時間が必要だった。一旦屋敷に戻ることにして、リリアナは転移の術を使う。相当量の魔力を消費する術式を使ったにもかかわらず、彼女は平然としていた。疲労を感じているとすれば、それは祖父に掛けられた術が()()()()()予想外のものだったからだ。


部屋に転移したリリアナはソファーに腰かける。どれほど疲れていたとしても、伊達に王太子妃教育を受けていない彼女の所作には気品があった。アジュライトはその対面のソファーに飛び乗り腰を落ち着ける。少しして、沈思黙考していたリリアナはアジュライトに目を向けた。


「認識のすり合わせをしても宜しいかしら」

『ああ』


アジュライトは重々しく頷く。リリアナはわずかにほっとしたように頬を緩めた。自分の勘違いではないと思うが、見間違いである可能性や解釈が異なっている可能性もある。


「あの術――何者かがお祖父様の体を媒介にして、魔物を召喚しようと試みていたという解釈であっているかしら?」


一瞬、アジュライトは沈黙する。だが、やおら頷いた。


『魔物というか人に非ざるものというか――まあ、お前たちの言葉を借りれば魔物だろうな』

「――ええ」


勿体ぶった黒獅子の言い回しに首を傾げるが、先に事実確認が必要だとリリアナは更に質問を重ねる。


「その術が失敗したようだ、とわたくしは受け取ったのですけれど。貴方はいかが?」

『失敗したんだろうな。成功していたらあそこまで綺麗な遺体にはならないし、それに浮き上がった文様を見ても召喚されたのは瘴気だけだったと読み取れた』


淑女としてはしたないと知っていながらも、リリアナは大きな溜息を堪え切れなかった。痛み始めたこめかみを指先で撫でる。


「最悪の事態は避けられましたけれど、次がないと言い切れないのが頭の痛いところですわね」


リリアナは“魔物”と形容したが、文様から読み取れた術の規模や内容から言って、術者が単なる魔物に収まらない存在を召喚しようとしたことは確実だった。いうなれば魔物を統べる存在――魔王。それほど高位でなくとも、魔王の手足となるような悪魔。いずれにせよ、成功していればスリベグランディア王国の平穏は搔き乱される。下手をすれば魔の三百年間が再び到来することになっただろう。

ふと、リリアナは心に浮かんだ疑問を口にした。


「でも、何故術に失敗したのかしら。文様をみる限り、成功してもおかしくはなさそうな術でしたけれど」


だが答えはない。再びリリアナがアジュライトに顔を向けると、黒獅子はソファーの上で緩慢に目を瞬かせた。リリアナが様子を窺う中、やおらアジュライトは口を開く。


『高位の――いわゆる、魔物を召喚するのは非常に難しい。それは何でだと思う?』


問われて、リリアナは少し考える。スリベグランディア王国には召喚術に関する書物はそれほど多くない。王宮図書館にも一冊か二冊ある程度で、リリアナはその知識を王都近郊にある屋敷にある蔵書とペトラの講義で蓄えた。


「召喚に応える気がある魔物しか召喚できない、ということでしょうか」


考えながら自分なりの答えを導き出す。すると、アジュライトは重々しく頷いた。


『その通り。高位であるということは即ち知能が高いということだ。低位の、自分の意志など殆ど持たん魔物は簡単に召喚できるが、知能が高い魔物は簡単には召喚に応じない。程度の知れた術者に使われるなぞ、矜持が許さんからな』

「それは分かる気が致しますわ」


リリアナは素直に頷いた。身も蓋もない言い方をすれば、自分よりも馬鹿な奴の下で働きたくないということだろう。知識や力がなくとも相手の意見を謙虚に聞き取り入れる相手であれば良いが、自分の優位を確信して理不尽で無茶な命令を下す可能性を考えれば、アジュライトの説明は理に適っているといえた。

アジュライトは面白そうに笑ってリリアナを見る。


『ほう、分かるか』

「ええ。上が愚かですと、下が苦労するとは良く言ったものですわね」


一瞬、アジュライトが目を瞠る。一拍置いたのち、黒獅子は大口を開けて、酷く楽しそうに大笑いした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ