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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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18. 棺と黒文様 3


祖父の棺が納められた教会は、屋敷から馬車で二十分ほど移動したところにある。大小の尖塔が印象的な石造りで、中央部分には円形のステンドグラスが嵌められていた。それほど大きくはないものの、中に入れば広々とした開放的な造りになっている。

アーチ状の柱と天井が美しい姿を織りなす回廊を歩き、一行は地下墓所へと向かった。そこに、一時のことではあるが棺が安置されている。


バーバラ・クラークは、夫が亡くなってからというもの毎日のようにこの教会へ足を運んでいた。何度泣いても、悲しみは後から後から湧いて来る。体が干からびてしまうのではないかと思うほど、止めどない涙は溢れるままだった。


バーバラが夫のロドニーと出会ったのはまだ十歳にもならない時だった。領地が近く小さい頃からの許嫁だった。ロドニーは幼い頃から理知的な面差しで頭も良かった。宮廷文学に良く出て来る“勇敢で女性に優しい騎士”ではなかったが、バーバラは一目惚れだった。会えば会うほど、彼の鋭利な魅力に虜になった。


『私は生涯の唯一は主だけと決めている』


結婚式の日に、ロドニーはただ一言そう告げた。バーバラは理解できなかったが、それでも憧れの人と結婚できるのが嬉しくて従順に頷いた。

ロドニーはそれでも、彼なりに優しかった。クラーク公爵夫人としてバーバラのことを丁重に扱ってくれたし、自由も与えてくれた。愛人も作らず職務に邁進し、家に帰らないことも多かったが、それでも構わなかった。夜会で夫の活躍や良い噂を聞く度に、公爵夫人として夫を支えている自分の存在を認められた気になった。先代国王に認められたロドニーは、他の貴族にも慕われるようになった。それは当然バーバラの夜会での地位を高め、一層彼女の献身を後押しした。


当主を息子のエイブラムに譲り宰相の座を下りた後、それでもロドニーは陰ながら先代国王を支え続けた。息子よりも国王を優先する姿は誇らしかった。それこそ三大公爵としてあるべき姿だと鼻が高かった。


「ロドニー」


バーバラは愛する夫の名を囁く。目を閉じた夫は棺の中で変わらぬ姿を残している。彼女は震える手で棺の端に触れた。眠りが浅い人で、バーバラが少し動けば目を覚ます人だった。それなのに、今は名を呼んでも身動ぎ一つしない。


「貴方が居なくなってしまって、私はどうすれば良いの――?」


先代国王が崩御した時、唯一を失ったロドニーは完全に引退することを決めた。仕える主がいない王都に、未練はない様子だった。そこで初めて、ロドニーはバーバラを見た。妻の手を取って、ロドニーは領地を見て回ろうと言った。視察のためではなく、ただ二人の楽しみのために。


『今まで貴方が居たから、私はここまで来られたのだな』


政変で荒れた土地が再び人で賑わっているのを見たロドニーが、ある日そんなことを呟いた。それだけで、バーバラは全てが報われる気がした。

ただ夫を支えるだけで満足していた。それが二人の愛の形だと信じていた。だが、夫の何気ない一言で、いつの間にか心の中に積もっていた澱が消えてなくなった気がした。

言葉数の少ないロドニーはただ不器用なだけだった。殆どバーバラが一方的に話すだけだったが、彼女が好きだと言った花や宝飾品はちゃんと覚えてくれていた。ある時、とある別荘で本を読んでいたバーバラに不機嫌な表情のまま花束を持って来てくれた。束ねられていた花は全て、バーバラが昔彼に好きだと教えた花だった。


もう、仕え支える夫は居ない。ただ泣き濡れ日々を過ごすだけなのも空しいが、他にすることも、求めることも思いつかない。悲しみと虚しさだけが心の中に広がっていく。


「ねえ、ロドニー。心から貴方をお慕い申し上げておりましたのよ、――本当に」


決して、愛という言葉をロドニーから聞くことはなかったけれど。

それでも確かにバーバラは、厳格な夫から愛を感じていた。



*****



棺を前に悲愴な顔を見せるバーバラを見て、リリアナは内心目を瞠っていた。どうやら祖母は心の底から祖父を愛していたらしい。祖父のどこにそこまで惹かれる要素があったのか、殆ど交流のなかったリリアナには分からない。ちらりと横目で窺ったクライドは祖母ほどではないものの、どこか悲し気に目を伏せている。リリアナと比べて少しは祖父とも関わりがあったせいだろう。


ふとリリアナは視線を感じて、そちらへ顔を向けた。


「――っ」


思わず息を飲む。これまでも嫌悪に満ちた感情をぶつけられたことはあった。嫌われているのだろうと、その度に何度も思った。だが、今リリアナに向けられている視線はそれよりも更に強いものだった。


(――お母様?)


リリアナは目を瞬かせる。視線があった途端、ベリンダはリリアナから視線を逸らす。だが、見間違いではない。ベリンダがリリアナに向ける視線には、明確な憎悪――そして殺意があった。

屋敷を出た時から、ベリンダはリリアナから距離を取っていた。馬車をわざわざ二台用意させ、リリアナと祖母を共にし、自分はクライドと二人で乗った。だからリリアナも気付くのが遅れたが、母親の(リリアナ)に対する感情は以前よりも悪化している。


母と会ったのは実に三年振りだ。その間に一層リリアナを憎く思うようになったのか、それとも何かの切っ掛けがあったのかも分からない。切っ掛けがあったとしても、一体それが何だったのかリリアナには分からないままだ。


(差し向けられている刺客の主は未だ分からないままですけれど、依頼主の一人がお母様であるという可能性もございますわよね)


ずっと考えていた可能性ではあったものの、本気で調査したことはない。ベリンダがリリアナ暗殺を企み刺客を差し向けていたと分かったところで、リリアナには現状為す術がない。さすがに報復と称して実の母(ベリンダ)を殺害したり意志を奪うのは憚られる。リリアナは気にしなくてもクライドが心を痛めそうだし、リリアナ自身が身の破滅を避けるためには攻略対象者であるクライドから恨まれるような事態は避けるべきだった。


(今のところはお兄様に気付かれないよう始末することはできましょうけれど、将来的にお兄様が気付く可能性を考えますと――止めておいたほうが無難でしょう)


リリアナは溜息を吐いて首を振る。前世の記憶を辿れば、リリアナとクライドの母はゲーム開始前に死んでいた。クライドは母が突然亡くなったことを機に、その才能を開花させ、ゲーム内でも随一の頭脳派になるのだ。つまり、リリアナが身を守るためにベリンダを殺害すれば、クライドに知られる可能性がないとは断言できない。

リリアナはたとえ殺意を向けられていても、実害がないよう身を守る他に術がないということだ。幸いにも魔術には長けているし防御系の魔道具も持っている。すぐに暗殺される心配もないはずだ。


(とはいえ、フォティア領の屋敷はわたくしが結界を張っている訳でもございませんし、隠し部屋もございましたから、油断は禁物ですわね)


フォティア領の屋敷にある隠し部屋の存在は、二年ほど前に忍びこんだ際に知った。その時は視察のため染色特区を訪れていたが、クラーク公爵領の移民の状況を知りたくて単身、遥かここまで転移したのだ。その時、偶然にも執事のフィリップが隠し部屋に通じる扉を開いたことで発覚した。隠し部屋には魔術や呪術の書物や魔道具が山とあった。一体何のために用意された部屋なのかは分からなかったが、隠されているという事実だけでもあまり良い予感はしない。

そういえば、アジュライトと出会ったのも隠し部屋を見つけた日だった。しかも場所はここ――フォティア領の屋敷だ。そして更に、そのアジュライトは祖父が埋葬されるまで気をつけておくように助言をくれた。


(確か――教会に結界が張られていても、内部(なか)から呼んでしまえば魔は防げない、でしたか)


脳裏に蘇るのは、最後に王都近郊でリリアナが制圧した魔物襲撃(スタンピード)だ。あの時の魔物は人為的に造られた存在だった。それも、恐らく()()()()()()。仮に、それと似たような理論で魔を呼び寄せ遺体に憑依させるのであれば、あの日ペトラが命を賭してでも持ち帰ろうとした魔導石に掛けられたのと同種の術が遺体か周辺のどこかに刻まれているはずだ。


「それでは、本日の葬礼を始めます」


姿を現した神官が重々しく告げる。合図に従い、リリアナたちは棺の前に置かれた簡素な椅子に腰かけた。バーバラのすすり泣く声が涼しい空間に響く。大人しく故人を偲ぶ様子を演じながら、リリアナは意識を棺に向けた。


(【透視(ヘルズィン)】)


半ば賭けのような気持ちで棺と遺体に魔術や呪術の痕跡がないか確認する。だが、どこにも陣が刻まれた跡は見受けられない。


(――アジュライトの思い過ごしかしら?)


そうであれば良いが、もし見過ごしていたら厄介だ。リリアナは教会全体を捜索しようかと思案する。だが、もし神官が魔術の発動に敏感であれば気付かれる危険性もある。一度屋敷に戻った後、再び夜に転移し確認した方が良いかもしれない。


神官が祈祷を始める。独特な言い回しと音程は古来から受け継がれて来たものらしく、神官としての修業を重ねない限りは身に付けることができないそうだ。どこか不安定にも聞こえる声は自然に調和し、教会の中に美しく響く。言葉は神官のみが用いる言語であり、何を唱えているのかリリアナには聞き取れない。だが、魔を祓い故人の魂を正しい光へと導くための呪であることは確かだ。通常、葬礼の際に唱えられる一般的な祈りである。


その時、リリアナは棺の付近に違和感を覚えた。黒い靄が薄っすらと棺を包むようにして漂っている。靄は瘴気に似ているが、瘴気ほど害があるようには見えない。むしろ、魔物襲撃(スタンピード)を浄化した最後の景色に似ている。魔物襲撃(スタンピード)は浄化しても一瞬で瘴気が消えるわけではない。一定濃度までは急速になくなるが、その後は霧が晴れていくように徐々に薄くなる。棺の上に現れた黒い靄は、その徐々に薄くなる瘴気を思い起こさせた。


(もしかして)


リリアナは瞠目した。


()()()()()()()()()()()――?)


神官の祈祷が終わると共に、棺を包んでいた黒い靄は見えなくなる。


「ありがとうございました」


クライドが代表して礼を言い、リリアナも合わせて立ち上がる。その時、タイミングを見計らって何気なく椅子の上に指輪を置いた。神官に気が付かれないよう、背もたれと座面の隙間に押し込む。祭礼が終わったから、これから屋敷に戻って会食がある。だが、リリアナは最後まで黒い靄のことが脳裏から離れなかった。



14-11

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