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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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18. 棺と黒文様 1


王都近郊にあるリリアナの屋敷に、その日は珍しく客人が来ていた。簡素だが品の良い家具で調えられた応接間に通されたクライド・ベニート・クラークは、持ち込んだ書類と地図を卓上に広げている。リリアナも真剣な表情で兄の説明に耳を傾けながら、手元の資料を覗き込んでいた。


「染色特区に行くことについては、父上の同意も得ている。だが王都から特区までは距離があるから、以前殿下と三人で視察に行った時のようにそれだけを目的とするのは避けたい」

〈できれば、楽しく過ごして頂ける我が領土特有の――せめて我が国特有の祭事ですとか、特産品をご覧いただけると嬉しいですわね。その特産品をお持ち帰りいただけると尚宜しいかと〉


兄の言葉を受けて、リリアナも手元に紙に意見を書きつける。クライドは「その通りだ」と頷いた。更には、国賓を招くため警護がしやすいことも必須条件だ。そうなると、選択肢は自ずと限られる。だがあまりにも四角四面に考えれば皇子を持て成すことなどできない。娯楽と興味関心、そして安全という三つの塩梅を調整することはなかなか難しかった。


「色々と候補は既に上げているんだ」


言いながらクライドが見せてくれたリストには、ハーブで香りを付けたビールや葡萄酒、毛織物等が書かれている。確かにビールはクラーク公爵領で育てたハーブを使用して作っているし、葡萄酒も同様だ。葡萄酒はともかくビールは食事として広く嗜まれているため、ユナティアン皇国から来た使者たちにも馴染み深いだろう。


ただ、いずれも物としてはクラーク公爵領特有と言い切れるものではなかった。他の領主たちからはクラーク公爵領だけが優遇されているように見えるに違いない。もしユナティアン皇国の皇子に気に入られたら、隣国への輸出も夢ではないから不平も生まれるだろう。極力それは避けなければならなかった。


〈ビールや葡萄酒は他の領地でも特産としているところがありますわね。それでしたら、各領地の特産品を王都へ持ち寄った方が宜しいような気も致しますが〉

「うん、良い着眼点だね。僕もそう思うよ、リリー。やっぱり王都に持ち寄ることのできないものを領地で見て頂いた方が良いんじゃないかと思ったんだけど、そうなると制約がある中では適当なものを見繕うのが難しくてね」


クライドは嬉しそうに微笑む。どうやらリリアナの提案には既に思い至っていたらしい。

正直なところ、リリアナはクライドが本気でローランド皇子の視察に関してリリアナの意見を欲しがっているようには思えなかった。その程度のことであれば、リリアナに相談せずとも決められるはずである。


〈それでしたら、鍛冶場は如何でしょう〉

「鍛冶場?」


それでも、頼まれたからにはしっかりと対応しなければならない。そう考えたリリアナは、少し考えてリストには載っていないことを口にした。案の定、クライドは首を傾げている。


〈ええ。ユナティアン皇国は我が国と同様、魔術が盛んな国だと聞きます。一方で農具の形はわたくしどもの領地ほど進歩していないご様子。ですので、技術が流出する危険性はございますが、クラーク公爵領の農具生産の場を視察することは理に適っているのではございませんか〉

「ああ、それは――確かに面白いかもしれない。考えもしなかったよ。確かにその考え方なら、農具の生産といっても組み立て場じゃなく鍛冶場だね」


クライドは目を瞬かせた。どうやら意表を突くことに成功したらしい。リリアナは表情には見せないように気をつけつつも、くすりと微笑みを深くした。クライドはそんな妹を尻目に、いそいそとリストの下に“鍛冶場の視察”と書き加える。

銀の採掘現場の視察も話題には上がったが、他領やユナティアン皇国の方が質の良い銀が大量に採れる。ローランド皇子にとっても目新しいものではないだろう。工業も少しずつ広がりは見せつつあるものの、スリベグランディア王国の主要産業は農業だ。


「やはり各領地の特産品を王都に持ち寄る品評会を中心に、地方への視察は限定的なものにした方が良いだろうな。染色特区は特許状の授与式もあるから視察した方が良いだろうし――先方の要望もあるしね」

〈皇子殿下から視察したいとご要望があったのですか?〉


それは予想外だったとリリアナはわずかに目を瞠る。ライリーからも話は簡単に聞いていたが、その時彼はユナティアン皇国から視察の依頼があったとは言わなかった。クライドは頷いた。


「実はそうらしい。最初は僕も知らなかったんだけど、どうやらイーディス皇女殿下が服飾品にご興味があるそうなんだ。恐らくそれが理由じゃないかという話だったな」


クライドは苦笑と共に答える。リリアナは納得した。確かローランド皇子の妹であるイーディス皇女はリリアナの一歳年下だ。非常に美しい姫として有名だが、同時に派手好きだとも聞いている。勿論、情報源はオブシディアンだ。


(確か、ゲームでは出て来なかったように思いますけれど)


内心でリリアナは呟く。攻略対象者であるローランド皇子の妹であるにもかかわらず、ゲームではイーディス皇女の名前は出て来なかったはずだ。


〈イーディス皇女もいらっしゃるのでしょうか〉


ライリーから聞いた段階では、“来るかもしれない”という非常に曖昧な情報だった。確定しているのであれば、視察の内容についても皇女が気に入るよう再考の余地がある。だが、クライドは首を振った。


「まだ確定していないんだよ。早く分かれば良いんだけどね」


どこか憂鬱そうな表情に、リリアナはおや、と思う。


〈もしかして、皇女殿下がいらした場合といらっしゃらなかった場合の二通り、計画を立てていらっしゃるのですか〉

「よくわかったね。その通り、皇女殿下がいらっしゃる場合は皇子だけを視察にご招待して、皇女は王都にご滞在いただく案も出ているんだ」


クライドは苦笑を漏らした。思わずリリアナは内心で呆れる。

皇族を招くことは国として非常に神経を使う。安全を確保することは勿論だが、楽しんで貰えるように細部まで気を使わなければならない。その内容は非常に微に入り細を穿つもので、視察や催事の内容、段取りだけではなく、食料の調達や料理の内容、貴賓室の飾りつけ、夜会の準備、諸侯の挨拶やそれに伴う宿泊場所の提供、果ては排泄物の管理まで、全てのものが日常と遥かに掛け離れたものになる。勿論普段から王宮に勤める女官や侍女、衛兵や護衛では足りず、王立騎士団は勿論王都近隣の領地からも人手を借りなければならない。その際に掛かる人件費も膨大であり、国庫で賄えなければ資金繰りを考えなければならないのだ。


日常業務に加えて発生する業務を考えると眩暈がするほどだが、外遊まで一年を切った現時点で主な来賓が確定されていないとなると、その計画を全て二通り考える必要があった。


〈もう時間もございませんでしょうに。食料や宿泊場所は足りるのですか〉

「一応、各領地には手配を依頼してはいるけれどね。魔物襲撃(スタンピード)も最近は多少ましになったとはいえ、小規模なものは相変わらず高頻度で発生しているし、被害を受けた地域も多数は完全に復活していない。正直なところ、皇子一人が来るだけでも手一杯だろう」


溜息混じりのクライドの言葉に、リリアナは同情を浮かべる。ここに来てようやく、何故クライドが視察の行程を任せられているのか薄々察した。恐らく、敏腕で知られるクラーク公爵でさえそのような些事には手が回らないのだ。国の政に関しては宰相補佐や文官たちに仕事を振れば良いが、公爵領に関しては彼らに任せるわけにもいかない。


「皇子一人に随行して来る近衛騎士団は――恐らく一中隊分、皇国ならおよそ百五十名だ。皇女となるとそこにもう一中隊分かな。合計三百名来るとなると、そろそろ食料確保のために諸侯に具体的な量を指示しておかないといけないからね」

〈特に生鮮品は遠方から運ぶわけにも参りませんしね。ある程度は魔術で保管できますけれど〉

「そうなんだよ。それにその人数が泊るとなると、いくつか離宮の開放も検討しないといけないし――」

〈更に女官と侍従が足りなくなりますわね〉


思わずリリアナは遠くを見てしまう。クライドも苦い顔を隠さない。

ユナティアン皇国はスリベグランディア王国よりも軍事力がある。たとえ王太子のライリーが隣国に外遊する場合でも、気軽に一中隊分の騎士を連れて行くわけにはいかない。つまり、皇国が一中隊分の護衛を伴う理由は皇子の安全を確保するためだけではなかった。己の属国と見做している国に、国力の差を見せつけたいのだろう。

何か他にも気にかかることがあるのか、クライドは気遣わし気な視線をリリアナに向ける。だがリリアナはクライドが何を懸念しているのか分からない。首を傾げて問う視線を向ける。


〈お兄様?〉

「いや――皇女は年齢的にリリーと同じくらいだから、もしかして殿下と――」


途中まで言いかけて、クライドは口を噤んでしまう。何でもないと言うように笑って首を振った兄を見て、リリアナはわずかに眉根を寄せた。だが、彼が言わないということはそこまで重要な話ではないのだろうと気を取り直した。


〈それでしたら、クラーク公爵領の中央では香水が特産品ですわ。皇女殿下がいらっしゃるにしろそうでないにしろ、アイリスの香水は女性に人気ですから、お土産としてもお気に召すのではないでしょうか〉

「ああ、そうか。確かにそれも良いね」


クライドはハッとしたように頷いた。リストに書き足す。他にも色々と話をしたが、特に思い当たる妙案もなく、二人は夕食を摂ってそれぞれの部屋に戻って行った。



*****



リリアナが夕食と湯浴みを終えて部屋に戻ると、いつの間にかアジュライトが寝台の近くに陣取り寛いでいた。


「あら、久しぶりですわね」

『久しぶりといっても、四日ぶりだがな』


面白いことに、アジュライトとオブシディアンが来るタイミングは重ならない。もしかしたら互いに出会わないよう調整しているのではないかと疑惑を抱いてしまうほどだ。だが、リリアナはその疑問を口には出さなかった。


「いつからいらしてましたの?」

『実は朝から。姿を消していただけだ』

「まあ、姿を現して頂ければよろしゅうございましたのに」


リリアナが眉根を寄せて苦言を呈せば、アジュライトは鼻を鳴らす。


『お前以外の人間に見られる趣味はなくてな』


アジュライトらしいと思いながら、リリアナは本を手にしてソファーに腰かけた。栞を挟んでいるページを開いて、何気なくアジュライトに尋ねる。


「お兄様はご覧になりまして?」

『ああ、見た。あんまり似てないな、お前には』

「それは外見が、ですの?」


意外な言葉を聞いたと首を傾げ、リリアナは質問を口にした。クライドとリリアナは髪と目の色合いこそ似ていないものの、雰囲気は似ていると言われることが多々ある。二人ともどちらかと言えば線が細く、儚い容姿だからだろう。

だが、アジュライトはあっさりと頷いた。


『外見もだいぶ違うだろう。アレは男でお前は女だ』

「え――ええ、全く違いますわね。そのようなつもりで尋ねたつもりはなかったのですけれど」


あまりにも斜め上の回答が返されて、珍しく一瞬口籠ってしまう。アジュライトは気にした様子もなく言葉を続けたが、今度こそリリアナは絶句してしまった。


『それに中身もな。だいぶ違う。随分とお前の兄はお前のことを好いているらしい』


リリアナは本を持った形で固まってしまう。少しばかりアジュライトの言葉を噛み砕き、眉根を寄せて恐る恐る黒獅子の方を見た。美しい瞳がキラキラと星空のように輝いている。何度見ても魅入られそうだと、どこか他人事のような感想を抱きながら、リリアナは静かに言い返した。


「お兄様は、視察のご相談にいらしたのですよ」

『口実だろう? 別にあの程度、あの男一人でも困らなかったはずだ。妹と会って喋る理由が欲しかったんだろうよ。健気だな』

「わたくしと――お兄様は、そういう関係では――」


予想外の指摘に戸惑いを隠せない。リリアナは口籠って黙り込む。

元々、クライドとリリアナにそれほど交流はない。母からは嫌われているのだろうし、父からは妙に害意を感じる。それは確実だ。母方の祖父母は既に黄泉へと旅立っているから分からないが、今も生きている父方の祖父母はリリアナに興味を持っていない。クライドは少なくとも現時点では自分のことを好きでも嫌いでもないはずだ。だから、突然“好いている”だとか“会って話したかったのだろう”と言われてしまうと、どう受け取って良いものか悩む。


(わたくしを好いて――妹と仲良くなりたいと思っていらっしゃる、ということ?)


どうにも分からない。そもそも、リリアナが知る前世のゲームでは、クライドは妹のことをどこか疎んじているようにも見えた。愛憎と言ってしまえば簡単だが、最後まで妹を愛そうと藻掻きながらも憎しみを深めていった。ゲームでヒロインがクライドを攻略した場合、リリアナはハッピーエンドで服毒を迫られ、バッドエンドで幽閉される。前者は肉親として最後の情を掛けた結果であり、後者は妹を憎み切れなかった結果だ。


(でもそれなら、納得できる気は致しますわ。距離を詰めたいと思っている妹が、結果的に闇魔術に手を染めてヒロインだけでなく王太子も害そうとしたのですもの)


尤も、今のリリアナはそのような結末を回避するために動いている。だから、考えるべき疑問点は別にあった。


(ただ、ゲーム開始時点でのお兄様は腹黒という設定でしたのよね。しかも次期宰相というだけあって、知能も高かった――今でも能力は高いですけれど、全く腹黒ではないようにお見受け致しますわ)


それは前から不思議に思っていたことだった。勿論、まだ攻略対象者たちは幼い。ゲーム開始まであと四年残っているから、その間に性格を変える何らかの要因があってもおかしな話ではない。ただ問題は、その間の情報が非常に限られているということだった。攻略本や設定資料集に書かれている内容も大まかであることが殆どで、具体的に時期を特定できる出来事(イベント)はごくわずかだ。


『お前がどう思っていようと、あの兄は妹が大好きで仲良くなりたそうだったぞ』


リリアナが思索に没頭していても、アジュライトは気にしない。あっさりと悩む少女に現実を突き付ける。

破滅回避のためには、基本的には攻略対象者たちと深く関わり合いにならないほうが良いとは思っている。だが、クライドに関しては距離を縮めて仲良くなっておくほうが良いのかもしれないと、リリアナは深い溜息を吐いた。


読みかけの本を閉じて、リリアナは寝台に潜り込む。


『寝るのか?』

「ええ、もう今日は疲れてしまったの」

『そうか』


アジュライトは頷くと、寝台の隣にある一人掛け用のソファーに飛び乗ってくるりと丸くなる。印象的な瞳が瞼の下に隠れたのを見て、リリアナも目を閉じた。


翌朝に、嵐が舞い込んで来ることも知らないまま、夢の世界へと旅立つ。外はとても静かで、穏やかな夜だった。



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