4. 襲撃者 1
王宮を出た後、リリアナは馬車に揺られ屋敷に向かっていた。
気にしなくて良いだろうと思うものの、脳裏にはライリーとオースティンの姿がちらつく。ゲームでの二人もそれなりに仲が良かった記憶があるが、今日見た二人ほど親密だったようには思えない。それがゲームと現実の違いなのか、それともゲームではヒロイン視点だったから違うように見えていたのか、今のリリアナには判断がつかなかった。
(やはり、印象が違いますわ。まあ、前世のわたくしもそこまでゲーム自体に熱中していたわけではございませんでしたし――記憶が異なっている可能性も、あるいは)
つらつらとそんなことを考えていると、馬車が止まる。
「お嬢様、こちらでお待ちください」
護衛の一人が声を掛け、一人が外へ出た。もう一人は警戒心を高め、リリアナを守るように待機する。
どうしたのかしら、と思案するリリアナは、次の瞬間総毛立つのを感じた。
(これは――初めての感覚ですけれど、恐らくは殺気。標的はわたくしでしょう)
殺気は明らかに、馬車の中――即ちリリアナに向けられていた。護衛が剣を抜いて警戒する。その意識は外に向かっていて、リリアナの行動に注意は払われていない。
それならば、とリリアナは右手を軽く振った。何もせずとも魔術は使えるが、やはり何かしら切っ掛けを作った方が、体内の魔力の流れを意識しやすい。
(【索敵】)
索敵の術は周囲にある魔力を感知する術であり、たとえば王宮内や城内への侵入者探知に使われる。だが、逆を言えば、魔力を持たない者を感知することはできない。そこでリリアナは一計を案じ、魔力ではなく体温を感知できるよう術式に変更を加えた。いわゆる魔力を駆使したサーモグラフィである。
眼前に、リリアナにしか見えない周辺地図が浮かび上がり、体温で感知した人間が表示される。そこに魔力感知の術を絡ませれば、知人とそれ以外――すなわち味方と敵の区別ができる。
(敵は、今外で戦っている三人と離れた場所に待機している九人。更に離れた場所に一人いらっしゃいますけれど、これは無関係な方かしら。いずれにしても――たった一人を襲撃するのに、念の入ったことですわね)
まったく仕方のないことですわ、と溜息を堪えることができない。しかし護衛に悟られるわけにもいかず、リリアナはぎりぎりのところで抑えた。周辺に無関係な人間がいないことだけが幸いだ。一番遠い位置にいる一人は動きからして今回の襲撃には無関係な人物だろう。
外で戦っている護衛は三人を相手に健闘している。
(さすがはお父様が採用しただけございますわ)
クラーク公爵は宰相を務めており、人を見る目も高い。父が護衛と見込んだのであれば、騎士団に勝るとも劣らない実力の持ち主であるはずだ。だが、敵も実力に自信があるようだった。
待機していた九人が、すぐにはリリアナを殺害できないと考えたのか、馬車に走り寄って来る。さすがに先に外で敵と戦っている護衛一人では手が回らない。
「お嬢様、決して馬車から出られませんよう」
馬車の中で外の様子を窺っていた護衛も、新たなる敵の襲来に勘づいたらしい。それだけ告げて馬車の外へ飛び出すと、扉に鍵をかけた。
(――念のため、馬車を防御しておきましょうね)
馬車にこもっていても、護衛の目をすり抜けて急襲されれば簡単に馬車は破壊され、リリアナも命を落とすだろう。リリアナが魔術を使えば、護衛がいなくとも、たかだか十二人程度の無頼漢など一瞬で屠れる。だからといって、護衛の仕事を奪う気にはなれない。
馬車を硬化させたリリアナは、索敵の術で敵と護衛たちの居場所を把握した。
護衛も奮闘していて、あっという間に敵は残り四人である。護衛二人も残りの敵に取り掛かるが、動きが妙だった。
(一人の存在に、気が付いていない――?)
眉根を寄せる。残った敵のうち、一人だけ動きが妙だった。明らかに護衛に気付かれる位置にいるはずなのに、護衛はその敵に一切の反応を見せないのである。となれば、考えられる可能性は一つだ。
(幻術を使って姿を消しているのでしょうね)
人の目は誤魔化せても、体温と魔力で検知する索敵の術は誤魔化せない。しかし、幻術を使っている限り護衛を責めるのも酷だ。姿を消している相手を認識できる人間は限られている。
リリアナは優雅に唇を吊り上げた。
(実践は、今回が初めてですわ)
ずっと本を読み一人で魔術を試して来たリリアナは、自身が高揚しているのを感じていた。
敵の位置は把握している。眼前の地図を消して、リリアナは姿を消した賊の位置に向けて術を放った。
馬車の周囲に結界を張っていれば、自分の魔術も結界の中でしか使えない。だが、リリアナがしたのは馬車の素材を硬化させることだけだ。それならば、幾らでも術を遠方へ放つことができる。
(【解除】)
敵の術を解除する。カーテンの隙間から眺めるリリアナの視線の先で、突如術を解除され姿をさらす羽目になった男は愕然と目を見開いた。そのまま放置して護衛が対処するのを待っても良いが、位置が悪い。更に、護衛はまだ他の敵と戦うことに精一杯である。案の定、護衛は未だに姿を現した敵の存在に気が付いていない様子だ。
(わたくし自ら処して差し上げましょう)
リリアナは逸る気持ちを押さえ、更に術を放つ。
(【捕縛】)
「な、なんだこれ!?」
素っ頓狂な声を上げて、途端に男はその場に崩れ落ちた。
一般的に用いられる拘束の魔術は、草や土などを用いて物理的に相手を動けなくする術だ。だが、リリアナの魔術は相手の筋肉を一時的に制御する。つまり、その術に掛けられた相手は、脱力して動くことができなくなるのだ。勿論、全ての筋肉を【捕縛】してしまうと相手は呼吸もできず心臓も止まり死んでしまう。だから、リリアナが【捕縛】したのは敵の手足だけだった。
無頼漢には、これで十分である。
(正直、他の詠唱でも良いのかもしれないけれど――下手に【脱力】と言ってしまうと、それこそ殺してしまいかねない気がしてなりませんわ)
脱力を意識したら、その術を相手の体全体に掛けてしまう可能性が高い。
(まだまだ術の改良が必要ですわね。標的を絞って――例えば体性運動神経だけを標的としてニューロンの働きを抑制したら、心筋や平滑筋はそのままに、骨格筋のみ脱力させることができるのではないかしら。神経回路は基本的にイオンの働きだから、術で言うなれば風と土に属するでしょうし――)
他に敵が襲来することはないと判断したリリアナは、あっという間に思索に没頭する。前世でもリリアナは一つのことに熱中すると睡眠や食事を忘れるタイプだったし、ゲームの中でも婚約者を奪われた腹いせの悪行に没頭していた。間違いなく、種類は違えど熱狂的な愛好家になる精神は共通している。
そうこうしている内に、護衛たちは敵を全て返り討ちにしたようだ。リリアナは一旦思索を打ち切り、再度周囲の状況を確認する。
(【索敵】)
再び地図で敵たちの様子を確認する。体温は死後もしばらくは残るが、魔力は心臓が止まった瞬間に自然へと返還される。つまり、【索敵】で確認した体温が魔力を纏っていない場合、その存在は魔力なしか出来立てほやほやの死体かのどちらかだ。
(あの二人は敵を殲滅したのね。生かして捕えたら、背後が分かるとは考えないのかしら)
もし考えも及ばなかったというのであれば、護衛はその脳を働かせていないということになる。もし分かった上で殺害したのであれば――――
(様子を見ましょう)
いずれにせよ、一人はリリアナが【捕縛】したお陰で生き残っている。彼から話を聞けるのであれば良いだろう。
護衛二人は、不思議そうな顔をしながらも生き残った一人を捕えて馬車に戻ってきた。敵は勿論、厳重に縛られたまま、馬車の外に括り付けられる。さすがに、リリアナを狙った賊を馬車の中に招き入れる趣味はない。
護衛二人は殺気立っていたものの、そこから屋敷までの道のりは行きと同じように穏やかだった。