兄のスイッチ
相坂は、そのふっくらした体型通りの、緩慢とした走り方を見せる。
同じリビングの中、相手が愛莉ちゃんに近いとはいえ、俺が限界の力、つまり、化物じみた身体能力を発揮すれば、その背中を追い抜けた。
「カッ、ハッーー」
相坂が、愛莉ちゃんへ伸ばすその右腕を取り、前傾姿勢にさせる。
相坂の頭が下がり、首が露わになる。
創作物や話のネタで出てくる、首トンとやらをしてみた。
それが思ったよりも効いたらしく、激しい音を立てて、相坂はフローリングの床へ倒れ込む。
白目を剥いており、気を失っていた。
「……ばけ、もの。」
管理人の兄は、ナイフを構えたまま、思わずといった感じで、そんな言葉を漏らす。
俺は右手の包丁をソファの上に置く。
体は兄の方へ向けながら、愛莉ちゃんの顔を見る。
「愛莉ちゃん、ちょっと立て込んでいてね。 ごめんだけれど、部屋に戻ってほしい。 扉はちゃんと閉めてね。」
まだ、パチパチと瞬きをして、夢現な感じの愛莉ちゃん。
それでも、こちらの言う事を理解してくれた様で、首を縦に振って、テクテクとリビングから出て行った。
「あとは、貴方だけですね。」
見据えるのは、管理人の兄。
足元で気を失っている相坂さんと瓜二つな男。
彼がナイフを構えている事より、まだやる気はあるのだろう。
「……どうして、死なないんだ。 修二が嘘を吐いたのか? 胸を刺した筈だろう。 動ける筈が無い。 俺は、弟に騙されたのか……」
兄は空いた手の方をおでこに当てて、独り言を繰り返す。
急な取り乱し方に、こちらも動くに動けない。
「……やはり、人間は信じられない。 俺達家族から、勝手に奪っていくんだ。 善意だけでは、生きていけないんだ。」
バッと、前を向く男。
その眼は鋭く尖り、小型ナイフを握り直す。
そして、俺に向かって兄は走ってきた。
『しつこいな。』
刺されても大丈夫と分かっていても、刃物が我が身に向かってくると避けてしまう。
それでも、腕力に物を言わせて、兄の腕を取って捻る。
そして、兄の体を床に叩きつけ、落ちた小型ナイフを遠くへ滑らす。
兄はまだ諦めていないのか、体を暴れさせ、上に乗っている俺を退かそうとする。
露わになった首に、力強くチョップの形で右手を振り下ろし、その動きがスンッと止まるのを確認した。
「……ハァ、ハァ。」
改めて、2人が気を失っているのを確かめてから、何か縛れる物を探す。
新聞紙を纏める縄があったので、それで2人の腕を縛って部屋の端で、壁にもたれさせて置いた。
リビングの時計を見ると、午前4時過ぎ。
まだ少し寝たい気持ちだが、彼らを放置して寝る事は出来ない。
とりあえず、静香さんや愛莉ちゃんが起きてくるまで、スマートフォンで情報収集でもしながら、待つ事にした。




