青木のその後
倉橋商業大学の教室棟、主に学生が講義を受ける西洋風の建物。
上からの建物の形は、漢字の円を思わせ、在学生はよくその事を利用して、どこに居るかを説明していたっけ。
「………」
それに従うなら、真ん中にある短い縦線の下側、3つの線が交わる、逆さ丁字路。
そのエントランスホールと呼ばれる部屋に、僕達は居た。
『あぁ……』
普段は、多くの学生が出入りする正面扉があり、中庭へと繋がる入口。
しかし今は、花形先輩の指示で2階への階段は落とされ、館内の扉も含め外側より閉じられている。
そして、自我の無い人々や彼に反抗する者達が人工の穴へと落とされた。
『……ごめんなさい。』
黄矢くんの為、世話係に立候補した。
穴の下で蠢く彼らのエサを用意する日々。
花形は頻繁に私刑を行い、僕はただ見てるだけで、階段から人は突き落とされていった。
届かない螺旋階段の端へ手を伸ばす者、丸い円形の1階部分で扉を叩いて回る者、諦めて床へ膝を突く者。
絶望に満ちた顔色はよく知ったものだ。
『今の僕の顔は、きっと彼らと同じなんだろうな。』
そして、今回の私刑の対象は僕だった。
「青木、そういうの要らないから。」
スローモーションに感じる落下。
共に落とされた短髪の人に、申し訳なさを感じる。
死を予感して、目を瞑った。
「えっ?」
床に身体を打ち付ける強い衝撃は、いつになっても、やってはこなかった。
代わりに、筋肉質のがっしりとした腕で、我が身を抱かれる。
お姫様抱っこの形。
受け止めてくれた人と顔が向き合う。
それは、ゾンビになった筈の黄矢くんだった。
「ヒッ、ひぃえぇぇぇ!? 離せ、離してくれぇぇぇ!」
僕が何かを言う前に、隣の短髪の男による叫び声が響く。
彼の方を見ると、地面に着地する前に、警官のお姫様抱っこでキャッチされていた。
ただ本来なら、相手は僕達を躊躇なく捕食する存在。
彼もそれに思い当たった様で、暴れてその腕から抜けようともがく。
「黄矢……くん?」
僕は、半分彼に喰われるならと諦めながら、声を掛ける。
世話係の時もそうだったが、やはり何も言ってくれない。
黄矢くんの赤い瞳は、何も無い空中を見ているだけ。
「おい、どうしてアイツらは死なないんだ! 答えろッ!」
2階の通路から、花形先輩の苛立った声が届く。
僕だって、どうして喰われないのか知りたい。
落ちた者は例外なく、全員が逃げ惑い、結果同じ赤い瞳の化物になったのだから。
『黄矢くん、もしかして……』
落ちたのは僕だから。
親友の僕だから、奇跡的に助けてくれたの?
「………」
赤士くんがよく鬱陶しがっていた、暑過ぎるぐらいの熱意に満ちた瞳。
それは戻っている様には見えない。
「フゥ……ハァ……ハァ。」
隣に立っている警官の腕の中。
短髪の男は抜ける事も出来ず、疲れ切って、荒い息を吐く。
長い様で短い時間。
僕もその腕から抜けられず、抱かれた状況で待つしかない。
「下の奴らはもういい。 お前ら、ついてこい!」
何かあったのかは分からないけれど、2階の通路を走っていく大勢の足音。
そして、扉が開閉する音。
僕達を放って、どこかへ行ってしまったらしい。
『え?』
改めて、疑問符が現れる。
何も反応が無かった黄矢くんが屈み始め、僕が地面に足を付ける体勢へ。
その体勢で動かないので、恐る恐る、その腕から抜けて、足を着地させる。
隣の警官も同じく、短髪の男を解放していた。
更に、他の者達と協力して、彼らは正面扉へ向かい、扉を押し始めた。
確か、正面扉の外側は、軽トラックを1台持ってきて蓋をするつもりで前に置いていたはず。
だから、開く訳が……。
「アァァ。」
観音開きの大きな扉。
各々が自由に徘徊していた彼らは、左側の扉へと集中する。
列を成して、前の人間の背中に手を添えて、一気に外側へと扉を押す。
少しずつ、扉は開いていく。
「俺は死にたくねぇェェッ。」
即座に、短髪の男がその隙間へ走り出す。
その場に居た者達を避けて、外へと逃げ去った。
『助かったの?』
僕は立ち止まって、その光景を見ていた。
トン、背中を押される。
振り返ると、黄矢くんが僕の背中を押していた。
「黄矢くん……」
また、トンと押される。
まるで、逃げるのを催促するかの様に。
***
決壊したダムの如く、校門から大量のゾンビが溢れ出す。
ゆっくりとした濁流は、混乱した大学生を目の前で飲み込んでいく。
「なんで、ここに居んだよ!」
「誰か、誰か助けてくれぇ!」
「死にたくねぇよ!」
平和ボケした大学構内が一転して、阿鼻叫喚の巷と化していた。
穴に落とされ、死ぬかと思って助かったのに、教室棟を出てみれば、更に酷い状況。
『僕は……夢でも、見ているのかな?』
腕を噛まれ、おかしくなって笑っている人も居るし、これはそうかもしれない。
「アァァ。」
ハハハと空笑いした僕にも気付いた様で、赤い瞳が近付いてくる。
黄矢くんに助けられた記憶が蘇り、また噛まれないよね、そう思ってしまう。
「このアホ! 青木、逃げるぞ!」
手を取って、横へ引っ張られた。
手を引く男に付いて行く形で、走り始める。
背中から見ても分かる、ウニのような黒髪のツンツンヘアー。
「どうして、赤士くんがーー」
「それより、早く走れ!」
校門とは逆側へ向かって、ひたすら走る。
途中コケかけながらも、よりうるさく騒いでくれた他の大学生により、塀に沿って並ぶ竹林までやってこれた。
「ハァハァ……青木が無事で良かった。」
「赤士くん、どうしてあそこに……確か、教室で別れてそのままだったのに。」
赤士くんは、こちらを一瞬見て、そっぽを向く。
「別に、俺も花形の動向を窺っていたとか、お前が花形に連れて行かれたのを耳にしたからとかじゃないからな。」
もう答えの様な気もするが、そこは突っ込まないで置いた。
「赤士くん、助けてくれてありがとう。」
「別に気にするな。 急遽車が必要になって、ホール前にある軽トラックを借りてたら、逃げてくる大学生を見つけたってだけだしよ。」
「だから、正面入口の扉を開く事が出来たんだ……」
「そんな事はどうでもいい! それより、もうこの大学はお終いだ。 ここから逃げよう青木。」
竹を掴んで、上を見上げる赤士くん。
「で、でも、黄矢くんが。」
「青木も知ってるだろ、アイツはもう……」
「ま、待って! そうだけど、僕を助けてくれたんだよ。 穴に落ちて喰われる筈だった僕を、黄矢くんが。」
「どういう事だ?」
僕は赤士くんに、その一連の流れを説明した。
「そんな事が……」
「だから、戻って黄矢くんも一緒に!」
赤士くんの手を取って、竹林の外へ足を向ける。
「駄目だ。」
僕の手を振り解く赤士くん。
首を振って、顔を伏せる。
「青木も見ていただろう。 侵入したゾンビが、構内に居た大学生を襲う姿を。」
「それは、でも……」
「俺は黄矢も大事だが、お前も大事な親友なんだ。 アイツに代わってお前を守らないといけないんだ。 だから、危険を冒してあそこへ戻るのは許せない。」
「で、でも、黄矢くんと別れるなんて。」
赤士くんは顔を上げ、その真っ直ぐな視線が刺さる。
「お願いだ、青木。 必ず、黄矢も助けに戻る。 だから今は、一緒に逃げてくれッ。」
鬼気迫る表情。
赤士くんの叫びは、怖さすら感じた。
「……わ、分かったよ。」
僕はそう答えるしか出来なかった。
それから、2人で協力しながら、大学の裏側の塀をよじ登り、大学の外へと逃げた。




