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俺とゾンビと荒廃した世界と。  作者: 猪ノ花 恵
第1章・就業編
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1日目 就寝

 3階、男子トイレ前の通路。

 オレは混乱する頭を押さえ、片膝を突いていた。


『なにか……大切な事を……』


 忘れている気がする。

 しかし、フラッシュバックしたその映像の上に、真っ黒なスクリーントーンが重なり、確かな記憶の形を成さない。


『くそっ、なんだよこれは。』


 もどかしさで視野が狭くなる中。

 下がった視線の先、通路の床を複数の足が通り過ぎていく。


「………」


 3人の男に、1人の女性は終始無言。

 こちらを気にする素振りも見せず、ゆっくりと横切っていく。

 通路には、遠退く足音と己の息遣いが残る。


『……はぁ。』


 なんだか、もやもやとする気持ちを抱いているのが馬鹿らしくなり、頭を振って立ち上がる。


『てか、辺りが静か過ぎるな。』


 通路の前後に視点を移すが、先程の4人以外に社員の姿を見つけられない。

 お昼からもう結構時間が経ってるとはいえ、通路のこの静けさは異様な雰囲気。

 近くの執務室にお邪魔して、壁掛け時計を確認。

 午後5時まで10分と残っていなかった。


『もうこんな時間なのか。』


 普段なら、残業前の小休憩が入る時間帯。

 オレの場合は、甘い菓子パンを食べて、残り時間を少しの仮眠に使っている。

 思ったよりもオレの動きが遅いせいなのか、理由は分からないが、体感速度と経過時間のズレに驚く。


『……帰るか。』


 今日は大掃除だけの業務になっているのならば、今更他の業務も無い事だろう。


『その前に、彼女がそろそろ起きてる頃合いだよな。』


 今日が初対面で、名前も知らない相手だが、このまま放置というのは無責任が過ぎる。

 またエレベーターへ向かい、2階まで降りる。

 それから、仮眠室の前まで歩いてきた。


『……ふぅ。』


 肉体自身の疲れは思っているよりも感じないのだが、気分的には今すぐ座りたい。

 袖で汗を拭う動作をして、扉の前に立つ彼と目を合わせる。

 仮眠室に来るまでの道中でも確かめたが、もう他の社員は帰り支度をしているのか、姿が見えない。

 それなのに、約束を守り、仮眠室の入口を見張ってくれていたダンディなおじさま。


『急なお願いでしたのに、本当にありがとうございました。』


 上半身を腰から曲げて、45度で止める。

 それから、顔を上げて、横を失礼すーー。


『えと?』


 目の前には、真横にピンッと伸ばされた右手。

 その手の動きは俊敏で、一歩踏み出し、扉に近付いた瞬間に飛び出てきた。

 オレは一歩下がり、彼に会釈して、再度前に出る。

 真横にピンッと伸ばされる右手。

 何故か通してくれないらしい。


『えと、通して頂きたいのですが……』


 バッと、彼は右手を身体の真横に下ろす。

 その急な変化に少し躊躇いが生じるが、そこからは邪魔する様子はなく、扉を開けて中へ失礼する。

 奥のベッドまで行き、カーテンを少し開ける。


『まだ起きてないのか。』


 顔回りの汗を拭いている際に気付いたが、彼女の目の下に大きな隈が出来ていた。

 そこから推察するに、碌な睡眠が取れておらず、今まさに爆睡中なのだろう。


「………」


 オレは静かにカーテンを閉めると、仮眠室の明かりを消して、彼女が眠るベッドの反対側へ。

 そこにあるベッドも、被害は受けていない様子で、白さが目立つ。


『ここに放置って訳も行かないし、宿泊の報告はあとですればいいか。』


 ここではなく、執務室で寝泊まりをするが、繁忙期に会社で泊まる事はあった。

 暗黙の了解ってやつかもしれないが、おそらく大丈夫だろう。


 ベッドに腰を下ろし、靴を脱ごうとして、靴下しか履いていないのに気付く。

 男子トイレでサンダルに履き替えて、靴を履き直すのを忘れたか? そう納得して、身体を横に倒す。


『改めて考えると、オレは昨日何をしてたんだ?』


 ずっと胸のわだかまりとして残るそれについて、目を瞑って考える。

 瞼の裏には、暗い世界が広がり、どこまでも思考の海に溺れていけそうだった。

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