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俺とゾンビと荒廃した世界と。  作者: 猪ノ花 恵
間話
21/329

痴漢男のその後

 緊急車両は別のヤマに回され、私の自家用車を代わりに走らせていた。


「わしは悪くない……向こうが、向こうが……」


 (おおとり)駅の駅員室で引き取った、痴漢の現行犯。

 バックミラー越しに、男の姿を確認する。

 男は諦めたのか、後部座席で項垂れて、ずっと独り言を呟く。

 小声でボソボソと話し、その内容はイマイチ分からない。


『ハァ……私も先輩と共に出動できればいいんだけど。』


 倉橋(くらはし)警察署。

 今は人手が足りず、軽犯罪も含めてこちらで対応していた。

 警備部としては先輩方の後を追いたいが、痴漢も犯罪で、被害者の女性の事を考えると長く放置はできない。


「誘惑に負けたのが悪いのか……」


 一応の情報として、男の独り言を録音しつつ、目的地へと辿り着いた。


 倉橋警察署の駐車場。

 車を止め、後部座席のドアを開く。


「警察署に着きました。 これより貴方は勾留請求され、取り調べの後、刑事手続されます。」


 手錠をかけた男は返事もせず、伏せた顔のまま下車。


「ハァ。」


 痴漢は冤罪との区別がつきづらいが、今回は証拠の写真があると聞く。

 それさえ用意できれば、この件は終わりになるだろう。


「無駄な抵抗は罪をより重くします。 大人しく付いてくるように。」


 男の腕を取り、警察署の中へ。

 入ると署内は慌ただしく動いており、通路の端に避けて男を連行していく。

 直近の先輩に聞いた限りだと、今回の出動規模は対テロ作戦に匹敵し、未曾有の危機らしい。


 留置場へと到着し、留置担当官へ男の身柄を預ける。

 それから、事件記録の整理、検察官への送致を行う為、その場を離れた。


 ***


 わしは長い悪夢を見ている様だった。

 しかし、顔を上げれば、入口の鉄格子が現実を突きつける。


「……わしは、そんな事はしたくなかったんだ。」


 パッと現れる家族との思い出。

 高校の部活で意気投合し、大学を卒業してから結婚した嫁。

 やっと子宝に恵まれて、生まれた双子の娘達。

 毎日、家族の為に仕事をして、娘の将来を楽しみにして生きていた。


「でも、あの女が現れてから……」


 1ヶ月前だっただろうか。

 朝の通勤時間、いつもの様に満員電車を耐え忍んでいた。

 そんな中、女性専用車両もある時間なのに、その女学生2人が乗り込んできた。

 わしは満員電車を使う者として、痴漢という2文字には用心していた。

 左手はつり革を握り、右手は鞄から離さない。


「なぜ、なぜ奪うんだ……」


 小柄な女学生。

 前に立った彼女は、後ろ手でわしの鞄を奪い、わしの手を彼女のスカートの中へと誘導した。


 今でも覚えている。

 わしは意味の分からないその行動に、思考停止。

 鞄を返してくれとも、その右手を引いて戻す事さえできず、呆気に取られたまま時間は過ぎた。

 彼女達の目的であろう駅へ着いて、鞄が返却され、降りていく背中を見送るまで。


「やはり……わしが悪いのか。」


 あの時、その不純な行いを叱るでも、素早く鞄を取り返し無視するでも、次の日から乗る電車の時間を変えるでも、とれる行動は幾つもあったはずだ。

 しかし、わしはそれを白昼夢だと、そんな馬鹿な事をする女性は居ないと、安易にいつもの車両に乗っていた。


「あの男が、あの男さえ居なければ。」


 ガチャン。

 鍵が外され、1人の男が現れる。


「今から取り調べを行う。 私に付いてくるように。」


 電車で腕を掴まれた際は、思わず恐怖で反抗してしまったが、もうそんな気力もない。

 スーツの男に従い、付かず離れずで歩く。


「ん、なんだこんな時に?」


 突然、天井に設置されたスピーカーから、重低音の警報が流れる。

 終わるとすぐさま、ブチッと、学生時代よく聞いた放送が開始される前の音が。


「署内に凶暴な野犬が複数侵入した。 署内に凶暴な野犬が複数侵入した。 対象は例の事件に関係しており、対応は急を要す……」


 ブチッと、言い切る前に放送が止まる。

 一瞬、犬の鳴き声が奥で聞こえたのは気のせいか。


「くそ、上は何をしてるんだ。 おい、今どうなっているかを説明してくれ。」


 スーツの男は苛つきを隠さず、近くの職員を問い詰める。

 手錠をかけている自分は何もすることがなく、通路の真ん中で取り残される。


「………」


 ふと、今なら逃げられるのではと思い浮かぶ。

 所帯を持ってから悪い事はできないと、抑えてきたモノ。

 そこに、ポツンと黒色の花が咲いた。


『そうだ……痴漢の冤罪は逃げたら大丈夫だと聞く。』


 左右に視線を飛ばし、その場から急ぎ足で離れる。

 それは良くないと訴える自分もまだ居たが、娘や妻に会いたい気持ちが勝った。


「ッ。」


 余程の緊急事態なのか、地下でも通路を急ぐ人は多く、思う様に警察署の入口へ向かえない。

 特に、前で組んだ手錠が目立ち、これを確認されたらすぐに捕まってしまう。


『今はここでやり過ごすしか……』


 近くにあった男子トイレに駆け込み、個室のドアを開いて、鍵をかける。

 蓋が閉じた洋式トイレに座り、狭く薄暗い個室で扉と向かい合う。


 時折聞こえる、外からの喧騒。

 それが不安を煽り、途中からは目を瞑る。

 瞼の裏では、娘や妻と再会できた未来が浮かんでいた。

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