エピソード2
白い腕
来ている服の色だ。
そう思った時には、もうすでにその腕に抱えられ、本来は車の通る道路を
疾走していた。
「大丈夫かい?」
よく通る、それでも低い声が言った。男性のようだ。
眼鏡を掛け、首までのサラサラとした髪、その表情全てが優しい雰囲気
を醸し出していた。
「……はい」
そう小さく答える。
「私はカイン・ルーベント。皆はカインと呼ぶ」
目から光が失われつつある少女は、半分聞き流す感じで、適当な相槌を
打つ。
やっと助かった。
絶大な安心感と、保障された安全に、少女は涙を流す。
走るせいで、その雫は全て後ろの方へと流れていった。
「そこに私の車がある。それでとりあえずここを出よう、
それが先決だ。危ないからね」
カインの言うその先に、確かに車があった。
「安心してくれ、君を守る」
『知らないおじさんにはついていっては行けません』
なんていっている場合ではない。少なくとも助けてくれると言っている
のだ、ついて行かないわけには行かない。
ついて行かないと、死ぬのみだ。それは、元も子もない。
「…そういえば、君の名前は?」
カインが聞く。
さすがに少女を抱えつつ走ることは、大の大人でも疲れるものだ。
息が上がっていた。
「…名前…覚えてなくて……他にも、何も覚えてないの……」
顔を顰めて、痛みに耐えつつ話した。
「じゃあ、私が名前をつけよう」
少女は驚いた。目を見開き、まっすぐとカインを見つめる。
「…名前…」
少女が小さく呟く。同時に、車にたどり着く。
カインは、助手席に少女を乗せ急いで閉めると、一度後ろを確認して
から運転席に乗った。
エンジン音が鳴り響き、同時に車が発進する。
その速度は、スポーツカーに勝るも劣らず、とにかく速かった。
「…琉兎奈…なんかどうかな?」カインが呟く「そうすると、ルナ…か」
少女は半分しか開いていない目を向け、小首をかしげた。
話せはしないが、ジェスチャーで理由を聞いているのが分かる。
「……あぁ、いや。僕の名前みたいに琉兎奈を短くしたらルナになるか
らさ。まぁ尤も、“と”しか抜けていないんだけど…無理矢理かな」
カインは苦笑いで言った。
「…ルナ…ルナ…」
少女は何度も呟く。本当に、何度も……百回は言ったところで
「…うん。ルナ」
笑顔で納得したように頷いた。
「初めての…ちゃんとした名前……嬉しい」
車はコロニーの出入口へたどり着いた。
コロニーの出入口は完全自動制御により、車のナンバーから人の顔ま
でを正確にカメラで記録する。その画像は、一旦データベースに送ら
れ、そこで全てのデータと照らし合わせられ異常の有無を見つける。
隣接しているコロニーには、車・バイク・人、それぞれの通路で行
くことができる。距離は300メートル弱。
ちょうど二つほどコロニーを抜けたとき。車に乗ってから四時間が
経過していた。
周囲には他の車も出てきて、賑やかになってきていた。
深い眠りに入っていたルナが、その目を開く。まだ開ききらないその
目で、カインを見た。
カインの方は、見られていることに気づいてはおらず、携帯で話し
ていた。
「…それじゃあこのコロニーで間違ってないんだな。J地区の19
番地にいる奴に会えばいいのか……遠いな」
仕事の話のようだ。ルナはもう一度寝ようと、目を瞑ろうとしたが、
さすがに四時間寝ていたら目が冴える。テキトーに外でも眺めるこ
とにした。
「こいつには強力な“ハーツキューター”が必要だ。直ぐに送れ。
じゃないと、お嬢ちゃんが覚醒して逃げるからな………………
なーに、心配するな。今はぐっすりと眠っている」
(?自分の事子を言っている…)
ルナはふとそう思った。
(でも…味方なら、これで安心できるなら、大丈――)
「ふっ。味方だといったら、安心して眠ってしまったよ。全く、無
防備なものだな」
「!」
敵だった。まごうことなく、ルナの敵。
信じられなかった。
彼は、信じられると思っていた。
なのに…なぜ
「…十分後?分からんな、そろそろ信号が増えてくるから、せいぜ
い十五分はかかる」
(信号…そう信号。ちょうど今信号で停止している)
ルナは横目で信号を見た、歩道の信号が点滅しているのが分かる。
(逃げなくちゃ、逃げなくちゃ逃げなくちゃ)
車道の信号が青に変わって、車が走り出してスピードに乗ったとき…
「な!」
カインが小さな驚きの声をあげる。
ルナがドアを開けて道路に転がっていった。
「あうっ!」
傷だらけの体に追い討ちを掛けるような、とてつもない激痛が襲う。
だが、痛みに悶えている場合ではない。すぐに立ち上がり走り出す。
「ちぃ!」
小さく罵声を吐き、すぐに携帯を取り出す。
「…私だ……逃げられた。くそっ、油断した」
車が流れに乗って高速に入っていく。
「…分かっている…とりあえず部隊を送れ、すぐに向かう」
そう言って、力強く携帯を握りつぶした。
「くそ、絶対防御め」
「…ったく、いつになったら車が来るわけ?」
華純がイライラしながら言った。校長の話から彼此二時間、迎えの車は
依然来ない。そのため、龍平と共に校門前で暇していた。
「まぁ、期待はしないほうがいいかもね。きっとタクシーかなんかだよ、
僕らの自腹で」
龍平が手に持った数学の問題集を、一問三十秒ペースで解きながら言った。
ちなみに、高校三年理系が習う、超高等の問題。
「自腹!本気で?!校長はあたしに喧嘩を売っているのか!」
手を拳にして怒鳴った。隠し切れない怒りのオーラがあふれ出る。
(でた…鬼…)
龍平の思念。
もちろん、華純は心理感応者ではないし、近くにも心理感応者はいないの
だが。
「あん?逝くか?若くして命を落としたいか?」
龍平にショットガンが計三つ、突きつけられた。
「……私が何かいけないことをしたでしょうか…………」
ガタガタと震える龍平を尻目に、華純が迷案を思いついた。
「…そうか、色気がある!」
?
龍平があからさまな疑問符を頭につける。それも、直ぐに感嘆符に変わる。
理由はいうまでもないだろう、華純だ。
何か、とっても大変なことを考えている、そしてそれを行使しようとして
いる。そんな目だった。
「…な、何する気だよ…」
「……七虹香を出したまま、自分も変化できる?」
「……ふぇ?」
意外と普通の質問…。龍平は、少なくともそう思った。
「…わ、分からない…やったことないから……分からないけど…」
「やりなさい、今すぐ!命令!オーダー!指令!」
ここでやらないとどうなるかは龍平が一番良く知っている。
「…………………七虹香…」
龍平が呟いた。同時に、体から小さな光が分離する。
それは地面に落ち、素早く人の形を造り始める。
「…はい。とりあえず分離は完了」
「なのです!」
まだ淡い光に包まれている七虹香が後に続いた。
「次!龍平!」
「へいへい…できる保障はしないよ」
軽く目を瞑り、細々と口を動かした。
龍平が七虹香と同様に、淡い光に包まれる。
数秒の後、龍平が小さい姿で、女子の制服を着て、仏頂面で、全く別の容
姿で現れた。
髪の色は変わらず、セミロング。身長も七虹香程度で、誰がどう見てもそ
れは少女だった。
「…やっぱり七虹香が二人にはならないか……双子みたいな感じかと思っ
たけど……」
「…何考えてんだよ!お前は!」
声に勢いが無かった。音域が高くなったせいだ。
「…龍、可愛いよ」
七虹香が茶化す。
「う、うう、うるさい!」龍平が真っ赤になって反論する。「大体、何す
るんだよ。人をこんな格好にさせといて」
「そろそろ車が来るかしらね………龍平だと、呼んだときに違和感がな
いかな?別の名前にしない?」
「うおぉぉぉい!無視するなって!」
スルーの後の華純の意味不明な提案。
「それに俺は男を捨てるつもりはない!」
「女の子が言っても、説得力ないよ」
七虹香が的確なツッコミを入れる。
「……」
ぐうの音も出ない龍平に対して、本物女子達は不敵な笑みを浮かべた。