プロローグ
「…おい、何で俺達はこんな小さな子供を、こんな所で隠しとかなきゃい
けないんだ。どっからどう見ても、まだお母さんの近くに居なきゃいけない
年齢だろ?もう半年も同じことしかしてないんだし、帰してやりてーなぁ」
「そうは言ってもな、大統領命令なんだし、一応はこのマニュアル通りにや
るしかないだろ」
「マニュアルっつったって、やることは研究と隔離だろ?じゃあ楽なもんだ」
「…八割は隔離が目的みたいだぞ」
「…へ、へぇ、そうなのか…ま、何があってもここなら安心だけどな」
「…植物状態だからな…」
小さな部屋で、二人の若い男が話していた。
白衣に身を包み、手にはファイルと紙の束を持っている。
部屋は至って簡単な造りで、中央にベットを置き、その周りに、なにに使う
のかがいまいち解り難い機械が、一定間隔の音を出して置かれている。
機械の音が耳に残りそうなほどに、部屋は静かだった。他に何も聞こえて
はこない。部屋は真っ白な壁で囲まれ、入り口はガラス張りのドアが一枚あ
るだけだ。出入り口が共通である。
この現実の世界とは隔離されているような、そんな感覚に陥りそうな部屋。
中心にあるベットには、まだ二・三歳程度の子供が寝かされていた。容姿か
ら見て、女の子であることが分かる。
体中至る所に何十本のもコードにつながれ、身動きが取れないように固定
されていた。口が小さく開いているが、目は完全に閉じている。寝ているよ
うだった。
「…ん?」
男の一人が、機械の一つに目をやった。モニターに映し出された、様々な数
字やグラフを凝視する。それはあまりにも複雑で、きっと常人が見てもチン
プンカンプンであることは、確実に間違いないといえる。
「おい、これ見てみろよ」
モニターを指差し、別の男を呼ぶ。
手に持った紙の数値を計算していたもう一方の男は、面倒そうにだらだら
と歩いて行く。
「どうした?なんか進展か?」
呼ばれた男は、訝しそうに画面を見て、目を疑った。
「な……RH2因子が……急激に増殖を始めたのか?!」
手に持った結果と、モニターに写された現在の結果を、何度も見比べる。
「…こんなことって…いったいどうして?」
数値がどんどん上がっていく。さっきまで300Pit だったものが、5900Pit
にまで、上昇していた。Pit値の上昇は一種の成体電気の上昇に伴う生命エ
ネルギーの呼応である。つまりは、とても危険な状況。
数秒の空白の後
「…すぐに指揮官に、連絡だ」
小さく言った。
「くそっ!」
罵声を飛ばしてすぐ、近くにあった電話を手に取った。番号を押さなくて
も直接つながるタイプで、ある程度の持ち運びが出来るよう、コードレス
になっていた。
短い呼び出し音の後、
『はい、こちら指揮室』
女性の声がした。まだそんなに歳はとっていないであろう、しっかりした
声だった。
「こ、こちら第三実務実験室。被験体が、原因不明の数値上昇を起こして
います!全数値、危険域に突入しました!最大非常事態です!」
『…分かりました。緊急体制に入ります。あなた達もこちらに戻って』
女性は、冷静に対処した。微妙に声色が変わった所から、小さな動揺が伺
える。
「り、了解しました」
その言葉で、電話を切る。慌てふためいていた男は、大切なことを言い忘
れたことに気づく。
「……まずい……」
男が振り向いて、もう一人の男のいたところに目をやる。しかし、見た先
には誰も居ない。
「くそぉっ!」
慌てて入り口に向かう。ドアノブに手をかけた瞬間……男はその場から消
えた。
「皆!一旦仕事を止めて、私の話を聞いて」
広い場所に居る女性が、声を荒げる。
パソコンが何台も置かれ、三つほどの個室を持つその場所には、
五十人程度の人間がいた。そのうち、三分の一は白衣を着ている。
その場に居た全員が、中央に立つ女性へと目を向けた。
「今、第三実務実験室から連絡があったわ。対象ナンバーXX01の能力
覚醒が確認された。詳細は分からないけど、とにかくメインモニターに
中継を映して……あと他の実験室にも、一応連絡を」
テキパキと、やるべきことをこなしていった。腕を組んで、中央の大き
な画面を見つめる。
「…映像つながりました、でます」
パソコンを素早く操作しながら、一人が言った。同時に、先ほどの真っ
白な部屋が映し出される。全員が息を呑んだ。
「…なんてこと」
そこには、そして誰も乗っていないベッドが映っていた。
先ほどまで居た少女が、そこには居なかった。
コードはばらばらに散らばり、少女を繋いでいた拘束具は無残にも
粉々になっていた。
「…彼らは…彼らはどこ?!こっちに向かっているんでしょうね!」
実験室の二人の男とはその後連絡が取れていないため、今の彼女の質問に
答えられる者はない。
「だめです、廊下を進行する熱反応、見つかりません」
全員が息を呑んだ。
「指揮長!V通路にUNKNOWNです。監視カメラの映像をメインモニター
に出します」
静寂を破ったその一言も、また静寂を生んだ。
「……」
映っていたのは、先ほどの少女だ。
点滴の針を無理にはずしたために、腕から流れる血で赤くなった患者服を
着て、ゆっくりと通路を歩いていた。
通路には、少女の歩いた道筋どおりに、赤い足跡が見受けられる。
ぼんやりと、少女の周りに立方体が見える。少女を包み込むように、三
重になっていた。
超立方体である。
「……け、警備は?!」
思い出したように、女性が言った。
「ダメです、誰からも応答ありません」
「…そんな……」
Voice Only と書かれたモニターからは、雑音すらも聞こえてこなかった。
女性が項垂れる。職員達は、次の指示を待つかのように、女性を見つめた。
その視線を感じて、女性が周囲を見回す。
「…非常警報を発令。その後に大統領総領事館とのテレビ中継を始めて。
ここは……司令室は現在を持って完全封鎖。シェルターを四重にして入り
口に下ろして……他の対象室も、すぐに二重シェルターで覆って。それか
ら、XX01……彼女の通るA1からW4までの全通路を二メートル間隔で封
鎖して。
……各自、ここ……エデンから生きて帰る事を、まず第一に心に持って取
り組んで頂戴…以上!」
『はい』
全員が、一斉に返事をした。
彼女が言っている最中に、言われたことの半分が終了し、数分後には
九割が終了していた。
女性が、司令室と書かれた部屋に入っていく。大きなモニターには、机
の上に肘を置き、手を組む老人がいた。
モニターを正面から見るように、女性が机につく。
「…大統領、報告いたします……エデンは現在、覚醒した対象
専守防衛型汎用戦闘用強力体=XX01・精神狂異好戦撞//実用型戦闘
遺伝子組換制限型自己変革自由暴走=革命計画用実験成功体の覚醒への緊
急体制をとっております」
先ほどまでの怯えた様子とは違い、冷静かつ簡潔に内容を伝えた。
『……一人だけか…』
かすれ声で、大統領が言った。
「…はい」
『何か特別な力はあるのか……』
「未だ分かっておりません、現在調査中です。判っている限りでは、XX01
は、体の周囲に超立方体を発生させています」
『…そうか』静かに言った。『絶対防御だな……』
大統領が、頭を手にうずめる。
「ぜ…絶対防御ですか…あの超立方体が」
女性が絶句する。
『あぁ。第一層が淡白親和交換分子分散。第二層が絶対防御。第三層が
自動自己再生。どれも我々の脅威だ』
ふう、と大統領が一息ついた。
『…他地点でも、同等の反応があったそうだ…これを含めると…全部で三
つになる』
「…………一つよろしいでしょうか」
女性が真面目な声で言った。
『…なんだ』
「あのような幼女を観察という名目で監禁して、ずっと研究をさせてきた
のに、どうしてそんなに彼女の現在の能力のことに詳しいのでしょうか。
私たちにも知らされていなかった事実です。それに…」
女性が二の句を告げようとしたその時
「指令!防壁C1まで突破されました!まもなくこちらに来ます、早く退避
を!」
そう言った瞬間、部屋に通じるドアの一つが勝手に開いた。
もちろん、この部屋の者ではない。
少女だった
『……ちぃ』
大統領が舌打ちをした。同時にモニターの映像が消える。
「………ぁ」
指揮をする女性は、声にならない声を発する。
少女の周りを取り巻いていた超立方体は、先ほどまでとは明らかに違う、
桁外れの大きさをしていた。
体を流れる血も、完全に止まっていた。
「…そ、リソスフェアへの侵入を止め――」
最後まで言い切ることなく、女性は口を紡いだ。
その場の人間は彼女以外、消えていたのだ。
「…どうして……」
女性が涙目で、佇む少女に聞いた。
「どうして?」
再度問う
‘どうしてって、聞きたいのは私の方よ’
声がした。しかし、少女は口を開けてはいない。
‘どうして私は、こんなことされなくちゃいけないの?あなたも、“悪い人”
なの?’
「…私、私は…」
必死に言葉を探して、女性は何かを伝えようとしていたが
‘…もう、誰も見たくない、会いたくない…’
少女のその言葉と同時に、女性は姿を消した。
みんな…きらい…