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二十二話 最後の疾走

 駆ける。駆ける。駆ける。

 二人の男は、音速の領域で走り続けていた。追いかけ、追いかけられ、時に交差し互いの攻撃を叩きつけたり、つけられたりの連続。

 無論、そんな攻撃を続ければ、周りもただでは済まない。

 森の木々は次々となぎ倒され、地面からは土煙が舞う。


(おいおい……流石に速すぎるってこれは……っ)


 最早目で追うことすら不可能な戦闘を前にして、フィーネは身を隠すことで精一杯だった。

 少しでも、アベルの助力になろうと、隙あらば不意打ちをしかけてろうと思ったが、この状況でそんなことができるわけがない。

 フィーネも足は速い方であり、気配を殺すことは得意中の得意だが、そんなものは、この音速の戦闘においては意味がない代物だった。


「はぁあああっ!!」

「ふんっ!!」


 バルドラの牙と爪が襲いかかり、アベルの拳と蹴りが炸裂する。

 どちらも一歩も引かない。攻撃を受けようが、そんなもの知ったことかと言わんばかりに、構わず己の殺意を打ち込んでいく。

 その有り様は、最早暴風そのものであった。

 だが、しかし、それは二つの力が拮抗している、というわけではなかった。


「が、ぁ、ああああああっ!!」


 血を吐き、叫びながら、バルドラは走り続ける。

 先程から、バルドラの攻撃は一切当たっていなければ、掠りもしていない。全てアベルによって対処されてしまっていた。

 無論、手など抜いていない。頭に血が上っているわけでもない。今の彼は、正真正銘、本来の実力の全力を使っている。

 だというのに、届かない。

 だというのに、効かない。

 だというのに、敵が遠い。

 あまりにも単純な、けれどもどうしようもない現実を前に、しかしバルドラはその足を止めることは無かった。

 どうしてと嘆く暇すら今の彼にはない。何故だと喚き散らす意味がないのも承知している。

 彼が思考しているのは、どうやれば相手を倒すことができるのか、その一点のみ。

 攻撃が一切当たっていない? 格の差がありすぎる? 戦いになっていないというのに話にならない?

 ああ、そうだ。そうだとも。それらは全て事実であり、真実だ。最早、今まで培ってきたモノ全てが粉砕されてしまっていた。

 誇り、矜持、生きがい。それら全て、無意味だったと、叩き込まれているような、そんな感覚。

 けれど、けれど、けれど。

 それでも、人狼は、バルドラは疾走し続けた。


「おおおおおおおおおおおっ!!」


 雄叫びと共に迫り来る敵を前にして、アベルは的確に攻撃を躱し、そして己の拳や蹴りを炸裂させていく。

 そこに手加減や手心は一切ない。

 あるのは、相手を倒すという思いのみ。

 けれど、そんな一擊一擊を受けても、バルドラは倒れなかった。

 口から血を流し、身体中アザだらけになり、文字通りのボロボロ状態。そんな姿になりつつも、けれど足を止めない。手を緩めない。敵意をむき出しにしたまま。

 そして、ふと、アベルは気付く。


「貴方は、どうやらあの二人と違い、再生能力はないのですね」

「ああ、生憎とな」


 そんな、まるで世間話をするかのような口調で、言葉を交わしつつ、互いに殺意の篭った一擊を放ち合う。


「俺は、あれらと違い、不器用なのでな。一つのことしか極めれなかった。汎用性など皆無であり、故に大局的な場面でいうのなら、俺は連中に比べ、圧倒的に劣っている。ああそうだ。この速さが、この疾走が、この音速の世界が、俺の唯一の武器だ。俺が、俺であるという証は、これだけだ。故に―――」


 速さで誰かに敗けるなど、あってはならなし、それだけは認められない。

 たとえ、それが自らの死に至る結末だったとしても。


「さぁ、もう少し、上げさせてもらうぞ―――っ!!」


 言った瞬間、バルドラの速度がさらに上がる。今までも通常なら目に見えないくらいの速さであったというのに、さらに速くなるとは、流石人狼と言ったところか。

 ……いや、違う。これは、バルドラという男が凄いのだ。

 彼は言った。自分は不器用で、一つのことしか極められなかった、と。しかし、その一つのことだけを極めるということが、どれだけ大変なことなのか。人間にしろ、魔族にしろ、果たしてここまで極めた者はどれだけいるだろうか。

 分かっている。彼や彼の仲間は多くの人間を殺した。その理由は、ただ己の力、ひいては主の力を世に知らしめること。それだけだ。それによって、誰かを助けたり、世界を変えたいと思っていたわけではない。ただ、やれるからやった。それだけだ。そこに信念も覚悟もありはしない。だからこそ、アベルが彼らの所業を許すことは永遠にないだろう。

 だがしかし。

 その上でだ。


「素晴らしい速さだ」


 それが、アベルの心からの言葉だった。

 先程、彼は言った。その程度の速さを持った者は多くいた、と。確かにあの時の彼の速さはアベルが知る者の中で、突出したものではなかった。だが、こうしてアベルと戦い、速度を上げていっている。成長していっているのだ。

 この土壇場での急成長は、まごう事なく、驚嘆に値する事柄だ。


(しかし、このままでは……)


 成長、と聞こえはいいものの、彼がやっていることは、己の限界を極限まで追求している。否、もしかすれば、とっくの昔に限界など超えているのかもしれない。

 問題なのは、そんな急激な成長に身体が耐えれるか、という点。

 見てみると、バルドラの身体のあちこちから、血が流れている。それは、アベルが攻撃して流れているものではない。あまりの超加速に身体が追いついておらず、耐えられないのだ。

 痛いはずだ、苦しいはずだ。

 なのに。


(笑っている……)


 バルドラの表情にあるのは、笑みだった。

 狂気、というにはその微笑みは、あまりにも清々しく、真っ直ぐすぎる。それは本当に、自分が今、全力を出せていること、いいや限界を超えたことに喜びを感じているものだった。

 ああ、だからこそ、だ。


(貴方は、理解しているのですね……)


 自分の崩壊がすぐそこにやってきていることを。

 自分の死が、もう既に確定的であることを。

 それを理解した上で、彼は笑っているのだ。

 それは自殺志願者などではない。己の生き方。己の在り方。それを追求した者故の、姿なのだ。

 ならば、アベルがとる選択肢はただ一つ。


「いいでしょう。今の貴方ならば、最期まで付き合って差し上げましょうっ!!」

「感謝するっ!!」


 そこから先、お互い言葉は出さなかった。

 荒れ狂う暴風は、最早嵐そのもの。その風に少しでも触れようとすれば、大怪我どころの話ではない。

 そんな中心点にいる二人の男は、互いの牙を、爪を、拳を、脚を、相手に叩き込むごとに、その速度を上げていく。

 バルドラが成長するのに対し、アベルは魔法によって己の速度を上げる。人外の中でも最早特級品と成り果てたバルドラの速度に、アベルはついていく。

 最早、どちらが圧倒している、という話ではない。速さという点においては、互いに拮抗している状態だ。

 けれど、それは長くは続かない。

 まず始めに起こった異変は、バルドラの指がもげたこと。速さによる限界が、ここに来て、致命的なものとなっていった。

 そして、それは連鎖となって続いていく。

 片腕、片足、右目、と言った順番に、次々と彼の身体は壊れていく。最早痛覚すら、彼にはないのだろう。痛みなど感じている時間はないし、意味などない

 必要なのは、今、ここにある疾走のみ。

 故に、彼は走り続けた。故に、彼は駆け続けた。

 そして。

 そして。

 そして……。


「――――――――――――ぁあ……」


 疾風が止むと共に、バルドラは全身ボロボロになりながら、その場に立っていた。今にも倒れそうなその身体で、立っていられるのは、彼の力ではない。

 バルドラの胸を腕で貫いたアベルによるものだった。


「走りきった感想は、いかがですか」

「あぁ……いやはや、中々どうして……良い心地だ……」


 その言葉は、どこまでも穏やかであり、清々しいと言わんばかりのものだった。


「ここまで昂ぶったのは、いつ以来だろうか……いいや、もしかすると、初めてかも、しれん……」

「そうですか……それは、何よりです」

「かかっ。心にもないことを」

「いいえ、本心ですよ」


 首を横に振り、アベルは続けて言う。


「さっきはああ言いましたが、最後の貴方の速度は、中々のものでしたよ。それこそ、見惚れてしまう程にね」

「くくく……お前のような奴に、そこまで言ってもらえるのなら、俺も捨てたもんじゃないってことか……」


 乾いた笑みを浮かべながら、バルドラは空を見上げた。


「人を殺し、主を守ってきた人生だったが……いやはや、最期にお前のような奴に出会えるとは、世の中とは分からんものだ」


 全くです、というアバルの言葉を耳にしながら、バルドラは己の最期の言葉を告げる。


「では……そろそろ逝くとしよう。さらばだ、自称元魔王の影武者よ」

「ええ。さようなら。人狼バルドラ。貴方がたのやらかしたことは決して許されるものではありませんが、それでも、私は貴方の疾走を、永遠に忘れないでしょう」


 それだけが、バルドラが聞いた最後の言葉。

 その後、彼はゆっくりとその瞼を閉じ、己の生涯に幕を下ろしたのだった。

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