相談
この物語はフィクションであり、実際の団体・氏名・その他固有名詞となんら関係ありません。
「最近はろくなことが起きない……」
と、俺は呟いた。
出勤すると課長の愚痴を聞かされ、先輩からの趣味的(いわゆるヲタク)な話をされる(ここまではいつも通り)。その後、朝の剣道で足がつったり、交番に着くと朝まで飲んでいた輩によるけんか。窃盗、けんか、窃盗、けんか……と、今日だけでもかなり疲れる1日だった。
毎朝、挨拶してくれる小学生や綺麗な女性、巡回連絡や老婦人の相手をしてるときは休憩みたいなものだ。
去年まで自動車警ら隊にいた俺にとって24時間、ハコの中に押し込められるのはなかなかしんどい。自動車警ら隊のようにPCに常に乗る部署なら景色が流れてくれるので楽しめただろうに。
季節は夏に向かっている。時刻は午後10時。時間が時間なだけに危険な事案の通報が多い。しかし、通報の入ってない束の間の平穏を俺はボーと過ごしていた。
しかし、
『警視庁から東』
この言葉でそんな平穏タイムは一瞬で消える。
『東です。どうぞ』
『男性2名トラブルです。東1-21-3、ひがし1の21の3、スナックポアロにて客同士のけんか口論との店主、安室、朝日の【あ】、無線の【む】、ローマの【ろ】、安室からの通報。22時05分、110番整理番号241、担当山本。どうぞ』
『東了解。PB員とPCを向けます。どうぞ』
俺は上司にバレないように静かにため息をつく。こうでもしてないとやってられなかった。
「行くぞ」
上司の巡査部長に呼びかけられ、自転車にまたがりその後ろを追う。曇り空の中、ホーと鳥の声が響いた。
向かったのは良かったが現着した時には既にけんかは収まっていた。しかし、俺たちが来たことにかなり文句を言っていた。こっちは続報で酒瓶を持ち出したと伝えられた時には肝を冷やしたというのに。
関係者の2人ともけがはなく、お店側も特に大きな被害がなかったとのことなので俺達は店を後にした。
「何もなかったから良かったが、けんかはよしてほしいものだ」
N社製の65型特殊警棒を短くしながら話す巡査部長はどこかホッとした様子だ。
「そうですね」
だけど、自分たちが悪いのに最後の文句はいただけない。
適当に返事をしたが一応、安心はした。嘘ではない。
「それじゃあ、戻るか。そろそろ仮眠とりたいしな」
そうですねと俺は同意した。
しばらく自転車を漕いでいると公園に差し掛かった。
「一応、覗いておきませんか?」
「そうだな」
俺の問いかけに同意した巡査部長と公園の中にはいる。
大して大きな公園ではないが草木が生い茂っているので警戒が必要だ。
懐中電灯で照らしながら歩いているとベンチに座る女性を発見した。黒髪ロングのストレート。白色のブラウスに紺色のスラックスという人着だ。なんとなく会社帰りの気がする。顔はよく見えない。
嗚呼、俺もついに見えるようになったか。いや、そんな馬鹿なことはないか。とりあえず声をかけないと。こんな時間に女性1人というのはいささか不可解だ。
「おい、声かけろ」
そうしますよ。というか少しビビってますか? ずいぶんと離れた位置にいらっしゃいますが。
俺は深呼吸をしてから声をかけた。
「こんばんは。どうかされましたか?」
警察官というのはどうしても服装や見た目、イメージから怖がられやすい。犯罪者はもちろん一般人でも声をかけられると緊張されやすい。だから、なるべく優しく、丁寧に、気遣うように声をかけた。
「…………」
女性の顔がこちらを向き、目があった。よかった。ホンモノの人だ。この人が人ならざるものだと石にされていたかもしれない。あ、それはメデューサか。日本じゃあまりないだろうな。
「あの……何か?」
俺が長い間この女性のことを見つめていたため不審に思われた。女性はそのまま顔を伏せてしまった。
馬鹿なことを考えていたというのもあるがこの女性の顔を見た時、正直、綺麗だと思った。けっして、盛った感想ではない。
「いや、こんな夜にお1人でおられたものなので気になりまして……何か事件事故等に巻き込まれたのかなと」
「いえ、そんなことはない……うんん。あるかもしれません。私にとっては事件みたいなものです」
ということは個人的な何か問題ごとなのだろうか?
「あの……少しだけ聞いてもらってもいいでしょうか?」
どういう類の話だろうか? 正直、若い女性との関わりが少ない俺がそれを聞いてどうにかできるものではない。
「構いませんよ」
「立ってると疲れると思いますのでどうぞ座ってください。その方が話しやすいですし」
失礼しますと言いながら隣に腰掛ける。
そういえば巡査部長はどこにいるのかと思ったら自転車だけ置いて、公園の外からこちらを見ている。それちょっと怖いです。はい。
しかし、座ったのはいいが5分ほど口を開かない。やはり、男より女性の警察官を呼んだ方がいいのでは? と、思っていると女性がようやく口を開いた。
「あのですね……。私にお見合いの話が来ているんです」
俺が最も得意としない話だ。
「そうなんですか。それはおめでたい話ですね」
この返しで正しいのだろうか。たぶん、間違っている。しかし、女性は特に気にした様子もなく話を続ける。
「そのかたは近所では『名家』と呼ばれる家の長男のかたです」
名家で長男。ひと昔ならなかなかの優良物件としてもてはやされそうな条件だ。
「平成ももうすぐ終わると言うのに古臭くてなんだかおかしな話ですよね」
苦笑した様子の女性。
「そんなことはないと思いますが」
「そう思われますか。それはそれで、少々ありがたいお言葉です。話は逸れましたが、正直に言うとそのかたと結婚したくないのです」
「その人と結婚したくないと……」
「はい。私程度の人がそんな贅沢を言うのはバチが当たりそうですが、そのかたは少々クセがあるかたなのです」
女性は心底嫌そうな顔をした。
生暖かい風が吹く。
「なんと言いますか……、人として尊敬に値するかと言われますと全くそうは思えません」
「盗みとか働いているのですか?」
「盗みならまだかわいいものです。……あ、お巡りさんにとっては迷惑な話ですね。すいません。かわいいと言うのは言葉の綾でして、そのかたは常に人を見下しているかたなのです」
「なるほど……」
そいつは相当厄介だ。
警察官として普段から見下されているのは感じるので、見下すやつは悪だと思っている。だいたい、やましいことがあるからそういうことをするんだ。
「それは厄介ですね。ということはあなたは何と迷っているのでしょうか?」
何となく察しはついたが憶測で話すのはよろしくない。しっかり理由も聞いておきたい。
「そうですね……。私の家はそんなにお金があるわけではないので、そのかたと結婚して幸せになってほしいと両親は願っているようです。その通りにしたいですが、私は人を見下すような、尊敬に値しない人と一緒になるのは素直に頷けないので迷っています……」
女性はそういうと両手を足の上でギュッと握りしめさらに続ける。
「それに私は思いを寄せている方がいます」
ああ、これはさらに難しい。
「どんな方なんですか」
この人はちょっとのろけたいのかもしれない。落ち込んでいる時は好きなことについて話させるのが一番だ。
「え……? そうですね……、私にとって素敵な人です。優しくて近所でも評判のいい人です。相手が誰であろうと丁寧に話してます。この前はお婆さんが横断歩道を渡るのを車に轢かれないように助けていましたし、ころんだ子供の手当てをしてました。きっと、私の知らないところでもたくさんそのようなことをしてるのでしょう」
「人の出来てるかたですね。私には到底真似できません」
俺は苦笑しながらそう返した。
女性は困った顔をしている。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ……。あ、あとそのかた小学校と中学校が一緒だったんです。その時から優しいかたでした」
「そうなんですか。今は連絡取れているんですか?」
「いえ、連絡先は知りません。高校生になった時に彼は両親の都合で別の街へ行きました。ですが、今どこで働いているかはわかるんです。ご自宅は知りませんが……」
女性はストーカーとかじゃないですよ。たまたま見かけましたと、付け加えた。
「となると、外で見かける仕事のかたなんですね。いわゆる、サラリーマンではなく……」
「はい。今はお付き合いしてるかたがいるかとか、ご結婚なさってるかはわかりませんが、近いうちに伺うつもりです」
女性の顔はさっきと違い赤く染まっている。知らないただのお巡りさんにこんな話をする勇気があるなら、問題なく会えるだろう。
「その思い人のこと、相当お好きなんですね」
そういうと女性はますます赤くなり、顔に手を当てて隠してしまった。
「こ、これは失礼しました!」
俺は焦って謝罪を入れると、女性はフルフルと顔を横に振った。
「その人と一緒になることのほうがあなたは幸せそうですね。たしかに、お見合いを断るのは用意していただいた両親に申し訳なく感じるでしょうが、あなたの思いをしっかりと伝えればきっとわかってくださるはずです。あ、すいません。余計なお世話ですね……」
またやってしまった。連続で2回目だ。次はないぞ。それにテレビで「女性は助言がほしいのではなく、話を聞いてほしいだけ」と言っていた気がする。
「いえ、今回は本当に助言が欲しかったのでありがたいです。すいません。こんな見知らぬ女の話を聞いていただき」
「お役に立てたなら光栄です」
女性はこちらに顔を向けた。最初とは違い心底嬉しそうな顔をしている。
風は止み、満月が女性の顔を照らす。
その綺麗、いや、かわいらしい女性を照らし、女性の前途を応援するかのようだ。
『警視庁から東』
「お……」
「どうかしましたか?」
俺が無線の音に反応すると女性が心配そうに問いかけて来た。
「あ、いえ。また機会がありましたら東警察署にでもいらしてください。俺はいつもいるわけではありませんが、きっとお役に立てると思います」
それではと、俺は言って自転車に駆け寄ると、
「ありがとうございました!」
と言われた。相談をしているときの女性の声音とは違い。
「これも俺の仕事の一つですから」
振り返り、そう返すともう一度自転車に向かう。いつもと違い、現場へ向かうのに悪い気はしない。
***
「こんにちは」
俺は声をかけられた方へ振り向くと1人の女性がいた。どうやらその女性が声をかけたらしい。それに髪は前より短くなっているがその女性には見覚えがあった。
「こんにちは。もしかして、この前公園でお会いしたかたでしょうか?」
「はい、そうですよ」
女性はニコリと肯定した。
前会った時よりいくらか嬉しそうだ。
「今日はどうかされましたか? また、何かご相談でも?」
「そうですね。今日がその機会かなと思いまして」
はて? どういうことだろうか? 何か含みのある言い方だ。
「あの……、覚えてない?」
はて? なんのことだろうか。
理解の追いつかない俺を残して女性は続ける。
「あの、私の名前は井上薫です」
聞いたことある。いや、聞いたことあるレベルではない。
「思い出した……」
それなりに仲良くしていた覚えがある。一緒に帰ったり、委員会が一緒だったり、彼女とは何かと一緒のことが多かった。
なんて言ったって好きだった。
この髪型、話し方、目元、口元全て知っている。
「あの……この後用がなければ会うことはできる? あ、忙しいならむりにとは――」
「6時! 6時に駅前の時計台の下。そこで待っていて」
俺はつい被せ気味に返してしまった。だけど、返事を聞いて嬉しそうだ。
「待ってる」
「うん」
お互いに気まずさから単語だけで会話している。しばらく言葉がなく見つめ合っていると巡査部長が俺を呼んだ。その声でハッと意識をはっきりとさせる。
「あ、ごめん。行かないと……また、あとで」
「うん……」
気まずさより恥ずかしさをその場に残して立ち去る。
最近はろくでもないことしか起きないと思っていたが案外そうでもないのかもしれない。
平成最後の夏は暑くなりそうだ。