疑念
竜言語の何が優れているか、それはあらゆる魔法言語の中でも圧倒的な短さとその古さ故かは知らないが竜が使うからかなのかは不明だが優れた威力を持っている。
また、速さ、威力に次いでその現実改変力もピカイチだ。
この改変力が高ければ高いほど有り得ないことを可能とする。
魔法というものが存在している世界だがその在り方の大本は俺がよく知る物理法則などが支配する世界だ。火は熱を放つし、人は跳躍するのみで空など飛べ無い、それを覆し歪めるのが魔法言語で有り魔法であるのだが、魔法言語は新しければ新しいほど世界への改変力が弱く。逆に古ければ古いほどその改変力は強くなる。
それ以外にもその言語を生み出した種族の強さによるとか様々な論があるらしいが俺が母に教わったのは人間や精霊などの知性と意識を持つ種族が一番最初にその事柄を概念を言語化した時に発生した音が、その後付け足された象形文字の様な図形が『魔法言語』であり、神や竜のそれが強いのはその存在が古くから存在し、彼らの生み出した概念の中に俺たちの知る世界がある。という論だ。
そして、竜言語を学んだ今、それが事実であると、世の真理であると理解できる。
心がだんだんと穏やかになり…真実を覆い隠す未知というの名の闇が、愚かさという名の濁りが消え去り、白く輝く真実が…
「起きろ!馬鹿者!死ぬぞ!」
人体の痛点、その最もポピュラーな物として知られる脛、その前面を竜の手加減された一撃が襲う。
「ぐぉおおおうううああ!?」
目がさめる。
どうやら彼女の送ってきた知識に呑まれかけていたようだ。
「危なかったな…いや、私の責任もあるか、やはり頑丈と言っても貴様は未だ人間だ。世界の理を知って耐えられるほど精神が成熟していない。」
前世ではそれなりに生きて居たはずだが…いや、まあ数百年とか数千年とか生きて竜言語という限りなくこの世の核心に近い概念の切り取り方をしている竜と比べればそりゃあ未熟だろうか?
「どうする?まだやるか?」
「くぅ…うぉお…」
今日は俺がここにきてからちょうど半年が経った日であり竜言語を習得しその身に練りこむ為の最後のステップである。
俺は痛む頭を抱えながら立ち上がり全身を強化して居た魔力をさらに練り上げ、叩き込まれてきたごく単純な概念、竜言語を使い自分の体を限りなくまっさらにする。
「いや…続けてくれ。」
「…はぁ、頑固だな。だが諦める様な軟弱なものに殺されるわけにはいかないからな、むしろも好ましいぞ?我が虜。」
そうして笑うといつもと違い彼女は全く接触せずに俺の魔力と波長を合わせ共振させる。
それは、こういう儀式だからである。
俺は彼女から叩きつけられた概念を受け止め…そしてまるで月のない夜の様に暗くただ漠然と広いだけの空間に立って居た。
「さぁ…もう一回だ。」
俺はその中を歩き始める。
「最早竜言語の単語は叩き込み終わった。正直これだけで一年はかかると思ったが…貴様が見込み以上に優秀な様で助かった。」
今日の彼女は俺の作った朝食を娘に食べさせ、自分も食べながらそう言った。
「ああ、お前を殺す為、復讐のため、何より俺の為だ。より早くそれが達せられる様にするのは当たり前だろう?」
「くく…まあ、そうだな、私も卵が、我が子が誕生すれば貴様に構う時間が取れるか怪しい、早く成長してくれるのは助かっているぞ?」
半年経った今、復讐心のオンオフとかいう意味不明な心境変化が可能になった。それはただ感情を封じ込めているだけなのか、それとも俺という矛盾した人間の激情を理性がコントロール出来ているという事なのか、さっぱり判ら無いが、少なくとも今の俺と彼女は気がつけば殺し合える様なそんな簡単な段階から何処か斜め上方向に進んで言ってしまったという事だ。
「さて、では今日は遂に竜言語の最後言葉を教える事になるが…その前に警告しておく。」
彼女は半熟に焼かれた目玉焼きに塩を振りながら言う。
「竜言語とは概念であり貴様らよりも古く正確な世界の区切りだ。精霊や貴様らが生み出した魔法言語と違い貴様らの常識や世界と言うものを覆す様なものも多い、それ故に全ての言語をその知識と概念を見に刻まれた瞬間、貴様は人とも竜ともつか無い奇妙な視界を持つ事になる。」
「…?つまりどいう事だ?」
珍しく回りくどい…というかこいつらしからぬ抽象的な言い方だ。
彼女は少し考えて、咳払いをした。
「ゴホン、つまり、貴様は竜言語を習得した瞬間自身で新たな世界の区切りを産まなければなら無いという事だ。」
「…は?魔法言語を作れってことか?」
「然り。」
それは俺特有のあまりにも特異な現象であった。
彼女の言っていたことをなんとなく理解しようとしたところ、俺はすでに『人間』の世界で長く生きていたために『竜』の世界観を彼女らが生きる世界の概念を完璧に習得した時俺は『人間』という世界と『竜』という二つのあまりにも違いすぎる世界の狭間に立たされることになる。
そして狭間には未だ先駆者は居らずそこには未知の、いやまだ区分されてい無い世界が広がっており俺はそこを人としての常識と竜としての常識を持ってたった一人で切り分けていくという人間一匹にはあまりにも重い作業をしなければなら無いということだ。
言語によって世界は区切られ今の形になっている。言葉とは言霊とはその様な考えの中にあり、この世界の魔法はそのように成り立っている。
この作業で恐ろしいのはより上位の、優れた考え、概念である竜のそれをなまじ習得しているが為に気を抜けば俺が人という枠から外れ下手をすると知性なき竜か精神だけが焼き切れた廃人まっしぐらだそうだ。
なので今回は彼女との接触をなくした魔力同士での思念伝達法を使い接触のそれよりも薄っすらと知識を刻む。そして彼女が危険だと判断した瞬間彼女が俺と接触し知識を剥ぎ取る。という方法でチャレンジすることになったのだ。
「グフゥ…はぁあ…」
「…どうだ?進んだか?」
「まあ、半分くらいは。」
「先は長いな…少し休憩しよう。」
そして今、半日が経った今漸くあまりにも広大な未知の世界を半分切り分けることに成功した。
ここまで三十回以上やり直しながら、意識を失いながら世界を切り分けてきたがなかなかに難しい、例えるならば…正解を知っている国語の問題で自分なりの別の答えを探せと言われているような、そんな感じである。
一旦家に戻って昼飯を作ったり食ったり、洗濯物を取り込んだり洗い物をしたりと家事をこなしていく。そんなことをしているといつのまにか疑問に感じていなかった事を冷静に直視できるようになった。
「というかなんで俺が魔法言語を作るなんてことになったんだ?」
「…一番最初にそれが出てくると思ったんだが…というか納得するとかそれ以前に理由ぐらい聞かれると思って待っていたのだが…今更か?少しばかり仇である私を信用しすぎじゃ無いか?」
…まあ、言わんとすることはわかるしよの復讐者が俺を見れば腑抜けているというかもしれ無いが…
「俺と一緒に自爆したいのなら別に俺は構わないし…」
「ぬっ…」
自分でも驚くほどに周囲の魔力が淀みこの半年で酷使して来た肉体と魔力が放つ重圧で閉鎖空間である家が軋み空間そのものがドロリと歪む。
「今は信頼を積む時だ。それ以上にこの契約を利用するべきだ。俺は復讐者であり人間、理性なき獣とも、共感力の欠けた狂人とも違う。善人を装いながら背後から善人を刺し殺すのがいちばんの近道なら俺はそれを辿るだろう。お前を信用しているのではない、俺はお前の魔力とそれが生み出した契約を信頼しているんだ。」
激情が、殺意が内側から噴き出る。それらは今すぐにでも目の前の竜を、仇を殺せと囁き魔力をうねらせ殺意よりも先に行動を持って殺意を示す。
だがそれに乗ることは無い、彼女を殺せば俺は死ぬしそれによって復讐が果たされることはなくなる。魔力を強制的に押さえつけ感情を切り替える。
「はぁ…まあ、そういうわけで死ぬことは無いだろうと思ってたんだが…よく考えなくても竜と人の間の子とか結構いそうじゃ無いか、なんで俺が魔法言語を、いや竜と人の中間にある世界の切り分けをせんとなんらんのだ?」
「うむ、それは一重に『竜人』『人竜』というものは存在しても『竜の世界』と『人の世界』の間に立つようなものは居なかったからである。」
…はぁ?
「つまるところ貴様が竜言語を操ったり、竜に師事し殺しあうでも奪うでも無い一時的な共存という関係を築き上げたのがこの世界で初めてのことだったというだけだ。」
彼女は娘を寝かしつけながらゆっくりと語る。
「古来より、私たち竜と人は殺し合い奪い合い、今の貴様のように憎しみ合う物だった。それ故に竜殺しの英雄譚は語り継がれ竜の住む場所の近くにすむ人間は『竜に支配されている』と語る。貴様ら人間よりも高みに達し、そして神と同じく古くからある。それだけで私たち竜というものと人間との関係は決定されてしまったわけだ。」
「…その竜人だとか人竜だとかっていうのは一体なんなんだ。普通に考えればそいつらは人と竜との間に生きるもんなんじゃ無いのか?」
俺は昼食に使った食器を洗い彼女が取ってきた鹿を朝解体した肉を塩揉みし下味をつけておく。
「竜人は人の形をした竜、いや竜を信奉するあまりその身を竜に近づけた奉仕種族だ。我らの憎む竜教団とはまた別で遥か高き場所にある竜の頂きと呼ばれるような高地に信奉する竜と共に生きている。竜を目指し竜に体を近ずけ寿命も頑強さも高くなったあ奴らだが…あくまで彼らは竜の信奉者であり竜の世界に生きる者達、竜言語を使うものもいるがそもそも人間とは程遠い、それ故に竜と人の間のものでは無いのだ。」
彼女は少し忌々しそうにそう語ると今度は卵の方の世話をする。
「そして人竜、これは竜に成り果ててしまった。人の世界を捨て様々な事情で竜へと成り果てた…竜だ。そこに人の世界の名残はなく。自ら捨てた。或いは自らを捨てた人間の世界などに興味などなく理解する気もない。人から生まれし者ではあるがそのあり方は人を憎み、人に落胆した。人であることを諦めた。そんな奴らだ。そのような輩が人と竜の間に立つなど出来るはずもない。」
俺はそうやって話す彼女を見ていたわけでは無いが、なんとなくこの一緒に過ごして来た半年でわかったことがある。
それはきっと悍ましい想像であり、飽くまでも俺の都合がいい考えだが…
きっと彼女は『元』人間なのだろう。
そうでなければ上位者である彼女が、竜でありこの世の覇者に近い彼女のような存在が、俺に自らの知識を与えたりすることもないだろうし、そもそも人自身の血が混じった娘などましてや人によってそれが汚されたというのにそれを治そうと、いやそうとする物だろうか?
俺はこの山の麓にある川と森にほど近い平原が元がなんであったかを想像して…やめた。
どうせ彼女を殺すのだ。同情してなんになる。
人であることを諦めてしまうほどの激情に駆られた彼女が昔ここにいたのだろうが…それを激情のままに獣のようにではなく人という知性の持つ報復と悪意を持って屈辱的に殺すのだ。
俺の濁っていない、理性が問いかける。
いや、あまりにも符号が一致しすぎていて考えすらしなかったが理性はあらゆる可能性を考えつく。
例えば、例えば…
『彼女が仇でないかもしれない』
とか。
父の槍の半分は血に濡れていた。竜に焼かれてなお赤いあの血は竜の物だろう。だが、だがそんな傷がすぐに治る物なのか、思えば彼女の言葉はどこかおかしなところがったはずだ。
だが今それを考えている余裕はなかった。
そして、俺はきっとこの時それをよく考えておくべきだったんだろう。
新しく自分で区切った世界は、その感動はそんな疑念を何処か過去の物にしてしまって、更に修行で彼女に攻撃がまともに当たるようになったことや彼女の攻撃を受け流したり、受け切ったりできるようになったことやさまざまな修行の成果が、その喜びが、彼女を殺すために忌々しい竜教団を殲滅するために身につけようとして来た力が少しづつ開花して来た喜びに舞い上がっていたのだろう。
どうして彼女があんなに嬉しそうに笑うのかをもう少し考えたりするべきだった。