12月の破綻(承前一)
疑問を全て口にする前に、新たな怒号が起こり、一人の生徒が風紀委員を殴りつけた。
一瞬の静寂。
当事者達は殴ったままと殴られたままの姿で硬直していた。周りの生徒も動けない。
のも、やはり数瞬の出来事。
「やりやがったなあ!」
殴られた風紀委員が殴ってきた生徒を竹刀で打ち据える。
別の風紀委員が止めに入ろうとするが、やはり別の学ラン姿の生徒が殴りかかる。
乱闘が、暴力が、見境無く広がって行く。
「こうなるから、だ」
呆然とする医者の息子。家の仕事柄、或いは怪我人等は見慣れているかもしれないが、流石に暴動の発生現場にまで耐性は無かったらしい。
「ほら、しっかりしろ」
「あ、ああ」
「ぼやぼやしていると、俺たちまで巻き込まれるぞ」
俺に言われて、やっとその危険性に思い至ったらしい。急に慌て出した。その動きに釣られて、周囲の別の生徒達まで慌てて動き出す。
「出、出口は―――」
「俺の後ろに有るだろうが」
「そうだった。じゃあ、早く逃げ」
台詞を途中で止めて、硬直する。
ん? 何か起こったか?
後ろを確認しようとすると、
「そこの生徒達は風紀委員の指示が有るまで動かないで下さい!」
この声。覚えがある。
振り向けば、以前に揉めた二年生。以前と同じ半袖に腕章、竹刀も持っている。
「今回の事件について、皆さんの中に関与している生徒が居るかもしれないので、決して動かないで下さい」
口調は丁寧。だが竹刀を構え、明らかに此方を恫喝している。
……その高圧的な態度が気に食わん。それに貴様に命令される筋合いは、無い。俺はこの祭りを楽しみたいのだ。
「おいおい。それは無茶じゃないのか。下は乱闘騒ぎなんだ。体育館から出る位、許可すべきじゃないか」
「あなたは……?」
俺を見る二年生。その目に傲慢と復讐の光がみえる。
「駄目です。風紀委員の指示には絶対に従ってください。従わない場合は―――」
そう言って竹刀を一度、威嚇するように振る。否、威嚇として振る。
愚かな。
笑んだ唇のまま、口に出さずに思う。
しかし、だからこそ踏み台に相応しい。
「そこを何とか、この通りっ」
頭を下げて頼む。憎い相手が下手に出る快感と、自分の命令に従わない苛立ちを与える為に。
「くどいっ。あんたらは、ただ俺たちに従っていれば良いんだ!」
言葉とは裏腹な表情をする。俺が逆らえば、罰することが出来る。その想像が脳裏によぎるから、俺に逆らって欲しいのだ。
「そんな無茶苦茶な!」
そう言いながら、
敢えて、
近づく。
奴の望み通り。
「俺に近寄るなっ!」
「ほら、このとおり」
頭を下げ、無防備な頭部を晒す。これを罠と気付けないであろう、愚かな風紀委員に向けて。
「五月蝿いんだよっ!」
そして俺の頭に向け、
竹刀を振り下ろす。
軽い痛みが走る。飽くまで軽い痛みが。まだ自制が利いている。無抵抗な人間を打つ躊躇いや、一撃で終わらせて詰まらないという驕りが、この一撃を軽くする。
「っく、っく、っく」
―――まったく、君は何とも素晴らしい。ここまで予想通りに動いてくれるとは。
堪え切れない感情が口から零れ落ちる。嬉しくて、嬉しくてたまらない。
これで俺は、
暴れる為の免罪符を手にした。
通路の上の他の生徒から非難の声が上がる。
「大丈夫か?」
俺を心配して、声を掛けるクラスメート。それに感謝しつつ、鬱陶しく感じる自分がいることを自覚する。
「大丈夫だ」
ああ、大丈夫だ。実に善い気持ちだ。思考が変化するこの感覚は。
悦びが総身に満ちる。自分の中の残虐さ、ではなく、自分は残虐だと、そうなるのが理解る。
「今のは指示に従わなかったお前が悪いんだっ! ちゃんと俺の指示に従え!」
弁えない馬鹿が何かをがなり立てるが、もうどうするかは決めてある。
「そこを何とか」
また、頭を下げる。この体勢が何を意味するか、想像も出来ないだろうが。
「だから何度やっ」
足に力を込めて、一足で距離を詰める。無防備な体に突き刺さり、首の骨が軋む。
「うがふっ」
思わず転がる、二年生。
何故、頭を下げたのか。突っ込む為に体勢を低くしたかったからだ。それに油断しきった腹はがら空きだ。体重を乗せた俺の突進をもろに食らって、耐えられる訳もない。
「何をす、がああぁぁぁぁ!」
「五月蝿いぞ、馬鹿が」
腹の上に立つ。俺の全体重を受けて、呼吸出来ないようだ。筋肉の薄い場所を選びたいが、こうも不安定では仕方ないか。
「お、おい」
「今なら逃げられるぞ」
腹を踏みつけたまま、答える。呆気にとられていた他の生徒達が、校舎へと走ってゆく。
「お前は……」
「言った筈だ、怪我をしたくなければ逃げろと。怪我をしたいのか」
暫く考えていたようだが、俺の横を通り抜けて校舎へと足を向ける。
「そうだ。一寸待ってくれ」
立ち止まった奴に、眼鏡を渡す。
「壊れないよう、預かってくれないか」
「……わかった」
受け取ると、改めて校舎へと向かって走って行った。
「さて、と」
二年の上から降りる。
まだ咳き込む風紀委員を捨ててステージの反対側、体育館後部備え付の階段へと向かう。
踊り場に何人か生徒が居る。俺に気付いていないようだ。
その美味そうな玩具を見つけた悦びが、笑い声となる。
「くか、か、か」
殺気立っているようだ。一人の生徒を、別の生徒達が蹴り上げているのだから。
声を上げる事無く階段を駆け下り、夢中になって蹴り続けている馬鹿の一人を、
壁を使って押し潰す。
「がっ」
肋骨が軋む感触! 潰された胃と肺から空気が漏れ出る、この音!
「ひゃははははははははははははは」
楽しい! 楽しい! 楽しい! 楽しい! 楽しい! 楽しい!
「なんだ」
声を出した生徒の脚を横から蹴り払い、体勢を崩した所を肩を掴んで引きずり倒す。そのままの勢いで立っていた最期の一人に肘を入れる。
「何するんだ、て」
「遅えよ」
倒されたまま何かを言い掛けた奴の腹を蹴り、階段を転がり落とす。大した高さも無いから、精々動けなくなる程度だろう。
これで二人。後に残っているのは…
「お前は、どうするぅぅぅぅぅぅ」
ガパリ。口が大きく開き、笑みを形作る。
「ひゃははははははははははははははは」
涎と笑い声を垂れ流しながら、辛うじて立っていた最後の一人へと詰め寄る。
突如現われた俺に、一人は潰され、もう一人は階段を蹴り落とされ、戦意を喪失したらしい。腰を抜かしたでもしたか、そこに座り込んでしまった。更にいたぶるのも楽しいが、一階ではもっと面白いことが繰り広げられている。どちらを選ぶかは決まりきっている。
「く、く、く、く、く、く」
背後から襲われないよう注意しながら階段を下りる。腹を蹴られた奴がまだ呻いているが、無視して騒乱の中へと突き進む。
多くの生徒が怒号を上げ、視界に入った者へ無差別に襲い掛かっている。勿論、俺も対象の一人でしかない。しかし、
「くく、くくく、くかかか」
横にそれて攻撃をかわし、がら空きの脇腹へ、腕を振って打つ。
「くくくくかかかかかか」
竹刀を構えた相手には脛と膝を蹴り、動けなくさせる。
「かかかかかかかかかか」
余所見をしている者は、体当たりで壁と挟む。
「ひゃははははははは」
世界は、素晴らしい。
笑いながら、それを唐突に実感する。
ああ、今の俺は間違いなく生きていると!
「はははははははははははははははは」
誰もが怒りに駆られる中、一人哄笑する俺の周りから人が逃げ出し、空白が生まれる。
「お前は…」
そんな俺の前に、竹刀を構えた小柄な生徒が立つ。俺を押さえつけるつもりか。
「姉さんと一緒じゃないのか、ふうきいいぃぃぃぃん?」
「うるさいっ! そんな事より、お前は何をしている!」
くっ
あまりに場違いな質問に思わず和み、微笑みが浮かんでしまう。
だが目の前の一年生はそう受け取らなかったようだ。
「馬鹿にしてぇ!」
大上段に振りかぶり、俺へと迫ってくる。
可愛くすら感じる程、子供じみた行動ではあるが…
来るなら殺る。しかし貴様の子供らしさに見合った仕方で。
「ごめんなさい!!」
いきなり大声で謝る。こんなことをされると大抵の場合、人間は混乱する。それまでの状況とはあまりに異なる情報の処理に手間取るからだ。
こいつも例に漏れず、驚いた表情で立ち止まる。
哀れな。隙を見逃す訳がない。半身を前に出しつつ右手を突き出し、心臓を押す。この一撃で、
「げがっ! げふっ、ごふっ」
咳き込みながら、倒れこむチビ。片手を突いて、床に伏すことは免れているが…
「き、汚い、ぞ。あん、な手を、使うな、んて」
ほほう、まだ元気なようだ。いやはや発言内容と合わせて随分と愛らしい。
「汚い? 何を言っている。貴様は武術を学ぶ者なのだろう? 立ち合いにルールを求めた瞬間から思考が限定されてしまうだろうが。ましてや俺は素人。手段を選ぶとかいう束縛は、俺には無い」
「う、うるさいっ!」
大声を出し、再び咳き込む。やれやれ。
「だいじょうぶ!」
悲鳴に近い声が上がると共に、薙刀を持った一人の女子生徒が駆け寄って来る。この季節に男子だけでなく女子も夏服なのか。
「ね、ねえさん…」
「無理に喋らないで。動ける? そう。壁際に逃げて、じっとしてなさい。いい、身体を休める事だけを考えて、絶対に動かないようにしなさい。解ったわね」
「解った…」
よろよろと逃げてゆく、一年生。そして副委員長は俺と対峙する。
「弟を傷つけたのは、貴方?」
「違うと言ったら信じるのかね?」
「……そうね、馬鹿げた質問だったわ」
「そうだろう、そうだろう」
俺の嘲笑に動ずる事無く、言葉を続ける。
「じゃあ、変えるわ。今から貴方をブチのめすけど―――」
その目に殺気が宿る!
「文句は言わせないわっ!」