11月の転換点(承前)
馬鹿以外できっこないだろう、なあ風紀委員。
そう高らかに宣告する俺の声が周囲に響き渡る、筈だった。
だがその直前に、
「確かに馬鹿げているな」
横から割り入ってきた奴が一人。
発言の主を見れば男子生徒。恐らくは三年生か? 不覚にも人が近づいて来た事に気付いていなかった。
いや、それだけではない。気付けば周囲をぐるりと囲むように、生徒達が輪を作っている。どうやら風紀委員との口論によって集まってきたらしい。
「何が馬鹿げているって言う…ん、です、か」
興奮していた二年生がゆっくりとトーンダウンして行く。最初は噛み付くような態度だったにも関わらず、最後には敬語を使える程度には頭が冷えたらしい。しかし、何故だ?
「風紀委員会の規定には、竹刀を持つことが書かれているのか? 少なくとも俺は、そんな条項を見たことは無かったぞ」
「これはですね…」
答えに詰まる二年生。
「それに、そもそもどんな理由で竹刀を持ち歩いているんだ?」
「それは、えっと」
「なんで答えない? 答えられないような理由なのか? それとも理由なんてないのか?」
すっかり勢いをなくした二年生。そこには先程までの激昂していた様子は無い。ただ何処と無く反抗的な態度にも見える。すっかり主役は向こうに移ったようだ。
「あいつは一体誰だ?」
未だ逃げずに残っていた我が級友に尋ねる。ただ単に逃げそびれただけかも知れないが。
「確か、前の副生徒会長だったと思うぞ」
「そうか。あいつが、か」
なるほど。だからあんな態度をとる訳か。形式的には自分より立場が上。なにせ風紀委員、礼儀正しく振舞わなくてはならない。しかし真実、自分より上位だと思っているのではないから、何処と無く反抗的になる。ふふん、随分と分り易い対応だな。
人間関係、もしくは力関係を垣間見させてくれた前副生徒会長。だが奴はこれ以上、竹刀について追及する気は無いようだった。
「そんなことより、生徒会長か風紀委員長に聞きたいことが…」
「これは一体なんの騒ぎですか!」
周囲の人垣の一部分が割れると同時に現われる人影。腕に腕章を巻いている。
また風紀委員が増えた…。流石にこれ以上増えると、人口密度がかなり上昇してしまう。既に俺、級友、前の副生徒会長、風紀委員二人に野次馬と結構な人数が居る。わざわざ半袖にしてまで、この涼しさを楽しんでいたというのに。
大体、前副生徒会長の登場で、俺の望む展開は有り得なくなってしまった。だとするならば、この場にこれ以上留まる必要性は無い。あのままなし崩しに解散できそうだったのに。
うんざりした気分で、新しく登場した風紀委員を見る。
ん? こいつ、どこかで見たことがあるような。
「副委員長」
「姉さん!」
それぞれ呼びかける二年と一年の風紀委員。あのチビ、弟なのか?
「委員会活動中は副委員長と呼びなさいと言ったでしょう」
そう弟を叱る副委員長とやら。
どっかで見たこと有ると思ったら校門で取り締まっていた、あの女子生徒か。副委員長ということは、こいつも武道系の人間なのだろう。
校門の女子生徒か…。略して校門女だな。いや、響きに品が無い。ま、今はお供が二人だから、越後の縮緬問屋と呼ぶべきかもしれないな。音も一緒だし。
「すみません、副委員長。実は―――」
「そいつが大声で騒いでいたから人が集まっていたんだ」
口を出す前副生徒会長。
それを聞き副委員長が二年に確かめる。しかしこいつら『副』ばっかりだな。名前が分らないからこう呼ぶしかないんだが。
「本当に騒いでいたんですか?」
「副委員長、それには理由が…」
「ハイかイイエだけで答えなさい。貴方は大声を出していたのですか」
「……ハイ、出していました」
「姉さん、それは」
先輩を弁護しようとする弟に、向き直りもせず、
「貴方は黙っていなさい。どんな理由があろうとも、校内で騒ぐことは禁止されています。ましてや他の生徒を指導する風紀委員がそれを破っては示しがつきません。それに」
そこで漸く顔を向けると、
「姉さんと呼ぶなと言ったばかりでしょう」
「…………」
「…………」
沈黙する二人。わーお、俺すげえ睨まれてねぇ?
「ところで、どうして貴方が此処に居るのですか、前副生徒会長」
『前』の所に力を込めながら、詰問する副委員長。言葉だけなら質問だが、態度は敵意バリバリで詰問としたほうが適当だ。…好戦的な御老公だな。
生徒会長か風紀委員長に質問する為に向かっていたら、風紀委員が騒いでいる場面に出くわしたんだ。ほら、校内で騒ぐことは禁止されているんだろう?」
対峙する悪代官、もとい前副生徒会長。やっぱり敵意バリバリで、応対よりも対峙のほうが相応しい。この流れだと越後屋は俺か?
「質問? 前の副生徒会長である貴方が、一体何について質問しようとするのですか?」
「今は前の副生徒会長ではなく、サッカー部の元部長として質問をしに来たんだ」
台詞の途中からユニフォーム姿の生徒が数名、前へと出てくる。サッカー部のようだが彼らを悪代官たるサッカー部元部長の手下、越後屋(群)とした方が据わりは良いだろう。登場人物その一である俺は、さっさと退場するのが筋というものだ。
なんて、考えつつも。
冗談は別として、全体の関心は副委員長と元部長の対決に移っている。また、サッカー部の連中が前に出てきた影響で、周囲を囲む輪が崩れた。この機を失えば、逃げ出す事は出来なくなる。
さりげなく合図して級友と共に輪の外へと出る。風紀委員の二人は気付いていたようだが、ふふん、どうすることも出来なかったようだ。
外に出て、早速逃げ出そうと思ったら相方が動かない。訝しげな目を向けたら
「いや、でも、あの対決は気になるし」
と、きやがった。
……この状況はかなりのモンだと思うんだが。
さっさと退散した方がいいんだろうが、ここまで巻き込んだのは俺だからな。幾らなんでも、ここで先に一人帰ったら酷すぎるだろう。自分自身、首尾一貫していないように思えるが、最後まで付き合うか。先に逃げなかったこいつへの礼もしなきゃならんし。
「サッカー部がなんの質問ですか?」
「今日の練習をしようとしたら、グラウンドを剣道部と柔道部が使用していた。今日はサッカー部の使用日だ。他の部活が使用している理由を知りたい」
元部長の言葉に頷くサッカー部員。周囲の野次馬の中にも頷いている生徒が居るところを見ると、見かけた生徒はそれなりの数に昇るのだろう。
「サッカー部の利用中止はペナルティです」
「ペナルティ?」
「そうです。校則ではグラウンドを利用した部活は使用後に整備を行う事になっています」
「その言い方だとサッカー部が整備をしていないように聞こえるな。後輩達はしっかり整備をしている筈だが」
徐々に緊迫して行く空気。元部長はまだ表面上落ち着いているように振舞っているが、後ろに控える部員達は敵意むき出しで睨み付けている。
対する風紀委員側も副委員長は木で鼻をくくった態度、脇を固める二人は竹刀を握り締め、構えてこそいないものの臨戦態勢と表現すべき状況か。……逃げたい。
「ええ、確かに整備はしています。ですが整備用具を片付けていませんでした。その為ペナルティを課すべきだと生徒会に風紀委員会が申告しました。その結果としての決定です」
「何だと!」
「ふざけるなっ!」
「整備用具を片付けてなかっただけで……」
声を荒立てる部員達。しかし元部長はそれを抑えると更に続けた。
「とりあえず、サッカー部が使用できない理由はわかった。じゃあ、なぜ剣道部達が使用しているんだ? そこは、納得がいかない」
「サッカー部の使用中止が決定したあと、最初に申請してきたのが剣道部と柔道部だったからです」
「サッカー部自身も使用中止を知らなかったのに、どうして剣道部が知ることができた?」
「さあ? 風紀委員会はそこまで知りません。それに」
知っていたとしても、教える訳ないでしょう。
流石にそこまで口にしなかったが、その雰囲気だけは十分に周囲に伝わってきた。
もう、無理だ。絶対に、無理だ。暴力は否定しないが、この状況はヤバい。なにしろ周囲に人が多すぎる。パニックの連鎖には巻き込まれたくはない!
すっかり空気に呑まれていた学ランも、そろそろと人だかりから逃れてゆく俺を見て、いかに危険な状況か理解したらしい。これで巻き込まれた友人を見捨てたという負い目を抱く羽目になるのは回避出来た訳だ。後は、カウントダウンは何秒かかるか、だ。
ところが、
「そうか。解った」
と言うや否や、あっさりと元部長が引き下がった。
納得いかないのはサッカー部と野次馬連中だ。特にサッカー部は頭に血が上りっぱなしのようだ。
「何言ってるんですか、先輩!」
「俺達、練習場所を奪われたんですよ!」
「先輩が良くても、俺たちは納得いきません!」
野次馬も同調するような空気だが―――
「いいから! ここは引き下がれ!」
いきなりの大声に驚く周囲。サッカー部の面々も一瞬、息を呑んだようだ。
「でもっ!」
「俺の指示が聞けないのかっ!」
「う……」
「……分りました」
ほほう、貫禄勝ちだな。元部長の肩書きは伊達ではないということか。
部員を落ち着かせると、その場から部員を引き連れて立ち去る前副生徒会長。突然の展開に風紀委員も驚いている。
……あの様子では、このまま終わるとは思えんな。だとしたらどんな手を使うだろうか。
何にせよ、一旦は終わったようだ。見つかる前に早々に退散するとしよう。