後書き
後書きとありますが、この編を含めて全小説となります。
今回、連載小説として書かせてもらっていた『半年に満たない日記』が単行本化されたことを、読者の皆さん、並びに取材させて貰った関係者の方々、編集者のT、Nの両氏、自身の仕事が忙しい中で相談に乗ってくれた妻と、学校に伝わる逸話を集めてくれた息子にこの場を借りて謝辞を述べさせて頂きたい。
普段の私の仕事は、主にルポルタージュや事実を基にした小説で、登場する人物は常に大人だけだった。そのため、今回のような中学校を舞台にした小説は始めての試みであり、また対象が十年以上昔の事件であることも重なって、試行錯誤の連続だった。
そんな中、行きつけの居酒屋の店長でもあり、同時に多くの逸話を話してくれたY氏は、貴重な案内人でもあり、この小説のもう一人の作者でもある。
この小説の契機となったのは、引越し先で見つけた古びた二冊のノートだった。
おそらく前の住人もその存在を忘れ去っていたであろうノートは、荷物の整理の最中、階段下の物置から厚く埃が積もった姿で私の前に現われた。表紙の『風紀委員会日誌』と『書記日記』の文字は一見しただけではそれと分らない程汚れていた。
引越しから数日、片付けの合間につい『日誌』を捲ってしまったのが始まりだった。最初は日記の持ち主が誤って持ち帰ってきたのだろう考えていた。
しかし、九月から始まった日誌は僅か十二月の日付で終わっていた。しかも日付が変わる度に少しずつ、騒動、喧嘩、反抗といった物騒な文字が増えて行き、読み終えた頃には、私の好奇心は抜き差しならないものと化していた。
そして、持ち主に悪いとは思いつつ、日記を開いてしまった。そこには日誌と同じ出来事が、しかしもっと赤裸々な感情と共に綴られていた。
読み進む内に、最初に感じていた一抹の罪悪感は消え失せ、ここに描かれている出来事を書いてみたいとの欲求が沸き起こってきたが、その頃の私は他に仕事を抱えており、また古い出来事の為、覚えている者も少ないだろうと諦め、いつか取り掛かろうと思いつつ、再びノートを物置へと仕舞い込んだのだった。
転機は二月も経たない内に訪れた。それは食卓での息子の何気ない一言だった。小学校の卒業と共に引越しをした息子は、最初こそ寂しがっていたが、中学で部活動に参加することで新しい友達もでき、毎日のように私達夫婦に学校での出来事を報告してくれていた。
その日もいつものように授業中の出来事や友達の話をしていたが、その中に部活の先輩が教えてくれたという話があった。その話は代々語り継がれており、自分たちも後輩に伝えなければならないと言う。内容は何代か前の先輩が学校で起こった騒動でどんな活躍をしたか、だった。
その話を聞いた時、私は驚いた。内容そのものは俗に武勇伝と呼ばれる類の話だったが、一部の登場人物の名前や舞台設定が、以前に読んだ『日記』と同じものだったからだ。
大袈裟な表現をするならば、私は運命を感じた。今から振り返ってみれば、少なからぬ確率で耳に入ったであろうが、その時の私は気付かず、一人興奮してしまっていた。
私は執筆を決意し、前の住人に許可を取ると共に、その騒動の顛末を知る人物達に取材を申し込み始めた。ところが学校、PTA、地域の方々の話を聞くうちに、単純な騒動ではなく大規模にして複雑な事件であったことに遅まきながら私は気付いたのだ。
最初の構想では、日記の体裁を模しながら前後譚を含む騒動の姿を描くつもりだったが、取材が進む中で、たった一つの視点からでは不完全と考え、同じ期間の出来事を複数の生徒の体験を通じて描き出す形にした。
(中略)
外伝について話したい。
外伝『名前の消えた生徒』は当初連載する予定であったが、内容を鑑みた結果、見送られた。しかし単行本化の際に、全ての話を取り纏める最終章として改めて載せることにした。
既に読まれた方はご存知だろうが、この話では登場する全ての存在に対し、固有名を与えていない。その為、以前の話に登場した人物も名前で呼ばれる場面は無い。これは話の冒頭でも紹介したように、本来の逸話において主人公格の『彼』は名前が与えられていない、或いは奪われた事に合わせたものだ。また、その事実を編名の元としている。
『彼』に気付いたのは割と早い時期、逸話を時系列に沿って並べ直す作業の最中のことだった。
私はあの事件を四つのパートに分けて考えていた。最初は校門前の取締まりに至る前日譚。二つ目は取締りから風紀委員とサッカー部の衝突まで。三つ目は衝突から事件。最後は事件後に起こった剣道場の惨劇としている。この内、主に語られるのは二番目と三番目のみである。
一番目はその性質上、表に出てくる話ではなく、四番目はその特殊性ゆえに独立した話として扱うことにした。
執筆当初から四番目の部分を最終章として構想を練っていたが、その中心人物である生徒の氏名が伝わっていないことや、その振舞いに興味を持っていた。しかし逸話を並べる内に、節目となる出来事で大きな役割を果たす生徒がいることに気が付いた。そして彼らは皆、名前を持っていなかった。剣道場の惨劇を起こした生徒と同じように。
単なる偶然と退ける事も出来たかもしれない。しかし私はそう取らなかった。逆に、一人の生徒が名前を消された状態で伝えられている、そう考えてしまったのだ。
私はそれを念頭に置いて、もう一度すべての逸話を調べ直してみた。『彼』の外見的特徴は比較的多く伝わっていた為、合致する生徒をピックアップして行くと、数は少ないものの更に複数の断片的な話が浮かび上がってきた。
それらの中で『彼』は否定的に語られていた。全体として冷笑気味であり、最初は風紀委員に協力するような態度を取りながら、後には対立して挑発を繰り返す。だからといって他の生徒と連携しようとしない。
部分的に見ると『彼』は所謂トリックスターと呼ばれるような振る舞いしかしていない。しかし全体を通してみると一つの意思のようなものが見えて来た。『彼』は単純な悪意で行動しているのではなく、明確な目標を設定した上で行動を起こす第三の勢力ではないか、と思い至ったのだ。
自分自身、この発想に半信半疑だった。仮にこの考えが正しいとするならば、次のようになる。
『彼』は当初、風紀委員の行動を是認していた。これは初期の逸話の中に「校則の規定に適った大柄な男子生徒」が風紀委員に反抗して暴れようとした生徒を取り押さえるというエピソードがあるためだ。
しかし風紀委員が暴走するにつれて『彼』は、学校内の均衡を取り戻そうと画策する。サッカー部と風紀委員の衝突の直前に起こった事件。それ以前の事件とは一線を画すほど大きな騒ぎだった為、多くの生徒の耳目に残ったのだが、それは内容においても異なっていた。
それまで、そしてそれ以降も殆どの事件は暴力沙汰だが、『彼』は言葉によって事件を起こしていた。腕力に自信が無かった訳ではない事は、前述のエピソードによって判っている。では何故『彼』は風紀委員を挑発したのだろうか? 『彼』は事件を起こしたかったのではなく、風紀委員に事件を起こさせたかったのではないだろうか。
風紀委員によって事件が起これば自粛せざるをえない。『彼』はそれによって校内に平穏を取り戻そうと画策したが、サッカー部の元部長によって不発に終わってしまった。そうだとすれば皮肉なことに、一連の騒ぎを収めようとした元部長こそが、体育館の騒動を決定付けたことになる。
『彼』の計画は失敗した。この時点で結末を予期していた『彼』は、むしろ積極的に一連の事態を結末に向けて推し進めて行く。『彼』の断片的なエピソードはこの時期が一番多い。風紀委員に対立する生徒があえて校則に違反する中で、校則を遵守しながら風紀委員に対抗する『彼』は双方から敵視されていた。
『彼』はその立場を利用し、自分の存在を使って更に事件を誘発するよう仕向けていった。そして、体育館と剣道場の事件を起こした…。
一見して信じ難い。たかだか中学生にここまで出来るものだろうか、そう考えたのだ。更に『彼』は体育館と剣道場で冗談のような惨劇を起こしているのだ。そんな事を仕出かす中学生など聞いたことが無い、矢張り考え過ぎだったかと思った。実際、取材した方々にこの話をしても、そんな生徒は知らないとの答えが殆どだった。
『彼』など私の妄想に過ぎないかと考えていた最中、Y氏の経営する居酒屋にて一人の人物と出会った。仮にT氏としておこう。詳しい話を聞くと、この街に生まれ育ち、現在は近くの病院にて医者として働いていると語ってくれた。そこで私は某中学校にて起こった事件について調べていることを告げ、協力を求めた。
T氏が語ってくれたのは以前にも聞いたことが有る話ばかりだったが、私が『彼』について意見を求めると様子が一変した。暫く沈黙した後、或る人物の名を挙げ、その人物に話を聞くことを条件に『彼』の話を語り始めてくれた。或る人物とは作中で「師範」と呼ばれる方であり、T氏自身は「医者の息子」「級友」と表現している生徒のモデルにあたる人物である。
結論から述べれば、外伝は御二人の話を組み合わせたものだ。T氏によると『彼』の取った行動はほぼ逸話通りらしい。ただT氏は『彼』が何をしたかを知っていても何故したのか知らなかった為、事件後に彼が親しくしていたという「師範」に話を伺うことを条件にしたとのことだった。
『彼』は実在の人物だった。その事実は私をひどく興奮させ、一連の事件そのものの見え方が一変したかのような錯覚を抱かせた。だがその浅薄な思いは、「師範」との取材によって冷水を掛けられたかのように醒めることになるが。
「師範」、ここではD氏と呼ばせて貰う、はかなりの高齢にも拘らず私の取材に快く応じてくれたとその時はそう勘違いした。だが今なら分る。D氏は単に昔話に応じた訳ではなく、贖罪を目的として私の取材に応じてくれたという事が。
D氏は入院中だった。年齢や健康状態を考えて取材は後日行うことを提案したが、D氏自身の申し出によりそのまま行われる運びとなった。そして一連の事件、その背景を聞かせて下さった。
それは生徒の視点からでは決して分らない数々の事実であり、そしてD氏自身の罪の告白でもあった。成果だけを見て強権的な手法を許した行政、虚栄心のために学校を崩壊させた校長、それをそのまま受け継いだ後任者や教員、子供の教育ではなく自分の名声を求める保護者たち、そしてそれらに加担してきたD氏自身。私が見ていたのは、その歪みに押し潰されようとする子供達が上げた悲鳴であったことに、漸く気付いたのだ。
もう取材は出来なかった。単なる好奇心で事件を覗こうとした私は、その歪みに加担する卑劣な大人の一人でしかなかった。しかしD氏はそんな私は叱咤激励し、こう続けた。
「私達は既に加害者なのですよ。この罪を償う方法はただ一つ。私達の罪を世の中に知らしめて、同じ悲劇を繰り返さぬようにすること、それだけですよ」
その言葉は私の中に強く響いた。
そう、罪人に出来るのは罪を償うことだけであると、それも命を賭けて償うのだとD氏は私に最初から示していてくれたのだった。私は自分の弱さを恥じ、再び取材を始めた。
取材の最後、全てを語り終えたD氏に感謝しつつ、取材の契機となった『彼』について質問した。
私は、あの時のD氏の目を生涯忘れることはないだろう。ルポライターという職業柄、多くの人と出会う。中にはどうしようもない悲劇が訪れた人々にも取材してきた。しかしあれ程哀しげな目に出会ったことは無かった。諦め、悲しみ、絶望、それらがない交ぜになった目。或いは悲しみを見続けたが故に風化した目。
D氏は『彼』のことを「あの子」と呼んでいた。そして「私の罪」とも。
事件後、『彼』はD氏の運営する道場を見学するようになったらしい。誤解され易い風貌ではあったが、中学生としては礼儀正しく、また事件の真相を洞察できるほどに賢かったため、D氏も随分と可愛がったという。此処まではT氏の証言と一致しているが、D氏は更に『彼』の中に得体のしれない「何か」を感じ取ったそうだ。またそれこそが『彼』の行動の原因になったとも。
事件の影響で『彼』は近辺の高校には進学できず、叔父の家に下宿しながら遠方の高校に通うことになった。叔父の家に出発する前日、『彼』が挨拶に来た時、D氏は『彼』に謝ったそうだ。『彼』自身の行動にも責任があるとはいえ、全ての責任は自分が負うべきだとD氏は考えていたからだ。
そんなD氏を『彼』は留め、逆に感謝してきた。事件によって自分は更なる成長ができたと。
僅か三ヶ月程度の付き合いとはいえ、『彼』を気に掛けていたD氏はその言葉の真意と、体育館の行動の理由を問うた。
「あの子は微笑を浮かべただけでしたが、私には分りました。あの子の微笑みは『人間』の其れではなく、もっと暗いもの、まるで鬼が微笑んでいるかのようだったのです」
更に『彼』はD氏にこのように続けた。
御心配なく。もう取り返しはつきませんし、貴方が責任を感じる事でもありません。たぶん私は生まれ付きこうだったのですよ。ですから笑って見送って下さい。私は貴方が大好きなのですから。
その後もD氏は『彼』と逢う機会を持ったが、逢う度に『彼』からそういった雰囲気が薄れていることに気付いた。しかし飽くまでそれは隠すのが上達しただけとD氏は考えた。
「私はあの子を真っ当な人間とすることは出来ませんでした。あの子は何も言いませんが、それこそが私の最大の罪なのです」
そしてあの子の物語を最初に書き上げてくれませんか。
その言葉をもって取材は終わった。最後の『彼』の話に幾許かの疑問を抱きつつ、私は自らに課せられた責任を果たすべく仕事に取り掛かったのだった。
二週間後、書き上げた『名前の消えた生徒』を持参した私を待っていたのは、意識を失ったD氏と『彼』の姿だった。
スーツ姿の『彼』はごく普通の人物に見えた。いままで聞いた話が全て冗談に思えるほどに。私の事はD氏から伺っていたらしく、簡単な自己紹介の後、すぐにD氏の病状に話が移った。『彼』によると、数週間前からそういった話はあったらしい。意識の有るうちにと見舞いに来て私について聞いたと語った。私の取材が無理をさせたのではないかと心配したが、悔いを残すこと無く逝けると喜んでいたと逆に励まされる始末だった。
そして『彼』は私を外に誘った。側に付いていなくて良いのかと尋ねると、今は安定しているし、他にも多くの弟子が来ているから自分が居なくても問題ないとの返答が返ってきた。
病院の中庭。設置してあるベンチの座りながら『彼』は『名前の消えた生徒』を読み終えた。断り無くモデルとしたことを謝ると、『彼』は非難する事無くむしろ感謝しているとの返答をし、
そして嗤った。
この瞬間、D氏の話を唐突に理解した。目の前の存在は決して『人間』ではない。
よく御分かりのようで。内容は満足しました。ただし要望があります。後書きに師範と貴方の間に交わされた私に関する会話の一部、そして私との会話を載せてくれませんか。それさえあればこの最終章を掲載することを許可しましょう。
こうして書いている以上、私は恐らく頷いたのだろう。彼と会った日の記憶はあやふやであり、現実に起こった出来事であるかどうかすら定かではない。そもそもこんな内容を後書きに書くこと自体、私自身にとって奇妙に感じられる。しかし私は書くべきものを書いている、それだけは真実だと確信を持って断言できる。
了




