七
episode.7
私は黄君を呼んだ。彼の知らなかった最後の七不思議が、これだけでかでかと書かれているのだ。充分だろう。
「里沙、見つかったの?」
黄君は図書準備室に入ると懐中電灯を消した。
私は彼から懐中電灯を受け取り、彼の手を再び握った。
「自分で読みたい? 私が言う?」
黄君が自分で読みたいと言ったら、無惨にも私が言ってやるつもりで訊いた。
黄君はしかし何も答えず、私の手をほどいて五年前の桜号を読み始めた。
黄君は無言で新聞を読む。そして五年前の新聞を棚に戻して、四年前の引き出しを開けた。
なんか言えよ。
私の心の中を無視し、黄君が一昨年の新聞までを読む。
「見つかったよ」
そして静かにそう言った。
色々突っ込みたいところがあったが、そのあとすぐに警備員さんが見回りに訪れた。図書準備室の明かりが見られてしまったのだ。
警備員がいるとは知らなかった。
当然めちゃくちゃ怒られた。特に私への風当たりが強い気がする。
黄君は困ったように笑うだけで、警備員さんに詰められはしなかった。
警備員とは先生でも警察でもないので、厳重に注意されただけで私は釈放された。しかしなぜか黄君は釈放されず、私一人で帰らされた。
次の日私は早めに登校した。母と姉がうるさかったためではない。黄君に会って文句を言ってやりたかったのだ。
しかし中庭にも屋上にも、彼の姿は見当たらなかった。
誰も登校していない学校はやることがない。
仕方ないので、私は教室の自分の席で突っ伏していた。
その私にそろりそろりと何者かが忍び寄る。そして突然後ろから抱き付いてきた。
こんな破廉恥なことをするのは一人しかいない。千代だ。
しばらく放置してみようかと思ったが、なかなか離れそうにないので声をかけてやった。
「何してんのよ?」
「幸せのお裾分けぇー」
へぇそうかい。
「流れ込んできたぁぁぁっ!」
私が言うと千代が大爆笑した。変化を求めていた私なのに、この関係が変わっていなくて嬉しかった。
千代は当然ながら、イブはできたての彼氏とデートだったらしい。
「手ぇ繋いじゃったぜよ」
ピュア。
まあ絶対そこで終わらせたはずはないが、私は可愛い千代の頭をなでた。
千代は嬉しそうだ。今日なら屋上から突き落としても喜ぶだろう。
「そういや千代の男ってなんて名前なん?」
千代は気持ち悪くげへへと笑った。下品な上に気持ち悪いとは、さすがは千代だ。脱帽だ。
「少し変わった名前なんだけどね、黄色の黄でおう君っていうんだぜよ」
今日は土佐弁の日なのか? いや、それよりも今なんて言った?
私はふざけようとする頭を無理やり切り替えた。
しかし考えたくない。いや、考えなければ。
黄色の黄でおうなんて名前が、一学年に二人もいるだろうか? いるはずがない。だけど黄君は昨日私と一緒にいたのだ。
あれは六時半くらいまでだ。
あのあとすぐに解放されたなら、千代と会う時間は充分にある。
え?
どういうことだ。
私はできの悪い頭で必死に考えた。元々の悪さに加えて、大混乱で何も考えはまとまらない。
別に黄君とはなんの約束もした訳じゃない。手は繋いだけど、恋人だって訳でもない。だから彼はただの後輩君なのだし、気にする必要なんてない。
私は自分に落ち着くように言い聞かせる。
そもそも彼と千代の恋人が同一人物とは限らないし、同じだったとしても私には関係がない。
そんな矛盾を内包した私の強がりは、少しも私を落ち着かせてはくれなかった。
私は自分の気持ちに押しつぶされそうになる。
どうしていいのか分からなくなり、戸惑う千代を置き去りにして、屋上に走った。
屋上のドアを開け放つ。これから朝のホームルームが始まって、それからすぐに終業式だ。屋上には当然彼しかいなかった。
そうだ。彼はいたのだ。
金一色の髪が揺れ、緑の瞳が私を振り返る。
何を言ったらいいのか分からなかったが、彼の姿を目にした途端、私の心が落ち着いた。
私は後ろ手でドアを閉めて、彼に近寄る。
「よお屋上少年」
声をかけると彼は笑った。
「里沙。昨日はごめんね」
「警備員さんに捕まるなんて、私が思いもしない何かだったわ」
私はどんどん歩み寄っていき、そのまま彼の肩に頭を付けた。戸惑うように彼が息を止めるのが分かった。そして私の背中に、彼の腕が回された。
「ねえ、私の友達に黄君っていう彼氏ができたの。どうして嘘をついたの?」
彼の名前は黄じゃない。先ほど彼の姿を見たとき、私は確信していた。だからそう尋ねた。
私の問いに彼は答えなかった。
そのとき屋上のドアを叩く音がした。同時に千代の声も。
「里沙! 里沙! どうしたのっ?」
ガチャガチャとドアノブが回される。鍵は向こう側にあるはずなのに、ドアを開けられないらしい。
「開かずの屋上だね」
彼が言った。
まさか信じられない。本当に開かなくなるなんて。しかしそれ以外にどう説明を付けようか。
開かずの屋上。愛し合う二人が……
これじゃあメルヘンティックというより呪いだ。
告白もしていないのに、私の気持ちは彼に知られてしまった。素直じゃなかった主観的な半面も、これには言い訳ができない。
「里沙、行ってあげて。後で中庭で会おう」
彼はそう言うと、私の体を押し戻す。
私は言われた通りにドアを開けに向かった。ドアは私が近づくと、呪いが解けたように突然開いた。
駆け込んできた千代が涙目で私を見て、ほっとしたように微笑んだ。
何をそんなに慌てていたのか。
「飛び降りるのかと思ったよぉ」
私は千代には儚げな少女に見えるようだ。めがねが壊れたのだろう。
「そんなわけないじゃん」
「じゃあ急にどうしたの? あ、そっか。宇宙と交信しにきたの?」
察しがいい。
「そういうこと。彼に会いに来たのよ」
私は千代の目線を誘導するように振り返った。私の目に、彼のいない屋上の風景が飛び込んできた。
私は終業式をサボることにした。千代を教室に帰らせて、私が向かったのは図書準備室だった。
もう一度桜号を見ようと思ったのだ。
彼は五年前の新聞には興味を示さず、そのあとの新聞を読んで「見つかった」と言ったのだ。
図書室には普段司書の人がいたが、運良く奥の本棚で作業中だった。私は図書準備室に忍び込む。
四年前の桜号を取った。号外を合わせて十三枚。七不思議の記事はなかった。
次の三年前の新聞には夢の木と忘れ物の妖精以外が書かれていた。
考えてみたら、七不思議は十年も前から変わらず存在していたのだ。桜号が数年話題にしないこともあったのに、七不思議は十不思議にはならず、常に七つだった。
噂なんて不確かなもの、時間が経てば変化していくものだ。
なのに変化をしないなんて、七不思議よりも不思議なことだ。
そして実際に開かずになった屋上。
私は七不思議が迷信じゃないのではと思えてきていた。
そして一昨年、私が入学する直前の三月号にその記事はあった。
『七不思議まとめ』
そう題が書かれた記事は、七つ全ての七不思議が載っていた。
全部の七不思議が書かれているのは初めてだった。忘れ物から始まって、オレンジ色の校舎で終わる記事だ。読み飛ばしたが、全てに簡単な説明まで書いてある。
だがその中には夢の木がなかった。そのかわりに私の知らない七不思議が一つ。
『☆夢の友達☆
誰も知らない友達。どうして夢の友達と言うのか。それは夢の木が作り出した幻だから』
なんだか全てが腑に落ちた気がした。
私は急いで屋上に向かった。しかしそこに彼の姿はなかった。
それから中庭に向かってみた。そこにも彼はいなかった。
中庭から出ると、終業式が終わった先生たちに見つかってしまった。担任の受け持ちがない先生たちだ。
「あら永井さん。こんなところでどうされたの?」
大嫌いな前田に連行されて、私は教室に戻った。
担任に引き渡された私は、悪い見本として紹介された。
「冬休みだからってはめを外しすぎたら、永井みたいになるからなー」
担任は私がこの程度で辱められる人間ではないと熟知していた。
私はとりあえずモンローのポーズでウインクをした。千代だけが声を殺して爆笑していた。
ホームルームのあとに千代が言った。
「そういえばさ、金曜日に最後の七不思議聞いてきたよ。最後の七不思議は忘れ物なんだってさ」
私はすでにそれを知っていた。しかも千代の知らない夢の木の真実もだ。雷に打たれた夢の木は七不思議ではなくなり、今は夢の友達になっているのだ。
しかしせっかく調べてくれた千代に申し訳ないので、私は興味があるふりをした。
「めっちゃ興味深々がぽーる」
「説明しがいがあるわー。最後の一つはね、全部の七不思議を知ったあと、次の日になると七不思議が思い出せなくなるんだってさー」
私は肝を冷やした。忘れ物の妖精はどこにいった?
「私一個も忘れてないけどね」
夢の友達を知らない千代はそう言って笑った。
男のいる女友達の約束は当てにならない。
私がたった今作った格言だ。覚えておいてほしい。千代は終業式のあと私とどこかへ行く約束だったが、それには一切触れずに帰った。私も何も言わずにそれを見送った。
私は中庭に来ていた。まだ彼は来ていないらしい。先生や他の生徒に見られると嫌なので、私は桜の木の陰に隠れた。
スカートが汚れるのも気にしないで地べたに腰を下ろす。私を隠す桜に寄りかかる。
終業式は午前中に終わったので、まだかなり明るい時間だ。
後で中庭で会おう。
彼はそう言っていた。本当に彼は適当だ。後というのは一体いつのことなのだろう。
待てど暮らせど彼は来ない。
このまま待ち続けるなんて、私のプライドが許さない。そうも思うが、すでに三時間も待ってしまっている。
本当に日が暮れるぞ。
私は空を見上げた。コの字型の中庭で見た空は四角い。空にはぶ厚い雲が覆い、次第に赤くなってきている。未確認バスは降りてこないようだ。っていうか雪が降りそうだ。
それからさらにしばらくすると、中庭が薄暗くなってきた。
そして空が段々と、紫色になっていく。
驚いた私が立ち上がる。その私の目に焼き付くようなオレンジ色が突き刺さる。
校舎がオレンジ色に染まっているのだ。
淡いオレンジ色の光の中で、突然中庭の桜に変化が起こった。
音がしそうなほど急激に、枯れていた桜が満開の花を咲かせたのだ。