六
episode.6
「待ってたよ」
いつからだよ。
こともなげに言う黄君に、私は心の中だけ突っ込んだ。
口に出して言わなかったのには訳があった。
金色の髪。緑の瞳。小麦色のコートから覗く青いブレザー。朱色のネクタイ。赤茶の手袋。
黄昏に赤黒く染まった世界を背に、色鮮やかな少年が佇んでいる。その光景は一枚の絵画のような出来映えだった。
デリカシーなど欠片も持ち合わせがない私でも、その芸術的光景に、いらない言葉で水を差すことはできなかったのだ。
黄君の目には昨日と同じ決意と、昨日より深い迷いが覗いていた。私はそんな黄君の目に気付いていたのに、気付かないふりをしてたずねた。
「探し物はどこにあるの?」
迷う黄君の背を押せるように、あえて無神経に訊いたのだ。効果のほどは定かじゃないけど、黄君は軽く笑んで説明をくれた。
「学校にあるよ。僕が探してるのは、七不思議の最後の一つだから」
七不思議の最後の一つ。
昨日私は七不思議を全部知ってしまった。黄君が知らないという最後の一つはどれなのだろう。
全部知っている私には、答え合わせは簡単だった。しかしそれでは今日が終わってしまう。私は知らないふりをして、黄君が続きを話すのをただ待った。
「開かずの屋上と告白の木、紫の空、オレンジ色の校舎、忘れ物、狂い咲き。
僕が知ってるのはこの六つ。あとの一つはどこにあるんだと思う?」
「きっと職員室ではないと思う」
なんとなく面白い気がして言った冗談に、黄君は乾いた声で笑った。
「それは僕も賛成」
彼が知らない後の一つは夢の木だ。私は答えに気が付いていた。だけど私は答えを言わない。彼に近付き、彼が右手に付けた手袋を脱がす。奪い取った手袋を右手にはめると、私は裸になった左手と右手を重ね合わせた。
「どこから探すの?」
私の問いに黄君はたっぷり五秒は答えなかった。私から重ねた手を感慨深げな目で見つめている。
もう一度訊こうかと思ったとき、彼がぎゅっと手を握ってくる。可愛い見た目でも男の子の握力だった。大して力んだわけでもないのに、私の左手はしっかりと固定される。
「とりあえず職員室かな」
おい。
なめているのかと言いたくなったが、彼が取り出したものを見て、私は言葉を飲み込んだ。危うく恥をかくところだった。
彼がポケットから取り出したのは二つの鍵だ。それはキーホルダーもない金属を削りだしただけの鍵だった。リングに一括りにされ、二つの鍵がぶつかり合ってかちゃかちゃ音を立てる。多分合い鍵だろう。
考えてみたらセキュリティーのない学校とはいえ、大体の場所には鍵がかかる。戸締まりくらいはしてるだろう。彼が持っているのは、一つは昇降口の鍵で、もう一つは職員室の鍵なのだろう。職員室にはマスターキーの束がある。まずはそれを拝借しようというのだ。
「悪い奴め」
私が言うと黄君はにやにや笑った。
目的地は決まった。
手をつないだまま、私と黄君は屋上をあとにした。
冬の夕日は沈むのが早い。
職員室から鍵を拝借するころには、外は大分暗くなっていた。電気をつければ外から丸見えになるので、私は懐中電灯を取り出す。
「悪いことしてるみたいね」
「悪いことしてるんだよ」
こともなげに言われ、罪悪感を感じて少しくすぐったい。
黄君は迷うことなく上の階を目指した。職員室の上は和室と図書室がある。まあ目的地は図書室だろう。
階段を一段一段上がる。踊り場で折り返してまた一段一段。思わず数を数えてしまった。両方とも十二段ずつだった。
図書室の前に着いた。しかしここで思わぬ問題が発生した。
ジャラジャラ音を立てるマスターキーは、ざっと見ただけでも五十本ほどは鍵がぶら下がってる。図書室の鍵がどれか分からないのだ。何個も鍵をさしてみて、十五本目で図書室が開いた。
「里沙に問題。五十本の鍵の中から一本の当たりを探した時、十五本目で当たりが出る可能性はいくつでしょう?」
知るか。
センパイとして答えられない訳にはいかないので、とりあえず無視する。
図書室は普段縁のない場所だ。紙の匂いが鼻につく。
「ここでなにすんの?」
場違いな場所に気が引けている私が訊くと、頭のいい後輩が答えた。
「図書室のどこかに、今まで新聞部の作った桜号が全部あるらしいんだ」
校内新聞「桜号」か。なるほど。
見栄を張って頭の中で分かったふりをしてみたが、知ってか知らずか黄君はその先まで説明してくれた。
「七不思議が流行り始めた頃から桜号を読んでけば、全部の答えが載ってそうでしょ?」
「うんうん。七つどころか十個くらいあるかもね」
噂なんてものは時間とともに変化するものだ。七不思議もそのときそのときで内容が変わっているかもしれない。
私の発言は私自身なかなか真理なんじゃないかと思った。けど先輩面で黄君を見てみると、黄君は余裕の笑みで首を振った。
「ううん。七不思議は常に七つなんだよ」
かなりムカつく笑みだったので、本の角で殴ろうかと思ったが、ちょっと意味深な発言だったのでやめておいた。
「命拾いしたわね」
くだらない冗談のつもりで私は言った。しかし少しくだらなすぎる発言だった。二人の間に白けた空気が流れる。
これは完璧に私が悪い。
「そんで桜号はどこにあんのよ?」
とりあえず話題を変えた私に、黄君は乗ってきてはくれなかった。
「命拾いって?」
掘り下げられると非常に辛い。まさかあなたの笑顔がムカついたとも言えない。
なんとごまかそうかと黄君の顔を覗いてみると、彼はどこか不安げな顔をしていた。
私は黄君の頭をなでた。自然にそうすべきだと手が動いたのだ。
手は動いたが、口ではなんと言おうか。
「私の冗談に意味を求めるな」
真理だ。
黄君も今度はぐうの音も出なかったようで、私はなんとか窮地を脱した。
私は図書準備室を探して、黄君は図書室全域を探した。図書準備室は中庭にしか面してないので電気を付けられる。懐中電灯は黄君に渡した。
桜号はあっと言う間に見つかった。電気を付けてすぐ隣を見ると、桜号と書いたシールの貼られた棚があったのだ。一段ごとに一年分の桜号が保管されていた。
私は薄べったい引き出しを開けた。とりあえず一番上だ。
一番上は空っぽだった。未来の桜号が入る予定地なのだろう。
次に一番下を見てみた。十四年も前の年度の桜号が入っていた。
十二枚ぱらぱらめくってみたが、七不思議については書かれてなかった。ただ告白の木だけが、普通に学校の名スポットとして紹介されていた。
当たりは下から五段目だった。十年前の桜号だ。三月の見出しに堂々と七不思議の文字がある。
『~七不思議~
新聞部部長の守屋です。皆さん我が校の七不思議をご存じだろうか?』
手書きの、絶対男子生徒が書いたのだろうと思われる文字で、その記事は始まった。
『七不思議があるという噂が流れ始めたのは、冬休みに入る少し前だ。恥ずかしながら自分は、その噂をつい先日まで知らなかった。
七不思議は全部で七つあるらしい』
当然だろうよ。
それから記事では四つの七不思議を紹介していった。告白の木、開かずの屋上、狂い咲く桜、オレンジの校舎。
そして記事は最後にこう締めくくられていた。
『残念ながら調べられたのはこの四つだけだ。続報は来月からと言いたいが、自分は今月でこの高校を卒業する。だが安心してほしい。きっと後輩たちがこの続きを調べ、全ての七不思議を解き明かしてくれることだろう』
この記事は読んで良かった。おかげでオレンジ色に染まる校舎が不思議な理由が分かった。校舎がオレンジになる中庭は、夕日の差さない東向きなのだそうだ。
西日が影を作る中庭は、夕暮れ時は薄暗くなるらしい。その中で校舎がオレンジ色に浮かび上がるというのだ。
その記事ではキャンプファイヤーに照らされた様に、などと表現されていた。
まあそれならちゃんとメルヘンティックだ。
ちなみに校舎がオレンジ色になるのはある一時期だけらしくて、新聞部の人は見てないそうだ。
私は三月の新聞を引き出しに戻して、次の年度の桜号を取り出した。四月号を見る。その新聞には七不思議については書かれてなかった。
五月も六月も、結局その年度は七不思議には触れてなかった。
部長の守屋に人望はなかったようだ。
次に七不思議が話題に上がったのは、七年前の新聞だった。
七月号の隅っこに、七不思議の一と書かれた記事があった。扱いはかなり小さい。
桜の花びらがたくさん描かれた、丸い女の子文字の記事だった。
それから毎月一つずつ七不思議が紹介されていった。
意外にも、七不思議は今伝わっているのと同じ内容だった。
忘れ物の妖精。
夢の木。
開かずの屋上。
紫の空。
オレンジ色の校舎。
狂い咲き。
十二月号までで六つの記事がしっかりと紹介されていた。この分だと最後は告白の木のはずだ。
私は次の一月号を手に取った。
しかしそこに告白の木の記事はなかった。
別の七不思議が紹介されていたのではない。七不思議の記事自体が載っていなかったのだ。
次の二月号にも、三月号にも。
私はさらに次の引き出しを開けた。六年前の新聞だ。そこにも七不思議が書かれた記事はなかった。結局あの丸文字は行方不明のまま、また新たな七不思議の記事が始まったのだった。
次の記事には詳細な内容は載ってなかった。ただ七不思議の名前だけが書かれている。今度はちゃんと告白の木もある。しかし二つの項目、紫の空と狂い咲きが入るはずのところは不明となっていた。
あの丸文字を読み返せよと思ったが、千代と鍛えた突っ込みの技術も、過去にまでは届かない。
とりあえずそろそろ黄君を呼ぶか。考えてみたら黄君はどれだけ真面目に探しても、古い桜号は見つけられないのだ。可哀想に。
だけどそう思うと、私は少し愉快な気分になった。
もう一年分だけ読んでみよう。
五年前の桜号だ。五年前といえば、夢の木に雷が落ちた年だ。
四月号、五月号と読んだ。まだ夢の木は健在なようだ。
次の六月号は大きな一面記事で夢の木について書かれていた。だけど思っていた内容とは大分違った。
『夢の木に伝説が生まれた』
記事の見出しはそんな文言だった。
私はその新聞記事から目が離せなくなった。
一体どういうことだろう。私は超能力者だったのだろうか。
その記事はなんと、地味めがね女子が夢の木に登って、『彼女は友達が欲しいと叫んだ!』という記事だったのだ。地味めがね女子とかは書かれてなかったけど、彼女の絵がデフォルメされて描かれていた。
私はどこかでこの話を聞いていたのだろうか。
超能力にはたぶん目覚めてないから、そうとしか考えられない。
だとしたら、あれは私の心のなんちゃらではなかったということだ。
マジで良かった。
そして次月の記事が、夢の木に雷が落ちたというものだった。
『彼女の夢を叶えた夢の木は、その役目を終えたのだろう』
なんか感動的に締めくくられてる。