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狂い咲き  作者: 広越 遼
3/8




episode.3


「友達がほしぃぃぃっ!」

 気持ち良いほど豪快に彼女は叫んだ。有らん限りの声を出したのだろう。首やおでこに青筋が浮き出ている。やたらきっちりしたポニーテールのめがね女子だ。もちろんオシャレめがねの千代ではない。見た目は地味そうなのに、こんなところでこんな大声を出すとはなかなかのやり手だ。

 こんなところというのは、学校の校庭だ。しかも極太の桜の木に登って叫んでいるのだ。当然校庭中の目が彼女に集中している。

 かなりの強心臓だ。どれほどの剛毛が生えているのだろう。これほどの度胸と、これから先の話題性を考えれば、彼女に友達ができるのは間違いない。


 目が覚めると今まで見ていた夢を忘れている。

 誰しも経験があるはずだ。しかしあいにく、私は今の夢を完璧に覚えていた。そして消え入りたくなるほど後悔した。

 私そんなに友達がほしかったのか。

 地味めがね女子は私ではなかったけど、きっと私の心の中にいるなんちゃらがなんちゃらしたのだ。

 彼女が叫んでいたのは在りし日の夢の木の上だろう。

 大分私も時代の最先端に追い付いてきたと見える。

 私は大きく溜め息を吐いた。さすがにこれは千代とも共有できない醜態だ。


 朝ご飯は制服に着替えて、メイクも済ませ、いつでも出られる状態で食べることにしている。なるべくリビングにいる時間を減らしたいからだ。

 一通りの支度を終えて自室を出て、短い廊下を歩いてリビングに入る。

 専業主婦の母が朝ご飯を作ってくれている。父子家庭の千代は自分で朝食を作るらしいから、なんとも贅沢な身分だ。

 朝食は大抵ほうれん草のソテーと味噌汁とご飯だ。たまに夕食の残り物もある。美味しそうな匂いだが、私はこの匂いが嫌いになりそうだった。

「大丈夫よ。加奈は賢いんだから」

 リビングに入ると、母が姉の加奈にそう言っていた。本当に賢いなら二浪もするはずがない。姉もそれを分かっていて、憮然とした顔をしている。

 私が入ってきたので、軽く朝の挨拶を済ませると、母と姉の会話は続いた。

「もう少しランク下げたところに行きたいな。こないだの模試もB判定だったし、受かる気がしないよ」

「逃げてばかりじゃだめよ。今から頑張って勉強すれば、判定なんて変わるわよ」

 今からって、もうセンター試験まで一ヶ月切っているのに。

「母さんみたいに頭が良ければそうなんだろうね」

 母はいつも姉の嫌みに気付かないふりをする。それでそのまま見て見ぬふりをできるなら大した母だと感心できる。それなのにその嫌みに機嫌を損ねて、より残酷な嫌みを返す。

 それがいつものパターンだ。

「頭の良さの問題じゃないわ。あなたの人間性の問題よ? 気付いてないわけじゃないでしょ?」

 音を立てて箸をテーブルの上に置き、姉が立ち上がった。

「図書館で勉強してくる。図書館だととても集中できるから」

 朝食も半分ほど残して、ボソッと姉が呟く。

「やる気になってくれて嬉しいわ」

 この不毛な争いが、姉の人生にどんな好影響を与えるというのだろう。

 私はただただ黙々と、美味しいはずの朝食を飲み込んだ。


「あらおはようございます。ご機嫌麗しゅう里沙様」

 お? これは新しい。千代が教室に着くなりそう声をかけてきた。どう返そうか少し考えて、乗らないことに決めた。

「おはよう千代。今日も相変わらず元気そうだね」

 真面目君モードに近いが、これは普通君モードだ。

「あら釣れないのね! 今日は里沙様のためにお耳寄りのお話がございますのよ?」

「耳寄りな話? どんな話かな?」

「うふふ、里沙様ったらせっかちで遊ばされるのね」

 ちなみに当然千代や私の頭では、お嬢様言葉には無理がある。しかしそんなことはどうだっていい。大事なのはできるかどうかではなく、やり切ろうとする心だ。

「あはは、せっかちとはひどいな。そんな言い方をされたら気になるものだよ」

「まあ、それもそうでございますわね。なんとわたくし、新しい七不思議のお話をお伺いしてしまったの」

「ナンダトォ?」

 急展開。突然の男爵モードに千代アントワネットの顔が緩んだ。

「ちょっと、それ反則だわ」

 千代が素に戻って抗議してきた。ゲラゲラ笑った。

「そんで? どんな七不思議だったの?」

 とりあえず興味のある話だったから、私は千代に先を促した。といって単なる話題作りのための興味だから、それほど熱がこもってはいない。千代も気怠げに説明を始める。

「あー、それがね、なんか一年に一日だけ、学校のどっかで見える空が紫色に染まるんだって」

「なにその曖昧なの。しかも全然メルヘンティックじゃないじゃん」

「それ言ったら、学校がオレンジ色になるのもメルヘンティックじゃないだろ」

 それもそうだ。しかし空が紫色に染まったら、学校の七不思議というよりただの怪奇現象だ。それとも夕焼けの加減とかで、そういう風に見えることもあるのだろうか?

「ていうか千代こそどこで情報仕入れて来たの? 友達いないのに」

「里沙よりいるわ。まあ仕入れたのはうちの兄からだけどね」

 そういえば千代の兄はここの卒業生だった。確か七つくらい上だったはずだから、そんな昔からこの話はあるのか。

「他にはなんか知らんかったの?」

「うーん、うちの兄おっさんだからなー。覚えてないって」

「んーと、これで狂い咲く桜と、開かずの屋上と、夢の木と、告白の木と、オレンジの校舎と、紫の空? なんだ、あと一つじゃん」

「今日コーラス部の子たちに聞いとくわ」

 そうだ。今日は金曜日だから、千代は部活だ。放課後は宇宙と交信するしかないようだ。


 三四限目は美術の授業で、私は小さな粘土をこねくり回していた。今学期の美術は今日が最後で、前回の授業で彫刻の作品提出が終わったので、今日は単なる消化授業だ。粘土でブローチを作るだとかで、心に思い浮かんだ物を形にしなさいとか、私の最も苦手とするところだ。

 ちなみに千代は美術を選択していないので、私は一人だった。

 そこに果敢なる勇者が現れた。

「永井何作ってんの?」

 振られたのに良く話しかけられるね。千代といるときのノリで、喉元までその残酷な言葉が出掛かったが、なんとか踏みとどまれた。

 立川君でも金沢君でもない、深野君だ。深沢君でもないらしい。

「うーん、とりあえずこねてればなんかの形にならないかなって」

 実は千代へのプレゼントに、パンティの形を作ろうと思っていたとは、口が裂けても言えない。

「深野君は何作ってたの?」

 私の言葉に、深野君はなにやらショックを受けた顔をした。

「俺はギターの形にしようと思ってたんだけど、なんかウクレレっぽくなった」

「はは、ウケる」

 大してウケてないのは明白なのに、深野君はそれは嬉しそうに笑った。素直ないい子なのだろう。

「永井さ、こないだそういう気分じゃないって言ってたよな? 俺急がないからさ、少しずつでも話しかけたりしてもいいか?」

「別に話すだけなら構わないよ。私いつも暇だし」

 深野君は少し考えてから、軽快な突っ込みを入れてきた。

「俺は暇潰しかよ!」

 それから爽やかに笑ったり、まあ何というか明るい感じだった。こんな根暗女のどこに惹かれたというのか。

「あ、ちなみに俺、深野じゃなくて立川な」

 ……。


 おい千代。


「それほんとの話しなの?」

 放課後の屋上でさっきの立川君の話をしてやると、黄君は呆れたように言った。大爆笑しないとは驚きだ。

 ちなみに昼休みに千代にも話したが、腹がよじれるほどに笑いまくった。ここら辺が人格者様と下々の私たちとの差なのだろう。

「ちょーほんと」

 校庭から聞こえる男子野球部の遠い声。週明けに荒れる予報の曇り空。気が合わないのに離れがたい友人。

 分かるだろう。それがまるで今の気分だ。

「立川先輩は怒ってなかったの?」

「あなたセンパイって言葉知ってたのね」

 答える気がない私にも、黄君は咎め立てしなかった。たださすがに少し不機嫌そうだ。整った顔が眉をしかめると、少し渋味が出てムカつくくらい不細工になる。

 私はそれを見てゲラゲラ笑った。

「里沙は特別なんだよ」

 へーへー。さようで。

「お母さんとお姉さんは仲直りしたの?」

「んあ? あれはもう無理っしょ。今年大学に受かったら、間違いなく姉ちゃんは出てくね」

 唐突に話題が変わったが、そもそも今日はまともに会話をする気がないから、気にも止めなかった。

「そんなになんだ。だから里沙は帰ろうとしないの?」

 なかなか鋭い発言だ。黄君は本当に心配そうに訊いてくる。ちょっとデリケートな問題だから、千代ですら触れようとしないのに。

「まあそういうこと」

 といって別に私自身は、この話題を避けたいわけでもない。問題なのは母と姉の静かでトゲトゲしい言い争いで、私がそれを聞いていたくないだけ。話題にすること自体は苦にならない。

 黄君は金網越しに中庭を見下ろした。私もつられてそっちに目をやる。

 そんな少し目を離した隙を突かれた。

 黄君が私の頭をよしよしと撫でて来た。手袋越しだからか、思いやりを感じる、優しい触り方だ。

 無礼千万。

 私は慰められたいんじゃない。母と姉の喧嘩にしても、聞いてるとイライラするのであって、落ち込むわけじゃない。だから私の状況は、慰めてもらうような哀れなものでもないのだ。

 大体後輩のくせに先輩の頭を気安く触るとは、なんともけしからん。

 しかしその手を拒むことは許されなかった。何に許されないかというと、私のプライドにだ。私はそんな些事にこだわる人間ではない。そうアピールするように、ただただその手を受け入れた。私が何も言わないのをいいことに、黄君は私の頭を撫で続ける。甘えるでもなく、感じ入るでもない無表情な女を撫でる黄君は、いっそ哀れだった。

 いや、哀れな思いをさせるはずだったのだ。

 なのにその計画は失敗してしまった。

 私の瞳から流れた涙が、頭を撫でられるに相応しい光景を作ってしまったのだ。

 何も悲しむことはないのに、私には涙の止め方が分からなかった。


 紫の空。

 舞い落ちる雪。

 オレンジの校舎。

 狂い咲く桜。

 ……。

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