二
episode.2
「確かに学校で忘れたはずなのよ。だけど忘れ物の妖精が、家まで届けてくれたんだって。
友達のお姉さんの話なんだけど、学校に手帳を忘れたんだって。家に帰ってからそれに気づいて、夜に学校に取りに行ったの」
「えー、夜に学校入れるの?」
「あれ? 知らないの? うちの学校警備システムしてないんだよ。正門の隣の通用門はいつも開いてるし。それでね、教室で自分の机の中を探したのに、手帳がなかったの。カバンの中も良く探したし、部室にもなかったんだって。
それで帰りに交番で紛失届を出して、自分の部屋に戻るとね、自分の机の上にあったんだって」
「うそー? ごめんね、水を差すわけじゃないんだけどさ、最初から忘れてっただけじゃないの?」
「ううん。その証拠に、その日に学校で書いたことがしっかり残ってたんだって」
みんなが一年の時に話題にしていた七不思議。正直今さら聞いて回るのは恥ずかしかった。そもそも千代以外にあんまり仲のいい友達はいないのだ。
頼みの綱である千代も全部は知らないらしい。他に知っていたのはオレンジ色に染まる校舎だけだという。
校庭がよく見える窓際の一番後ろ。傾き始めた太陽がオレンジ色に差し込んでいる。千代は窓に寄りかかり、夕暮れを受けた黒い姿を私に向けている。
こんな時間まで教室で無駄話を続けているのは、お金のない私たちぐらいだった。
「オレンジ色の校舎って、どこが不思議なのよ? 夕暮れでしょ?」
「それがさ、中庭で見た校舎が染まるから不思議なんだって」
「なにそれ? 中庭にも日は差すじゃん」
「中庭の向きが問題らしいよ」
私は向きがどう問題なのか首をひねった。千代もよく分かっていないらしい。
「私たちに分からないってことはだね、バカじゃなければ分かるってことだろうね」
昨日のまじめ君のノリで千代が言う。気に入ったようだ。
「ふーむ、それは奥が深い話だね。まるでブリリアントなマジカルスプラッシュって所だね」
「里沙君はネイティブだねぇ」
千代がゲラゲラ笑いだした。冷静に聞くと、かなり品のない笑い方だ。周りから見たら私の笑い声もそう変わらないのだろうか。
もしこの千代の笑い方を私もしているなら、なぜ深野君は私を好きになれたのだろう。
「あ、告白の木と夢の木は有名だよねー。里沙が知らなかったのが不思議だよ」
「恐い話だと思ってたんだもん。中庭の桜が狂い咲くってのもあるらしいよ」
「それ知らなーい。あれ? 聞いたことある気もするけど、正直私も興味ないからな。それよっか男がほしいわ。深野君いらないならちょうだいよ」
「いくら積む?」
「私の全財産を」
「いくらあんの?」
「十五円」
最低のネタでゲラゲラ笑った。
「でも里沙よく知ってんじゃん。どっから仕入れたの? また宇宙人?」
「宇宙人じゃねーし。まあでもその人よ」
つまらない話にもそろそろ飽きてきた。千代は宇宙人が誰なのか気にしているようだったけれど、私はイスに掛けてあるコートに手を伸ばした。それを見て千代も窓際から離れた。
「よお屋上少年」
学校の下駄箱をすぎると、すぐ中庭に繋がる窓がある。
朝早く来すぎた私は、いつもは閉まっているその窓が開いているのに気付いて、中庭に出てみた。そこに宇宙人がいた。
「それたぶん僕のことだよね?」
分かり切ったことを聞いてくる。
「そういやあなたなんて名前なの?」
私の質問に彼が言葉を失った。以前にも聞いたことがあっただろうか?
さすがにそれを覚えてなかったら言葉も失うだろうが、私の記憶には彼の名前は微塵もなかった。
「おうって名前だよ」
おう君か。一体知り合って何ヶ月目の自己紹介だろう。
「珍しい名前ね。どういう字? ってかどこの名前?」
「日本の名前だよ。黄色の黄でおう。一応言うけど、僕日本人だからね」
じゃあ敬語くらい使えよ。
私は少し機嫌が悪かったので、黄君をにらみつけてみた。さらさらの金髪が綺麗だった。日本人じゃどう染めたってこんなにはならない。
「その見た目で日本人はないでしょ」
「生まれたのが日本なの」
呆れたように彼は言う。チビのくせに生意気な口調だ。
「でもなんでこんな早くに学校来たの? まだ六時だよ」
「そう言うあなたはどうなのよ」
「僕は家がヘンピなとこだから。バスがないんだ」
千代の言っていた宇宙人という言葉が頭をちらつく。まあ、そんなわけはないが。
「未確認バス?」
私の意味不明な発言に、黄君は真剣に意味を理解しようとする。無駄な努力だ。
「市営のバスだけど」
ちょっとウケた。私が吹きだしたために、黄君はさらに首をかしげる。かわいい顔で小首をかしげたので、思わず和みそうになる。
「超うぜぇ」
「今日態度悪くない?」
「あなたはいつもでしょーが」
そう言ったあとに、少し黄君が顔をしかめた。ちょっと八つ当たりしすぎたか。
「家で母さんと姉ちゃんが仲悪いの。今朝も喧嘩してて、めんどくさいから家出てきたの」
「そうなんだ。大丈夫?」
私は目を閉じて眉を上げた。大丈夫ではないけれど、彼に心配されることでもない。
「黄君は中庭で何してるの?」
黄君はその質問に曖昧に笑んだ。
「ちょっと探し物」
私の機嫌は朝よりも悪くなっていた。体操着を家に忘れてきたのだ。木曜四限の体育の授業は、嫌みな前田の授業だ。前田は私の一番嫌いな先生だ。母と姉に似たタイプだからか。
三限目の授業中。あいつの嫌みを聞かされる時間が迫る。しかも今日、その嫌みの対象は間違いなく私だ。
千代はこんな気分で私がいるときは、合わせてかったるそうにしててくれる。
「そういや千代さ、終式んあと予定ある?」
「終式って二十五日でしょ? あるわけねーし。彼氏いないから」
「どこか行くべ」
「おうよ」
千代に彼氏ができたら、私はどうしたらいいのだろう。
こんな時には本当にそう思ってしまう。
テストだとか終業式だとかで、学校が早く終わる日は本当に困る。父と兄が仕事から戻る夜まで、家は二浪の姉と専業主婦の母が、絶え間なく嫌みを言い合っているのだ。
放課後も月金以外はコーラス部の練習がない。だから千代はずっと私といてくれる。千代がいなければとっくにグレていただろう。
授業終了のチャイムが鳴った。
「あーあ。耳栓持ってくれば良かった」
「そんなん持ってくるぐらいなら体操着持ってきなよ」
正論だ。
男女分かれて教室が更衣室になる。隣のクラスの女子が入ってきて、みんな着替え出す。私一人やることがない。
みんなが体操着を着替える位置。ジャージのファスナーを上げる音。無意味に吹き付けられるデオドラントの匂い。
分からないだろうけど、私の今の気分はそんな感じだ。
「あら永井さんお着替え忘れてしまったの?」
前田はわざとらしく首をかしげた。
「見学も大事な授業だから、みんなのことしっかり見てて頂戴ね」
馬鹿丁寧な口調。準備運動をするみんなとやらに、何を学ぶものがあるというのか。
「運動してないで外にいるのは寒くないかしら? 教室からコートを取ってきてもいいのよ?」
優しい表情で問いかけられる。
「寒くなったらいつでも言って頂戴ね」
分かるだろう。前田はとてもいい先生だ。私が何も言わずに制服で校庭に来ても、質問に頷きすらしなくても、一切咎めたりしない。本人は自分を完璧ないい人間だと思っているだろう。問題なのは、この世にそんないい人なんているはずがないということだ。
私は深くため息をついた。
「分かってるのよ。ひねくれてるのがどっちかなんてことはさ」
「あはは。僕もそう思う」
最大の難関を乗り切った私は、大分機嫌が良くなっていた。だから黄君のその無礼な発言も見逃してやった。
昼休みの屋上は賑わっている。昼食をとる気もなかったし、ちょっと覗いてもし黄君がいなかったら、すぐに教室に戻るつもりだった。
低い身長に似合ったショートコート。シックな色合いなのにどこか可愛い毛糸の手袋。金色の髪と緑の瞳。
彼はいた。
目立つ人なのに、他の誰とも話さないで一人だった。私の顔を見ると嬉しそうに笑うので、私は少し呆れた。
「黄君って友達いないでしょ?」
「いきなりなにさ」
「私と仲良くする人は大抵友達がいないわ」
「……」
黄君が困ったような顔で沈黙する。
本当にいなかったのだろうか。少し申しわけなく思って、ほんの一瞬千代を紹介しようかと考えた。だけどなんとなくそれは面白くない気がした。
「どうしたの? むすっとした顔して」
黄君が訊いてくる。そんな顔をしていただろうか?
「ううん。黄君は年上の女好き?」
そう訊いてからふと、これじゃ自分の事を訊いてるみたいだと思った。私のことじゃないと付け足そうとすると、その前に彼が値踏みするように私を見た。
とりあえずモンローのポーズを取った。
珍しく彼が吹き出した。
モンローのポーズというのは、文字通りマリリンモンローのポーズだ。これが理解できるとは少年もなかなかだ。
「里沙のことなら好きだよ」
青空から突然雷が落ちてくることを青天の霹靂と言うらしい。ということは私は雷くらいでは動じないのだろう。
「呼び捨てかよ宇宙少年」
黄君は怪訝そうな顔で眉をしかめた。
「屋上は宇宙なの?」
ちょっと面白い発言だったが、私は笑えなかった。どうして笑えないのか考えてみると、私の心に笑う余裕がなかったのだと気がついた。
私は冷静を装おうとしていたのだろうか? 深野君の時よりもあきらかに胸が高鳴っている。
だけど彼は宇宙人なのだ。好きというのが、深野君と同じ好きだとは限らないし、追求するのもプライドが許さない。
結局とりとめもない話を続けて、彼の発言は水洗トイレ並みにキレイに流れた。
紫の空。
舞い落ちる雪。
オレンジの校舎。
狂い咲く桜。
……。




