一
2017.2.21
誤字を修正しました。
episode.1
声がしたので振り返る。私の瞳が見たものは、ファンタジックな映像だった。
紫の空。
舞い落ちる雪。
オレンジの校舎。
狂い咲く桜。
……。
この学校に七不思議があることは知っていた。だけど私は恐い話が苦手で、詳しくは聞かないことにしていた。
高校二年生の冬。コの字型の校舎にも、桜の木で溢れた中庭にも、おしゃれだと人気があった制服にも、もう新鮮さがなくなって大分たつ。かといって厳しい大学受験に向かう気になる時期でもない、中途半端な日常。もうじき訪れるクリスマスまで、ただ漫然と時が過ぎていく。そんなころにみんなが注目するのは、ありきたりな恋愛ごとだ。
特に相手がいない独り身なら、クリスマス前に勝負をかけたいものなのだろう。
桜の木で溢れた中庭の、右から三本目の桜。その下で、勝負に挑む男子生徒が私の前に立っている。彼が真剣な目で見つめているのは、無表情な私だ。
「俺、永井のこと好きだったんだ。こんな突然で驚いたかもしんないけど、本気で好きだ。付き合えないか?」
呼び出された時から予想はしていたが、何を馬鹿げたことを言っているのか。付き合うも何も、話したこともほとんどないのに。
中庭にはたくさんの桜の木がある。この中庭の桜は有名で、なぜか毎年花を咲かせない。
咲くことのない中庭の桜たち。夏場には葉を付けていたはずなのに、今は葉も抜け落ちて、ただ寂しげに枯れ枝を揺らしている。まるでそれは私の今の心境だ。
軽薄な笑みを浮かべる男子生徒が、立川君だったか、金沢君だったかも思い出せない。
「ごめんね。私、今そういう気持ちになれないんだ」
軽薄な笑みが凍りつく。
「ふーん、それで振っちゃったんだ。もったいない。あ、ちなみに彼は深野君だよ」
教室に戻って親友の千代に報告すると、そんなことを言われた。立川君でも金沢君でもなかった。
「まあ里沙モテるからね。あの程度じゃだめか。ね、中庭の桜ってどの桜だった?」
「べつにモテないよーだ。深沢君の顔は嫌いじゃないんだよ。ただ普通に興味が持てないんだよね。
告白されたのは、中庭に入って右の、三本目の桜」
同じ音程で音が重なり合うことをユニゾンというらしい。
私の最後の言葉に重ねて、千代も「三本目の桜」と言った。コーラス部の彼女は丁寧に音程まで揃えてきて、きれいなユニゾンになった。
「やっぱりね」
「知ってたの?」
「ううん。知らないよ。ていうかさ、顔嫌いじゃないなら付き合っちゃえば良かったじゃん? 深沢君じゃなくて深野君だけど」
「気分じゃないんだ」
見飽きた教室に、赤ぶちめがねのもっと見飽きた親友の顔。窓から差し込む冷めた夕焼け。分かるだろうか。私の今の気分はそんな感じだ。
「告白の木も里沙の気分には勝てないのかね」
「なにそれ?」
「七不思議よ」
「恐いのやめてよ」
きょとんとした顔で千代が動きを止める。そしてにやーっと顔をゆがめる。
「ひゅーどろどろ」
手を幽霊の形にして千代がふざける。無表情で見つめ返すつもりが、馬鹿すぎて思わず吹き出していた。
「たーくんはこれで恐がってくれたのに」
「誰よ? 彼氏?」
「うん。いとこの保育園児」
屋上は好きだ。開放感がたまらない。月曜日と金曜日の放課後は創作ダンス部がいないため、私のお気に入りの場所だ。
今この場所にいるのは二人。私と、もう一人は外人の後輩君。
金色の髪がさらさらとしていて、鼻は高くないのに筋が通っている。柔らかいのに芯のある輪郭と、日本人では絶対見られない緑の瞳。整った顔だし、観賞用にはもってこいの人材だ。ちょっとチビだけど。
彼とはいつの頃からだかここで良く話すようになった。千代以外では唯一学校で気を許している相手だ。
「それって告白の木でしょ?」
「なにそれ?」
「二年生でしょ? なんで知らないの?」
「もしかして学校の七不思議? 恐い話嫌いなんだ。別の話しようよ」
「恐くないよ。うちの七不思議はメルヘンティックなんだよ」
それは知らなかった。メルヘンティックな七不思議なんて存在するのか。
「うける」
乾いた笑い声をたてる。後輩君が困った顔をする。
「うけないでよ」
「だってうけんだもん。ていうか敬語使えよ」
ゲラゲラ笑う。あー、つまんない。
「うちの七不思議ってなに?」
千代は呆れたため息をつく。
「今さらー? もうその話題古いんですけど」
かまわず私は話を続ける。
「こないだの話、告白の木って言うんでしょ?」
「誰から聞いたの? あんた私以外に友達いないのに」
どう考えてもお互い様だけど、今日は突っ込まない日と決めていたので聞き流す。
「外人さん」
「はぁ? 宇宙と交信でもしたの?」
なんで外人なのに宇宙なんだよ。危うく突っ込みそうになる。
「ううん。普通に話した。メルヘンティックなんでしょ?」
千代はいぶかしげに首をかしげる。私の突っ込みがないのを疑問に思い始めたようだ。
「メルヘンティックっていうか、里沙の嫌いな系統じゃないね」
「ガゼン興味出てくるわー」
気のない声で言ってみる。
「教えがいがありそうだこと。そんなん知ってどうするの?」
「時代の最先端を行くの」
「そう。いいじゃない」
お、どうやら千代が私のゲームに参加したらしい。突っ込まないまじめ君ゲーム。今日登校したときに何となく決めたゲームだ。
「感動をありがとう」
にこりともせず千代が言う。それから私の顔をうかがってくる。不覚にも笑いそうになった。さすがは千代だ。まじめ君は笑っちゃいけない。
「告白の木と似たようなのは夢の木だね」
「ふむふむ」
真顔で千代の目を見つめながら言う。今のは男爵の発言なので、あごひげをなでる動作をする。わずかに千代の口元がゆるむ。
「夢の木に登って大声で夢を叫ぶと、必ず夢が叶うんだそうだ」
「ナンダトォ?」
できる限り低い声でドスを利かせて言う。千代は目を閉じて笑いを堪えている。あとひと息か。
「校庭の隅に雷で割れた木があるでしょ? あれが夢の木だったらしいよ」
それは入学したときにはすでに倒木だった。普通なら撤去されるんだろうけれど、生物の先生がいい教材だと言って残したらしい。へー、と思っていると、千代がまじめな顔で言ってくる。
「ねえ里沙」
「なに?」
「今まで何人の人がさ、あの上で『ギャルのパンティおくれーっ!』って叫んだかな?」
もしここで私が突っ込まなかったら、千代はどれほどみじめな思いをするだろう。まさか情に訴えかけてくるとは、本当にさすがは千代だ。
「夢の木がもうないのが悔やまれるよ」
お前も言いたいのかよ。
「ほしいな、ギャルのパンティ」
これでもかと言うように千代が私の顔を覗き込む。
「あ、私はいてた」
「ずいぶんくだらないゲームだね」
金髪碧眼の本当のまじめ君が呆れて言った。
「うらやましいんでしょ」
「僕はやだよ。そんなゲーム。それで、どっちが勝ったの?」
「あなたじゃゲームにならないからね」
「どういう意味?」
「さあ? 結果は私の完敗。負けてあげなきゃどこまでも行きそうだったし、やつもそれを分かってやってたね。千代には勝てんわ」
また屋上には二人しかいない。と言っても、もうすぐ昼休みだから、すぐにここもごった返すはずだ。
考えてみれば、彼はまじめ君ではないかもしれない。なにせ今は授業中だ。
彼は制服の上に小麦色のショートコートを羽織り、厚い毛糸の手袋までしている。ここに長居をする気満々といった体だ。
「里沙は毎日楽しそうだね」
「呼び捨てかよ、飛び級少年」
「どういう意味?」
「あなた見た目が中学生なのさ」
今度は答えてあげたのに、彼は不服そうだった。
「飛び級してこの高校来るの?」
私は大笑いでそれに応えた。この高校は大した名門校ではないのだ。一切反論ができない。彼は言うことがまっとうすぎる。だから馬鹿をしなくて良くて気持ちが安らぐ。敬語さえ使えればかわいい後輩だ。
「それでさ、他の七不思議聞き忘れちゃったんだけど、どんなのがあるの?」
「全部は知らないよ。有名なのは、狂い咲きと開かずの屋上かな」
「恐いの?」
「恐くないのだよ」
カワイコぶって言ったのに、完全に流し切られた。
「中庭の桜がさ、冬休みに実は咲いてるんだって」
「へー。あの桜って咲くんだ」
「うん。そうみたい。もう一つは、愛し合ってる二人が屋上で二人きりになると、誰も入って来られなくなるんだって」
確かにそれはメルヘンティックだ。二人の愛のパワーで屋上が二人のラブワールドになる。反吐が出るほどメルヘンティックだ。
ちょうど彼がそう言ったとき、数人の生徒が、お昼を食べに屋上へとやってきた。私たちはお互いの目を見つめ合って少し吹き出した。
「残念。私愛されてなかったみたい」
彼はなぜだか無言のまま笑った。
紫の空。
舞い落ちる雪。
オレンジの校舎。
狂い咲く桜。
……。