5 悪魔
そこで悪魔・悪しき者は「尊師はわたしのことを知っておられるのだ。幸せな方はわたしのことを知っておられるのだ」と気づいて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消えた。(サンユッタ・ニカーヤ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
平和や豊かさと易行の関連性を発見した私は、その思いついきを確かなものにしたいと考えるようになりました。
もちろん、私がこの発見をした最初の人間だとは思いませんでした。私が思いつくぐらいですから、当然別のだれかがとっくに検証していることでしょう。
しかし、私はこれまで読んできた本ーー宗教、政治、歴史、社会など、どんな本にも書いてありませんでした。自分の力で思いついたのが嬉しかったのです。
がんばれば、何か立派な論文でも書けそうな気がします。
他にも調べてもると、仏教でも権力の弾圧があったり貧しい地域では原始的な教えに近いようですし、どのような宗教でも原理主義と呼ばれる人々は攻撃的にみえ平和をイメージできません。私の説を補強することがどんどん出てくるのです。
私は喜んでお寺へ行きました。おじいさんが『神仏の言葉を観る』修行を勧めてくれたからこんな発見ができたのだとお礼もいいたかったのです。
おじいさんは2ヶ月ぶりに訪れ私を笑顔で迎えてくれました。
私は仕事を見つけたこと、修行をはじめたことをはなすとたいへん喜んでくれました。
そして、いよいよ修行によってみつけた私の発見について、得意になってはなしました。
おじいさんは「ほお」と感心したり、うんうんと頷いたり、「なるほどなあ」と考えたりして聞いてくれました。
ひととおりはなし終えると満足感と達成感でいっぱいでした。
そんな私にむかって、おじいさんはやさしい顔からまじめな顔にかえていいました。
「……で、その発見がお前さんのなんに役立つんじゃ?」
静寂がおとずれました。
私は え? と思いました。なにをいわれたのか分かりませんでした。てっきり私はおじいさんにほめてもらえると思っていたのです。
するとおじいさんは大声をはりあげました
「いつまでも、ふらふらしてちゃいかん!」
その大声は世界をゆらすような威厳のある声でした。
決して私をしかる声ではなく、批難する言葉でもありませんでした。
しかし、そのあまりにも力強い言葉を聞いた瞬間、私の心の中のよろこびーーいや、浮ついた気持ちが霧散し自分の心と身体の一部が強引に引き裂かれたような衝撃を受けました。
「お前さんはなにを思って修行をはじめたのだ、その最初の想いを、願いをおもいだしなさい!」
私が修行をはじめたのは……そうだ。今のダメな自分を変えたいと思ったから……
「自分をなんとかしたいと思ったからだろう。どうしてその道を進まないのだ。いつの間に関心を自分から中東の平和に振り向けてしまったんじゃ。ふらふらしておっちゃいかん!」
力ある声によって引き裂かれていた私の心と身体の一部がことりと落ちて消えていきました。不思議な気分でした。なにか憑き物がおちたような……あの感覚はいったいなんだったのか?
私のようすをうかがっていたおじいさんは、ふたたびやさしい顔にもどって笑いました。
「あはははは。悪魔に取り憑かれておったようじゃな」
といいました。
悪魔? 今の感覚は、剥ぎ取られたものは悪魔だったのか?
「いいかの? まずはじめに言っておくと、お前さんはなんとなく理解をはじめておる。気落ちしてはいかんぞ」
ぼんやりしている私に気をつかいながら、おじいさんは声をかけてくれました。
「まずは目的地にむかって歩けるようになりなさい。お前さんは自分をなんとかしたいと考えていたのに、その目的地からはずれて中東情勢に関心がむかってしまった。横道にそれたのだ。それでは目的地に着かん。
それがお前さんがいつまでたっても幸せに、人生の成功にたどり着かん原因じゃ」
おじいさんは続けます。
「易行と平和に関するお前さんの思いつきが正しいか間違っているかは、わしにはわからん。わかるのは、お前さんが自分でも気付かんうちに目的地をかえてしまって、そのことに気付いてないということだ。
新しい関心ごとができるたびに道をそれていく。その繰り返しでは、哀れな迷い人になるだけじゃよ」
ショックで私は口がきけなくなってしまいました。考えることができない状態でした。
おじいさんは例の経典を入れておく箱をもってきて、そこからまた半紙を取り出しました。今度は紙を筒状にして黒いリボンのようなもので結んでありました。私に渡すために準備しておいてくれたのでしょう。
「これを持っていきなさい」
それを受けとり私は家に帰りました。そして結び目を解き、中を見ました。そこには、
『仏教之奥義ノ書 下巻』
と書いてありました。