3 シャカと易行
難行は陸路を行くように苦しいものであるが、信心を手だてとする易行は水路を船に乗って進むように安楽である。(教行信証)
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「シャカは落伍者なんですか?」
静かに聴いているつもりだったが、驚いて声をあげてしまった。
おじいさんはおもしろそうに教えてくれた。
「シャカはブッダ=目覚めた人とも呼ばれるし、悟りを開いたといわれるすばらしい人物だけど、もともとはそんなたいした人じゃなかったと思うよ。生まれてすぐ『天上天下唯我独尊』って言ったと伝えられてるが、これはいくらなんでも嘘だとわかるだろ? そんな人間いるわけないし」
痛快な話ぶりではあるが、このお坊さんはこんなこと言ってしまっていいのだろうか?
「かまいやしないよ。本当のことだから。
シャカは当時インドで盛んであったバラモンの教えと修行で救われようとした。でもその修行があまりにも厳しくって耐えられなかったんだよ。あまりの苦しさにたえられなくなって、スジャータっていうかわいこちゃんから食い物もらってサボってたんだ。それを見ていた仲間から見放されたっていうはなしがある。
だからシャカは当時の世間の人たちから見たら、修行者だから普通の人よりはいいけど、エリートになりそこなった落ちこぼれなんだよ」
説教くささがなくておもしろいのだが、本当にこんなことを言ってしまっていいのだろうか? かりにも寺ひとつをあずかっている人なのに……
「勘違いしないでくれよ。だからシャカはダメなんだっていってるわけじゃないんだ。
シャカはバラモンの落伍者だった。でも、そっから仏教っていう世界宗教の開祖になったからすごいといってるんだ」
確かにすごい、私は思った。
「こんなお釈迦さんをどう思う? お前さんはどうだい? お釈迦さんみたいに這いあがれるかい」
その言葉は私の胸に突き刺さった。おそらくこんなことを両親にでも言われたら、屈辱感でいっぱいになっていただろう。しかし、おじいさんに言われても屈辱感はわいてこなかった。
おじいさんはきっと私の背を押してくれようとして言ってくれた。それを感じたから私はまだまだ自分もこれからだとハッと気付いた。
「シャカはこう思った。『別にバラモンみたいな苦行をしなくても、悟りは開けるんじゃねーか?』 バラモン教はびこる世界に驚くべき発想をしてのけた。全ての人間を縛っていた固定観念を打ち壊した。見事にな。
そして、この発想は世間の人たちから支持された。なぜならば、これまでバラモンの苦行なんてできないと思ってあきらめていた人々に、もしかしたらこっちなら俺たちもできるんじゃないか? と希望を与えたからだ。救われたいと思っていても諦めていた人たちを救い上げたんだ」
シャカは自らバラモンとは違う新しい悟りの方法を見出し、これまで救われなかった人たちを救い出した。なんという勇気づけられるはなしであろうか。私の気分は高揚した。
「易行がキモなのさ」
浄土真宗で易行とは阿弥陀如来の慈悲で救われることだが、おじいさんのいう易行とは、言葉そのままだれにでもやさしくおこなえる修行のことだろうと思う。
おじいさんのはなしは続く。
「お釈迦さんの教えとは、易行を見出すことだとわしは思った。そこでわしは、読経や念仏を唱えるよりやさしい修行を考えた。それがあれだよ」
おじいさんが指をさしたのは、側面の壁の部分。そこにはいくつかの文字が紙に書かれて貼ってあった。
「あそこに貼ってある7つの言葉。あの言葉を観る。ただそれだけで人は救われるとわしは悟ったのだ」
「観る……だけ?」
私はあぜんとした。
壁に掲げられている言葉は
光明
感謝
愛
幸運
豊穣
勤労
気迫
の七つであった。
「そう。ただ観るだけ。どうじゃ、念仏を唱えるより簡単だろ」
おじいさんはそう言った。
私がこれまで読んだ本の中には、「口癖をポジティブにすれば幸福になる」というような題名の本があり、そんなバカなと思いながら読んだものだ。おじいさんが言っていることは、このバカげたはなしと同じだ。
しかし、おじいさんの言っていることをバカなとは言えなかった。
おじいさんから発せられている気が、私にこのはなしは本当だとつげている。少なくとも目の前にいる老人は本当にそれだけでなにか悟りに至ったのだ。
「これをお前さんにあげよう」
そう言っておじいさんは経典をしまっておくような箱をあけて、そこから10数枚の半紙を取り出し、それを私にくれた。
そこには、おじいさんが筆で書いたと思われる文字がいっぱいに埋まっている。
「まあ、読んでみなさい」
私はおじいさんに礼をいって、家に帰りました。求人誌で仕事を探すより、おじいさんからもらった半紙の束を先に見ました。そちらの方が今の私にとっては優先順位が上でした。
その半紙の一枚目の一行目には、
『仏教之奥義ノ書 上巻』
と書いてありました。




