6 菩薩 〈完結です〉
われらは、何物ももっていないが、さあ、大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となるだろう。(サンユッタ・ニカーヤ)
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「その後も私は修行を続け、おじいさんーー今では尊師とも呼ぶべきあのすばらしい方に導かれ、今日の自分があるのです」
わたしは本堂に上がる木の階段のところに腰を下ろして、社長さんのむかしばなしを興味深く聞きました。
それは今のわたしにとっても必要なものではないかと思われる内容でした。
「私がこのはなしをあなたにしたのは、ここにやって来たときのあなたのお顔がむかしの私もこうだったなあと思ったからですよ」
そう言って社長さんはハハハと笑いました。その姿はーー一歩間違うと不愉快になりそうなことを言いながらもーー全然不快感を感じさせない不思議なものでした。
このひとかどの人物にはわたしのことなど、たやすく見抜かれているようです。ならばと思い、今度は自分のことをはなしてみました。いろいろ生活に不満があること、親友に裏切られたことなどです。
どうして初対面のひといこんなことを打ち明けるのか自分でもわかりませんでした。
そうさせてくれるなにかをこの人は持っているのです。社長さんは嫌がりもせず真剣に聞いてくれました。
ところどころでうなずき、「わかるなあ」とか「私もそうだったよ」と言ってもらうだけで、気が晴れていくのを感じました。
「無理にとは言いませんが、あなたも私のやった修行をしてみませんか?」
そう彼は勧めてきました。少しですがちゅうちょしてしまいます。易行といっても簡単にできることではないのでは、と思ってしまうのです。
「わたしが、……わたしにできるでしょうか?」
「あなた次第ですね」
そう言って、社長さんは階段の端っこに置いてあった立派な革製のカバンを開いて一冊の本を取り出しました。そして、それをわたしに渡してくれました。
その本のタイトルは、
『尊師から伝えられた「仏教の奥義」』
となっていました。
「私はどのように成功者になったのか、よく聞かれるのですよ。その人たちにその本を渡しています。自費出版で、すべて自分が引きとっていますから、書店にはならんでいません。
その本には先ほどのむかしばなしや、その後の経緯。尊師からいただいた奥義ノ書もそのまま掲載してあります。その本を読んでもらい、
『私はたいした人間ではありませんでした。でもある日、尊師ともいうべき恩人から仏教の奥義を教わり、それを今まで守り続けているだけです。』とはなしをするのです。
……その本はあなたにあげましょう」
わたしは体がふるえるほど感動した。どうにか「ありがとうございます」と言うのが精いっぱいでした。初対面なのに、この人はどうしてこんなにやさしくできるのでしょう!
体のふるえが治まるのを待ちました。そして、
「社長さんは、おじいさんーー尊師にこの修行のことは『だれにも話してはならない』と教えられたのでしょう。わたしやその他の人にはなしたり、本に書いてしまってもよかったのですか?」
と疑問に思ったことを聞いてみた。
「ああ、そうですね。確かに私は尊師から『だれにも話してはならない』と教わりました。
その後だいぶ時間が経ってからですが、こういうことを教わりました。仏教では、ある一定の悟りの境地に達すると菩薩になるといわれているそうです。仏の一歩まえの段階です。その菩薩になると人々を教え導くことが修行となるのだそうです。
そして、尊師はこう言われました。
『お前さんも人を教え導くことが、やがてはできるようになる。おのずとわかる。その時、話してはならないと教えたこともはなしていいよ』とね。
私は菩薩にはまだまだ遠い存在ですが、はなしていい時期はそろそろ来たなと感じるのです。
むかしの私は、1+1=2 だと、当たり前のことや正しいことを言っても信じてもらえませんでした。聞いてすらもらえませんでした。
しかし、今では1+1=3 だ、5だ、10だと、でたらめを言ってもはなしを聞いてもらえるようになりました。
〈1+1=3 とはいったいいかなる事か?〉という具合に相手は真剣に聞いてくれます。
だから、あなたにもおはなししたのです」
わたしは納得してうなずいた。いただいた本を胸に抱いて、今日のこの出会いに感謝した。
これにて完結です。ありがとうございました。