厄介者のワルツ
「うわ、ちょ、無理!」
グリムの叫び声が響き渡る。それを無視して、シアンはグリムの横を駆け抜けていった。
その後について来たゾンビの群れが、グリムに襲い掛かる。グリムは盾を抱えてそれに耐えるしかない。
「ほらー頑張ってー。ヒールも支援もしたげるからねー」
シアンが他人事のように言う。
紙束がグリムに巻きつく。神からの加護を受けたそれは、敵からのダメージを僅かに軽減する効果がある。さらに、ヒールの光がグリムの体を包む。
後衛の呪文の詠唱が完了し、炎の竜巻が敵を焼き尽くした。
グリムのヒットポイントは半分を切っていた。
「はいヒール、ほれヒール」
テンション高く言うシアンの腕から、光が放たれる。それはグリムを包み、そのヒットポイントを回復させた。
彼女が足を止めている今のうちに話したいことを話さなければ、とグリムは思う。
「シアンさん、勘弁してくださいよ。敵を釣りすぎですよ。そもそもあんたヒーラーでしょ? なんでタンカーである俺の前に出て走ってるの?」
敵を釣る。それは、敵を集めてくることを意味している。
「……良いゲームよね、自由度があって」
しみじみとシアンが言う。そして、彼女は片手を上げた。
「じゃ、また釣って来るわ! 足の遅いゾンビなら私でも大丈夫だし!」
「ちょっとー、シアンさーん!」
悲鳴のような声を上げるグリムだった。
「まあ、シアンさんらしいんじゃない?」
シズクが、どうでも良さげに言う。彼女は、もう一人の聖職者だ。
「まあ、シアンさんらしいよね」
魔術師のヤツハが苦笑顔で言う。
グリムは駆け出しの見習い騎士だった。同時期に同じギルドに入ったのが、聖職者のシアンだった。二人ともレベルが低く、狩りを同じくすることが多かった。
そこに、新しくキャラクターを育てているシズクとヤツハが加わって、今のパーティーになった。
曰く、シズクはギルドのサブマスターだから聖職者ぐらい作っておきたいとのこと。
曰く、ヤツハは別キャラのレベルを上げたくないからとのことだった。
「サブマスター、言ってやってくださいよ。釣り過ぎだって!」
「うーん、けど経験値が多く入る側面はあるからなあ」
シズクは腰に右手を当て、左手で耳の穴をほじりながら言う。まったくやる気のなさげな態度だ。
「ヤツハさんだってまだ魔力高くないんですよ! 魔法が発動するまで時間がかかるんですよ!」
「そこをばっちし見極めてるのがシアンさんの凄いところでな? 君もきちんと観察しておくと財産になるぞー」
「凄いんじゃなくて、性質が悪いんですよ!」
駆け足が近付いてきた。魑魅魍魎達の足音を連れて。
「何足止めてんだグリムー! 釣りあめーぞー!」
「うわあああああまた沢山いるううううう」
グリムの悲鳴がダンジョン内に響き渡った。
それから数時間後、四人は酒場傍の裏路地にある溜まり場に戻って来ていた。
「いやー釣った釣った」
満足げな表情で微笑むシアンがいた。
グリムは憎々しげにそれを睨みつける。
「釣りすぎなんですよ! しわ寄せがパーティーメンバーに来るとは思わないんですか?」
「おいしかろう?」
「いや、経験値は確かに入りますけどね。散財っていうか、貴女のアイテム沢山使わせてるって言うか」
「良いんだよ私は。レベルが上がればそーれーでー」
「それじゃあお金だって貯まらないでしょ。なんでそう考えなしなんだ、貴女は」
「レアでも一個出れば採算取れるしー」
「レアなんて都市伝説です! 人間は堅実に生きるべきなんですよ!」
「まあまあ」
そう言って穏やかな表情で間に割って入ったのはヤツハだ。
「見解の相違もあるけれど、せっかく身内だけでパーティー組めるんだから、仲良くしようよ」
この人はのんびりしすぎていてあてにならないな、とグリムは思う。
「サブマスター……」
縋るように、グリムはシズクを見た。
「私は仲良いなーって思って見てたけど、違うの?」
不思議そうに、シズクは言う。
「違います! 喧嘩の真っ最中なんです!」
「まあまあ、次回はピラミッドでも行こうか」
「わー。私も旦那も、山の町に長くいたんですよ。行くの久々だなあ」
シズクが話を逸らすように提案し、ヤツハがのんびりとしたことを言う。
「ミイラなら、また釣れるな……」
シアンが、目を輝かせる。
こちらの言い分をまるで聞こうとしていない。そんな彼女の姿に、呆れてしまうグリムがいるのだった。
ともかく、この女と当たってしまったのが運の尽きだ、とグリムは思う。
いつでも狩りはギリギリの綱渡り。
しかも、ギルド会話でパーティーを募集すれば必ず食いついてくる。
本人が言うにはこうだ。
「タンカー型の騎士目指すとかわかってるじゃん。見込みあるよ」
つまるところ、グリムはシアンに気に入られてしまったらしい。
「彼女と狩るのはもうこりごりだ……」
溜まり場でグリムは愚痴っていた。
「友達のことをそんな風に言うのは良くないよ」
狩りを終えて戻ってきたシンタが苦笑顔で言う。
その横では、ヤツハが座ってインターネットブラウザに視線を落としている。
「シンタさんはシアンと狩ったことないですもんね。次から次へと敵を釣ってくるし、半ば別行動状態だし。ヒヤヒヤします」
「けど、殲滅しきれれば美味しいよね」
「うん、美味しい」
シンタの言葉に、ヤツハも肯定する。
この場合の美味しいは、経験値が多く入ることを指す。
「このペースなら、私がシンタくんに追いつくかもね?」
ヤツハが穏やかに微笑んで言う。
「勘弁してくれよ。それは流石にみっともない」
シンタが苦笑顔になる。
「どうなるだろうねー、楽しみだねー」
「流石にそれは俺を舐めすぎだ」
「おー、痴話喧嘩が始まるかー?」
シズクが揶揄するように言う。彼女は酒樽の上に座って、左右の足を前後に振っていた。
「違います」
「違いますよー」
同時に否定する二人だった。
仲の良い夫婦だな、とグリムは半ば呆れてしまう。
「うーん、グリムくんは前は素早さタイプの騎士を作ってたんだっけ」
シズクが、確認するように言う。グリムは頷いていた。
「はい。回避して回復アイテムを使わないようにして、お金を貯めて装備を整えました」
「敵をあんまり集めた経験はないわけだ」
痛いところを突く人だな、とグリムは思う。素早さ型は敵を集めることに向いていない。それに向くのは、ダメージを受けることを前提として作られた耐久型だ。
だから、グリムはもっと多くのパーティーに頼られるタンカーになりたくて、新たに騎士を作った側面がある。
「シアンさんはずーっとがっちがちの耐久型らしいからね。そこに、移動速度用に素早さを振ったタンカータイプのキャラばかり作ってるらしいから。だから、価値観の相違っていうのはどうしても起こるよね」
「ああ、俺の先輩も、素早さ型と耐久型で対立してたなあ……」
過去を懐かしむようにシンタは言う。
「あれは対立って言うより、口喧嘩を楽しんでたんだよ」
ヤツハが苦笑顔で言う。
この仲の良い二人のことはこの際頭の外に置いておこうと思ったグリムだった。
「価値観の相違かはわからないけれど、いつか事故が起こると俺は思います」
そう断言したグリムだった。
「事故はいつかは起きるよ。狩りだもの」
平然とした口調でシズクは言う。
「その可能性を減らすのが良い前衛だと俺は思います」
グリムは譲らない。パーティーを守るのが前衛の役目だ。そんな自負が、グリムにはある。
そして、前衛をフォローしてヒールするのが支援の役目だ、とも思う。
そんなグリムにしてみれば、シアンの行動は謁見行為だ。
「まあ、今度シアンさんと別行動をしてみたらどうかな。案外気がつくこともあると思うよ」
そう言って、シズクはその話を打ち切った。
薄暗いピラミッドの地下を歩きながら、シアンが口を開いた。
いつもの四人パーティーだ。
「敵が沸かないね」
いつになく、彼女は真面目な口調だった。
「そうだねー。ここまでまったく沸かないのも珍しいな」
シズクは両手を腰に当てて、困ったとばかりに言う。
「……やな予感がします」
ヤツハも、何かを察知しているらしい。
三人は、何らかの予感を抱いている。グリムはそれはわかるのだが、具体的に何を察知しているかまでは想像がつかない。
ただ、ここまで五分ほど歩いて、敵と遭遇していないと言う事実がそこにはあった。
「ちょっと周囲の様子見てくるわー」
シアンがそう言って駆けて行く。
「あー、また前衛の前に立って!」
グリムが嘆くような声を上げる。
「まあやらせとこうよ。シアンさんならそうそう不覚は取らないだろう」
シズクがまた、適当なことを言う。そんなことを言って、もしものことがあったらどうするのだろう。
「どうでしょう。最近、性質の悪い悪戯をする人がいるらしいですからね」
ヤツハが、物憂げに言う。
三人はゆっくりと前進し、シアンの後を追っていた。
「ごめん、やられた」
そんなシアンの声が、どこか遠くから飛んできた。遠距離にいても会話ができる、ギルドメンバー専用会話の機能を使っているのだろう。面目ない、とでも言いたげな口調だった。
「だから言ったじゃないですか……」
グリムはそう言うしかない。
「そう待ってましたとばかりに言うなよ。周囲は敵の巣だ。帰ったほうが良いかもしれない」
「うーん、せっかく飛行船を使ってまで来たんだ。ここで帰るのは惜しいな」
シズクが言う。
もっともな意見だ、とグリムは思う。
「まあ、このレベル帯ならデスペナはそんなに怖くないですしね」
ヤツハも乗り気のようだ。
「つまるところ、前衛がちょっとずつ釣って、対処していくしかないな」
「僕次第ってことですか」
「これも練習だよ、グリムくん」
そう言って、シズクは悪戯っぽく笑った。
グリムは、手に汗を握るのを感じていた。シアンは普段、ただでさえ大量のモンスターを釣ってくるのだ。それが、無理だと言うほどの敵がこの奥にはひしめいているらしい。
グリムは、アイテムボックスの中身を確認する。どこまでも自動でついてきて、普段は目に見えないそのボックスの中には、回復アイテムがそれなりに入っている。
やってやろうじゃないか、と言う思いが心を満たす。その決意を胸に、グリムは少しずつ歩みを進めていた。
そして、曲がり角を曲がった時のことだった。
モンスターの群れが、一気にグリムの視界を埋め尽くした。硬化した白い包帯。その隙間から見える乾いた肌。窪んだ瞳に闇をそのまま取り込んだような大口。ミイラの大軍が、一気に襲い掛かって来てグリムの体のあちこちに噛み付いた。
回復アイテムを使っている余裕なんてなかった。それは本当に、一瞬の事故だったのだ。満タンだったヒットポイントが一瞬でゼロになり、グリムは地面に倒れ伏す。
モンスターの群れはそれだけでは満足せずに、シズクとヤツハも屠っていったのだった。
「くっくっく。いやー、派手にやられたな。これは無理だわ」
シズクが、いっそ爽快だとばかりに言う。
「このレベル帯じゃ、この状況を引っくり返すには至りませんでしたねえ」
ヤツハがのんびりとした口調で言う。
「集めすぎなんですよ!」
グリムは思わず叫んでいた。
今日の冒険を、グリムは楽しみにしていた。飛行船での移動。見たことがない山の町やダンジョン。それらの全てを楽しみにしていた。
それが、シアンのせいで台無しではないか。
「いやー、これは私のせいじゃないぞー。誰かの悪戯だ」
「それでも、普段から貴女は集めすぎなんです! 反省したらどうですか」
「いや、今回私は反省する要素はないぞー」
堂々とシアンは言ってのけた。
「限界だ……」
そんな言葉が、口から出ていた。
「もう俺、シアンさんとは狩りませんから!」
「おいおい、ちょっとグリムくん」
シズクが、何かを言おうとする。
それを無視して、グリムはセーブポイントである首都に帰還した。
「グリムくーん、ちょっと話を聞いてー」
ヤツハの、穏やかな声が響いてくる。
「グリムー。事情説明してやるからちょっと待てー」
珍しく真面目な口調のシズクの声も届く。
グリムは、ギルドの遠距離会話機能をオフにした。
これでシアンとは縁が切れ、ストレスフリーで狩りができる。そう思うと、少しだけ、清々しい気分になれた。
「いやー、失態でしたわ」
シアンは苦笑顔で溜まり場に戻って来ていた。
「あれは誰だって無理だろー。曲がり角にあれだけ用意されてちゃお手上げさ」
シズクは淡々と言う。
「メインキャラならなんとか対応出来たのになあ」
悔しげにシアンが言う。
「まあ、それは皆の共通の思いってことで」
ヤツハが穏やかにまとめる。
「んで、どうしようね、あの子」
シアンは考え込むように言う。このままグリムが帰って来ないのではないか、という不安があった。
「頭が冷えたら帰ってくるだろー」
「帰って来なかったら?」
「それまでだねー。別れがあるのがMMORPGさ」
「達観してるねえ」
シアンはシズクのようには思えない。
出会いは大事にしたい、と思うのだ。
「そんなに惜しむなら、相手の意見もちょっとは聞いてやれば良いのに」
からかうように、シズクは言う。
「上位の狩場に行けば、今の狩り方じゃついていけないじゃない。だから、教えてるつもりだったんだけれどな」
「そういや君は、先輩だったね」
「うん、そうなる。貴重なタンカー仲間だから、挫折しないと良いけどなあ……」
「まあ、次、三人で行けそうな狩場探そっか」
シズクが提案する。
「モノマネ退治なんてどーですかね。最近旦那がレアを出しまして」
「私達だとモノマネっつーのもマンネリだろー。この三人は装備も整ってる者同士なんだし、ちょっと無茶がしたいな」
「無茶なら、黄竜の巣なんてどうですかねー」
シアンが提案する。
「ダメージ痛くない?」
「一体ずつなら、なんとか?」
「アイシクルエッジまだ取れてないですー」
グリムのことは早くも頭から追い出して、次の狩場の相談を始めた三人組だった。