引退騒動
「引退します!」
酒場傍の裏路地にある溜まり場で、相方の如月が高らかに宣言したものだから、ククリは言葉を失った。
「お疲れー」
「おう、また明日なー」
「来月ぐらいだろう」
ギルドメンバー達の反応は、どこか投げやりだった。
「引退するなら何か催しでもして盛大に送り出してはどうでしょう?」
事情を知らないシンタが、戸惑いの表情を浮かべてそう口にする。
「いや、いらないいらない」
サブマスターのシズクが、苦笑して手を左右に振った。彼女は酒樽の上に座っており、その左右の足は前後に振られている。
「仲間が引退するんですよ? 皆、冷たいじゃないですか」
シンタは真剣に怒ってくれているようだ。
それを見て、ククリはようやく我に返った。
「良いんですよ、シンタさん。いつもの、ことだから」
そう言って、ククリは苦笑顔を形作った。
相方とは、ゲーム内で一緒にレベルを上げたり遊んだりしようね、という約束をした間柄、のようなものだ。
(その相手はやはり選ぶべきだったなぁ)
ククリは、ついついそう思ってしまう。
「シンタくんの言う通りだよ。皆冷たいよ」
如月は拗ねている。けれども、声のどこかに、そんな状況を面白がっているような響きがあった。
「自業自得だよ……」
ククリは、呆れ混じりにそう呟くしかない。
如月が宣言するだけしてログアウトした後、シンタへの事情説明会が行なわれた。
「皆、最初の引退宣言の時は盛大に集まって送り出したんですよ……。本当、申し訳ないぐらいに集まってもらって、恥ずかしいばかりです」
気恥ずかしい思いをしながら、ククリは説明していた。
「新しいゲームで自分の腕を試したいって。そっちに永住する覚悟なんだなと思って送り出したわけです」
「最初の……?」
シンタが、疑わしげな表情で言う。
「ええ、最初の、です」
あの時は、自分も切ない別離の思いに酔ったものだなあとククリは思う。
しばしの沈黙が流れた。表通りのざわめきが、音の破片となって裏路地まで流れ込んでくる。
「それから一ヶ月も経たないうちに、キサちゃんはひょっこり帰ってきました」
「じゃあ、今回は二回目?」
「それから二ヵ月後、彼女はまた引退すると言い出しました。リアルで恋人が出来たから、時間がなくなるって」
シンタは黙り込む。どうやら事情が飲み込めてきたようだ。
「恋人とは続いてるみたいですが、また半月もしないうちに、戻ってきました」
「……今回の引退宣言は、何回目?」
シンタが、躊躇いがちに言う。
「五回目じゃない?」
ギルドメンバーの一人が言う。
「私が立ち会った限りじゃ、四回目……」
シンタの隣に座ってるヤツハが、やはり躊躇いがちに言う。
「七回ぐらいやってる気がするけれどな」
そう語るギルドメンバーもいる。七回は流石に誇張だ、とククリは内心でだけ憤慨する。けど、言われても仕方ないよな、という諦めも同時に感じてしまうのだった。
「まあ、オンラインゲーム界隈ではこう言われてるんだよ。本当に引退するやつは引退するなんて言わない。ふっと消えるんだって」
シズクが、悪戯っぽく微笑んで言う。
「それも、何か寂しいですね」
シンタは、考え込むような表情で言う。
純粋な人なのだろうな、とククリは思う。そして、そんな相方がいるヤツハが羨ましいとも思うのだ。
「実際、消えると思った時はそんなものなのかもしれないねー。以前、レベル二百越えのキャラを持ってたのに、ギルドからふっと消えたって人もいたし」
シズクの言葉に、様々な声が上がる。
「勿体無い!」
「RMTに出せば高く売れそうー」
「二百まで上げても終わる時は一瞬ですな。諸行無常ですわー」
RMTという言葉に、ククリはぎくりとした。
RMTとは、リアルマネートレードの略だ。キャラクターやアイテムを、個人間のやり取りや業者を仲介したやり取りで売りさばく手法だ。ゲーム規約では禁止されているが、それを防ぐ方法は存在しない。
人気ゲームのレアアイテムなら、車の買える価格がつく時もあるという。
如月なら一時の勢いでやりかねない、とククリは思う。
そうしたら、彼女は戻って来ることができるだろうか。心配になってしまうククリだった。
しかし、あの自由奔放な如月が、ククリの心配など気にするわけがない。彼女はいつも極端だ。そのうち、その性格がトラブルの種にならないかと、ククリは心配でならない。
「まあ、そういうわけだから、あんまり気にしないでください、シンタさん」
そう言って、ククリは苦笑いを浮かべるしかなかった。
如月がいなくなって、少しだけ心に穴が開いたような気分になる。しかし、そんな気分にも、もう慣れっこだった。
「ククリさん、遊ばない?」
シンタに溜まり場でそう誘われたのは、如月の引退宣言の翌日だった。そう言えば、この男とはレベルが近かったのだ。
「良いですけれど」
「久々のプレイで腕が錆びついてるから、練習したいんだ。良いかな?」
「良いですよー」
ククリは、深く考えずに同意した。相手は最近復帰した、交流の少ないギルドメンバーだ。親しくなっておくにこしたことはない。
「じゃ、モノマネでも行きますかね」
モノマネは結構広範囲のレベル帯で狩れるモンスターだ。低レベル時は集団で狩れるし、中レベル帯の時はペアで狩れるようになる。相手はこちらのステータスを少し上乗せした強さで襲ってくるが、レベルが上がればたいした脅威ではない上に経験値も僅かに上乗せされる。何より、たまに落とすレアアイテムが高値で買取されている。
「そうだねー。このレベル帯だし、久々の腕鳴らしに良いかもしれないな」
「いってらっしゃい」
ヤツハが微笑んで、シンタを送り出す。彼女の前には、インターネットブラウザが表示されたパネルが浮かび上がっている。どうやら、のんびり動画を見ているらしい。
「すぐに追いついてやるからなー」
挑むように微笑んで、シンタは言う。
「私はその先を行ってるかもしれないけれどね」
ヤツハは飄々とそう言い返す。
「くそ、絶対追いつく」
なんだか可愛らしい二人だな、とククリは思う。そして、そんな関係が羨ましいな、とも思うのだ。
如月の性格が嫌いなわけではない。嫌いならば、相方なんてやっていない。ただ、彼女の気分のムラは如何ともし難いと思ってしまうのだ。
シンタと如月は、町の外へと歩き出した。
草原が周囲に広がり、澄んだ青い空に白い雲が流れていく。絶好の冒険日和、と言っても、首都周辺はいつもこんな青空だ。
何度如月とこの空を眺めたかな、とククリは思う。
彼女は破天荒だが、一緒に遊んでいて飽きない相手ではあった。
「まったく、休止中にすっかりレベルを離されちゃった」
シンタは、苦笑交じりにそう語る。
「一年は長いですからねえ」
「うん。意外と長かった。受験勉強に集中してたから、一瞬だった気もするけど。ログインしたくて仕方がなかった」
「大学生? 高校生?」
「今年から大学生」
年上か、とククリは心の中だけで思う。
「ククリさんはなんか大人びてるから、社会人かな?」
「いやだなあ、まだひよっこの高校生ですよ」
ククリは苦笑する。
「そうなんだ。意外だな」
「良く間違われます。キサちゃんの傍にいると、相対的に私が大人びて見えるようで」
「高校生同士のコンビなのかな?」
「キサちゃん、ああ見えて社会人……」
シンタは、不味いものでも飲み込んだような表情になった。
「ごめん、凄い失礼なこと言った」
「良いんですよー。キサちゃん実際落ち着きないですもん。私だって、最初は同い年ぐらいかなーと思って声かけたほどで。けど、好きな歌の話とかしてる時に、ん? ギャップがあるな? って思って。よくよく聞いてみたらそれぐらい歳の差があったっていう」
「同い年だと思ってそれだったら、吃驚しただろうな」
「面白いですよね。ゲームだと普段の姿がわかんないから、そういうこともあるんだなって。意外と面倒見の良いところもあって、色々教えてくれるんですよ」
「色々?」
「料理とか、化粧とか」
「ああ、俺にはわかんない世界だわ」
シンタは、お手上げとばかりに言う。
その素直さが、ククリにはなんだか可愛らしく思えた。
「駄目ですよー。大学生になったんだから、料理は覚えないと」
「そうなんだよなー。簡単に作れる料理ってないもんかな」
「そうですねー。簡単に作れるレシピ、お教えしましょうか?」
その日は、狩りをしていたというよりは、料理の話ばかりしていた二人だった。
翌日も、ククリはシンタに誘われた。
レベル帯の合う騎士と聖職者だ。さらに、ククリは今相方が失踪中だ。誘う理由には困らないのだろう。
誰かが、気分転換にククリを誘ってやってくれ、だなんてお節介を焼いた可能性もあった。
「女の子なのにククリって、なんか格好良い名前だよな」
「名前考えるの、上手くないんですよ。だから、ゲームの装備品リストを眺めて、語感の良いのを選びました」
「なるほどねー。そういや昨日教えてくれた料理試したんだけどさー」
「どうでした?」
「いや、絶品だったね。女性には勝ないなって思ったよ」
「作れたんだから十分ですよ。料理下手な人は絶品だって感じるほど上手く作れません。センス、あるんじゃないですか?」
「そうかな。自信持っちゃって良いのかな?」
「良いと思いますよ」
喋りながらも、ククリはモノマネを退治していく。真っ黒な、影が肉体を手に入れたかのような相手だが、剣で切るとしっかりとダメージが入るのだ。
シンタの支援も適切だった。いざ止めという瞬間には筋力向上のスキルが飛んでくるし、危ないと思った時には紙束となった本を飛ばして相手の攻撃からの緩衝材にしてくれる。
そのスキルは本を消耗するので、ククリとしては申し訳ない気持ちが少々あったが。
「レア出ないかなー」
シンタが、呟くように言う。
「奥さんへのプレゼント代ですか?」
「いや、自分への投資。あいつと俺との所持金の差知ってる? へこむぜー」
「私とキサちゃんは所持金の差がほとんどなかったから……」
そう言って、ククリは苦笑する。
そして、嫌だな、と少し思うのだ。いつ帰ってくるかわからない相手の話なんかしていて、馬鹿みたいだと思ったのだ。
その日は、ログインしてもシンタはいなかった。
溜まり場にも、丁度誰もいない。
二日ぶりの、一人きりの時間だった。
しばらくぼんやりしていると、ヤツハがログインした。
「あら、こんばんは」
「ヤツハさん、こんばんは」
ククリは、ヤツハが好きだった。彼女は何かとクエスト巡りを企画してくれる。シズクが実質的なマスターならば、彼女は実質的なサブマスターといった感じだ。
「シンタくんと狩っててどう? 腕、鈍ってて迷惑かけてない?」
ヤツハが、そんなことを訊ねてきた。
「いえ、とても上手ですよ。狩りやすいです。私より熟練のプレイヤーって感じがしますね」
「そっかー。シンタくんも熟練のプレイヤーって言われる日が来たんだね……」
ヤツハがしみじみとした口調で言う。
「昔はどうだったんですか?」
「シンタくん、最初は騎士だったんだよ。後から、聖職者を作ったんだけどね」
「そうなんですか?」
「最初はこう、頑張りすぎて駄目なタイプだったんだ。後はこっちに任せて退いてって言ってるのに退いてくれないってこともあったな。それで、死んじゃったりね」
「あー……。前衛だからって、気を張っちゃったんですね」
「そんな感じ」
「わかる気がします」
あの人は一途な人だ。それは、なんとなく感じられる。だから、今だって狩りに行って、ヤツハとのレベル差を埋めるために頑張っているのだろう。
如月とは大違いだ、とククリは思う。
「シンタくん、レベル合う相手少ないから。良かったらこれからも付き合ってやってね」
ヤツハは、微笑んでそう言った。
シンタとの狩りを楽しんで良いらしい。そう言われると、ククリはなんだか肩の荷が降りたような気分になる。
「私も、接続率の高い聖職者の知り合いがいるなんて、とてもありがたいと思ってますよ。これからも遊びたいと思ってます」
「うん。どんどんあちこち引っ張ってってー。そのうち、レベルが上がったら三人で遊ぼうね」
ヤツハは、穏やかな表情でそう言った。
「いや、あの人はあの人で昔は引っ込み思案な人だったんだよ」
溜まり場でヤツハに教えてもらったことを話すと、シンタは苦笑顔でそう言い返した。
「そうなんですか?」
「そう。このギルドに来てから徐々に社交的になった感じ。あの人も、レベルが上がったら三人で遊ぼう、なんて人を誘うようになったんだなあ……」
「意外な話です」
正直な気持ちを、ククリは口にしていた。そして、まるで自分を介して言い合いをされているようで、やはり可愛らしい二人だなとも思った。シンタとククリは今日も、モノマネ退治に勤しんでいる。
時たま誘い合うようになって、一月近くの時間が流れようとしていた。二人の狩りの呼吸も、会話の呼吸も、ぴたりと合うようになっていた。
そのうち、モノマネを斬った時に、金の腕輪が落ちた。
「おおー!」
シンタが叫ぶ。
「おおー!」
ククリも叫ぶ。
「レア、出ましたね!」
「出たな、レア! どっちの腕輪かな」
「拾って調べてみます!」
そう言って、ククリは金の腕輪を拾う。表面に、赤い宝石が埋め込まれていた。
「ファイヤーアローが放てるようになる腕輪です!」
「よし、よくやった! しばらく豪遊できるな!」
「そうですねー。私達のレベル帯じゃあ嬉しい金額です」
そう言って、その日の二人は狩りを早々に切り上げて帰った。
シンタが腕輪を売りに出かける。
溜まり場では、ヤツハがネットサーフィンをしている最中だった。その隣に座って、ククリはうきうきとしながらシンタを持つ。
楽しいな、とククリは思う。そして、思ってはいけないことを思ってしまったのだ。
(シンタさんが相方なら良かったのになあ……)
隣にヤツハがいることを思い出して、慌ててその考えを打ち消したククリだった。
そのうち、三十分ほど経って、シンタが帰ってきた。
彼はまずはククリにお金を渡す。思いもしない額に、ククリは思わず表情を綻ばせた。
「これ、私に余分に渡してないですか?」
「そんなことしないよ。均等に半分こだ」
「わあ、嬉しいです。これで新しい鎧が買える!」
そして、シンタは、座り込んでネットサーフィンをしているヤツハの前にしゃがみこんだ。
「ん? 何?」
ヤツハは心ここにあらずと言った表情で、インターネットブラウザが浮かんでいるパネルから顔を上げる。ブラウザの中には長文が書かれており、丁度作業の最中だったようだ。
「帽子、取ってくれる?」
シンタが言う。
ヤツハの基本装備は、黒いとんがり帽子に黒いローブだ。彼女は戸惑いながら、帽子を外した。
その髪に、シンタは緑色の華の髪飾りを添えた。
「ヤツハの目の色と一緒の華飾り。似合うと思ったんだ」
ヤツハは、しばらくきょとんとした表情をしていたが、そのうち穏やかに微笑んだ。
「君って、実は私のアバターが好きだよね」
「からかうなよ。素直にありがとうとは言えんかな」
シンタは苦い顔をする。
それは、けしてククリには向けない表情だ。けして、ククリには向けない口調だ。
(自分への投資に使うって言ってたのにな……)
ククリは、そんなことを思う。
どうしてか、手に持ったお金が、空しいもののように思えた。