傷癒す傘2
「シュウさーん、遊びましょうー」
シズクは、ギルド会話でこの世界のどこかにいるシュウに話しかける。穏やかな声で、心の中の動揺や怒りを悟られないように。
「良いですよ。じゃあ、今日のプランを考えましょうかね」
「いえ、今日は私のプランに付き合ってもらいます」
「そうなんですか? じゃあ、楽しませてもらいましょうかね」
シュウは、心の底から楽しみにしているような口調で言う。シズクの心は、少し痛んだ。
「それじゃあ、首都の酒場傍の路地裏で待ち合わせはどうでしょう」
「溜まり場で良いのでは?」
「溜まり場じゃなくて、良いんです」
ギルド内で、冷やかすような声が上がった。
それに適当に返事をして、シズクは酒場傍の路地裏に移動した。
シュウは、程なくやってきた。
「で、今日はどんなプランで楽しませてくれるんです?」
シュウが親しみを篭めた口調で言う。シズクは、初めて、彼を殴ってやりたくなった。
シズクは、酒樽に座る。そして、子供のように左右の足を前後に振り始めた。話を切り出すきっかけが見つからなかった。
「シズクさん……?」
シュウが、戸惑うように言う。その一言で、シズクは急き立てられたように、口を大きく開いていた。
「レベル二百以上の別キャラを持ってるって、どうして言ってくれなかったんですか?」
路地裏の外の大通りでは、人が川のような流れを作っている。けれども、そこまで声は届いていないようだ。誰もがそ知らぬ顔で、日常を堪能していく。
それが、シズクにはとても遠くに見えた。
シュウの表情が、強張っていた。
「レベル二百のキャラなんか持ってたら、回復アイテムを稼ぐのなんて一瞬じゃないですか。これじゃあ私、邪魔してただけでしょ? 凄い馬鹿みたいじゃないですか」
責められているというのに、シュウは、苦笑顔で黙り込んだ。
色々な知識を持っていたはずだ。高いアイテムを持っていたはずだ。彼はこのゲームを、十分に遊び尽くしていたのだ。
「レベルが上がるのだって速いはずです。それも、私が付き合ってから伸びが鈍っちゃって。ええ、鈍くてすいませんね、空気が読めない女ですいませんね」
「そんな、自虐しないで……」
「自虐もしますよ。どうして本当のことを言ってくれなかったんですか。これじゃあ私はピエロです」
沈黙が流れた。
それに場を支配されまいとするように、シュウは慌てて口を開く。
「困ったな。僕はこういうの、説明するの、上手くなくて。だから、思ったことをそのまま言ったり、思い出話になったりするかもしれないけど、良いかな」
「……説明してくれるなら、なんだってかまやあしませんよ」
シズクの声は、自然と拗ねが混じった。
少し、シュウは考え込んだ。そしてゆっくりしたペースで、言葉を紡ぎだし始めた。
「最初は僕も、君と深く関わる気はなかった。遠くから、皆を見守れれば良いと思っていた」
「上から目線なんですね」
シュウは、痛い所を突かれたように、一瞬黙り込む。
「そう言われたら、返す言葉がない。ただ、あの雪の地に行った時、属性付与した剣を喜んで振ってる君を見たら、懐かしくなって、こちらまで楽しい気分になった。あんな気持ちは、久しぶりだった」
シズクは、なんだか気恥ずかしくなった。浮かれていた自分を指摘されたような気分になったのだ。
「……レベル二百のキャラで、本来の友達と、楽しんでれば良かったんじゃ? 育成だって、手伝ってもらえたでしょ?」
「連絡を断ってるからね。どうなってるか、わからないよ」
予想外の言葉に、シズクは黙り込む。
「レベル二百越えの世界が幸せだと、君は思うかな?」
「……金銭的にも経験値的にも、美味しいダンジョンがあって、幸福なんじゃないですか?」
「そう考えるのが普通だと思う。けど、僕らは間違ってしまったんだ。少なくとも、僕はそう思う」
「僕ら……?」
「僕が指揮していたギルドのメンバーだよ。気がつくと、そうなっていた。経験値効率が良いダンジョン、金銭効率が良いダンジョン、その二箇所の繰り返し。延々その二箇所に篭って、レベルは上がったし、装備は整った。廃人達の考える鉄板の構成で行っていたから、腕はさほど必要なかった。ただ、気がつくと、鉄板構成に入れない人達はギルドからいなくなっていたよ。僕は、それにも気付けなかった。ただ夢中に、数字だけを追い続けた。ゲーム内の、お金とレベルだけを追い続けた」
「……それも、一つの遊び方では」
シズクは言いながらも、彼の空しい気持ちがわかる気がした。
彼はいつも、ゲームを楽しむ方法しか語らなかった。そんな彼が、ただ数字とだけ睨めっこしている姿は、あまり想像したくなかった。
「うん。否定するつもりはない。ただね、ある日、急に昔が懐かしくなった。新しいダンジョンへ足を踏み入れる時の興奮。手探りの構成で未知の敵と対峙して行く時のスリル。気がつくと、そんな感情は遥か遠くに行ってしまっていた。楽しむ為にあるはずだった狩りは、お金とレベルを稼ぐための作業になっていた」
「……それで、レベルの低いキャラを作り直したと?」
「……僕にも、嫁がいてね。言ってみたんだ。昔篭ったダンジョンを回ってみないかって」
「どう言われたんですか?」
「それなら、効率の良いダンジョンに行きたいって言われたよ。もう何百と繰り返した、レベルを上げる作業のほうが、よほど楽しいって。それで、もう駄目だと思った。仲間や嫁と、気持ちが、離れすぎていると思った。僕は気がつくと、新しいキャラを作って、低レベル帯の生活を楽しんでいた」
「……ちょっとだけ、覚えがあります」
「本当に?」
「コンシューマーゲームのRPGで、ラスボスを倒せるようになった後も、延々とレベルを上げをしました。隠し要素を探すためでもあったけど、それはただの作業でしかなくなっていた……」
「ああ、まさにそんな感じだ」
「同じことが、この世界でもいつかは起こりうるんですね。この世界にも果てがあり、この世界にも飽きが来る瞬間が来る」
当たり前のことだった。けれども、この世界があまりにも広くて、シズクはそれが実感できずにいたのだ。
実感してしまったのがシュウであり、未だその途中にいるのがシズクなのだろう。
「いや、MMORPGは新しいダンジョンが次々に更新される。ただ、経験値効率だけを求めて、同じダンジョンに篭っていたのは僕らだ。そこから逃げた先で、僕は君と狩った」
「さぞ、不恰好に見えたでしょうね」
シズクは、俯く。前後に揺れている自分の左右の足が、視界に映った。まるで、子供のようだった。
「確かに、上手いとは思わなかったけど」
反射的に、シズクは言い返していた。
「嫁に構ってもらえなかったからって失踪する構ってちゃんに言われたくないですー」
「……つくづく、痛い所を突くな、シズクさんは。まあ、けど、伸びると思った。わからないかもしれないけれど、昔の自分と出会えたような気分になった。まだ色々なダンジョンを知らなくて、色々なボスとも遭遇してなくて、色々な出会いを経験する前の自分に。シズクさんと遊んでたら、昔の気持ちを思い出す。シズクさんが驚いたり興奮していると、自分までそれを分けてもらっている気分になる。それが、なんとも言えず楽しかった。そう、結論はそれだ。上手く言えなかったけれど、シズクさんと遊んでると楽しかった。だから、拒否もしなかったし、アイテム代に余裕があるって知られるとそちらが気を使うと思って別キャラのレベルのことは言わなかった。事実、その通りになった」
シズクは、何も言えなかった。知識の差があることは、最初からわかっていたことだ。そこに、メインキャラクターのレベルの差が重なっただけだ。
「これで、一緒に遊べなくなるかと思うと、残念だ。けど、僕の知識が必要になった時は、遠慮なく声をかけてほしい」
シズクは、やはり何も言えない。シュウはそれを見て、何か自分なりの結論を得たようだった。
「じゃあ、また。今まで、楽しかった」
そう言って、シュウはシズクに背を向ける。
そのマントを、シズクは咄嗟に掴んでいた。
無意識に出た行動だった。シュウが、戸惑うように、振り返る。
シズクは俯いて、それから視線を逸らした。
「とってもね、可哀想な人がいたの」
「うん?」
「良いから、聞いて」
「ああ、いくらでも聞くよ」
シュウは頷いて、その場に座り込んだ。
「その人は、リアルが可哀想で。だから、私はその人と率先して遊ぶようにしたわ。気がつくと仲良くなって、気がつくと結婚して、気がつくとその人としか遊ばなくなってた」
「うん」
シュウは、余計なことを言わずに相槌を打つ。それが、心地良かった。
「その人は、次は不安がった。私を束縛しにかかった。野良パーティーにも行かせてもらえなかったし、異性と話してるだけで怒り狂った。けど私は、我慢したわ。だって、その人は可哀想な人なんだもん」
「うん」
「けど、ゲームが苦痛になってた。心が痛かった。束縛はどんどんどんどんきつくなって行って、私のリアルにまで口を出されるようになった」
「うん」
余計なことを言わないのではなく、言えないのかもしれない、とシズクは思う。
シュウは、器用な人間では無いのだ。
「相手が自分を、何処まで束縛しても逃げないか試してるんだって気がついたのは、付き合いが切れる直前のことだった。そうなると、私達の関係はどう足掻いても痛みしか生まないんだって、凄く馬鹿らしくなって、空しくなった。だから、全部伝えて逃げたの。私は、貴方のお母さんじゃないって」
シュウは、しばし黙り込んでいた。
「私も、貴方と一緒にいて癒されてたの。貴方は、ゲームの話しかしなかった。けど、いつも楽しむ方法を教えてくれた。新しい場所へ連れて行ってくれて、新しい驚きを提供してくれた。それが、私にとっても嬉しかったの」
シズクは、気がつくと泣き始めていた。
「ごめん。勝手に自分の話して、泣き始めて」
心は、今でも痛む。やり方を変えれば彼を救えたんじゃないか。そんな罪悪感が胸を締め付ける。
それは、未だにシズクが、元亭主の黒い感情に囚われている証のようなものだった。
「……まだ、君と遊んで良いのかな?」
シュウは、しばらく考え込んで、そう言った。
シズクは、無言で頷いた。
「……気分転換に、遊ぼうか」
シュウが言う。
シズクは、再度小さく頷いた。
心を包む、黒い何かが溶けていく。
自分達は、互いに傷ついた者同士なのだ、とシズクは思う。イグドラシルの世界は、その原因となった場所でもあったが、心の雨を防ぎ、傷を癒す時間をくれる傘でもあった。
辺りは、見渡す限りの雪原だった。
襲い掛かってくる雪だるまを、シズクは一刀両断する。
「一撃だね」
シュウが拍手しながら言う。
「馬鹿にしてるー?」
シズクは目を細めて、シュウを見た。
「馬鹿にしてないよ。素直に上達を褒めてる」
「あれから何年経ったと思ってるのよ」
シズクは苦笑する。
「まあ言われてみれば、そうだ」
「いつまでも上から目線じゃいられないわよ」
「そう言われても、僕は君の先輩だからね。多少、そういう目線になるのはやむないかなって」
最近は、シュウは反論するようになった。それが良い兆候のように、シズクには思えた。
「……で、私は良い嫁でいられてるのかね?」
シズクは、からかうように言う。
「ああ。付き合いの良い嫁で助かる」
「これがやりたいために、随分遠回りしたものね。キャラまで作り直してさ」
「別に、これがやりたいためだけに作り直したわけじゃないぞ」
「うん、そうだったね。懐かしい気分になりたかったんでしょ?」
「そ。構ってちゃんとか言ったら怒るよ」
「言わないよ。けど、口が悪いのは私の特徴だ。良く付き合ってられるね?」
「……君とは色々な思い出がある。それを分かち合えるから、君といると心地よい」
「恥ずかしいことを真顔で言うよなー、あんた」
「……恥ずかしいかな」
「うん、恥ずかしい」
沈黙が、二人の間に漂った。
襲ってきた雪だるまを、シズクは再び一刀両断にする。
「で、お別れも近いね」
「お別れでもないさ」
「就職したら、今までみたいにログインできないでしょう?」
「……結構忙しい会社らしいからなあ。再婚してくれても良いよ」
実質的に、今までみたいに遊べなくなることは、二人とも知っていた。ゲームでは出会いもあれば別れもある。今の状況は、別れに分類されても良かった。
「相手がいないさ。こんな口の悪いはねっかえり」
「ギルド、作ろうか」
不意に、シュウが言った。
「ギルド? 作ってどうするのさ」
「今度は君が、見守る側に回るのさ。低レベル帯の子達をね」
「……私に向いてるとは思えないけどなあ」
「けど、君の知識は、もう僕と大差ないからね。伊達に色々連れまわしてないつもりだが?」
「強気に出たね」
「ギルドの名前は決めてあるんだ」
「へえ、どんな?」
「カタカナで、アメノシズク」
「ヤメテ」
「……そんなに恥ずかしいかな?」
「……オネガイダカラ、ヤメテクダサイ。恥ずかしくて死にたくなるわ!」
「と言っても、作っちゃったからなあ」
「はあ!?」
シズクの叫び声が、雪原に響き渡った。
それから、シズクは酒場傍の裏路地で、時間を潰すようになった。樽に乗って、左右の足を前後に振りながら。そこを、ギルドの溜まり場と定めたのだ。
色々な出会いがあって、色々な別れがあった。
時には面倒臭いトラブルもあった。
けれども、シズクは居続ける。彼が紹介してくれたこのイグドラシルが、好きだからだ。