傷癒す傘
予定を変更して傷癒す傘をお送りします。
この話はもっと後のほうに持って来ようと思っていたエピソードでした。
ネタ切れの煽りを受けて前のほうに出てきました。
次回もはやめに更新できればと思います。
とにかく、付き合いが悪い。それが、彼に対して抱いたシズクの第一印象だった。
ギルドマスターが企画した狩りにも出てこないし、ギルドメンバーの誘いにも乗らない。
いつも一人で、どこかで狩りをしている。
まあ、そんな人もいるだろう、とシズクは思うに留めた。他人に深入りしても良いことなんかない。それがこの時期のシズクの考えだった。
なにせ、シズクはようやく離婚にこぎつけたところだったのだから。
ともかく、酷い亭主だった。異性といれば怒る、野良パーティーに行けば怒る、その束縛は度を越えていて、シズクを酷く疲弊させた。
そんな相手との縁が切れて、ようやくシズクは清々とした気分でゲームをプレイできるようになったのだ。
「暇だし遊びに行こうか」
溜まり場にたまたま一緒にいたギルドメンバーが、そう口にする。
彼女は林檎と言って、何かと人を誘って遊ぶ陽気な人だ。
「良いね、行こう行こう」
シズクはその誘いに乗った。自由になったことを噛み締める瞬間だった。
「じゃあ、ギルド会話で皆を呼んでみるね」
そう言って、林檎がギルドメンバー全員に向って、声をかける。同じギルドに所属していれば、遠距離にいても会話ができるというメリットがある。その機能を使って、林檎はこの世界のあちこちにいるギルドメンバー全員に声をかけたのだ。
「狩り行こー。レベル六十付近で。黒蜘蛛の巣辺りが良いかなーと思ってます」
「別キャラで参加するよ」
「六十付近キャラいねーなあ」
「私黒蜘蛛の巣嫌いー、ビジュアルがきつい……」
すぐに、返事が届く。
「じゃあ、レアも狙って、モノマネ退治なんてどうかと」
モノマネというモンスターは、パーティーメンバーのステータスにいくらか上乗せした強さで襲ってくる厄介な敵だが、貴重なアイテムを落とすというメリットがある。
「乗った!」
元気の良い返事が届く。
「シュウさんも行きませんかー?」
林檎が、さらにこの場にいないメンバーに声をかける。
「シュウさんも六十付近でしたよね。丁度良いかと思うんですがー」
ああ、彼か。シズクはそんなことを思った。付き合いの悪い、例の男である。
しばしの沈黙の後、シュウは答えた。
「いや、僕はソロで狩ってるんで、良いです」
「そうですかー。じゃあ、またの機会にー」
「ええ、また誘ってやってください」
一緒に狩りに行く気なんかない癖に。そんなことを、シズクは思う。
「あの人、なんのためにギルドにいるんだろうね」
シズクは、半ば呆れながらそう言っていた。
一人で狩りたいなら、一人でいれば良いのだ。ギルドに無理して入っても、意味がないではないか。
「人恋しいんじゃないかな。ああ見えて。適切な距離感を掴むのが苦手な人って、いるからね」
そういうものだろうか、とシズクは思う。
「つまりメンタルに難ありの人材だと」
「そうさっくり言ってやるなよ。それ絶対あんたの悪いところだよ」
林檎は苦笑して言う。
「良いんだ。私はギルドマスターでもサブマスターでもないからね。口の雑さで苦労することはないだろうよ」
そうなると、シュウが参加しないことに安心しているシズクもいたのだ。メンタルに難のある人材はもうこりごりだった。
神様はたまに捻くれたことをする。その相手と、二人きりになってしまったのは、それから数日後のことだった。
シズクの溜まり場は、首都の大通りから離れた大樹に近い位置にある。近いと言っても、大樹で憩いの時間を過ごしている人々とは、会話が届かない程度の距離がある。
ボロボロなマントに身を包んだ細身な男が現れたな、と思うと、シズクに近づいて来てその傍で座り込んだ。
もしや、元亭主の別キャラだろうか、とシズクが身構えた時のことだった。相手が、口を開いた。
「こんばんは」
どこかで聞き覚えのある声だった。しかし、元亭主の声ではない。
「……こんばんは」
シズクは、戸惑いながら挨拶を返す。
それを見て、相手ははっとしたような表情になって、気まずげに微笑んだ。
「顔を合わせるのは初めてでしたね。シュウと言います、よろしくお願いします」
「あー、なるほど、シュウさんですか。よろしくお願いします」
にこやかに微笑んで挨拶をしてから、思考が追いついてきた。例の、メンタルに難ありの人材ではないか。
(うわー、林檎、迅速に帰って来てー)
心の中で悲鳴を上げるが、それが野良パーティーに参加中の林檎に届くわけもない。
「レベルと職、教えてもらっても良いですか?」
話しかけられて、シズクは仕方なく返事をする。
「レベル六十七の、見習い騎士です」
「ああ、それならモノマネが丁度美味しい時期ですね」
「ええ……そうですね」
「山奥の村まで足を伸ばす気があれば、古代遺跡なんかも楽しいと思いますよ」
「古代遺跡?」
「アンデッド系のモンスターが沢山出て来る場所ですよ。ネルソン・アグラヴェインってボスがいるから、奥まで進むのは無謀ですけどね」
「へえー。私はボスって見たことないなあ」
おかしいな、とシズクは思う。林檎は、シュウをレベル六十付近だと言っていた。そのレベル帯では、ボス退治とは縁遠いはずだ。
「でかいですよ。プレイヤーキャラの三倍はあるかなあ」
「私、素早さ特化なんだけれど、狩れるボスっていますかね?」
無謀だって言われるのが関の山だな、とシズクは思う。レベル百以下なんて、この世界ではまだまだひよっこ。それが、前の亭主の口癖だった。
「デスペナを気にしないなら、集団で狩れるボスはいますよ」
その一言で、シズクはシュウとの会話にのめりこんでいた。
「聖職者の蘇生ありきですけど。皆で殴って、蘇生してもらって……。金銭的なメリットはないんだけど、楽しくはあります」
「本当ですか?」
「本当ですよ。デスペナ上等なら、人を集めてやるのもきっと楽しいはずです。まず作戦と構成はこうです」
シズクは、メモ帳のアプリケーションを開いてシュウの語る言葉を書き記していく。それが、貴重なもののように。
「というわけですが、お役に立てました?」
そう言って、シュウはにこやかに微笑む。
シズクは、二度も三度も頷いた。
「凄く参考になりました。今度、ギルド狩りで提案してみようと思います」
「それが良い。楽しい思い出になると思いますよ。他には、雪の町には行ったことがあります?」
「ないです」
シズクは、勢い良く首を横に振る。
「そこには、雪だるま型の可愛いモンスターがいましてね。それが見た目に反して足が速い。けど、スピードタイプのキャラなら、腕次第で乱獲できる」
「美味しいんですか?」
「美味しいですよー。行ってみればどうですかね。友達のプリーストを連れて行けば、適度に苦戦できて、これもまた良い思い出になります」
シュウは、博識だった。彼の語る違った町の話、知らないダンジョンの話は、シズクの心を沸き立たせた。
彼の話は、ゲームを楽しむための情報ばかりで、聞いていて心地よかった。元亭主のように、リアルの話をしてこない。それが、シズクの警戒心を薄めた側面もあった。
そしてシズクはふと思うのだ。
(この人は、普段どこで何をやっているのだろう)
レベル六十付近。そんな駆け出しキャラクターで、彼は色々な町を回っているのだろうか。
それはどこか、違和感のある想像だった。
疑問は言葉となって、口を突いて出そうになった。
「ただいまー」
林檎が丁度帰ってきた。
「お、珍しい人がいますね」
林檎の言葉に、シュウが苦笑する。
「ご無沙汰しています」
「聞いてよー。今組んだ前衛が本当に大変で」
林檎の愚痴で、シュウへの疑問は棚上げとなった。
彼とそれから再会したのは、半月後のことだった。
滅多に溜まり場にも顔を出さない人なのだな、と改めて思った。
「ボス、狩って来ましたよ!」
シズクは、声を弾ませて報告する。
「それは良かった。楽しかったですか?」
「凄く!」
「なら、本当に良かった。教えたかいがあったと言うものです」
シュウはにこやかに微笑む。本当に幸せそうに。
他人のことで、どうしてこの人はこんなに嬉しそうにしているのだろう。シュウへの興味は、深まるばかりだった。
他人に深入りをすることは危険なことだ。けれども、シュウに対しては、一歩を踏み出してみたいと思うシズクがいた。
「……シュウさんって、どうしてそんな博識なんですか?」
「それは、ネットで情報を集めているからですよ」
シュウはさらりとそう言った。少し落胆したシズクだった。
「じゃあ、体験談じゃないんですねー」
「僕のレベルでそんな体験できるわけないじゃないですか。けど、他人の楽しい体験談を見るのは好きですよ。個人ブログとか、掲示板とか、結構見てます」
「へえー。私は遊びに熱中してたら、時間が過ぎちゃうな。そのかいあって、レベル七十三になったんですけどね」
「おお、頑張りましたね」
「シュウさんはレベルいくつになりました?」
シュウは、しばし口ごもった。そしてそのうち、気まずげに口を開いた。
「八十」
「は!?」
シズクは思わず声を大きくした。この前まで彼は、自分よりレベルが低かったはずではないか。
それが、なんでお互い経験値が分配できる範囲外に飛び出そうとしているのか。
「ちょっとやる気を出してみましてね。他のダンジョンにも行ってみたいなと思い始めまして」
シュウは照れ臭げに言う。
「どうやってレベルを上げてるんですか? 秘訣は?」
「うーん、秘訣は……回復アイテムを惜しまないこと、かな」
そう言って、シュウは苦笑する
シズクは、シュウの手をとって立ち上がった。
「行きましょう!」
「何処へですか?」
「シュウさんの普段の狩場へ。このままじゃ、一回も一緒に遊べずに終わっちゃうわ。それって、なんかもやもやするじゃないですか」
「……そうかもしれませんね。一回ぐらい、一緒に遊んでみますか」
シュウはしばし考え込んで、そう言った。いつもの、微笑顔だった。
この時には、シズクはシュウが心配になっていた。溜まり場に寄り付かず、一人でばかり遊んでいる彼。誰かの楽しい経験ばかり喋るのに、自分は思い出を作ろうとしない彼。
そんな彼に、少しは他人と一緒にいる思い出を作って欲しい。シズクはそう考えるようになっていた。
(押し付けがましいかな)
そんなことを、自分自身に思ってしまうシズクだった。
やって来たのは、雪のふる地だった。お菓子で作られた屋敷が、遠くに見える。
「ここで普段狩ってるんですか?」
「いえ、今回は僕のスキルを活かすにはここが適切かな、と思って」
「あー、例の、腕があれば美味しいって言う」
「そういうことです。誘ったのは僕なので、回復アイテム代は出します。じっくり修行しましょう」
「そんなの、必要ないですよ。私、腐っても回避型ですからね。散財にはなりませんよ」
シズクは、少しだけ不満を込めて言う。子供扱いはされたくなかった。シュウは穏やかに微笑んでいるだけだ。
「来ますよ、敵が」
言われて、シズクは剣を構えた。確かに、前方から雪だるま型モンスターが地面を滑って来ていた。
一瞬で、懐に入り込まれた。
「あっ」
言った時には、腹部を殴られていた。鎧を着ているとはいえ、ダメージが入る。
シズクは剣をふった。そこは流石に、素早さを高めたキャラクターだ。雪だるまは回避しきれずに一撃を食らう。しかし、倒しきれていない。
そこに、一本の火の矢が降ってきて、雪だるまを貫いた。雪だるまは溶けて、地面へと消えて行った。後には、ドロップアイテムの帽子が残る。それを拾いつつ、シズクは振り向いた。
「魔術師なんですか?」
「魔法剣士ですよ。前衛がいてくれるおかげで、ゆっくり魔法の詠唱ができました」
そう言って、シュウは手を振りかざす。彼の手首の腕輪が、緑色の輝きを放った。
その次の瞬間、シズクのダメージは回復しきっていた。
「今の、ヒールですか?」
「ええ。魔力を高めてるので、ヒールの効果もそこそこなんです」
「魔法剣士って、ヒールも使えるんですか?」
「いえ、ヒールを使える腕輪があるんですよ」
「それって価格はどれぐらいですか?」
それがあれば、シズクだって回復アイテムを気にせず狩れるかもしれない。
彼が戸惑いがちに口から出したのは、信じられないような高値だった。シズクの全財産に、桁を二つ足しても届かない額だ。
「なんでそんなアイテム持ってるの!?」
思わず、敬語を忘れたシズクだった。
「友達に借りました」
「ずるい、そんな友達欲しい!」
「ちなみに、こんなこともできますよ」
そう言って、シュウは話題を変えるように、魔術を詠唱し始めた。
シズクの剣に向って、火の矢が飛んできた。次の瞬間、シズクの剣は赤く光っていた。
「これは……?」
「属性付与です。火属性の剣と同じ効果を得られますよ。僕は魔力が高いので、かなり強い効果を得られるはずです」
「魔力が高いってことは、サポートタイプなんですねー」
「そういうことになりますね。サポートで実力を発揮するタイプです」
「じゃあ、私とシュウさんって、戦いにおいては相性抜群じゃないですか。私は避けるから時間を稼げる。シュウさんはその間に魔法を詠唱できる」
戦いにおいては、の部分をシズクは強調した。
前の亭主とのような失敗は、したくなかった。
「……そうかもしれませんね」
シュウが返事をするまで、少し間があった。
なんの間だったのだろう、とシズクは考える。何か、迷惑なことがあっただろうか。シュウも回復アイテムを節約できて、金銭的に楽になるはずではないか。
「さ、次が来ますよ」
シュウはそう言って、魔法の詠唱を開始する。
シズクは振り返って、剣を構えた。赤い剣は思いの他良く斬れた。
「シュウさん、遊びませんか?」
「良いですよ。じゃあ、今日のプランを考えるので、少し時間をください」
「オッケーです」
ギルド会話で、そんなやり取りをする回数が増えた。
シュウは、世界の色々な場所にシズクを連れて行ってくれた。飽きないようにと、気を使うように。
それは、一箇所に篭ってレベルを上げるのが当たり前のMMORPGでは、珍しい行為と言えた。
各地を移動する飛行船代はいつもシュウ持ちだったが、一日の狩りで稼いだ額を彼に譲れば採算は取れた。
シュウと狩るのは、楽しかった。首都に篭っていた自分が、知らない新鮮な驚きや、新鮮な出会いが、シュウと遊ぶ時間にはあった。
だから、夢中になってしまって、シズクは細かいことを考えていなかった。男性への警戒心も、薄れていた。後から考えればわかるはずだったのだ。彼の言葉の節々にある違和感の正体に。けれども、その時のシズクは、そんなことを考えず、ただシュウとの狩りに没頭していた。
そんな状態で、数週間の時間が流れた。
「今日はシュウさん誘う! 林檎も行こうよ」
溜まり場で、シズクは興奮した調子で言う。
「良いわよー。なんか邪魔するのも悪いし」
「……そういうんじゃ、ないよ」
シズクは膨れた。ゲーム内の恋愛ごっこでは、シズクは一度痛い目を見ている。
ただ、二人きりで行動しすぎたかな、という反省はあった。だから、今回は林檎も誘おうと思ったのだ。シュウなら、三人でも楽しく遊べる方法を知っているという確信があった。
「シュウさんはそういう面じゃ安心だよ。周囲の人が楽しくなるようにって、そればっかり考えてる人だから。恋愛とかそういうのは考えてないと思う。そうじゃなかったら、私は逃げてるよ」
「そうなのかな? じゃあ、私もお邪魔しようかなー……。確かに、首都から出る機会ってないのよね。誘われでもしないと」
「やめとけ、お前ら」
そう言って現われたのは、ギルドマスターだった。
彼が接続するのは、久々だった。最近は仕事が忙しい、と聞いていたのだ。
「久しぶりっすね、マスター」
シズクは、挨拶をする。
「で、やめとけ、とは?」
嫌な予感がしていた。その予感は、的中したのだった。