そして、道は続いていく1
今月中、という予告、なんとか達成できました。
今回の、『そして、道は続いていく』でロープレ!のメインストーリーは終了します。
時々思い立ったように番外編を書いたりもするかもしれませんが、しばしこのキャラ達とはお別れです。
ここまで付き合ってくださった方、本当にありがとうございました。
最終回も、よろしければお付き合いください。
オンラインゲーム。そこは夢の世界。なりたかった自分になれる世界。違った自分になれる世界。
けれどもそれを扱うプレイヤーはあくまでも現実の人間。
耐久力に限界もあれば、飽きが来ることもある。
いつかは終わりが来ることが約束付けられている世界。
それがオンラインゲームの世界。
だから、ヤツハと僕のそれも、その中の一つなのだと、心の何処かで納得してしまう自分がいた。
結婚指輪がキャラクターの指から消えていた時も、衝撃は受けなかった。
++++++
「今日は狩りいこーぜ」
深夜の時間帯、シアンがそんなことを言い出した。
いつもの、酒場の路地裏の溜まり場だ。
「ヤツハさん、まだログインしてませんけど……」
グリムの視線が一瞬だけ僕に向けられた。どう返事したものかわからず、口から言葉が出てこなかった。
「私の友達を後衛に呼ぶよ。それで解決。シズクもそれで良いだろう?」
「ん、私はかまわんよ」
シズクの淡々とした口調からは感情が読めない。
シアンが表情をほころばせた。立ち上がり、皆もそうするようにと腕を振って促す。
「じゃあ行こう。最近狩ってないから腕がなまってるんだ」
「それにしても、どうしたんでしょうね、ヤツハさん」
「最近見ないねー」
グリムの不安げな言葉に、シズクは飄々とした調子で返す。
「……何か知ってるんじゃないかい、シンタ?」
シズクの目が、僕を捉えた。僕は、俯いて視線を逸らす。
「わかりませんよ。相方だからってツーカーってわけじゃないし」
シズクが返事をするまで、しばし間があった。溜まり場という器が静寂で満たされる。
シズクは全てを見透かしているようでもあったし、状況を把握しかねているようでもあった。
「……そう。そうよね。じゃあ、私達は狩りに行くから。シンタくんも行く?」
「ちょっとレポートで疲れてるんで、休みます」
「そか。じゃあ、行ってくるよ」
三人は連れ立って溜まり場を出て行った。
後には、僕一人が残された。再度、静寂が溜まり場を包む。
いつもならば隣で微笑んでいるヤツハがいない。それだけで、僕は強い喪失感を味わっていた。
「どうしたもんかな」
呟くが、普段ならば答えてくれるヤツハはいない。左手の薬指に輝いていたリングも、いつの間にか失われていた。ゲームシステム上の離婚が成立したという証なのだろう。
僕は、天を仰いだ。屋根と屋根の隙間に見える空から、雲がゆっくりと流れていくのが見える。
わかっていたことだ。
ゲーム上のことだからといって、離婚なんてしたら、ヤツハは気まずくなってますますログインしなくなる、と。
つまるところ、以前のようにヤツハと笑い合える毎日は返って来ないということだ。
胸にぽっかりと穴が空いたような気分になる。歌世が引退した時でも、ここまで強い喪失感は抱かなかった。
ゲームの中の結婚ごっこに、自分も随分毒されていたらしい。
僕は苦笑して、天を眺め続ける。
ヤツハがログインする気配はない。メールが届く気配もない。
なし崩し的にとはいえ、自分は置いて行かれたのだ。そんな事実に、ようやく僕は気が付きつつあった。
++++++
「八葉、最近ぼーっとしてるね」
大学のキャンパスを歩いている最中、友達に指摘されて、八葉は目を丸くした。
「そう?」
「うん。なんかいつにも増してぼーっとしてる」
「いつもに増してってなに」
八葉は苦笑して言い返す。しかし、友人は心配そうな表情だ。
「今まで何か考え事してたり、寝ぼけてたりしたことはあったけど、今はなんかぼーっとしてる。就職決まって気が抜けた?」
「ぼーっと、してるのかな」
ゲームから離れてしまったからかもしれない。
あのゲーム、イグドラシルオンラインは、八葉の心の中で大きなウェイトを占めていた。
大学の中でも、クエストのことを考えたり、次のレベルに上がるまでの時間を計算したりしていた。中毒状態のようなものだった。
それが、なくなった。
何度もログインしようかと思った時があった。ゲームの友達と話したいと思うことがあった。
ただ、新太の前でどんな表情をしていれば良いかを考えると、踏ん切りがつかないのだ。
「ちょっと呼び出されてるから、行ってくるね」
「それじゃ、学食で席とっとくよ」
そんなやりとりを経て、八葉は友人と別れ、呼びだされた場所にやってきた。
そこは、サークル棟の裏だった。人気のない場所だ。見知った同期生の男が一人、やや緊張した面持ちで立っている。
「こんなところに呼び出して、なんの用?」
「いや、就職決まったって言うからさ。めでたいなと思って」
八葉は表情を緩める。
やっとのことで就職が決まったのは、八葉にとっても嬉しいことだった。
「ありがとう」
「これで皆で卒業旅行に行けるな」
「そうだね。仲良い子揃えて行きたいね」
沈黙が場に漂う。
どうしたのだろう。そう思って、八葉が口を開きかけた時のことだった。
「ああ、違う、そういう話じゃないんだ」
「うん、どんな話?」
八葉は戸惑いつつも、訊ねた。
「それが、ちょっと急な話で悪いんだけれどさ」
何か雰囲気がおかしいな。八葉がそう思った時、相手が口を開いた。
「俺と、付き合わない?」
八葉は頭が真っ白になった。咄嗟に、言葉が出てこない。
「俺達、仲良いし、そんな支障も起こらないと思うんだけれど」
目の前の男と、そんな話をしているという事実が、八葉に違和感を覚えさせた。
「……ああ、返事、今すぐじゃなくて良いよ。ちょっと、考えて欲しい」
男は逃げるように去って行く。
八葉は、唖然とした表情でその場に取り残された。
その日の夜、八葉は兄である明彦に電話をかけていた。あまりにも衝撃的な事件だったので、相談したくなったのだ。
「……ってことがあったんだよ」
声は不安が滲んで、自然とか細くなった。
「良いんじゃね?」
明彦の返事は、いい加減にも聞こえた。この男は外面は良いが、妹である八葉には言葉を選ばない。
「仲良い相手だろ? お前だってそろそろ恋愛ぐらいしといて良い頃だ」
「仲は良いけど、いきなり恋愛だなんて……。しっくりこなかったらどうするのよ」
「その時はごめんなさいすれば良い話だろ」
「そんな器用な真似、私にはできないよ」
「まあ、そうだろうな……」
明彦のそれは、やや呆れたような口調だった。
「じゃあ、どうするんだ? この先、一生一人で暮らすのか?」
「そんなつもりは、ないよ。どこかで恋愛して、どこかで結婚するんだって、思ってる」
「それが今であっても支障はないだろ。聞いた感じ、問題ない相手そうだし」
「問題はないけどさ……」
付き合うとなれば違和感がある、そんな相手だ。
その違和感が何に根ざしているか、八葉自身にもわからない。
「まあお前の問題だ、お前で考えろ」
明彦の結論はそれに尽きるようで、後はたいした話題もなく電話は切れた。
どこかで恋愛して、どこかで結婚するものだと、ずっと思ってきた。
ならば、どこかで試しの恋愛をしてみることも、確かに必要なのだ。
部屋の中で一畳を占めているエッグに視線を向ける。
今日も、ログインする気は起きなかった。
++++++
ヤツハを失ったという事実を受け入れなくてはならない。そんなことを、僕は考えつつあった。
「スピリタスに移るのも良いかなと、最近思うようになって来たんです」
「良いんじゃないかな。楽しみ方は多いほうが良い」
樽の上に座るシズクの表情は、いつもより優しく見えた。
スピリタスの毎日は慌ただしいだろう。レベル上げに攻城戦に、プレイヤースキルを磨く特訓。
それが、ヤツハを忘れさせてくれる気がした。
「うちにはサブキャラでも置いといてくれりゃ良いよ。んで、たまに顔を出せば良い」
「……そう言われるなら、行ってみようかな」
「うん。私は引き止めないよ。けど、いつ帰って来ても歓迎してあげる」
「ありがとうございます」
僕は思わず笑顔になっていた。
シズクの目が、細められた。
「ただ」
「ただ?」
「ククリにはきちんと伝えていって欲しいな」
「ククリちゃん、ですか」
思いもしない名前に、僕は戸惑った。
「そ。ククリにきちんと伝えること。ククリちゃんも、私が呼ぶから」
「わかりました」
戸惑いを抱えたまま、僕はククリが到着するのを待つ。
ククリは、間もなくやって来た。
+++++
溜まり場に、シンタと二人きりにされて、ククリは緊張していた。
どうして自分はこんな状況に陥っているのだろう。考えてみても、その答えは出ない。
ただ、シズクが全てを見透かしていたということは、良くわかった。
一緒に狩りをしていた最中の如月も、快くククリを送り出してくれた。
「チャンスだよ」
と、彼女は言った。
シンタが離婚したことは、ギルドの皆が知っていた。本人の前では、それに触れないことが、暗黙の了解になってはいたが。
「スピリタス、移ろうと思うんだ」
シンタが、呟くように言った。
「スピリタス、ですか」
この世界で知らない者はいないだろう大手対人ギルドだ。その名前が唐突に出てきて、ククリは目を丸くした。
「じゃあ、あまりこっちにはログインしなくなる感じで?」
「そーなるかな。だから、別れを言いに」
「別れ、ですか」
「うん、別れ。たまに顔は出すけどね」
「城持ちの対人ギルドなんて、大変そう」
ククリはシンタを引き止めたくて、必死にスピリタスのマイナスポイントを探す。けれども、悲しいほどに思い浮かぶものはなかった。
「大変なほうが、気分をまぎらわせられるかなって」
「……気が、まぎらえば良いんですか?」
「うん。今は、そんな気分」
それはそうだろう。毎日のように一緒に話し、遊んでいた相手が急にいなくなったのだ。シンタの内心は悲しみに満ちているだろう。
「じゃあ、私と結婚します?」
その言葉は、自然と口から出てきていた。
シンタが、意表を突かれたような表情になる。
ヤツハの言葉が脳裏に蘇った。彼女は、シンタを頼むとククリに言い残していた。それは、こんな状況を見越してのことだったのだろう。
ククリは、シンタを引き止めたかった。何を引き換えにしても、引き止めたかったのだ。
「私はヤツはさんみたいに廃人じゃないけれど、シンタさんと楽しく話すことはできますよ」
「……そういう道も、あるのかな」
「そういう道だって、あります。結婚して、新しく踏み出すんです」
「……ちょっと、考えさせてくれ。ククリちゃんのことが、嫌なわけじゃないけど、離婚したばっかりだから、色々と心の整理というか、なんというか」
「……楽しみに、してます。」
そう言って、ククリは微笑んでみせた。
本当は、緊張で手に汗が滲んでいた。それを、ズボンを掴むことでククリは拭った。
違和感がククリの中で大きくなる。
お前は本当にそんなことをしたかったのか? 自問自答するが、答えは出ない。
++++++
深夜まで電気がついているアパートで、八葉はパネルフォンを手にしている。アドレス帳が表示されており、その中には新太の名前もある。
八葉はしばし、その画面を見て考え込んでいる。
一方、遠く離れた土地のアパートで、食事を終えて水を飲み、ぼんやりとしている男がいた。新太だ。
新太はパネルフォンを開いている。アドレス帳には、八葉の名前が表示されている。
新太と、八葉は部屋にあるエッグに視線を向けた。
全ては、この機械から始まった。
この機械は、遠く離れた距離を埋めて、友情を培わせてくれた。
新太と八葉は再びパネルフォンに視線を向ける。
八葉はパネルフォンをポケットにしまい、目を閉じてしばし考え込んでいたが、何かを振り切るようにベッドに入った。
新太は、パネルフォンの操作をしようと指を伸ばし、しばし考えこんで、エッグの中に入って行った。
八葉は寝て、新太は遊ぶ。
そして、新太に決断の機会がやって来ようとしていた。
++++++
「そりゃめでたい」
シズクが表情を綻ばせた。
「良かったねえ、ククリ」
如月がそう言ってククリの肩を抱く。
グリムだけは複雑げな表情をしていた。
深夜の、アメノシズクの溜まり場である。シズクは相変わらず酒樽の上で足を前後に左右させて、他の面々は地べたに座っている。
僕は、ククリと結婚するという報告をしたところだった。
「良いんですか? ヤツハさん、帰って来づらくなるんじゃ……」
グリムの言葉で、一瞬その場にいる全員が固まった。
彼の頭を叩いたのはシアンだ。
「馬鹿。帰りたくなったら帰って来るよ」
「はい、そうですね、師匠」
「ネトゲも人と人との出会いも一緒なんだよね。タイミングってものがある。そのタイミングを逃したなら、駄目って時もあるんだわ」
シズクが淡々と言う。そして、こう言葉を続けた。
「ヤツハも、別の人を見つけるさ」
そんなことはしないだろう、と僕は思っていた。彼女は根は引っ込み思案だ。中々本当の自分を他人に見せない。
だから本当に、復帰するとしても、歌世みたいなプレイスタイルになるのだろう。
「結婚式の日取りは?」
「今度の休日なんかが良いかなと。皆揃ってるし」
僕の言葉に、シズクは大きく頷いた。
「ギルド狩りの時間なんてどうかな。人が集まってる」
「悪いですよ。ギルド狩りを楽しみにしている人もいるのに」
と言ったのは、ククリだ。表情を綻ばせている。
「良いんだ良いんだ。たまにはイベントで狩りを休むのもありだろう」
「じゃあ、お言葉に甘えましょうかね?」
そう言って、ククリが僕の顔を覗き込む。
僕は苦笑して、頷いた。
「そうしようか」
違和感があった。
どうして、僕の隣にいるのはヤツハではないのだろう。その違和感は、これから徐々に薄れて行くのだろう。
僕は、そう願った。
++++++
おかしいな、と思ったククリがいた。
自分は念願かなってシンタと結婚することになった。頼りになる大学生の相方ができることになった。
けれども、嬉しさよりも、違和感が先に立つ。
自分が彼の隣に並ぶことに対する違和感。そんなものがククリの中に強くある。
けど、そんなことを構わずに、結婚式の当日は近づいてくる。
誰にも相談できることではない。ククリはそれを、心の中にしまい込んだ。
「浮かない顔をしてるね」
シンタが、そんなことを言う。
「シンタさんだって、似たような顔じゃ?」
意地悪く笑って、ククリは言い返す。
「……そんな表情してるかな」
シンタは戸惑ったように言う。
「してる気がします」
「そうか。ククリは誤魔化せないな」
首都の大樹の下だった。周囲には沢山のカップルやグループが居る。そんな中で、二人も座っていた。
「未練、あるんじゃないですか?」
「ヤツハのことに関しては終わったことだと思ってるよ。こうなると彼女は亀だ」
ククリの中で、違和感が大きくなっていく。
シンタの口から、そんな台詞は聞きたくない。そう思っているククリがいた。
それは、彼と結婚したいと考えているククリの別の一面とは相反するものだった。
「ヤツハさんのこと、良く知ってるんですね」
「ゲーム上の関係とはいえ、嫌?」
「嫌じゃないですよ。もっとヤツハさんの話を聞きたいと思います。変ですね。普通はこういうの、嫌だって思いそうなものなのに」
「聞きたいと言われたら、困るな。普通はこういうの、言わない話だ」
シンタは苦笑する。
けれども、聞きたいという気持ちをククリは抑えきれなかった。
何故、そんな感情が芽生えるのか。普通ならば、元嫁の話なんて聞きたくないと思うものではないか。
その時、まるで木の葉の露が地面に落ちて弾けるかのように、ククリの中で小さな閃きがあった。それはどんどん、彼女の中で大きくなっていく。
ククリは呆然とした。これでは自分は道化だと思ったのだ。そしてすぐに、それを隠すように苦笑いを顔に浮かべていた。
「……ヤツハさんの話、してくれませんか」
「なんでそんな話、聞きたいの」
シンタは、心底困惑したような表情で言う。
「出会った時の話とか。休止中の話とか。色々あるでしょう」
「そりゃー、色々あるよ。休止中も、メールで結構応援してもらったし。復帰してからも良く話し相手になってもらったし。けど、聞いてどうする?」
ククリは、しばし考えこんだ。そして、立ち上がって言った。
「気がついたことがあるんです。ここに至って、やっと。わかった、私の気持ちの正体」
次回最終回『そして、道は続いていく2』




