閑話6 ネット人格とリアル人格と
雪が降る頃に書き始めて、書き終えた後に大雪になり、投稿する時には雪が溶け始めていました。そんな話。
考えてみると、天候的には目まぐるしい一週間でした。
今回スポットライトを浴びる人は雪が降るとテンションが上がる方ですが、私は薄着が好きなので冬そのものが苦手だったりします。
「では、二人は忍び歩きが成功するかをダイスを振って判定してください」
そう宣言したのは、ヤツハだった。
アメノシズクの溜まり場だ。グリム、シズク、シアン、シンタ、ヤツハ、八千代が、路地裏の床に座って円になっている。
六人の前にはそれぞれ透明なパネルが浮かび上がり、そこにはダイスが描かれたアプリケーションが開かれている。
シアンとグリムがボタンを押すと、それぞれの画面上で二つのダイスが転がる描写が入り、最終的に二桁の数字が表示された。
それを見て、ヤツハは穏やかに微笑む。
「グリムさんは忍び歩きに成功です。気配を消してゆっくりと前に進めたことでしょう。建物の中を慎重に進んでいきます」
グリムは安堵の息を吐く。そして、シアンが出したサイコロの数字を見て表情を曇らせた。
ヤツハは表情を変えずに、悲惨な運命を宣告した。
「シアンさんは忍び歩きに失敗しました。その上、廊下に飾ってあった壺にぶつかり、思い切り倒してしまいました。大きな音が建物の中に響き渡ります。敵が駆けつけてきました。シアンさんは壺を倒した際に自身も倒れたため、戦闘への参加が一ターン遅れます」
「師匠、そもそも、どうして忍び歩きを伸ばしてないのについて来たんですか?」
「私にあのグロい死体の傍に一人でいろって言うのかー? この手の映画じゃ一人きりは死亡フラグだろう?」
シアンは淡々と言う。グリムの言葉なんて、てんで聞く耳を持たないのだ。
「慣れてませんが、プレイヤーキャラは極力死なないように配慮するつもりですけれどね」
ヤツハは苦笑混じりにそう言うと、穏やかな表情に戻って言葉を続けた。
「攻撃順序はシアンさん、グリムくん、敵Aです。ただしシアンさんは立ち上がって前線に出るまで一ターン消費します」
六人がやっているのはTRPGだ。
このゲームは、まずは、各々の操るキャラクターの能力をダイスで決めて、技能や職業を設定する。そして、ゲームキーパーが語る世界の中を、会話を軸に調べて周り、様々な冒険をする。行動はその多くが、ダイスによって成功か失敗かを判定される。プレイヤー達は時に操るキャラクターになりきって、行動を選択していくのだ。
今は、シアンとグリムが、閉鎖された建物の一階を慎重に進むシーンだった。それもダイスの女神様に嫌われて失敗してしまったわけだ。
シアンのキャラクターは、隠密行動には長けていないが、戦闘に関しては優秀で、あっと言う間に敵が排除される。
「シアン、君は部屋に戻ってくれ。俺が様子を見てくるから。と、師匠を説得します」
「私を一人にして平気なの? それに、貧弱な貴方が心配だわ。と反論します」
「いや、そんな親密って設定なかったから。師匠は戦闘用キャラなんだから探索は任せてくださいよ」
「じゃあ、こうだな。あんな死体を見て流石に一人は心細いです。どうか、ご一緒させてくれないでしょうか」
シアンが、柄にもないか細い声を出す。女性が不安を抱え込んだ様子を見事に演じていた。
「こんな感じでどうだ」
シアンは満足げだった。
「意地でもついてくる奴だコレ」
「二人ともロールプレイもできてて面白いね。照れが残ってるシンタくんと大違い」
この場合のロールプレイとは、例えば騎士の役割を与えられたなら、それを果たすことだ。
ヤツハの穏やかな口調に、少しからかいの色が混じっている。
話を振られたシンタは、面目ないとばかりに項垂れる。
このゲームが始まってからというもの、シンタはほとんど喋っておらず、周囲の流れについていくだけになっている。
「慣れてないからなあ、こういうの」
「開き直りだよー、シンタくん。こういうのって」
「そうですよー。ノらなきゃ損です。細かい部分はヤツハさんがフォローしてくれますし」
シズクが飄々とした調子で言い、八千代も笑顔でそれに追従する。
「休憩が欲しいな」
そんなことを、シアンが言い出した。
「確かに、ぶっ通しでしたもんね。ちょっと休憩も必要かな」
ゲームキーパーであるヤツハも、それに同意する。
そもそもが、素人の集まりなのだ。ヤツハ以外にTRPGの経験者はおらず、各々ネットでルールや基本仕様を調べたり、ヤツハの電子書籍のルールブックを事前に回し読みはしていたものの、手探り感は否めない。
彼女のアドバイスやアプリケーションの補助を受けつつ進めているものの、キャラクターシートを作る時点からかなりの時間がかかり、気がつくと日付を跨いでしまっていた。
それでも、顔見知りだけで遊んでいるわけだから、雰囲気を楽しむという点では成功しているのだろう。
各々、足を崩したり、両手を床に置いて体重を預けたりと、リラックスの姿勢を取った。
「それにしても、こっちは雪が降らなくてつまんないわ。雨が窓を叩き続けてる」
シアンはあぐらをかいた膝に肘を乗せて頬杖を付き、不満げにそう言った。
「師匠、降らないにこしたことないでしょ? 交通が麻痺して大変ですよ」
「こっちは雪国だから、降るのが毎年の習慣なんだよ。隣の県は降ったって言うしさ。雪国を名乗るからには雪ぐらい降らないとね」
「へえ、雪国育ちなんだ」
シズクが、会話に混じってくる。
「そ。冬になると街は一面の白に染まる。綺麗な光景だよ」
「私のほうじゃ、雪は降っても積もることはないですね。ちょっとだけ雪国に憧れます」
「あ、俺一応雪国育ちだよ。今関東だけど」
とは、ヤツハとシンタだ。
「地方によって違うよね。私の住んでる所がたまたま雪降る地方なだけで」
「八千代は、この前まで半袖で扇風機つけてたって知り合いいますよ。沖縄の人です」
「沖縄と北海道は話聞いてると凄いよね。色々な意味で」
「わかる。まあ、色々な土地の人と知り合いになれるのもオンラインゲームの醍醐味だよね」
そう言って、シズクは樽の上に戻った。そして、いつものように足をまた前後に振り始める。
「ごめん、ちょっとお花積んでくる」
そう言ったきり、シアンのアバターの反応がなくなった。
彼女が戻ってきたのは、その数分後のことだった。
興奮した調子で、彼女は立ち上がる。
「雪降ってた! 窓叩いてるの、雪だった。結構積もってる」
「良かったですね、師匠」
「おめでとさん。念願叶ったじゃないか」
グリムとシズクが祝福したが、シアンは大きく肩を落としたのだった。
「明日の出勤面倒くせー。皆して車の速度落とすから、渋滞すんだよねえ。移動に時間がかかりすぎるよ」
溜息混じりの口調だった。
グリムは、呆れるしかない。本当に彼女はいつも滅茶苦茶だ。
「雪降ってほしかったんじゃないんですか、師匠」
「雪降るのが楽しみな私もいるが、雪積もるのを憂鬱と思う私もいるんだよ。どっちも私だ」
「じゃあせめて発言を一貫させましょうよ」
「シアンらしいといえばシアンらしい」
苦笑交じりにそう語ったのは、シズクだ。
「まあ、新雪を踏みながら、夜の雪景色を眺めるってのも乙だし。ちょっとアイス買ってくるわ」
「……近くにコンビニあるんですか?」
「徒歩七分ぐらい」
「こんな時刻ですよ? 危険です」
エッグのデジタル時計は、既に深夜の一時を示している。
「静かな住宅街だし、こんな深夜にうろついてる不審人物は私ぐらいのもんだよ。平気平気」
「師匠は美人なんだから、もうちょっと危機意識とかそういうものを持たないと。深夜に女性の一人歩きはやめましょうよ」
シアンの動作が、一瞬止まった。そして次の瞬間、彼女はけたたましく喋っていた。
「子供じゃないんだから一人歩きぐらいどうでも良いだろー? お前は私の親か? グリムのばーか」
いきなりの子供みたいな物言いに、グリムは戸惑うしかない。
「まあ行くわ。十五分後にまた会おう」
そう言って、逃げるようにシアンは離席してしまった。プレイヤーを失った身動きしないアバターだけが、そこに残される。
「ばーかって、滅茶苦茶だなあ」
グリムはしばし時間を置いて、シアンがいなくなったことを確認すると、溜息混じりに言った。
どこに怒られる要素があったのかわからなかったのだ。
グリムにとってシアンは、今でも、時たまわけのわからない人間に見える。
「あんまりからかってやるなよ」
シズクが苦笑交じりに言う。グリムは、その言葉に戸惑うしかない。
「からかってなんかいませんよ。からかわれたのはむしろ僕で」
「急に、貴女は美人だから行動に気をつけなさいって言われたら、シアンの性格だとあんな反応になるよ。てか、君がさらりとシアンの容姿を褒めるから私はちょっと吃驚した」
「そういう言葉が自然に出てくるもんだなー」
シンタも感心しているようだ。
「いや、認めるところは認めないと。師匠は美人ですよ。本人だって、そう言われ慣れてるんじゃないかな。ちやほやされてたからあんな破天荒……もとい、元気な性格になったんだと僕は思ってますけど」
「んー、シアンはそういう人生送ってない感じがするなあ。だから今、綺麗だって言われて逃げだしちゃったわけだし」
「そうですか? なんかゲームしてるのが似合わない人ってイメージ持ってるんですが」
「それはシアンの外見から来る先入観だねー。あの子、五年以上前の乙女ゲーについて熱く語れるぐらいのゲーマーだし」
「乙女ゲーについて熱く語ったんですか……」
ということは、シズクもシアンも乙女ゲームのユーザーらしい。意外な事実だった。
「うん、語った。面白かったなー、あれは」
前後に振られていたシズクの足が、止まった。彼女の手の人差し指が、天を指すように伸ばされる。
「リアルの人格とネットの人格はね、乖離する人は本当に乖離しちゃうからね」
「リアル人格と、ネット人格、ですか」
「このギルドだと吹雪丸くんが顕著だよね。ゲームじゃ皆と遠慮なく遊んでいるけれど、リアルだと諸々の事情でちょっと人と会うのが苦手だっていう」
「私もネット人格とリアル人格は違うタイプですね」
ヤツハは、苦笑交じりに言う。
「だからオフ会の時も、顔見知りのシンタくんの横で間を持たせてた気がします」
確かに、オフ会の時のヤツハは、面倒見の良い普段のヤツハではなく、シンタの友達という感じだった。
あまり話せなくて残念だった、という意見が多かったものだ。
「つまるところ、人にはリアル人格とネット人格があるわけだよ。シアンにもそれがあるんだろうと思う。確かに、ネットだけのシアンなら、容姿を褒められてもそうだろう? ってのっかってきたと思う。けど、リアルの容姿を褒められるとリアルの人格が出てきてしまった。グリムが感じるギャップはそれに起因してるんじゃないかな」
「けど、オフ会の時、ノリが変わりませんでしたよ? 遊びで人を酔い潰させようとする滅茶苦茶な人でした」
「オフ会でリアル人格を出せないぐらいギャップがあるのかもしれない。それで、普段その相手との前で出しているネット人格が引きずられて出てきたって話なんじゃないかな」
「……じゃあ、師匠のリアル人格ってどんなのなんでしょうね」
「真面目な人だと私は思うよー」
シズクは、穏やかに微笑んで言う。
「敵の釣り方、前衛のヒットポイントゲージの維持、釣った後のいつでも後衛を守りに動ける立ち位置、グリムへの指導、そういうの本当に丁寧に、一生懸命にやってるからね。ああいうのって性格出るから。多分職場じゃ真面目な人で通ってるんじゃないかな」
「そういうのって、ちょっと想像できないです」
シアンは職場でも、自分のペースに周囲を巻き込んでしまいそうなイメージがある。ゲーム上の彼女は、あまりにも台風みたいな人だから。
「けど、僕の知り合いにもいましたよ」
シンタが、会話に入ってくる。
「毎日酒飲んでて、どんな自堕落な人なんだろうと思ってオフ会に行ったら、スーツ着てピシッとした格好の人が待ってたっていう」
「なんだかんだで、オンラインはハメを外せる世界だからね。リアルのしがらみがないから、子供みたいに素直な自分を出して遊べもするし、リアルだとこうはいかないって性格の自分になることもできる。まるで、この世界のキャラクターそのものになりきるみたいにねー」
「ある意味で、ロールプレイですね」
ヤツハの言葉に、シズクは頷いた。
「ボイスチャットが普通になる以前には、女性が男性を演じたり、男性が女性を演じたりっていうのも普通にあったらしいしね。ネカマ、ネナベって言うんだけど」
「僕は特に、オンでもオフでも性格変わった覚えはないなあ」
とは、シンタだ。
「現状の自分に満足してるんでしょう。それに、リアル人格とネット人格と分けても中身は同じ人だからね。ネット人格の中にも、自然とリアルの人格の節々が出てくるし、逆もまた然りだよ。例えば、ヤツハは、オフ会では料理を皆に取り分けてたし。そういうところ、ネットで主に見せてる部分だよね。些細なところに、自分の天然の部分って出ちゃうわけ」
「細かいところをよく見てるのはシズクさんの天然の部分ですかねえ」
ヤツハが苦笑交じりに言う。
「リアル人格に、ネット人格に、天然の部分かー……」
グリムは思わず考え込んでしまった。
そういえば、もしもオフラインの自分ならば、他人を師匠なんて呼んで懐くような関係を築けただろうか。それは、無理だと思うのだ。
オンラインの世界だからこそ、少しだけ慣れ慣れしい自分になれた気がした。
そういう意味では、グリムにもリアル人格とネット人格の差があるのだろう。
「だからオンラインでの付き合いがメインの相手と結婚したり交際したりするって結構リスクがあるんだよね。普段の相手の生活はおろか、リアル人格についても良く知らない状態なわけだしさ」
「そういうのはあるでしょうね。日常生活を見てないのはリスキーです」
そう反応したのは、八千代だ。身に覚えがあるのかもしれない。
「そのリアル人格に関しても、普段接している相手でもどこまで見えているかはわからない。人は状況によって性格を使い分けられる生き物だから。例えばある場所では物静かな人が、別のある場所ではユニークな人になってたって話、あるでしょ?」
「なんだか語れば語るほど底が見えなくなってきますね。本来のその人の人格ってどんなものなんでしょう?」
「人は皆、状況に応じた自分を演じながら生きているんだよ。素のままの自分で社会を渡っていく人間なんて滅多にいないだろう?」
「それを言ったら、オフラインもロールプレイと共通するものがある、と言えるんですかね。演じるって意味では」
ヤツハが、しみじみとした口調で言う。
「そうかもね。私はイメージするシアンはそうだなあ。店員さんにお礼を言うような真面目な人なんじゃないかと思うよ」
「八千代のイメージだと、釣りは募金箱に入れといてくれってタイプな気がします」
「ああ、俺もそんな感じがする」
八千代の言葉に、シンタも同意する。グリムも、内心では同じ気持ちだった。あの人は小銭が出てくるのを待つことを面倒臭がる人だという気がするのだ。
「雑誌コーナーで本を選んでても、選ぶまで一瞬、みたいな。無駄な時間は使わない」
とは、ヤツハだ。
「人をだしに盛り上がってるなあ」
いきなりシアンが口を開いたので、五人は口々にお帰りと挨拶をした。
「リアル人格とネット人格は違うよねって話をしてたの」
シズクが淡々と説明する。
「そりゃー違うよ。リアルでこんな性格を前面に出してたら問題児扱いされちゃうわ」
そう言って、シアンは皮肉っぽく笑う。
「けど流石あんたらだね、そこまではずれてない」
「そうなんですか?」
グリムは、戸惑いがちに言う。
「店員さんにありがとうは言うよ」
「ああ、フレンドリーにサンキュー、とか言っちゃうんですね? 師匠らしいです」
「君は人をどう見ているのかな。ネットじゃわからんところだけど、リアルじゃ普通に、袋分けてもらったりした時にありがとうございますって言ってくだけだよ」
シアンの目が細められる。失言だったな、とグリムは内心で反省する。
なるほど、誰にでも気さくな彼女はあくまでもネット人格ということなのだろう。
「お釣りは小銭だったら募金に回す。本は電子書籍に頼ってるから、コンビニじゃ買わないけどね。そして、この時間に物を食べるのは怖いから、アイスは冷凍庫に入れて明日食う」
「じゃあ、なんのためにコンビニ行ったんですか。アイス食べないなら今じゃなくて良いじゃないですか」
「栄養ドリンクも切れてたし、雪見たかったし」
常備していることが当たり前のような言い分だった。
「師匠って栄養ドリンク中毒ですよね。コンビニでドリンク女って仇名ついてそう」
「嫌なことを言うなよな。まあ、雪は綺麗だったよ」
そう言ったシアンは、とても満足げだった。
「……一面の雪景色、か。良いなあ」
グリムは、思わず呟いていた。
「見てみたいねえ」
ヤツハも言う。
「暇なら二人とも見に来る? 雪かきさせてあげるよ」
シアンが悪戯っぽく微笑む。
「遠慮しますよ」
そう言いつつも、彼女のリアル人格にほのかな興味を持ったグリムがいた。オフラインでの彼女の友達にでも聞けば、彼女のリアル人格とネット人格の差についても知れるだろう。
しかし、その機会はないし、そこまでする熱意もグリムにはない。
なんだか自分達の関係の曖昧さに、グリムは複雑な気持ちになった。今見ているのはきっとシアンの一面だ。しかも、ゲームの人間関係上だけで見られる一面だ。その一面だけしか知ることができないのが、なにかもどかしかった。
「師匠の日常生活って、どんな感じなんでしょうね?」
「お、私が気になるか、青年」
からかうようにシアンが言う。
「ええ、気になります」
「おー」
シズクが興味深げに口を開く。
「グリムは度胸があるなあ……」
シンタも苦笑交じりに言う。
なんか周囲の反応がおかしいぞ、とグリムは思う。何やら獲物を見つけた肉食獣のような気配がする。
「君が気になるんだって台詞、貰いました!」
八千代の言葉で、グリムはようやく自分の発言がどう取られているかを理解した。
「きっとそういう意味じゃないよ……」
ヤツハが苦笑交じりにフォローする。
「ええ、そういう意味じゃないです。ただ、師匠が普段は、どんな感じで生きてるんだろうってちょっと興味を持っただけです」
目を丸くして硬直していたシアンが、そこでやっと動き始めた。
「……つまんないよ。雪が綺麗だ、なんて言ったら能天気扱いされそうだし、雪にはゃしゃいで深夜にコンビニ行ったとか変人扱いされそう。だから普段の私は周囲に合わせて、雪で大変だよね、起きたら降ってて吃驚したってありきたりな話題を口にするのさ。ニュースで降雪量の情報なんかを仕入れてね」
そう言って、シアンは肩をすくめた。
「まったく、オンラインの私のほうが……あんた達の言うネット人格のほうが、よほど素の私に近いよ。なんでだろうね」
「気兼ねしなくて良いからね。皆遠距離に住んでるし、仕事で関わるわけじゃないし」
「そうなのかなー」
シズクの言葉に、シアンは戸惑うような表情で返事をする。
「……なら、素の師匠ってかなり滅茶苦茶ってことですね?」
「おう。普段ゲームで見せてる通り、社会不適合者一直線だ。満足か? グリム」
からかうようにシアンは言う。
「状況によるけど、素の師匠を見られないよりは、よほど良いかも。より近いってことだから」
シアンは、苦笑顔になった。
また、おかしなことを言ってしまっただろうか。グリムは不安になってしまった。
確かに、ネット人格はあるのだとグリムは思う。今みたいに素直な台詞、相手の顔を見ていたらとても出て来ないだろう。
「まあ、害を被るのはあんただから、あんたが良いなら別に良いけど。で、TRPGの続きやる?」
「皆で演技の時間だね」
シズクがそう言って酒樽から降りて、皆の輪の中に入って来た。シアンもその場に座り込む。
グリム達は演じ続ける。オンラインでも、オフラインでも。
ただ、相手の顔が見えない分、オンラインでしか見せないものもある。
身近に接する分、オフラインでしか見せないものもある。
多面性を抱えながら、グリム達は生きていくのだった。
その多くを知りたいと思うのは欲張りなのだろうか。そんな疑問を抱くグリムがいた。
どうして知りたいと思うのかは、グリム自身にもわからない。
シアンというあまり見ない人種に、興味を惹かれているのかもしれなかった。
思えば、グリムはシアンのことを良く知らないのだ。
どんな風に仕事をしていて、どんな風に友達と遊んで、どんな風に生活しているかなんて予測も付かない。
別キャラが所属しているというギルドのことも知らないし、メールアドレスは教えてもらったが、それでやり取りしたこともない。
今度、機会があれば、趣味について聞いてみるのも良いのかもしれない、とグリムは思った。
例えば、音楽の趣味について聞くのが良いかもしれない。音楽についてなら、グリムは多少知識がある。
自分達が交わす会話と言えば、世間話を除けば、呆れるほどにゲームの話ばかりだったから。
シアンから、雪景色の写真が添付されたメールが届いたのは翌日のことだった。
確かに、オフラインの彼女は真面目な人なのかもしれない、とグリムは思った。
オンラインの彼女なら、雪が見たいならこっちまで見にくれば? だなんて冗談で、全てすませてしまうだろうから。
++++
「そろそろ限界かな……」
「疲れたー」
「八千代、寝ます」
「私も寝るわ。流石に眠い。キャラは放置してくんでよろしく」
「んじゃ私も寝るわ。お休み」
「師匠。雪降ってるんなら風邪ひかないように気をつけて。俺も寝ます」
「お休みー」
「お休みなさいー」
一人が寝ると言い出すと、睡眠を我慢していた他のプレイヤーも、同時に多数ログアウトする現象がある。雪崩落ち、とヤツハは心の中で命名している。
溜まり場には、シンタとヤツハが残った。
「ねえ、また、オフラインで遊ばない? 今は寒いけれど、春休みにでもさ」
「唐突だね」
シンタの誘いは本当に唐突で、ヤツハは苦笑顔になってしまった。
「今度はヤツハがこっちに来る感じでさ。普段俺が遊んでる場所とか、見てほしいなって」
「それは別にかまわないけれど。そっか。ネット人格とリアル人格って話に引っかかるものがあったんだね」
「……まあ、そんな感じ」
ヤツハは、しばし考え込んだ。拒否する理由も、思いつかなかった。
まだ、シンタと会うことに緊張する自分がいる。けれども、それ以上にシンタと遊ぶのを楽しみだと感じる自分がいるのも確かだった。
「遊ぼうか。じゃあ、今回は観光プランを考えるのは君だ」
「任せといてよ。観光名所に行くのと、普段俺が遊んでる空間をぶらぶらするのと、どっちが良い?」
「うーん、後者かな。観光名所なら、一人でも行けるもの」
「なら、プランを練るとしようかな」
心配しなくても大丈夫なのにな、とヤツハは思う。
シンタと話している時、ヤツハは素の性格にとても近くなる。とても素直に受け答えしている。それは他のメンバーの誰とよりもシンタと交流した時間が長いせいなのだろう。
だから、もう少し安心してほしいものだとヤツハは思うのだった。
自分はヤツハのネット人格しか知らない。そう考えられているのなら、それは誤解だとしか言いようがない。
けれども、一緒に遊ぶコースを考え込んでいるシンタが愛らしかったので、何も言うまいと思った。
「楽しみにしてるよ、シンタくん」
「ああ、楽しみにしとけよ、ヤツハ」
「じゃあ、私は移動手段について考えようかな」
いつからだろうか。二人の関係は、オンラインゲームの枠を超え、現実世界へとはみだしつつあった。
++++
会社の前で、雪が降るのを見上げている女性がいた。長い髪を後頭部でまとめ上げ、眼鏡をかけて、淡々とした表情で空を見上げるその姿は、物静かな人間のそれに見える。
そこに、背後からやってきた若い男性が声をかけた。彼が歩くたびに、靴底が埋まるほどに積もった雪が踏みしめられる音がした。
二人とも、スーツ姿だ。
「先輩、おはようございます。雪、降りましたね!」
「降ったね。多少、物憂いよ。これから本降りらしい」
女性は苦笑して、男性に返事をする。
「いやあ、俺昨日からなんか浮かれちゃって、買い出しに出ちゃいましたよ。クリスマスのころまで降ってるかなあ」
「……君は車やバスでの出勤ではないんだっけ?」
「ええ、近いんです」
「なるほど、なるほどなあ」
女性は苦笑顔のまま、考え込むように頷く。
「どうしたんですか? 先輩」
「いや、私も君ぐらい、平素から自分を出せる人間だったらなあと思って」
男は、不思議そうな顔になる。
「いや、君らしくて良いなって話」
「……馬鹿にしてます? 確かに、飲み会でも静かに飲んでる先輩に比べて、俺は飲みすぎるクチですが」
疑わしげに、男は言う。
女性は僅かに口元を少しだけ上にあげて微笑んだ。
「馬鹿言わないで、褒めてる。君は一人でも元気で明るくて、良い。私は一人だったら、きっと駄目な人間なんだろうなと思うから」
「けど先輩、一人暮らしじゃなかったですか」
「今時、アプリでもなんでもあるだろう。オンラインゲームとか」
「先輩がゲームをやってる姿も想像つきませんね。真面目一徹って感じだから」
「だから、可愛げがないと上司にも言われる」
「先輩は美人ですよ」
女性は一瞬、息をのむ。そして、顔が熱くなるのを感じながら、反射的に抗議しようと思ったのを、思いとどまる。
そして、出てきたのは溜息だった。
「君は知り合いに似てるよ。そういうことを照れもせずに言える辺りがなんともね。羨ましい性格だ」
「へえ、知り合いですか。アプリで話している相手だとか?」
妙に探ってくるな。女は違和感を覚えつつも、答える。
「まあ、そんな感じだ」
「そっかー。先輩そういう相手いるんだ」
「ああ。さて、今日も楽しい仕事の時間だ。会社の中に入ろうじゃない」
言って、女は俊敏な動作で会社の中に向かって歩き出す。男は慌ててその後を追った。
次回、セロとリンネのその後のお話




