黒井と彼女の契約7
さて、片や神出鬼没のヒーロー。片や最大手対人ギルドのマスター。女帝の名に相応しいのはどちらか、という議論がネットの掲示板では囁かれつつあった。
大半は、後者であるリヴィアを推した。
腕力、素早さ、耐久力、技量、どれをとっても隙がない。全体の能力が異様に高い。それがリヴィアというキャラクターの特徴であり、それを動かすプレイヤーにも熟練の腕があった。
しかし、前者である歌世を推す声もある。
素早さに特化した歪なステータスをした彼女だが、それだけで決勝戦まで駆け上がったそのプレイヤーの実力は本物だ。
プレイヤーとしての腕は歌世に軍配が上がるのではないか。そんな声もあった。
場面はイグドラシルの世界に移る。闘技場のリングの上に、歌世とリヴィアが向かい合う。
「あんたとも因縁よね、リヴィア」
歌世が苦笑交じりに言う。その尻尾は、左右に大きく揺れている。
「……今回は感謝しておくわ、歌世。貴女がいなければ、騒動は取り返しがつかなくなる規模まで大きくなる可能性があった」
リヴィアは、淡々とした口調で言う。
「好きでやったことだ。感謝される言われはないよ」
二人の間に、沈黙が漂う。
「ねえ……引退しないわよね」
リヴィアは、縋るように言っていた。
「貴女を倒すことが、ずっと私の目標だった。相手をするために、素早さのパラメーターだって高めたわ。貴女のことを、ライバルだと思ってた」
「……私もさ、リヴィア。今思うと、あんたとやりあうのは楽しかった。私のスピードについてこれるのは、あんただけだった」
素直な気持ちを、歌世は口にしていた。それは、もう何度も彼女と顔を合わせることはないと考えているからなのだろう。
「いつかは、全ての面であんたに追い越されるんだと思ってた。待っていてあげられなくて、ごめんね」
リヴィアは、息を呑んだようだった。
「……謝らないで。なら、辞めるのね」
「ああ」
「約束して、歌世。必ず、決着をつけましょう。引退する前に。私と貴女と二人きりで」
「良いよ。あんたとも長かったね。一勝一分、だったか」
「最初は、貴女の素早さに対応できなかった。二回目は、邪魔が入った」
「うん。じゃあ、三回目は後日に回そう。茶番は、終わりにしよう」
「ええ、そうね」
ファンファーレが鳴る。
歌世は一瞬でリヴィアに接近していた。その短剣が、彼女の首筋を狙う。しかし、リヴィアも既に剣を横に薙いでいた。両者共に、尋常な速度ではない。
二つの凶器は、両者に致命傷を与えていた。
二人は地面に倒れる。
引き分けだ。
これで、スピリタスのメンツは守られた。
そして、これで、歌世は負けずにすんだ。
一瞬での決着に、闘技場には静けさが広がった。
次の瞬間に、疲労を労うような拍手が、天から降り注いでいた。
試合が終わり、プレイヤー達のヒットポイントが回復する。歌世とリヴィアは立ち上がると、苦笑顔で握手を交わしていた。
ノンプレイヤーキャラの手によって、優勝者のインタビューが行なわれる。
「スピリタスから、お知らせがあります」
マイクを握り、リヴィアはそう宣言した。
「上級ダンジョン、超上級ダンジョンにおける狩り方をまとめた解説サイトを作ろうと思っています。これからデビューする方に理解できるように、各職の動きや敵の特徴を丁寧に書くつもりです。上級ダンジョンを目指す方は、是非一度目を通して欲しい。スピリタスも、そうじゃないギルドも関係なく、楽しく狩れればそれが一番良いとマスターとしては思っていますし、それをギルド全体の共通認識にしたいと思っています」
そして、リヴィアはさらに言葉を続ける。
「そして、その狩り方が全てとは思ってはいません。ただ、スピリタス主催の募集ではそういう狩り方が推奨されています。なので、スピリタスの募集に入ろうという方は、是非そのサイトを見て予習して欲しい。スピリタスのマスターとしての、お願いです」
ざわめきが周囲を包んだ。
スピリタスが上級ダンジョンに足を運ぶビギナーの面倒を見る、と周囲の人間は認識したようだった。
しかし、どうして大会のこの場で言うのだろう。それを疑問に思う者は、多かった。
リヴィアは頭を深々と下げて、歌世にマイクを手渡した。
「あー、こうやって喋るのは、実は柄じゃないんです。変なことを言うかもしれない。許して欲しい」
ヤツハが、シンタが、シュバルツが、彼女の姿を見つめる。セロも、立った状態で彼女の姿を眺めている。
「まずは、事情があってスピリタスを挑発するような真似をした。皆の中にも気分を害した人もいたかもしれない。非常に申し訳ないと思ってる。そんな人間の、ちょっとした本音の話。良かったら聞いてほしい」
歌世は、そこで一度言葉を切った。そして、頭の中で話を組み立てようとするかのように、しばし考え込んだ。
「最初は皆、雑魚敵を倒して喜んでるんだ。このゲーム、凄いぞって感じながら、経験値効率とか、金銭効率とか考えずに、今思えば弱い初期の武器で、ただ雑魚敵を倒してはしゃいでいる。そのうち、レベルが上がる。ポイントを与えられ、ステータスに自由に伸ばせるようになり、キャラメイク要素が出てくる。どんなキャラにしようかって胸を躍らせる」
歌世は、周囲を見回した。
「もう一度、あの時の気持ちを思い出そう。私達はこのゲームが大好きなんだってことを思い出そう。そしたら、ちょっとのデスペナや諍いぐらい、笑って流せるようになるんじゃないかな」
歌世の言葉に、思うところがある人間はいたようだ。
掲示板に、こんな書き込みが投じられた。
『そういえば俺、最初の頃は先輩に面倒見てもらってたな。あの時、雑魚だったけど楽しかった』
それに賛同するような書き込みが徐々に増えていく。
「まあ何が言いたいかとって話だけど、皆、ゲーム楽しもうぜ。苛々すんのとか、カリカリすんのとか、やめてさ。ガキみたいに皆で仲良くこの世界を冒険しようぜ。今日で、私は引退する」
その発言に、闘技場内がどよめいた。
「βテスターだから、私はある意味多数の人にとって先輩でもある。だから、偉そうな物言いになるかもしれないけれど、皆にはゲームを楽しんでいって欲しいと思ってる。言いたいことは、それぐらいです。じゃ、あばよ!」
そう言って、歌世は周囲に向かって大きく手を振った。
歓声が、二人に降り注いでいた。
「良く奮闘したぞ、歌世ー!」
「またゲームに戻って来いよなー!」
「戻らないよー」
歌世は苦笑して大声で言い返すと、リングを後にした。
そして、その顔から表情が消える。
まだ、果たしていない仕事が残っていた。それは、酷く気の重い仕事でもあった。
++++
「スピリタスのマスターと談合をしているとは思いませんでした」
黒井が、微笑顔で言う。
小屋には、歌世と黒井だけが残っている。
「共同戦線を張った経験もあれば、匿ってもらった経験もあってね。あっちには恩があるし、首都が荒れるのを見ていられない思いもあった」
「しかし、貴女の働きは十分です。"ハズレリスト"の主犯格達を晒し上げ、無残に倒すという働きをしてくれた。思った以上に効果的な処分と言えるでしょう」
「ああ。これで連中も怖気づく。"ハズレリスト"の被害者達も溜飲が下がっただろう。そして、リヴィアも環境整備に乗り出す。潮時だろう、黒井」
歌世の言葉に、黒井は怪訝そうな表情になる。
「むしろ、ここからがスタートですよ。"ハズレリスト"に関わる人間を、全てこのゲームから蹴り出さなければ」
「黒井、約束したよね。私が負けなければ、言うことを一つ聞いてくれる、と」
「……そういうことも、ありましたね。けど、貴女は勝てなかった」
黒井は、いぶかしむような表情でそう答える。
「負けなかったんだ、黒井。そこを間違えちゃいけない」
黒井は、しばし考え込むような表情になった。歌世は、気にせずそんな彼に声をかける。
「この件に関してはもう手を引きな、黒井」
「……それは、できません。野良パーティーで人を排除するような人間を残しておいては、平和は保たれない」
「そこは、リヴィアが変えていく。彼女は宣言していただろう? 黒井、自分だけの正義で物を計るのはいい加減にやめるんだ」
黒井は、あえて反論せずに、歌世の言葉の続きを待ったようだった。
「例えば野良パーティーは募集に時間がかかる。移動にも時間がかかる。そんな中、予習もろくにしてこないパーティーメンバーがいて狩りが上手く行かなくなった。他のメンバーにとっちゃあ、その予習もしていないメンバーは悪だ。一時間近く時間が無駄になるんだからね。そして、彼らが自分達の正義に従って行動したら、"ハズレリスト"みたいなものが出来上がる」
「そして僕は僕の正義に従って、"ハズレリスト"を作り上げた人間を排除する」
「キリがないんだよ、黒井。キリがないんだ。正義の押し付け合いにはキリがない。だから、こんな馬鹿らしいことをやって、人を本気で憎んだり、追い出そうとしたり、そういう真似をするのはもうやめるんだ」
「同じことを繰り返させないために、前例を作っておく必要がある。人を統制するのは恐怖だ」
黒井は、叫んだ。
歌世は、それを見ていると、悲しくなってきた。黒井が情熱を傾けていることが、酷く空しいことのように思えてならなかったのだ。
「ねえ、黒井。リアルであんたは、どんな子なんだろうね?」
歌世の言葉に、黒井は言葉に詰まる。現実の自分については、彼は語りたくないように見える。
「きっと、嫌なことがあったんだろうと思う。許せない相手がいるんだろうと思う。けどね、私達が現実でできることは、そんな嫌な相手とも挨拶して、適度な距離をとって、上手く折り合いをつけていくことなんだよ」
「……けど、これは、ゲームだ。現実じゃない」
黒井は、吐き捨てるように言う。明らかに、動揺しているようだった。
やはり彼は、現実世界で、何か嫌なことがあったのだろう。その感情を、ゲーム世界の悪人にぶつけようとしている。
「そう、ゲームなんだ、これは。ゲームは、現実の代わりにはならない。他人を追い落としたり、排除しようとしたりするものじゃなくて、ゲームなんだよ。皆で楽しむ、ゲームなんだ。黒井、最後に狩りに行ってから、何年が経つ……?」
黒井は、答えない。
「あんたが最後に純粋にゲームを楽しいと思ってから、何年が経つ……?」
黒井は、やはり答えない。思い出せないのかも、しれなかった。
「私は、リヴィアが上手くまとめてくれると信じている。そういった良い人間も、世界には沢山いる。そっちに目を向けようよ、黒井」
「けれども、俺は悪を悪として放置できない」
苦虫を噛み潰すような顔で、黒井は言った。
「首都で"ハズレリスト"を使っていた悪は、正義に変わるんだよ。初心者に狩り方を伝授するアドバイザーにね。その邪魔をするほうが、よほど悪じゃないか」
黒井は、情けない表情になる。縋るものを失ったような表情だった。
「とりあえず、約束は約束だ。スピリタスの一件については手を引きな。そして、ねえ黒井。キャラ作り直してさ、ゲームを楽しみなよ。友達作って、ちょっと明るい気分になると良い」
「……約束は一個です。二個に増えてますよ」
不満げに黒井は言う。
「二番目は、私の個人的なお願いだ」
「今更、そんなこと、出来るわけないじゃないですか」
「きっとできるよ」
歌世は微笑んでいた。そして、黒井の肩を抱いて、その頭を撫でていた。
かつて、同じギルドに所属していた頃に、彼を弟分として可愛がっていた時のように。
「友達ができて、楽しく遊ぶことができるようになる。ノーマナープレイヤーは運営に任せておこう。私は、楽しく遊ぶあんたが見たい」
黒井は、しばらく黙り込んでいた。
そしてそのうち、苦笑した。
「六花さんも、そう言う気がしました……」
「うん、あの子は、そういう子だよね」
しばしの沈黙が、二人の間に漂った。
黒井は考え込んでいるようで、歌世はそれを見守っている。
「不正を監視する目というものは、必要だと思うんです。だから僕は、この事件の顛末を見届ける。リヴィアがスレイヤーのマスターとどう違うのか、最後まで見させてもらう」
「ああ……それは、あんたの自由だ」
「ただ、"ハズレリスト"製作者に関するリークは、取りやめましょう」
黒井は、そう言って深々と溜息を吐いた。
この先、彼がどんなゲームライフを送るかはわからない。また、扇動者としての実績を考慮され、誰かに頼られる日が来るのかもしれない。
それは、この世界を去る歌世にはわからないことだった。
「次に会った時は、楽しくゲームをしてる君に会いたいよ」
「……考えておきます」
黒井は淡々とした表情で、そう言った。彼はきっと、変わらないだろう。そのうちまた、騒動を起こすかもしれない。けれども、彼が平和にゲームをプレイできるようになることを、歌世は祈った。
そして、こうも思ったのだ。伝えたことで、もうゲーム内でやることはなくなってしまったな、と。
後は、この世界から消えるだけだった。
++++
その日、歌世は世界各地を回った。
始まりは、港町だ。砂浜が見える家を背にして、歌世はかつてゴルトス達と出会った。まだ、ゲームがβテストだった時期の話だ。
「敵の攻撃力も徐々にインフレしていくのがオンラインゲームだ。だから俺は、パーティープレイを考慮して耐久を伸ばしていくんだ。素早さ一辺倒のブームは終わるよ」
出会った時、ゴルトスはそんな自論を語っていた。その自論は、正解だったが、当時は受け入れるメンバーは少なかった。
そのため、彼は少々浮いていたのだ。
そこから、近くのダンジョンに行く坂道に移る。ここで歌世は、かつてプレイヤーキラー集団と戦った。
当時実装されたばかりの矢を利用されて、酷く難儀したものだった。
「私達で、ギルドを作りましょう」
全てが終わった後に、そう提案したのは、六花だった。
「俺もギルドに入りたい! もうPKなんかしないからさ。今回だって、あんたらのギルメンに暴言吐く奴がいたのが悪かったんだぜ」
人懐っこいプレイヤーキラー。それが、黒井だった。
歌世もゴルトスもそれを無視しようとしたが、PKをしないならと彼を迎え入れたのは六花だった。寛容な人だったのだ。
結局、歌世、ゴルトス、六花、黒井でギルドを作ることになった。あれはあれで、楽しい生活だった。
飛行船に乗って、歌世は砂漠の町へと向かう。
防具屋と武器屋の間に座ってみる。昔はフードを被って、ここで相談屋をしたものだった。
あの時は、六花を失ったことによって、なんとなく世界を放浪したくなったのだ。その時に色々な人の手助けをしたことで、歌世は神速だなんて異名を持つようになった。
「あんたネカマだろ。ノリが女のそれじゃない」
シュバルツは、最初はそんなことを言う失礼な奴だった。
「歌世さん、可愛い名前ですね」
ヤツハは、最初から可愛い妹分だった。
あんなに長い付き合いになるとは、思わなかった。
そして、首都に歌世は移動する。人の集まる首都。そこでかつて出会ったのは、リヴィアとスピリタスの面々だった。
「匿ってほしい? 私に勝てたら? 良いわよ。私に勝てたならなんでも言うことを聞いてあげる」
当時そう自身満々に言ったのは、まだ若かった頃のリヴィアだった。
長いライバル関係の始まりになるだなんて、思ってもいなかった。
二人の間の決着は、既についた。因縁は清算されていた。だからもう、彼女に対しての未練はない。
そして、歌世は各地を回り、最後には山奥の町に辿り着く。
その入り口で、スライム相手に奮闘していたのがシンタだった。
「ギルド、入れてくれるんですか?」
初心者の彼は、非常に嬉しげにそう言ったものだった。その後、酒ばかり飲んでいるメンバーに少し幻滅もしていたようだったが。
そして最後に、歌世は自分のギルドの溜まり場に辿り着く。町はずれの原っぱだ。
色々な会話をした。何日も酒を飲んだ。楽しい思い出がたくさんあった。
それは、歌世の、八年を振り返る旅でもあった。
シュバルツとゴルトスは、もうゲームにログインしていないのだろう。シンタとヤツハは、新しい場所で上手くやっているのだろう。
見送られることはないと、そう思った。
歌世はその場所で、ログアウトした。
++++
「前のギルドに戻る?」
リンネの言葉に、シズクは酒樽の上で足を振るのをやめた。
リンネは聖職者のキャラを出しており、赤いドレスに身を包んでいる。
「"ハズレリスト"の一件が整理されたみたいで。そうしたら、高いレベルの聖職者は惜しい、帰ってきてくれ、と」
「勝手な連中だなあ。戻るの?」
リンネはしばし考え込んでいたが、ひとつ頷いた。
「お世話になった人や、優しくしてくれた人もいたんです。マスターとは和解できないけれど、別ギルドを立ち上げようって動きも出ているし、そこで力になろうかと」
「なるほどね。雨降って地固まるか。良かったじゃないか」
「ありがとうございます。皆さんのおかげで、色々と楽しめたし、色々と気付けました」
「サブキャラは置いていってかまわないよ。たまにログインして、話を聞かせてくれれば良い」
シズクは再び、左右の足を前後に振りながら言う。
「ありがとうございます。また、遊びに来ますね」
「ああ。そうしてくれ」
「シンタくんとヤツハさんに挨拶をしたいところでしたが……」
「二人はデート」
揶揄するように、シズクは言う。
「なら、邪魔もできませんね。日を改めて、挨拶に来ます」
「ねえ、リンネ」
シズクは、悪戯っぽく微笑んで言う。
「なんですか?」
「あんた、シンタくんのこと、ちょっと気に入ってただろ」
リンネは、言葉を失う。そのうち、気の強い微笑顔で答えた。
「ちょっとだけ、ね」
「それがキューピット役みたいに二人がくっつくようにせっついて。損な性分とは思わないのかな。キャラクターのレベルだって、シンタくんとマッチしてたんだろう?」
「けれども、私はヤツハさんの代わりにはきっとなれないから。これで、良いんです」
「これで良いのか」
「ええ、これで良いんです。それじゃあ。また、たまに顔を出しますね」
そう言って、リンネは去って行った。
アメノシズクは、少しだけ寂しくなったが、すぐにまた参加希望者が現われるだろう。シズクはそれを、のんびりと待つだけだ。
++++
時間が流れた。
エッグはすっかりと埃を被ってしまっている。
あの後、ゴルトスに勧められたゲームをやってみたものの、歌世はそれをやめていた。
ロボットを操り戦うそのゲームは、確かに歌世の空間認識能力と反射神経を活かすものだった。
ただ、いかんせん男性プレイヤーが多すぎた。女性であり、腕もある歌世は、あっという間に祭り上げられて、そんなポジションが照れ臭くなって引退してしまった。
結局、イグドラシルは会話の場としては居心地が良かったな、と歌世は思う。アバターを色々弄くれたし、後輩も可愛かった。
そんなことを考えながらも、仕事に急かされるように時間は過ぎていった。
紆余曲折があって、ヤツハとシンタがゲーム上で結婚すると言う話を聞いたのは、式の一週間前だった。
当日には、久々に、イグドラシルオンラインの世界にログインした歌世だった。
「心の壁は少しは薄くなったかい?」
久々に会ったヤツハにそう訊ねると、こんな答えが返ってきた。
「シンタくんに打ち明け話をできる程度には」
「良い傾向だ」
二人は徐々に、距離を詰めていって、結婚に至ったらしい。それが、歌世には酷く微笑ましく思えた。
結婚式が始まる。神父はシュバルツ、参列席には歌世のギルドのメンバー、アメノシズクのメンバー、スピリタスのメンバー、シンタの昔の固定パーティー仲間が密集している。龍一もいれば、環もいる。
「どうしてリンネとセロが並んで立ってるんだ?」
そんな声が聞こえたが、歌世にはどういう意味なのか今ひとつ良くわからなかった。
そして、新郎新婦が神父の下に辿り着き、キスをした瞬間、桜の花びらが舞った。
まるで二人を祝福するように、舞い踊っていった。
そのエフェクトに、皆が浮かべた困惑の表情は、次第に和らいでいく。
「またアリサの悪戯ね」
歌世は、苦笑顔で言う。そのアリサ嫌いを知っているゴルトスは、内心冷や冷やとしているようだ。表情に、それが出ている。
「……結構洒落たことが出来るじゃない、あの子も」
ゴルトスは、戸惑ったような表情になる。
「神様と、仲直りしたのか?」
「いんや。ただ、褒めるところは褒めとこうかなと。これは良い演出だ」
歌世のアリサ嫌いは、以前に比べれば軟化しているのかもしれなかった。そのうち、ゲーム世界の神様と和解する日が来るのかもしれない。
桜の花びらの中、シンタとヤツハは微笑んでいる。
「私達がいなくても、上手くやってるみたいじゃない」
「ああ、二人とも穏やかな子だからな。これからも上手くやっていくだろうよ」
「なんか、安心した。たまに、様子見に行くかな」
「ああ、顔を出せば喜ばれるだろうよ」
「……いや、やっぱりなしだ。私は引退したんだ。今日みたいなイベントの時以外は、ずるずるしがみつくつもりはない」
歌世はゴルトスだけに聞こえるように小声でそう言った後、大声を出した。
「さ、これだけ面子が揃ってるんだ。狩り場荒らしに行くぞー!」
歌世の叫びに賛同の声が上がる。久々にログインした今日は、楽しい一日になりそうだった。
次回、短編を上げる予定です。




